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永遠の密やかな恋人
永遠の密やかな恋人
Author: 花辞樹

第1話

Author: 花辞樹
私は兄の親友である嶋谷宏(しまたに ひろし)と三年間恋人関係にあった。けれど、彼は一度も私たちの関係を公にしようとはしなかった。

それでも、彼の愛を疑ったことはなかった。何しろ、宏はこれまでに九十九人の女と関わってきたのに、私と出会ってからは他の女を一瞥すらしなくなったのだから。

私が軽い風邪を引いただけでも、宏は数十億円規模のプロジェクトを放り出し、すぐに家へ駆けつけてくれた。

誕生日の日も、私は嬉しくてたまらなかった。宏に、私が妊娠したことを伝えるつもりでいたのだ。ところがその日、宏は初めて私の誕生日を忘れ、姿を消した。

家政婦の話では、彼は「大切な人を迎えに行く」と言った。

私は胸騒ぎを覚えながら空港へ向かった。そして、花束を抱え、落ち着かない様子で誰かを待つ宏の姿を見つけた。

――私にとてもよく似た女の子を、待っていた。

後で兄から聞かされた。その女は、宏が一生忘れられない初恋の人なのだと。

宏は彼女のために両親と決裂し、彼女に捨てられた後は心を病み、彼女に似た女を九十九人も傍に置いて生きてきたのだと。

兄がそう語るときの声には、宏への同情と感慨が滲んでいた。

けれど、兄は知らない――大切にしてきた妹の私が、その「百人目」だということを。

私はあの二人の姿を、ただ黙って、長い間見つめていた。そして、迷いなく病院へ戻った。

「先生、中絶手術を受けたいです……」

「なんですって?!林(はやし)さん、中絶したいって言うんですか?今朝、妊娠がわかったときは、あんなに喜んで恋人に知らせたいっておっしゃってたのに!」

医師の驚きの声が、静まり返った診察室に鋭く響いた。

私は俯いたまま、指先でスカートの裾をぎゅっと握りしめた。喉が詰まって、声が掠れた。

「……もう聞かないでください。とにかく、この子は……いらないんです」

医師はしばらく黙って私を見つめ、それから深くため息をついた。

「林さん、何があったのかはわかりませんが、今のあなたは明らかに冷静ではありません。少し時間を置いて、もう一度考え直してみてください」

医師は中絶手術の同意書と診断報告書を私の前に押し戻し、そこに添えられた小さな影のような胎児の画像に目を落とした。

「これは……命ですよ」

私は画像に映る小さな黒い影を見つめたまま、目の奥がじんと熱くなった。やがて、書類をそっとバッグにしまい、無言のまま病院を後にした。

ぼんやりとした足取りで家へ向かって歩いていると、突然、目の前で赤いフェラーリが急停車した。

水たまりに靴音が響き、濡れた路面に映る光の中から、一人の男が傘を差しながら駆け寄ってくる。

宏……

彼は私を勢いよく抱き寄せ、脱いだ紺のジャケットを私の肩に掛けた。

「もう大人なんだから、傘くらい持って出ろよ。君、体が弱いんだ。風邪でもひいたらどうするんだ」

焦りを帯びた横顔。その瞬間、私は、あの恋を始めたばかりの年に戻ったような気がした。

しかし、心の奥底では、もう戻れないことを、はっきりとわかっていた。

私は彼の着ている紺色のスーツを見つめ、苦く笑った。

それは、宏が一ヶ月前、私の誕生日パーティーのために特注したものだった。だが今日、私の誕生日に、そのスーツを着ている理由は、祝うためではなかった。

今日の午後、誕生日の準備をしている最中に、突然ひどい吐き気に襲われた。最初は胃の調子が悪いだけだと思っていたが、診断の結果、妊娠していると知らされた。

誕生日に授かった命――私は、それを神様からの贈り物だと信じた。

すぐに家へ戻り、宏にこの喜びを伝えようとした。けれど、彼の姿はどこにもなかった。

家政婦が言った。

「嶋谷さまは空港へ、大切な方をお迎えに行かれました。林さま、お腹が空いたら先に召し上がっていいと」

先に食べていい?今日は私の誕生日なのに。宏は盛大に祝うと約束してくれたのに……

胸の奥で小さな怒りが弾けた。

「大切な方って誰?」

家政婦は一瞬ためらい、口ごもるように言った。

「よくわかりませんけど……出かける前、鏡の前でとても嬉しそうにしていました」

その答えを聞いて、なぜか胸の奥がじわりと苦しくなった。嫌な予感がして、私はすぐに運転手に空港へ向かうよう命じた。

人で溢れかえる到着ロビー、それでも宏を見つけるのは簡単だった。高い背と整った顔立ちが、いつだって人目を引く。

彼は花束を抱え、出口を見つめていた。

そして、その隣には……兄の林風馬(はやし ふうま)の姿。

宏の唇は固く結ばれ、目には焦りが宿っていた。私が知る限り、彼がこんな表情を見せたことは一度もない。

一体、誰を待っているの……?

私が到着口を見つめていると、一人の女性が現れた。艷やかな雰囲気を纏い、長い髪が揺れる。

「遥!」

宏が花束を掲げ、嬉しそうに叫んだ。

だが、彼女は花を受け取らず、宏を通り過ぎて、兄の腕にそっと手を添えた。その瞬間、宏の瞳に、深い未練の色が浮かんだ。

宏は以前、女遊びにふけっていたが、あの女たちはただの遊び相手で、未練などあるはずもなく、ごまかすことすら面倒に思っていた。

私はその女を見つめた。

思い出した。上原遥(うえはら はるか)か。

私は幼い頃から海外で育ち、国内にいる兄はいつも幼なじみの二人について話してくれた。嶋谷宏と上原遥。彼らと兄は、「京市の三羽烏」と呼ばれていた。

しかし、今見た光景が示しているのは、友情だけではない。

疑問を抱えたまま、兄が荷物を取りに行った隙に、彼に電話をかけた。

「お兄さん、うちの社長が上原遥さんを迎えに行ったって。二人、どんな関係なの?社長はすごく興奮してて、会社の会議までキャンセルしちゃったみたいだよ?」

兄は一瞬黙り、それから笑った。

「宏のやつ、そんなことまで話したのか。そりゃ相当嬉しかったんだな。あいつと遥は昔、すごく激しい恋をしてた。

けど、二人の関係が最高に熱い時に、遥が国外に行っちまってさ。宏は完全に……狂乱状態だったらしいよ。

宏は普段あんなにクールぶってるのに、あの時期は毎日俺に泣きついてきて、死ぬだの何だのって大騒ぎして……結局、遥に似た女を次々と探してた」

「……遥に似た女?」

スマホを握った手が震え始めた。

「そう。清芽(さやか)、まだ遥に会ったことないだろ?見たらわかる。宏が付き合ってた女は、みんな遥にそっくりなんだ。

あや、急に君も遥にちょっと似てる気がしてきたな……まあ、やっぱりうちの妹のほうが可愛いけど……」

その後言った言葉は、もう聞こえなかった。

耳の奥で甲高い音が鳴り響き、兄が言葉を紡ぐたびに、私の体は冷たさを増していった。呆然と顔を上げ、目の前に立つ妖艶な女性を見つめた。

実は、もう会ってしまった。

「清芽?どうしたの?そうだ、なんでそんなこと聞くんだ?」

兄の声が電話の向こうで繰り返されるが、もう応える力もなく、ただ小さく呟いた。

「社長を気遣ってるだけよ……そうだ、お兄さん、今日私が聞いたことは社長に言わないで」

肯定の返事を確認すると、私は急いで電話を切った。

スマホが真っ暗になった瞬間、黒い画面に私の顔が映った。

私はまた、少し離れたところにいる女性を見上げた。

「似てる……?」

私は苦笑いした。

唇の端に浮かぶえくぼが、あの女とまったく同じ場所にあった。

……本当に、似ている。

その日、どうやって空港を出たのか覚えていない。ただ、外は大雨だった。

帰宅すると、宏は私の髪を拭き、温かいスープを作ってくれた。そして、穏やかに笑いながら話し出した。

「なあ、今日さ、危うくバレそうになったよ。お兄さんが、友達に君を紹介したいから、一度会わせてくれないかって言い出してさ。俺、思わず『ダメだ!』って言っちまった」

私はふりをして笑顔を見せた。

「それで?気づかれなかった?」

「もちろんさ。お兄さん、あれだけ鈍感なんだ。まさか親友が自分の妹の彼氏だなんて、思いもよるわけねえよ。知られたら、俺、生きて帰れねえよ」

宏の軽薄な口調に、私は手を上げて、髪を拭く彼の手を押さえ、真剣な口調で言った。

「宏……あなた、本当に私を恋人だと思ってるの?」

宏は一瞬驚いたようにし、その後笑い出した。そして私の前に歩み寄り、ゆっくりとしゃがみ込み、手を伸ばして私の頬をつまみ、優しい声で言った。

「思ってなきゃ、お兄さんが紹介しようとした男に嫉妬なんかしないさ」

他の男の話になると、宏の顔色が少し悪くなった。彼は私を抱き寄せ、薄い唇を私の首筋に這わせた。

「君が他の誰かと一緒にいるなんて想像しただけで、たとえ同じテーブルで食事をするだけでも、俺はたまらなく苦しくなるんだ」

温かい吐息が私の首をくすぐり、私の体はとろけそうになった。しかし、私が溺れかける寸前、勢いよく宏を突き放した。

「宏、私、疲れたわ」

宏は一瞬戸惑ったが、雨に濡れて風邪を引いたと思ったのか、慌てて私を抱き上げてベッドに連れて行った。

私が眠りに落ちるまで、彼は何度も私の額に触れ、熱がないことを確認してから、ようやく静かに部屋を出て行った。

固く閉ざされたドアを見つめ、ベッドに横たわる私はゆっくりと目を開けた。

私は頭を布団に埋め、息が詰まるほど泣いた。

何が「恋人」だ……

私はただ、遥の代わりに使われている女に過ぎない。

以前、宏が私の笑顔が一番好きだと言って、もっと笑えと促したことを思い出すと、嫌悪感を覚えた。

涙で視界がぼやけ、体の熱もどんどん上がっていく。

頭がぼんやりとする中、ふと、ずっと昔のことを思い出した。

あれは私が十八歳だった年。兄が宏を連れて私を帰国させに来た。ほぼ一目見た瞬間、私はこの背が高くハンサムな男に一目惚れした。

その後、私は「恵まれたお嬢様」の身分を捨て、兄に頼んで、宏の会社にインターンとして入れてもらった。

最初は、私たちにはほとんど接点がなかった。宏は商談をしているか、さもなければレース場で車を飛ばしていて、彼の助手席に乗る女性は次から次へと変わっていった。

あの日、ビジネスのパーティーで、不意に彼が薬を盛られてしまった。異変に気づいた宏は、ふらふらとトイレに逃げ込んだ。

私は宏に何かあったらと心配で、慌てて後を追ったが、数歩進むと彼の姿が見えなくなった。

焦ってその場に足踏みしていると、突然大きな手が私を物置部屋に引きずり込んだ。

私は叫んで抵抗したが、宏の身に漂う独特の草木の香りを嗅いだ瞬間、静かになった。

背後の男は微かに息を荒げていた。白いシャツは三つボタンが外され、薬のせいでシャツの下の胸筋がわずかに赤みを帯びていて、とてもセクシーに見えた。

私は思わず唾を飲み込んだ。この様子を宏ははっきりと見ていた。

彼は低く笑い、私の顎を持ち上げた。その声は気だるく、そしてかすれていた。

「そんなに気に入ったか?」

内心を見透かされた私は、すぐに彼を突き放して言い訳した。

「ち、違います……」

しかし、彼は再び私を腕の中に引き戻し、私の手を彼の胸に強く押し当てた。

彼は眉をひそめ、少し苦しそうだ。

「気に入ったのなら、助けてくれ……」

私が返事をする間もなく、宏は顔を下げてキスをした。

私の瞳は大きく見開かれたが、やがてこの強引でありながらも抑制の効いたキスに、ゆっくりと溺れていった。

次に目覚めた時、私たちは裸でベッドに横たわっていた。宏は頭を腕で支え、横向きになって私を見ていた。

薬の影響はすでに消えているはずなのに、宏の目にはまだ消えない欲望が宿っていた。

その日、宏は言った。

「君には責任を取る」と……

宏は本当に有言実行した。遊び暮らすのをやめ、真剣に私と付き合い始めた。

私も何度も政略結婚の話を断り、宏の会社に残り、彼のそばにいた。

兄は、他の令嬢たちがバルセロナで休暇を過ごしているのに、大切な妹が毎日薄暗いデスクにいるのを見て、この会社に一体どんな魔力があるのかと、何度も私に尋ねた。

私は何度も宏との関係を話そうと思ったが、いつも私の言うことに従う宏が、この件だけは譲らなかった。

当初、私は宏が兄に叱られるのを恐れているのだと思っていた。

しかし、今日、ようやく分かった。

兄は、宏と遥が愛し合う姿をずっと見てきた。宏がどれほど遥に狂っていたかを知っている。

だから、そんな男に自分の大切な妹を託せるはずがない。

宏は、私と恋人関係にあることを兄に知られるのを恐れていた。

もう宏がそれを心配する必要はない。だって、私と彼は、もう何の関係もないのだから。

遥が戻ってきたのだから、私は宏の愛を残らず彼女に返してやる。

この何年間の愛も、時間も、全部。私は、ちゃんと受け止めて、ちゃんと手放す。

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