Se connecter子どもは絶対に作らないと言っていた妻・西村菜々(にしむら なな)はある日突然、4歳の子どもを連れて帰ってきた。 調べてみると、どうやら妊娠もしているらしい。留学すると言って家を出た先で、元彼の中田修平(なかだ しゅうへい)とできた子だそうだ。 発覚した後、俺と妻は絶え間なく言い争いを続けていた。 事態を知った両親は、口を揃えて俺をなだめてきた。 「そんなことで揉めるなんてみっともない。菜々ちゃんは体が弱いんだ。お前が折れろ」 10年連れ添った妻を切ない気持ちで見つめた。彼女は相変わらず綺麗で、目元には昔と変わらぬ面影が残っていた。 「その子は施設に戻せ。腹の子も諦めろ。そうすれば俺は何もなかったことにする」 菜々はしばらく考え込んでから、ゆっくり立ち上がった。 ——わかってくれたか。そう思ったのに。 しかし、彼女は突然、俺たちの結婚写真をビリビリと破いた。 「斎藤孝志(さいとう たかし)。私にはそんなことができないわ。子どもに罪はないから。 この子、ずっと欲しかったの。今、修平は重い病気になっていて、彼の人生の最期に付き添ってあげたいの。 あなたとは離婚する!でも心配しないで、形だけの離婚だから。この後すぐ戻ってきてあなたと一緒に過ごすのよ」 破れた写真が床に散っている。それを見下ろしながら、ようやくわかった。 ——ああ、この女とはもう無理だ。 「いや、もういい。離婚したら、もう会わなくていい」
Voir plus菜々は信じられないという顔で杏奈を見つめた。「詳しく知りたいなら、自分の大事なご両親に聞いてみなさいよ。ああ、でも間違えちゃだめよ。あなたの親はね、斎藤誠と斎藤敬子っていうの。その人たちが何をしたのか、ちゃんと聞くのね」菜々は激怒のあまり身を震わせ、今にも倒れそうになっていた。余計なトラブルに巻き込まれるのも、周囲から奇異の目で見られるのも御免だったので、俺は杏奈を連れてその場を後にした。車に乗り込むと、杏奈は申し訳なさそうに切り出した。「ごめんなさい……私、我慢できなくて本当のこと言っちゃって……だって、本当に頭にきたんだもん」俺は穏やかに微笑んだ。「わかってるよ」「先に突っかかってきたのは菜々のほうだし、君が謝る必要なんてないさ。それに、どのみちあいつはいずれ知ることになるんだから」その日の夜、菜々は入院した。誠から何度も着信があったが、俺は一度も出なかった。それでも、一目だけ様子を見に行くことにした。病室では、顔色を蒼白にした菜々がベッドに横たわり、その傍らで敬子が涙を拭っていた。俺の姿を認めるなり、敬子は恨みがましい視線で俺を睨みつけ、何か言いかけようとした。だが、俺の氷のように冷めた表情に気圧され、言葉を呑み込んだ。誠は重々しくため息をついた。「敬子には隠しておくって、俺と約束したじゃないか……」傍らにいた杏奈は不機嫌そうに唇を尖らせた。「おじさん、自分から私の前に乗り込んできて勝手なことばかり言ってきたのは菜々のほうだよ。孝志に執拗につきまとっていたのも彼女なのに、なんで孝志を責めるの? 孝志を責める前に、自分の自慢の娘をしっかり教育したらどうなの?西村家の恩恵を長年横取りしておきながら、よく他人を責められるよね。本当に厚かましいにも程があるわ」杏奈が言い終わるのを待って、俺は言葉を継いだ。「俺がここへ来たのは、これをあんたたちに返すためだ。代々娘や嫁に引き継ぐ家宝とか言っていたけれど……本当は俺の手を通して、菜々に受け取らせたかったんだろう。でも実際のところ、菜々の心には修平しかいなくて、こんなもの欲しがりもしなかった。それにここ数年、あいつが実家に寄り付こうとしなかったから、あんたたちに届けていた贈り物も全部俺が用意していたんだ。二人とも、あまりにも菜々に偏愛
俺は会社の拠点をB市に移した。西村家に戻った初日、彰は自分名義の全株式を俺に譲渡してくれて、申し訳なさそうに言った。「母さんと同じでな、お前が俺に似ていると思っていたが、深く考えなかったんだ。前にお前と菜々が結婚した時、持っている株をすべてお前に譲ろうという考えはあったんだ。当時はまだ躊躇いもあって、お前が本当に良い婿かどうか、もう少し見極めようと思っていた。だが真相が明らかになった今、俺たちに何の迷いがあるというんだ」俺は彰を見て、微笑んだ。いや、今なら、父と呼ぶべきだろう。彼は俺の成長を見守ってくれて、実の息子として可愛がってくれた。これまでの経緯があったからこそ、真相を知った時はかなりの衝撃を受けたものの、俺たちは思ったよりも早く現実を受け入れることができた。ただ、斎藤家のことを思うと、少し気が重くなった。父から誠と敬子をどう罰したいかと聞かれ、俺は首を横に振った。「あの二人も俺をちゃんと育ててくれたし、最高の生活と最高の環境を与えてくれて、何ひとつ出し惜しまなかった……だから、もういいと思う」俺は愛憎のはっきりした人間だ。だが初めて、この夫婦を前にしてどうすればいいか分からなくなった。憎むべきなのかどうかが分からない。憎もうにも、あの二人は俺を心から可愛がってくれた。たとえ菜々のほうをより好いていたとしても、偏頗な扱いをしたわけではない。愛そうにも、あの二人のせいで俺は実の親と何年もすれ違うことになったのだ。もうやめよう。これからはただの他人でいよう、と俺は思った。B市に戻った初日、父のビジネスパートナーが子供を連れて挨拶にやってきた。俺の顔を見るなり、彼はあからさまに固まっていた。「おい西村、見極め期間は終了ってことで、ようやく安心して家業を譲れるようになったのか!」父は首を横に振ると、「いや、こいつは俺の実の息子なんだ」と答えた。俺の面目を気遣ってくれたのか、父は更に説明を付け加えた。「昔、うちの家内と斉藤家が同じタイミングで出産したんだが、現場が大混乱で、取り違えが起きてしまってね。まあ、幸い二人とも俺の目の届くところで育ってくれたよ。発覚したのも偶然だったんだがな」父の取引先であるその人物は、菅野拓哉(かんの たくや)といった。拓哉はハハハ
親子鑑定の結果を手にした彰の手も、震えていた。気まずい空気が俺たちの間に広がっていく。こんな感覚が久しぶりだった。彼らが俺を小さい頃から見守ってきた。すべてが嘘だったと分かった今、やはりどこか落ち着かない気持ちになってしまう。しばらくして、彰が目尻を拭い、落ち着いた口調で言った。「それなら、真実を認めなきゃな。お前は俺の実の息子だ。当然、西村家に戻るべきだ。しかし……」彰は言葉を切った。もしかして……やはり菜々をどうしても手放せないと言うつもりだろうか……彰も由紀子も菜々をとても可愛がっている。だから、すぐには俺のことを受け入れられないかもしれない。俺はこんな現実を受け入れるしかないだろう。俺ももういい大人だし、長年離れ離れだった両親と改めて絆を育むなんて、確かに少し無理があるのかも……そんなことを考えていると、彰の声が響いた。「やはりお前に謝らなければならない。菜々をきちんと教育できなかったのは俺たちだ」彰が優しい眼差しで俺を見ている。俺は少し驚いて、目頭が熱くなった。帰る前に、彰と由紀子は病院に行くことにした。俺の育ての親を問い詰めたいのか、それとも別の目的があるのか、俺には分からなかった。俺も後をついて行くことにした。俺の父……いや、今は誠と呼ぶべきだろうか。誠の顔色が一瞬で変わった。育ての母の斎藤敬子(さいとう けいこ)と視線を交わす。無理に笑みを浮かべて言った。「彰さん、どうしていらっしゃったんですか」彰は微笑んだ。「入院されたと聞いて、お見舞いに来ました」誠は安心したように笑って言った。「年を取りましてね。もう歳ですから」由紀子が口を開いた。「菜々のこと、私たちはもう知りました。この件で孝志はひどく傷つきました。だから、孝志と菜々が離婚したあと、しっかり孝志に補償をしたいと思っています」誠は手を振って言った。「二人がどう付き合っていくかは、彼らの私事ですね。私たちは口を挟まない方がいいでしょう。菜々も一時の迷いで過ちを犯しただけです。機会を与えてやるべきじゃありませんか。結婚のような大事なことを、こんなに簡単に決めるわけにはいきません。ご心配なく、孝志に離婚させなくていいですよ」由紀子はもう我慢できなくなって、怒りを込めて言った。「
だが、最終的には真実と向き合わなければならない。封筒を開ける手が、微かに震えていた。【西村菜々と斎藤誠との間に、生物学的に親子関係は認められない】こんな一行を目にした瞬間、俺は膝から崩れ落ちた。その時初めて、背中が汗でびっしょりと濡れていることに気づいた。安堵の息を吐いて、泣きながら笑った。しばらくしてから、鑑定書をシュレッダーにかけた。病院へ車を走らせる道中、色々なことを考えた末、両親に謝ろうと決めた。疑ってしまったことを謝ろうと。病室の扉の前まで来ると、父がもう目を覚ましていた。ドアを開けようとした時だった。突然、父が母を責める声が聞こえてきた。「お前も無茶をするな。幸い友人が気づいて教えてくれたからよかったものの、あの時の取り違えがバレるところだったじゃないか。俺がこの何年も苦労して二人を結婚させようとしたのは、万が一いつか事がバレたとしても、みんな身内同士ならそこまで気まずい思いをしなくて済むからじゃないか」手に持っていた花束が床に落ちた。わずかな音が、病室にいる二人の注意を引いた。俺は反射的に踵を返して走り出した。耳元で風が唸り、慌てて俺を呼ぶ声は、遥か後ろへ置き去りにした。走るのを止めた時には、もう顔中が涙でぐしゃぐしゃだった。スマホを取り出して、西村家の夫婦に電話をかけた。聞き慣れた声が聞こえた瞬間、堪え切れずに泣き崩れてしまった。何を言えばいいのか分からなかった。菜々の裏切りを伝えるべきか。それとも、俺こそがあなたたちの子供だと告げるべきか。俺の泣き声に、電話の向こうが慌てふためいた。西村由紀子(にしむら ゆきこ)だった。心配そうに尋ねてくる。「孝志くん、どうしたの?まず泣かないで。落ち着いて。急がなくていいから」ふと気づいた。この何年も、両親は……いや、何と呼べばいいのか分からなくなった。なぜかはうまく言えないが、俺を呼ぶ西村夫妻の声が、妙に親しく感じられた。以前は何とも思わなかった。けれど今、この違いが胸に刺さって、たまらなく辛かった。俺が黙っていても、電話の向こうの由紀子は急かさなかった。しばらくして、俺は口を開いた。「菜々が不倫してたんです。五歳の子供がいて、お腹にももう一人」西村の母は、ひどく驚いた様子だった。長い沈黙の後、ようや