LOGIN2週間前、2人は久しぶりに親密な行為をしていた。
国外の出張から帰った暁春は、玄関に出迎えた優希を激しく求めた。まずは玄関で、そのままリビングのソファへ、そして抱き抱えながら主寝室…の扉横で。最後の方は疲れて記憶が途切れているが、壁に押さえつけながら揺さぶられた優希は腕も足も限界で、落ちないように必死に暁春にしがみ付いていたのは覚えていた。 「そのかさぶたが彼女の爪で剥がれたんでしょう。」 「…そうなの…」 優希は思い出したその情交と、先程の取り乱した自分を思い出し耳まで赤くして俯いた。その赤い耳たぶを暁春の長い指が弄ぶ。 「あなたの体に傷をつけた事と、う…たがったこと、ごめんなさい。」 「疑ってたんですね、俺の事。」 小さく笑いながら言う暁春に見つめられると、優希は居心地が悪そうに体を動かした。 「ゆうちゃんは俺を傷つけないから、この背中の傷は嬉しいです。」 モゾモゾしていた優希の動きがピタリと止まる。 「…大事な人に痛い思いはさせたくないから…」 「ゆうちゃんは優しいですからね。」 会話の内容におかしな所はないのに、優希だけ顔色が悪かった。甘かった空気も消え去っていた。 「あっ」 突然、気まずそうにしていた優希の後頭部に大きな手が触れ、強く前に押し出された。 驚いた優希の声はすぐに暁春の口内に飲み込まれていった。思わず暁春の肩を押すも、その手も難なく押さえ込まれ、ただ口内を暴く舌技に翻弄されていた。 1度冷めた熱が再び沸き起こって来ると、優希の塞がれた口の奥から僅かに甘い声が漏れでる。おしりの下に硬い感触を感じると、その先の快感を思い出し、無意識に腰が揺れる。暁春の腰もそれに合わせるかのように軽く突き上げられ、直接触れ合っていないのにまるで1つになっているかのような錯覚に、優希の体が大きく震えた。 息を整えるまもなくソファに押し倒された。 「待って、私話したいことがっ」 「黙って」 お腹の子のことを思い出した優希が焦って口を開くも、暁春が遮りキスをする。 「あぁ、眼鏡がないからゆうちゃんの綺麗な目が良く見えますね。」瞼にキス。 「俺のためにこんなに素敵な格好をしたんですね。」鎖骨にキス。 「ゆうちゃんの白い太もも、俺の前だけ出してくださいね。」太ももの内側にキス。 全身に優しくキスをされ、だんだんと思考がぼやけてきた優希の耳元に暁春が顔をよせた。 「結婚4年目、おめでとうございます。俺の事、ずっと愛していてくださいね。」 熱を含んだ掠れ声に優希のお腹の奥が重くなる。暁春から与えられる熱にとうとう溺れた優希は、目の前の比類ない美しい顔をうっとりと見つめながら、その首に腕をまわした。 結局その夜は妊娠のことは伝えられず、優希は気絶するように眠りに落ちた。(あ、暁春を呼んだら面白いことになるかも) 有美は空港で見た見窄らしい姿の暁春を思い出し、愉快そうに口元を歪める。 本人が気づいているかは知らないが、暁春は優希に情を持っていた。 優希は随分将生と親しくしているようだから、それを知った暁春が勝手に暴走して、優希の生きがいごと壊してくれるかもしれない。 (腐ってもまだ井竜家の後継者よ。金も権力もまだあるわ) かつて心の底から欲しかった男は、今や有美にとって優希への嫌がらせに使える駒でしかなかった。 有美は上機嫌に鼻歌を口ずさみ、優希と将生が子供たちを抱いて睦まじく歩く写真を暁春に送った。 - 有美はあの夜以降、姿を見せていない。 それが少し不気味でもあったが、人間慣れるもので、徐々に勉強の方に集中することができた。 結果として、将生がテスト勉強を見てくれた先日のテストで良い点数を取ることができた。 優希が通う学校では、実習は月替わりで各科を周る。 今の実習先は内科病棟で、そこで優希は新しく転科してきた入院患者につくことになった。 「実はその人、飛び降り自殺を図った人らしいの」 優希に説明していた看護師は、声をひそめてそう言う。 飛び降りたビルに遺書があったらしい。 「三滝さん、成績も良いし患者さんからの評判も良いでしょう?今回は少し対応の難しい患者さんについてもらおうと思ってるんだけど…どう?大丈夫そう?」 断る理由などない優希は「はい」と頷いた。 「精神科とも連携を取っているし、今のところ強い興奮状態なんかは見られていないわ。基本的に私も一緒にいるから安心して。それから――」 そのほかにもいくつか注意点を説明され、優希がいつもより多い注意点を頭に留めている間に、担当看護師が扉を開けた。 四つあるベッドのうち、三つはカーテンが閉まっている。 そのうちの一つのベッドには見舞客が来ているようで、楽しげな声が聞こえる。 「ここよ」 優希が担当する患者はその隣のベッドで、窓際だった。 カーテンを開けると、一瞬死体かと思うような男が横たわっていた。 金髪が窓からの光に輝き、ぼんやりと開いた瞳は青い。 やつれているが、高い鼻梁やくっきりとした二重、髪と同じ金色のまつ毛に縁取られた目元が、本来はとても魅力的な容貌をしていることを教
「優希ちゃんは、何回言っても前髪を留めないでノートに書いてたよね。だから目が悪くなったんじゃない?」優希が眼鏡をかけ始めたのは、自分に向けられる周囲の目が怖くて視界をわざとぼやけさせるためだった。目を覆い隠すほどの前髪も、同じ理由で。将生に心を許し始めてもそれは変わらず、あまり顔を曝け出すことはしなかった。しかし将生に勉強を見てもらう時には、また少し違う理由も含んでいた。「だって、本を読むあなたの顔が好きだったの。今だから白状するけど、たまに前髪の隙間から覗いていたのよ」「変態みたいよね」と優希は自分自身に笑ってしまう。それほど当時の将生は、優希にとって理想の男性そのものだった。しかし甘酸っぱい懐かしさに口元が緩む優希とは反対に、将生の笑顔が少し固く感じた。「あ…ごめんなさい。デリカシーがなかったわね…」将生との交際は、優希からの一方的な別れの言葉で終わった。それを勝手に良き思い出として話すのは良くなかったか、と優希は思わず視線を落とす。嫌いになって別れたわけではなく、再会後は将生の穏やかな空気のおかげで変に気負うことなくこれまで過ごしてきたが、交際していた期間のことを、こうもはっきり話したのは初めてだった。「謝ることはないよ。少し驚いただけ」将生はいつもと変わらない声でそう言うも、優希は居た堪れず、リビングには若干気まずい空気が流れた。(どうしよう…これから気まずくなるかしら…)将生は優希が心から大切に思う友人だ。変に誤解を与えてギクシャクするのは寂しい。「…そろそろ寝ましょうか」どうにも落ち着かなくなり、優希はノートを片付けながらぎこちなく笑う。「優希ちゃんは…」しかし将生は動かず、優希が椅子から立ち上がった時、ぽつりと声を出した。「優希ちゃんは…今、僕といると気まずい?」「え?」「お互い付き合っていた頃の話って、なんとなく避けてたじ
たしかに本人も言っていた通り、老夫人はこの会見で何かを訴えることはしなかった。「きっと、おばあさんはそれが狙いなんでしょうね」 正妻の座を譲れ、という都への、老夫人なりの牽制。しかもただ真実を言っているだけなのに、それが都の不都合を晒しているもの
将生の訪問に、子供たちは当然大喜びして周りを飛び回った。短い時間ではあるが、仮眠を取れた将生も少し元気を取り戻し、子供たちの一生懸命な話に、笑顔で相槌を打っている。それでも早く休ませてあげたいと思った優希は、手早く夕食を盛りつける。その時、携帯が電子音を鳴らした。美緒からのメッセージで、そこにはいつかのようにリンクが貼られていた。"おばあさんが、これから会見をするわ"グループチャットに来ていたメッセージを将生も確認し「都さんのことかな?」と言う。「そうだと思うわ。最近ますます都さんに同情を寄せる声が増えてきた気がするもの」優希はテーブルに盛り付けたお皿を置き、美緒に返信する。「テレビに繋げようか?きちんと見よう」「そうね…」優希は頷きながらも、にこにこしながら椅子に座る子供たちに心配の目を向けた。きっと楽しい話じゃないが、不安にならないだろうか。「まだ難しい話は理解できないから大丈夫だと思うよ。もし飽きてきたり、怖がるようなら消そう」「わかった」優希が頷くのを見ると、将生はリモコンを操作して携帯の画面をテレビに映す。そこにはマイクが置かれた机の真ん中に、老夫人が一人で座っている姿が映し出された。背筋を伸ばして静かに座る姿は凛としていて、気品がある。「ばば!」テレビに気づいた子供たちが、嬉しそうに指をさす。しかしいつもの朗らかなおばあちゃんとは異なる雰囲気に、怪訝そうな表情になった。「ばば?」「おばあさんは今から大事なお話をしてくれるみたい。静かに見れる?」怖がらせないように、優希が優しく言うと、神妙な顔つきで頷いた。食卓に沈黙が流れる間もなく、司会者の挨拶とともに会見が始まった。「以前、鳥居都さんが井竜会長との関係を公表いたしましたが、それは事実でございます」その言葉に、会場の報道陣からど
老夫人は老人の頬にそっと手を添え、自分が恋した目を見つめる。 何十年も歳を重ねて皺が増えた顔。 しかしその中で、冷たくも熱い瞳は変わらない。 肉欲なんてとうに枯れているが、それでも愛おしさで胸は熱くなる。 「これは私が言ってこそ意味があるのです。今まであなたは、あなたなりのやり方で私を守ろうとしてきました。今度は私があなたを守りましょう。ただの不倫男で終わるかどうかは、妻がどうやって庇うかで決まります。だからそんな心配そうな顔をしないで」 「ね?春友さん」と懐かしい名前を口にする。 老夫人の話を静かに聞いていた老人は、諦めたように目を閉じた。 ふふ、と笑った老夫人は老人に寄り添い、少し冷めたお茶を啜る。 - 都の会見以降、鳥居コーポレーションには追い風が吹いていた。 井竜グループの株価が低迷する一方で、鳥居家には同情的な声が集まり、桃子が進めていた株の買い集めも順調だった。 「もう少しね」 増えていく持株比率を眺めながら、都が笑う。 隣にいた健志も、満足そうに口元を緩めた。 「ああ。暁春の小僧が戻ってきたところで、もう遅い」 健志は昔から、英二と桃子は井竜の姓を名乗っているのに、自分は格下の家の姓を名乗るのが気に入らなかった。 同じ父と母から生まれた兄弟なのに、なぜ英二は井竜家の跡継ぎで、自分は格下の鳥居家の後継ぎでしかないのか。 羨ましくも、憎らしく思っていた。 (だがそれも今じゃひっくり返った…!もうすぐ俺が、井竜家すら見下ろす側になる) 愛人は何人囲おうか。
夜、子供たちを寝かしつけた優希は、ソファに勢いよく座り込んだ。勉強をしようと教科書やノートを持ってきたが、疲労でそのままソファに散らばった。優希は今日一番大きなため息をついて、背もたれに頭を乗せる。頭に浮かぶのは、迎えの時に保育士から言われた言葉。「朝は元気だったんですけど、お昼寝中に少し寝苦しそうで、お迎えの時間が近づくにつれて、そわそわと玄関を見るようになりました」その様子が、何かに怯えているようだ、という話を聞いて、優希は思わず子供たちを抱きしめた。優希ですら緊張したのだ。二歳にもならない子供たちが気にしていないわけがない。(朝は平気そうに見えただけだったのかしら……)幸い、明日はベビーシッターが来てくれることになっているため、一日中自宅で安全に過ごせる。しかし二人にはすでに託児所でできた友達もおり、さらに集団でしか得られない刺激もあるのに、その機会を奪ってしまうことが気になった。有美が完全にいなくなる、もしくは嫌がらせする気持ちすら湧かなくなるほど打ちのめすことができればいいのだが、そんな方法が簡単に思いつくはずもなかった。明日はベビーシッターが来てくれるとはいえ、ずっとこの緊張感のまま生活するのは苦痛だ。(どうして邪魔されなければいけないの…?)思えば、有美に生活をかき乱されるのはこれが初めてではない。暁春に対して黙って耐えることをやめたきっかけの一つも、有美への怒りだった。階段から突き落とされたことも、その後、自分の子供まで侮辱されたことも、今でも忘れてはいない。そんな彼女が、また優希の平穏な生活に踏み込んできたのだから、争いごとを好まない優希も苛立ちを感じる。しかし、どう行動するべきか考えても答えは出ず、結局その夜も何も決められないまま終わった。-都への同情も相まって、鳥居コーポレーションに向けられる世間の注目は、日に日に大きくなっている。(そろそろかしら…)