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Chapter2:03

作者: 仲原
last update 公開日: 2026-10-24 16:49:34

 あれからどれくらい経ったのだろうか。

 目の前で動く人の多くは、専門的に仕事を行う人間だと分かる動きをしているもので、起こったばかりの不可解な現象が明らかに異常だという事を示している。

 数分前まで拘束されていた事情聴取。それから開放された人間は何も、自分だけでは無い。ただ、共に昼食を買いに出ていた同僚はというと、まだ警察の人間に捕まったままで。そんな彼のことを待ちながら考えることと言えば、目撃したばかりの事故のことである。

「…………」

 見てしまった光景が忘れられない。

 瞼を伏せると直ぐにでも蘇ってしまう鮮明な記憶。それは、余りにも非現実で、思考を停止させるには十分過ぎる程衝撃的なものだった。

 【死】というものを目の当たりにしてしまった。

 そう自覚した瞬間、強烈な吐き気を覚え、思わず嘔吐いてしまう。

「…………うぐっ……」

 ああいう光景は、普通に生きていれば見る事が殆ど無いものだろう。だからこそ、余りにも現実離れをしたことに理解が追いつかず、あの時は感情が動かなかったのかも知れない。

「…………はぁ」

 今になって全身が震えしまうのは、あれを【怖い】と感じたからだ。

「…………あ」

 元々、落ちてきたものは確かに【人】という形をしていたのだろう。

 しかし、駆けつけた時には既に【原型】を留めて居らず、大幅に【崩れて】しまっていた後で。

 それでもあのような反応を返してきたのは、確かにそれがまだ【生きていた】からなのだろうか。

「あんな状態になっていたのに、生きてた……だって……?」

 そう思ってもやはり、その事を否定したいと意識が動く。

「中身、出てた……よ……な……?」

 その気持ちを言葉として外へ吐き出すと、つい考えてしまうのが素朴な疑問だ。

 実際、生き物と呼べるモノは、どれくらい形が壊れてしまうと完全に【物】へと【変わってしまう】のだろうか、と。

 勿論、今まで生きてきた人生の中で、死体というものを葬儀の時以外は見た事が無い。

 それを見るために敢えて作ろうと思ったことはないし、そういう現場に居合わせたことも幸いなことに無かった。だからこそ、こうやって。かつては生き物の形をしていたモノが変わってしまった瞬間の混乱は強く残ってしまう。

「でも……笑ったんだよ……っ」

 痛い、助けて。そう懇願される方がどれ程よかっただろう。そうすれば起こったことは、残酷な悲劇として、分かりやすく理解することが出来たはずだ。

「確かに、笑ったんだっっ」

 それなのにアレは、全くの予想外な反応を見せた。

 何故、あの状況で笑う事が出来たのか。そればかりが気になって仕方が無い。

「笑って……やがっ……た……」

 自らの命を立つためにと上る、終わりへの階段。足場の無い空間に身を投げ出し重力に引っ張られることに、抵抗は無かったのだろうか。それを行った末に待ち構えている結末なんて考えなくとも分かっているはずなのに、何故、躊躇うと言う事を選択しなかったのだろう。

 満足そうに細く弧を描いた目が忘れられない。

 吐き出した血で真っ赤に汚れた口元も、嬉しそうに広告をつり上げていた。

「ざま……み……ろ……?」

 そこで思い出したのは、アレが口にした最後の言葉。

「ざまぁみろって、どういう……こと……だ……?」

 ただ、この問いに答えをくれる者は誰も居ない。何故なら、その言葉を放ったアレは既に、この場所から姿を消してしまったのだから。

 未だに消えることのない赤い染みと、完全に除去ができていない砕けた欠片。それらは確かに、アレがそこに横たわっていたことを示す痕跡である。

「ゴホゴホッ」

 誰かが激しい咳をする音が聞こえる。

「ダメだ。何も、考えたくねぇや」

 食欲なんて完全に消え失せてしまった。

 買った昼食は手つかずのまま。すっかり冷めた状態でフードコンテナの中に残っている。だが、事務所に戻ってそれを食べる気には到底ならない。

「仕事、休みを申請しよう」

 兎に角今は帰りたい。そんな気持ちで空を仰ぐ。

 相変わらず陰鬱な曇りの状態は続いている。どうやらこの重苦しい気持ち悪さは、当分晴れそうに無かった。

 同僚が戻ってきたのを確認してから事務所へ戻る。外に出たときはそれなりに会話もあったはずなのに、今は怖いくらい無音の状態が続いていた。正直に言えばどう言えば良いのかが分からない。見たばかりの事件について話せば良いのか、態とその話題を避けてくだらない話をするべきなのか。その判断が難しく中々口を開けないのだ。

 それは同僚も同じようで、気まずそうに此方を盗み見る事はするが、口を開き書けては噤むという行動を繰り返している。

 結局、一言も言葉を交わす事の無いまま職場へと戻り、上司に経緯を説明して帰宅をする許可を得た。精神的なストレスを心配してか、一度病院に行くことを勧められるが、直ぐに予約が取れる訳では無い。日程を調整して来院することを約束し、道具を片付け帰路に着く。

 途中、スーパーマーケットに立ち寄り買い物は済ませたのだが、あくまでそれは朝にメモを記した内容だけに留まってしまう。普段なら余計なおまけも幾つかカートに入るはずが、今日に限っては無駄な買い物は無い。

 無駄に広い駐車場では、まだ早い時間だというのに車の出入りが結構ある。学校の終わる時刻と重なっていると言う事なのだろうか。親子連れが数組店の中へと姿を消した。それをただ、ぼんやりと眺め、唇を噛む。目の前に在る当たり前と、さっきまで置かれていた明らかな異常と。そのギャップがまだ埋められず、中々アクセルを踏む勇気が持てない。

 ハンドルに頭を預け吐き出したのは深い溜息で、瞼を伏せるとやはり、アレの最後の表情が浮かんできてしまう。

「…………クソッ」

 食事を買いに外に出なければ良かった。

 そうすれば、あんなモノを見る事も無かったのに。

 しかし、それを後悔してももう遅い。起こってしまった出来事は、無かったことには出来ない過去の記録。例え記憶が風化し薄れたとしても、確定している現象が完全に消えて無くなるわけではないのだ。

 悔しいことにその記憶は、消してしまうまで時間が掛かってしまうかもしれない。それほどにまで見たモノが強烈で亡霊のように付きまとってしまう。

「エイヴァは、早く、帰ってきてくれるだろうか」

 早く彼女と言葉を交わしたい。そんな思いで気が焦る。

「エイヴァ……」

 彼女へと紡ぐ短いメッセージ。それは、届く事が無いままアプリの中に残るだけで終わってしまう。

 家までの距離が未だ遠い。今日が終わるまで、まだ時間は沢山残されていた。

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