LOGIN智美は眉をひそめつつも、嬉しそうに笑った。「そんなに食べられないわよ。ここ数日、竜也さんの実家で何度も食事会に呼ばれてるんだから。彼の一族って、人を招いて振る舞うのが好きなのね。毎日食べてばかりで、太った気がするわ」洋城の人々は、とにかく食を愛している。このマンションの周辺も美食の宝庫だ。ここに長く滞在すれば、体重が増えるのは避けられないだろう。悠人は笑って言った。「大丈夫だよ。ダイエットは明日からでいいよ」彼は弁当箱を開け、スプーンを彼女に手渡した。「最近、よく残業しているだろう。目の下のクマがひどいぞ。辛くないか?」智美は微笑んだ。「自分の会社だもの。残業した分だけ自分の利益になるんだから、ちっとも辛くないわ」「それは頼もしいな、社長さん。でも、お金を稼ぐことばかりじゃなく、体も大事にしてくれ。しっかり栄養を摂らないと」「あなたも食べてよ」二人は肩を並べて夜食を平らげた。満腹になったせいで眠気が遠のいた智美は、部屋からノートパソコンを持ち出し、リビングのテーブルで仕事を再開した。悠人もゴミを片付けた後、同じようにパソコンを開く。しばらくして、ドアをノックする音がした。「私よ!智美、まだ起きてるでしょ?電気がついてるのが見えたわ」祥衣の声だ。智美がドアを開けると、祥衣はテーブルに並んだ二台のパソコンを見て感心したように声を上げた。「お二人、社畜の鑑ね。久しぶりに会ったのにイチャつくどころか、並んで仕事なんて。尊敬するわ!」智美は呆れて言った。「で、何の用?」祥衣は持っていたドレスを差し出した。「実はね、海外の結婚式みたいに、ブライズメイドを立てようと思って、竜也の従妹にお願いしたが、ドタキャンされちゃって……ねえ智美、やってくれない?うふふ。予備のドレスのサイズ、あなたならぴったりだと思うのよ。とりあえず試着してみて!」智美は一瞬躊躇した。自分はバツイチだし、縁起が悪いんじゃないかと懸念したのだ。「本当に私でいいの?」祥衣は笑い飛ばした。「何言ってるの。私の一番の親友でしょ。ブライズメイドはあなた以外に考えられないわ」親友の押しに、智美も観念して頷いた。「わかったわ」彼女がドレスを持って部屋へ向かうと、その背中を目で追っていた悠人が、ふと考え込むような顔をした。「どうしたの
満は赤くなった目をしばたたかせ、必死に涙をこらえていた。彼は智美に向き直ると、震える声で詫びた。「申し訳ありません、智美さん……」智美は静かに首を横に振る。「私は大丈夫よ。それより、午後は休みにしてあげるから、彼女との問題を片付けてきたら?」しかし、満は頑として首を振った。「いえ、結構です。そもそも僕は何も悪いことはしていませんし、謝りに行く必要もありません。彼女には頭を冷やして、自分でよく考えてもらう必要があります」その決意の固さを見て、智美は頷いた。「わかったわ。じゃあ私、ちょっと化粧室で直してくるわね。今日はここまでにしましょう。後で企画書を送ってちょうだい」「はい、承知しました」智美は化粧室で乱れた髪を直し、メイク直してからレストランを後にした。だが、入り口を出たところで、運悪く祐介に出くわした。祐介は口の端を歪め、嘲るような視線を彼女に向けていた。智美は無視して通り過ぎようとしたが、祐介の言葉が背中に投げつけられた。「悠人との結婚が危ういからって、もう次のキープを探し始めたのか?さっきの男、顔はいいが女癖が悪そうだったな。あんな奴でも構わないのか?」あまりの下劣さに、智美は冷ややかな声で言い捨てた。「あなたには関係ないでしょ」立ち去ろうとする彼女の腕を、祐介が強引に掴む。見ると、その表情には苦悩と後悔の色が滲んでいた。「もし予備を探してるなら……俺じゃダメなのか?」智美は呆気にとられた。そして、無言のまま彼の手を払いのける。「佐藤さんから聞いたわ。あなた、外に愛人を囲って、隠し子までいるってね。そんな身分で、私に何を言う資格なんてないわ」祐介の目が赤く染まり、掠れた声が漏れる。「あんな女たちはただの遊びだ。本気で愛してるのは君だけなんだ、智美」智美は軽蔑を隠そうともせず、冷たく言い放った。「佐藤さん……いや、千尋さんならあなたの浮気を我慢するかもしれないけれど、私は御免だわ。祐介、あなたを見ていると虫酸が走るの」そう告げると、彼女は祐介の手を振り除け、歩き出した。残された祐介は、握りしめた掌からゆっくりと力を抜いた。遠ざかる彼女の背中を見つめながら、底知れぬ無力感が彼を襲う。以前なら、まだ何らかの手段で彼女を引き留められるという自負があった。だが今は、そんな自信の欠片も
大桐市の一等地の不動産価格は、平米単価は二百万を下らない。百平米なら二億円だ。満の給与はマネージャークラスで給料は六十万ほど。年収にすれば賞与込みで八百万といったところか。それでも飲まず食わずで貯金したとして、まとまった頭金を払うには五、六年以上かかる計算になる。智美は他人の家庭の事情に深く立ち入るつもりはなく、ただ励ますように微笑んだ。「……大変ね。頑張って」昼時、二人は近くのレストランで食事をしながら、今後の支店展開について打ち合わせをしていた。しかし食事が一通り済んだ頃、突然一人の若い女がテーブルの上のグラスを掴み、中身の水を智美の顔に浴びせかけた。「あんたねえ!恥知らずな泥棒猫!人の彼氏を誘惑して楽しい!?」冷たい水を浴びせられ、智美は呆然とした。訳が分からず、遅れて怒りがこみ上げてくる。その時、満が焦ったように叫んだ。「す、すみません!彼女は悪気はないんです……ただ、少し情緒不安定なだけで……!」満は慌ててナプキンを智美に渡し、鬼の形相で立っている女――恋人の大谷菜穂(おおたに なほ)に向き直った。「菜穂、何をしてるんだ!この方は僕の上司だぞ!」「上司だから何よ!上司なら人の男と浮気してもいいわけ!?今日、私が何回電話したと思ってるの?どうして出ないのよ!私に隠れてコソコソ悪いことしようとしてたんでしょ!」菜穂は金切り声を上げた。満は疲れ切った表情で溜息をついた。「仕事中だって言っただろ。四六時中スマホを握りしめてるわけにはいかないんだ。それに、毎日ちゃんと家に帰ってるじゃないか。どうしてそこまで疑うんだ?」「でもっ、女性の上司とか同僚と親しくしすぎなのよ!私、そういうの生理的に無理なの!」「……ただの業務連絡と、仕事の打ち合わせだ」満の声には、隠しきれない疲労が滲んでいた。菜穂は大学卒業後すぐに満と付き合い始め、一度も就職したことがない。ずっと満に養われて生きてきた「お嬢様」だ。彼女は尊大な態度で言い放つ。「とにかく!あなたが他の女と親しくするのが嫌なの。私の彼氏なら、私だけを見て、距離感考えてよ!」そう言って、彼女は智美をねめつけた。その際立つ美貌……菜穂の胸に、どす黒い焦りと不安が渦巻く。「それに、あなたがこんな美人の上司と食事するのも許せない。この仕事、あなたに合ってないわ。今
祥衣が爆笑した。「私、前から思ってたのよ。あんな子どもっぽい性格の男と誰が付き合えるんだろうって。そしたら本当に素敵な美人の奥さん捕まえちゃってさ、世の中わからないわよねえ」その時、美羽のスマホがブブッと振動した。通知を開いた瞬間、彼女の目の色が変わり、鬼のような形相でフリック入力を始めた。智美と祥衣が左右から画面を覗き込むと、またネット掲示板で誰かとレスバを繰り広げている。智美が相手のユーザー名を指差した。「このID、見覚えあるわ。前からずっとこの人と喧嘩してない?もう何ヶ月も続いてるでしょ。まだ決着つかないの?」祥衣も呆れ顔だ。「小学生の喧嘩じゃないんだから。現実ではあんなにクールなのに、ネットだとどうしてそんなに着火しやすくなるわけ?」美羽は画面を睨みつけたまま歯を食いしばる。「あいつが先に絡んできたのよ。売られた喧嘩を買わないなんて私の主義に反するわ」祥衣が智美に耳打ちした。「美羽ってこういうとこあるわよね。絶対に引かないの。まあでも、戸松さんのこと考えてウジウジされるよりは、ストレス発散になっていいのかもね」智美は苦笑して頷いた。翌月曜日。人事部のマネージャーが智美のデスクへやってきた。「智美さん、例のエリアマネージャーの採用件ですが、三名の有力候補が見つかりました。午後、お時間よろしいでしょうか?」本来、最終面接は祥衣の担当だ。しかし彼女は結婚式の準備で手一杯のため、この案件は智美に一任されていた。「わかったわ。午後二時に時間を取って」午後、智美は三人の候補者と面接を行った。その中で、須藤満(すどう みつる)という男が智美に強い印象を残した。彼は羽弥市出身で、今年二十九歳。以前は自分で民宿を経営していたが、コロナ禍の影響で廃業。その後、恋人の転勤についてこの大桐市へ移り住み、大手ダンススクールチェーンでエリアマネージャーとして手腕を振るっていたらしい。しかし、そのスクールの経営者が給料未払いのまま夜逃げし、多くの生徒や保護者が被害を受ける事件が起きた。満もまた、職を失い再就職活動を余儀なくされていた。智美は履歴書から顔を上げ、穏やかに尋ねた。「色々とご苦労されたんですね。うちの芸術センターはまだ創立して日が浅いですが、本当に支店を任せても大丈夫ですか?」満は頷いた。「もちろんです。短
「それに見てよ、今どきの若い子。メイクはするわピアスは開けるわ、髪だって染めてパーマかけて……下手な女子より女子力高いじゃない。私、ああいうナヨっとしたのは生理的に無理」祥衣はにやにやと茶々を入れた。「美羽は九三年生まれでしょ?相手は〇〇年生まれ。七つくらいしか違わないじゃない。今は年下彼氏がブームなんだから、食わず嫌いしないで手を出してみれば?」美羽は大げさに首を振った。「あのタイプは絶対に無理。ガキすぎるわ。私は春馬みたいな、落ち着いた大人がいいの」「そりゃ高望みってやつよ。春馬には彼女がいるんだから」祥衣は顎に手を当てて考え込んだ。「そうだ、私の結婚式に竜也の大学時代の友達も来るのよ。まだ独身組がいるみたいだし、その時紹介してあげる」「遠慮しとくわ。彼の友達ってことは、どうせボスみたいな法律関係の人でしょ?理屈っぽい男なんて御免よ。ただでさえ仕事で疲れてるのに、プライベートでまで論破されたくないわ。やっぱり穏やかで、私を包み込んでくれるような人がいいの」智美が眉をひそめた。「弁護士がみんな理屈っぽいわけじゃないわよ。悠人を見てよ、すごく優しいじゃない」美羽が即答する。「ボスは例外中の例外。それに、あの人が優しいのは智美に対してだけでしょ」祥衣が呆れたように溜息をついた。「もう、美羽ったら……あれもダメこれもダメって選り好みしてたら、いつまで経っても売れ残るわよ。恋人探しは目を皿にしないと。戸松さんみたいな人、そうそう転がってるわけないんだから」美羽は興味なさげにストローでグラスを突く。「もういいの。私が心惹かれたのは春馬だけ。彼が別れるまで待って、その隙を狙うわ」「はあ?もし別れなかったらどうするの。おばあちゃんになるまで待つ気?」祥衣は呆れた。「それならそれで、一生独身でいいわ。どうせ一人の生活には慣れっこだし」その潔すぎる開き直りに、祥衣は笑い出した。「前は私のこと恋愛脳だって馬鹿にしてたけど、美羽も大概重症じゃない」雨足が強まったせいで、三人で近くのバーへ「目の保養」に行く計画は中止になった。祥衣が残念そうにぼやく。「竜也ってね、私があのバーに行くのを嫌がるのよね。オーナーがイケメンすぎて心配なんだって。あなたたちと一緒の時くらいしか目の保養ができないのに……はあ。結婚したら、あの束縛魔に目の保養まで法
祥衣の結婚式を一週間後に控え、彼女は毎晩のようにエステに通っていた。智美もそのたびに誘われたが、決して嫌ではなかった。親友がこれほどまでに幸せの絶頂にいる。その喜びに水を差すような余計な真似はしたくない。施術を終えて休憩室へ向かうと、ふと目にとまったある人物に、智美は息を呑んだ。千尋だ。会うのは久しぶりだったが、その変わりようは衝撃的だった。かつての華やかさは見る影もなくやつれ果て、顔には美容整形の痕が生々しく残っている。智美に気づいた千尋は、力のない笑みを浮かべた。「……あんたが羨ましいわ」あの傲慢で高飛車だった千尋の口から、まさかそんな弱音が漏れるとは。智美は怪訝そうに眉を寄せた。「私のどこが羨ましいの?」千尋は怯えるように自身の頬に触れた。「祐介くんに何度も殴られたの。一番ひどいときは鼻の骨が折れて、顔の形が変わってしまうほど殴られて……仕方なく、整形するしかなかった」智美は言葉を失った。「どうして……彼から逃げないの?」その問いに、千尋は唇を噛みしめた。憎悪と痛みで頬が引きつり、表情が歪む。「諦めきれるわけないでしょう。あいつ、今は外で何人も女を囲ってるのよ。それも、みんなあんたに似た女ばかり……子供までいるって聞いたわ。私が離婚して身を引けば、あの女たちを喜ばせることになるだけよ。それに、渡辺家が今の地位を築けたのは、私たち佐藤家の支援があったからよ。他人にその恩恵を吸わせるなんて、絶対にできない」智美は静かに首を振った。「でも、彼にあなたへの愛はない。そんな結婚に縛られていても、幸せにはなれないわ」「幸せ?」千尋は乾いた声で笑った。「私が不幸なら、あいつも幸せになんかさせない。知ってるのよ、あいつがまだあんたを愛してるってことくらい。だからこそ、私があいつの妻であり続けるの。私がいる限り、あいつは堂々とあんたを追いかけられない。あいつの望みを一生叶えさせないこと――それが私の復讐よ」智美には理解できなかった。自分自身を地獄に繋ぎ止めてまで、愛してくれない男に復讐する――そんな自滅的な行為に、何の意味があるのだろう。千尋は昏い瞳で智美を見据えた。「智美、あんたは岡田悠人となら幸せになれるとでも思ってるの?ふん、甘いわよ。恋人ごっこのうちは良くても、結末なんてたかが知れてる。すぐ







