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第3話

Auteur: 暁山朱里
だが、星奈と片桐家の家族たちの仲を考えると、綾音に尋ねても意味はないと蒼士は思った。

この時、廊下の先に、真帆と院長が話しながら歩いてくるのが見えた。

白衣を着用した真帆からは、できる女という雰囲気が漂っていた。その表情も一つのことに集中し、真面目な様子だった。

院長が彼女を見る眼差しからも、彼女を非常に評価しているのが一目瞭然だ。

綾音は蒼士を押しのけて、つま先立ちして、真帆のほうへ手を振った。

「真帆さん!」

真帆は淡々とした表情で二人のほうへ視線を向けた。院長から許可を得ると、ようやく笑顔になって近づいてきた。

プライドが高く自由奔放な性格の彼女は、周りから嫌われるどころか、逆に支配欲を抱かせてしまう。

綾音にとって、真帆のように家柄も良く、スタイル抜群で、できる女だけが兄の嫁として相応しい。

綾音は、真帆の腕に抱きついて、甘えた声を出した。

「真帆さん、やっと帰ってきてくれたんですね。学校はもう真帆さんの話題で大盛り上がりなんですよ。この一年、お兄さんがどれだけあなたのことを想っていたか……」

蒼士が口を挟んだ。

「ここは病院だぞ。そういう話をするもんじゃない」

綾音は彼を睨みつけた。

「あら、私がでたらめな事言ってるって?だってお兄ちゃんったら、病院にずっといて家に帰らずに、あの女には冷たくあたってたじゃない。それは心の中にずっと真帆さんが変わらずに居続けているからでしょ!」

真帆は両手を白衣のポケットに突っ込み、深い瞳でじっと数秒ほど蒼士を見つめてから、彼のためにその場を取り持とうとした。

「わかったから、綾音ちゃん。お兄さんは小さい頃から恥ずかしがり屋だったの、そうやって彼をからかわないであげてね。夜は食事に行きましょうか、私の奢りで」

綾音は曖昧にこう言った。

「あれあれ?つまりこれってお兄ちゃんを庇ってる?やぁね、お二人とも、本当にアツアツなことで」

蒼士は表情を変えずに、カルテを持ってオフィスへ入った。

真帆は誇り高く堂々とした彼の背を見つめ、綾音を思いやってこう言った。

「私とお兄さんは、ずっと前に終わってるのよ。お兄さんには今奥さんがいるでしょ。病院にはたくさんの人がいて、誰に聞かれるか分からないのだから、あまり好き勝手に言っちゃダメよ」

綾音は不服そうに言った。

「奥さんがいる?お兄さんから聞いてないんですか?二人ならもうすぐ離婚するんですよ」

「え、なんですって?離婚?」

真帆はその言葉に体を硬直させた。

「うちのお兄さんは自分から真帆さんをわざわざ迎えに行ったでしょう?それに、あの女は不妊症なんですよ。子供が産めない女なんて誰がいります?あの時お兄さんは、ショックで勢いだけで彼女と結婚しただけです」

「不妊症ですって?」

真帆はそう呟きながら目を細めた。

「そうですよ。子供も産めない平凡な女に、お兄さんは騙されたんです。真帆さん?真帆さん?」

この時、真帆は我に返り、笑って言った。

「綾音ちゃんにプレゼントを買ってきたのよ」

「わあ、本当ですか?ああ、もう!一体いつになったら、真帆さんが私の義理のお姉さんになるんだろう?」

「まったく、何を言ってるのよ」

真帆は流し目ひとつ魅力的だった。そして、まるで冗談を言っているかのように言った。

「いつになるか知りたいなら、お兄さんに聞いてみたら?」

――

夜、蒼士は同じ外科仲間との食事会があり、それが終わって家に帰ってきても、星奈はまだ家に帰っていなかった。

酒を飲んでいた彼は、少しいらついていて、うっすらと埃が積もった予備のスマホを充電した。

彼はずっと、この予備のスマホを使って星奈と連絡を取っていた。

電源が入ると、メッセージや未着信の通知が一気に入ってきた。

彼はそれらを見ることもなく、そのまま星奈の電話番号を探した。

電話は繋がったが、電波が悪いようだった。相手の女性の声は細く優しかった。

「もしもし?」

蒼士はシャツの襟元のボタンを外し、喉の調子を整えた。吐きだす息からはアルコールの匂いがした。

電話の向こうからは、歌やダンスしているのか、とても賑やかな音が聞こえてくる。

彼は不機嫌そうに尋ねた。

「どこにいる?なんでそんなにやかましいんだ?」

蒼士が静かなのを好むことを知っていて、星奈は賑やかな人ごみから遠ざかった。

「帰ってきたの?」

「ああ、急な出張で、君に伝える時間がなかった」

「別にいいよ」

星奈が口に出した言葉は、まるでまったく彼のことなど気にしていないかのようだった。

蒼士は唇を噛みしめて、また同じ質問をした。

「今、どこにいるんだ?」

星奈は言った。

「涼名川よ、お母さんを連れて遊びに来たの」

「そんなところに行って何をするんだ?帰宅したら、家の中が汚かったぞ。クリーンサービスに電話して掃除してもらった。数日お義母さんを連れて遊びに出かけているんだろう?」

彼のその責めるような口ぶりに、星奈は呆れてしまった。彼が気にしているのは、家が汚いことだった。

これもまた、彼女に彼との結婚は、もう思い残すことなどないと思わせることになった。

星奈の母親、祐実は以前、毎日のように父親に頭を殴られて流血することも多かった。そしてやっと離婚できたと思った矢先、今度は脳腫瘍を患ってしまった。

あの頃、祐実は蒼士という医者の娘婿がいるから、手術はきっと順調にいくだろうと思っていた。

蒼士は祐実の手術をすると約束してくれたはずなのに、手術当日、彼は真帆からメールを受け取ると、手術が始まる直前に、昇平に頼んで去っていった。

あの日、手術室の前で母親の手術が終わるのを待つ必要がなければ、彼女は絶対に蒼士と喧嘩になっていたはずだ。

結果、いくら慎重に手術を行ったとしても、当然手術担当の医者が変わったことで、引き継ぎがうまくいかず、看護師が重大なミスを犯してしまった。祐実は術後の感染で、多くの後遺症が残った。

最も信頼できる人に任せたというのに、期待とは真逆に事が進んでしまったことが、星奈にとって、どうしても許せなかった。

蒼士は母親にとっては、義理ではあるが自分の息子も同然。星奈は自分が選んだこの夫にはとても失望してしまった。

会話が途切れた時、彼女はふと尋ねた。

「お酒を飲んだの?」

蒼士の口調が珍しく優しくなった。

「ああ、今日は気分がいいからな」

星奈は声を出さずに笑った。

本来いるべきではない人間は去り、待ち望んでいた人が戻ってきたのだから、それはそれは嬉しいに違いない。

「一週間したらそっちに帰るわ。戻ったら手続きに行きましょう」

手続き?

蒼士は何か思いあたったらしい。

「急がない」

星奈は言った。

「分かった」

――

蒼士との通話が終わると、星奈の心に重くのしかかっていた石が、まるで綿あめのようにスーッと溶けてなくなってしまった。

なくなってしまって逆に少し虚しさも感じる。

実際、ここ涼名川で過ごした数日、彼女の気持ちはあまり良くなかった。

初めての結婚に、幸せな日々を想像しないほうがおかしい……

彼女は元々すこし、蒼士が離婚に対してどんな反応するか、何を言ってくるかが気になっていた。

星奈は、せめて少しくらい自分への謝罪が聞けると思っていた。

例えば、あまり世話をしてあげられなくてごめん、だとか、義母への気遣いが足りなかったとか。

不妊症は星奈のせいじゃないから、とか、離婚してから何か困ったことがあれば、いつでも頼ってほしい、とかだ。

彼ら片桐家の特徴からして、このようなメンツを第一にするのは基本だろう?

結果、彼から得られた言葉は……

急がない。

彼のあの反応は、まさしく「片桐蒼士」だ。自分は彼にとってそこまで重要な存在ではないと、しっかりと再認識した。

「星奈……」

呼ばれたほうへ星奈は振り向いた。

「なぁに?お母さん」

「写真を撮ってくれない?」

「いいよ、そこに立って、こうやって、足は、こう。そうそう……」

まだ頭に生々しい手術の痕が残る母親が、花壇の前で嬉しそうに写真を撮っている姿を見て、星奈は鼻の奥がツンとした。

結婚する相手を間違えたし、信頼する人を見誤ってしまった。そのせいで、母親を苦しませる結果になってしまった。

午後、親子二人は、山を背景にした野外舞台を見に行った。

祐実は観客席で可愛らしい帽子を被り、まるで子供のように興奮して拍手していた。

後ろにいた観光客がこそこそ話している。

「前にいるあのおばさん、なんかバカっぽいよね。知能レベル低いんじゃ?」

星奈の耳にその言葉がひどく突き刺さった。

彼女は顔色を暗くし、振り返ってその二人を睨みつけた瞬間、彼らは驚いていた。

星奈は祐実のほうを向いて、彼女の横顔を触った。そして純粋に楽しむ母親の笑顔を写真におさめて、SNSにアップした。

夜、ホテルに着くと、祐実は疲れていたのか寝てしまった。

星奈は暇で、なんとなくSNSを開いて見ていた。すると榊先生が投稿したお茶をたしなむ写真と、花見の写真に蒼士がいいねを押していた。

昇平も同じく、いいねを押している。

彼女の指先が、思わずスマホ画面の上でピタリと止まった。

彼女がアップした母親の写真は、ちょうど榊先生の二つの投稿に挟まれていたが、あの二人は星奈の投稿は完全にスルーしている。

引き続き画面を下にスクロールしていくと、昇平が昨日の朝、集合写真を投稿していた。キャプションにはこう書かれている。

【神経外科のマドンナ、帰国!めでたい!】

外科の医師たちだけでなく、院長と、数人のお偉いさんまで一緒だった。しかも綾音までいて、なかなかすごい顔ぶれだった。

みんな笑顔で、気品に満ちたクール系美女を一緒に支えて横抱きにしている。

そして、爽やかなあのイケメンは真ん中に立って、真帆の手をしっかりと握りしめていた。

そして蒼士もこの投稿に、いいねを押していた。

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