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34願目:帰りたい

last update Last Updated: 2025-05-04 11:00:21

「空間旅行《ホップステップ》」

 僕の肩に手を触れたネイヴァンが呪文を口にした瞬間、視界がぐにゃりと歪み、気がつくと僕は黒い砂浜へと戻ってきていた。正午を過ぎた太陽が黒い砂浜に反射して眩しい。生暖かい潮風は、相も変わらず腐臭交じりのしょっぱい臭いがする。

 僕より先に転移していたエルドリスは、調理人の性《さが》なのか、早くも調理台の前に立っていた。

 間もなくネイヴァンが転移してくる。彼は、

「こんな場所でもホームって感じだな」

 と同意を求めて僕を見たが、僕は素直にそうですねとは返せなかった。

 第七監獄《グラットリエ》に帰りたい。

 頭の中でそう思って、実に皮肉な一文だなと笑えた。配属が決まったときには絶望すらした最悪の職場。凶悪犯が収監され、本土から隔絶された孤島の監獄。

 そうだ、世間からまったく切り離されているという点で、第七監獄《グラットリエ》は死刑囚島《タルタロメア》と似ている。けれども今の僕にとっては、あれほど嫌っていた第七監獄《グラットリエ》が故郷のように懐かしい。

 ネイヴァンは僕の微妙な反応を深刻には捉えなかったらしく、揚々とエルドリスのほうへ歩いていった。そして彼女の手元を覗き込み、大声で僕を呼ぶ。

 一体何だというんだ。

 この期に及んで面倒事はごめんだった。早く帰りたい。そればかりが思考を支配する。

「どうしたんですか?」

「おい、これ見てみろよ、新人君」

 ネイヴァンとエルドリスの視線の先、潮風に吹き上げられた黒砂にまみれた調理台の上に、何かが置いてある。

 皺が寄り、黄ばんだ紙。そして、その上に重石のように置かれた――木製のナイフ。

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Comments (3)
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俊晴
何度もすみません。むらまさひょうえです。
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俊晴
すみません。ペンネームになってなかったです...
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俊晴
こっちにも読みに来ました。あんな巨大なのがウロウロしているところで7匹も?!と思ったけど、割と手頃そうな魔物が手に入ってよかった。無事に帰れますように…
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