海の中から見上げる水面のように、青々と澄んだ瞳が僕を見つめていた。
両方、間違っている……?
彼女の言葉の意味を僕は計りかねる。いや、考えられるとしたらひとつ。
「あなたは罪を犯していない……?」
フッ、とエルドリスは小さく笑った。
「YESだと自信満々に言えないのが痛いところだが……そうだな。私視点の事実を語らせてもらうと、私は嵌《は》められた」
「どういうことです?」
「少し……長くなるが、聞く気はあるか」
僕は頷く。
「なければここに来ていません」
彼女は口角を僅かに上げると、カサリス・ビートル茶のカップの中に目を落とした。
「ここに投獄される前、私は生まれ育ったセリカの町で、妹と小さなレストランを営んでいた。私が調理し、妹が接客をする。田舎町で女二人、細々と生きていけるくらいには繁盛していたさ」
「あの、もしかして……そのころから魔物の調理を?」
「……どう思う?」
「いや、どうと言われても」
「魔物を調理すること自体は犯罪じゃない。むしろ、やれる調理人は少ないから重宝されるし、金になる」
「その言い方は、YESと捉えますけど」
「やめておけばよかった」
「はい?」
「私が最も後悔することのひとつが、その日の選択だ。帝都から使者がやってきた日。その使者は、私たちの店にアンフィモルフという魔物を生きたまま持ち込み、調理しろと言ってきた」
「アンフィモルフ? 聞いたことがありません」
「私もそうだった。そいつはトロールやゴブリンのような人型の魔物だった。使者はそいつのことを、『我が主《あるじ》の捕獲した希少種』と説明した」
「我が主……」
「その主とやらが、アンフィモルフを食べたいと所望したらしい。帝都中でそいつを開ける調理人を探したが見つからず、セリカのような田舎町にまでやってきたというわけだ」
「調理を、引き受けたんですか?」
「ああ。セリカじゃ考えられない破格の報酬だったからな」
「報酬のため……」
僕の言葉に、エルドリスはうんざりした風に顔を背け、鉄格子越しの窓外へと目を遣った。
「悪いか。金があれば妹を、帝都の上級魔導医師に診せられると思ったんだ」
「いえ、すみません……。妹さんは、ご病気で?」
エルドリスの表情が一瞬、儚く歪んで見えた。いや、僕の見間違いだったのかもしれない。
次の瞬間には、彼女は僕を凛と強い眼差しで見据えていた。
「妹――リュネットは三年前、私と共に第七監獄《グラットリエ》へ投獄されて間もなく死んだ。だが本当は、四年前に死んでいるはずだったんだ。それを私が延命魔法、虚の脈息《ルクス・エヴィータ》で生かし続けた」
彼女は当時の凄惨な事情を語った。彼女の妹リュネットは、四年前のその日、恋人と町の外へ出掛けていた。そして帰ってくる途中、魔物に遭遇し、恋人は死亡。リュネットは腹を破られ、内臓のほとんどを食われた。
その彼女を、帰らない妹を心配したエルドリスが見つけ出し、絶命する寸前でなんとか延命魔法をかけることに成功した。
しかし、エルドリスの延命魔法は一度に30分しか持たない。だからエルドリスはその日以来ずっと、30分に一度、延命魔法をかけ直すことで妹の命を長らえさせていた。
「30分に一度って、そんなこと可能なんですか?」
「可能かどうかという話じゃない。私はやると決めた。そして妹から片時も離れなかった。一年がたち、この第七監獄《グラットリエ》に収監されるまでは」
彼女の目に明確な怒りが宿る。言われずとも僕は察した。
30分に一度、延命魔法をかけ直して妹の命を長らえさせる。第七監獄《グラットリエ》に収監されればそれは叶わない。なぜなら第七監獄《グラットリエ》では、収監された囚人たちに魔力封じの魔法をかけるからだ。そのうえ、脱獄を共謀しそうな縁者同士を近づけてはおかない。
「話を戻そう。アンフィモルフの調理を引き受けたところからだな」
僕は気づかぬ間にずいぶん考え込んでいたらしい。ふと顔を上げて正面のエルドリスを見ると、彼女の瞳からはもう、怒りの色は消えていた。
いつもの無表情。
「私はレストランの調理場でアンフィモルフを開き、肉を切り出し、いくつかの料理を仕上げた。それを帝都からの使者は、多額の報酬と引き換えに持っていった。だがその翌日、店に再び帝都からの来客があった。奴らはヴェルミリオン帝国司法府直属の特務執行官を名乗り、"人肉を調理し供した"罪で私とリュネットを捕らえた」
「えっ!?」
聞き間違えかと思った。
「ちょ、ちょっと待ってください。あなたの罪状は"人肉を食した魔物を調理し供したこと"ですよね?」
「表向きにはな。だが実際に私たちに告げられた罪状は今言ったとおり。"人肉を調理し供した"ことだ」
「意味がわかりません」
「私もそう思った。奴らが言うには、私が調理したアンフィモルフなる魔物は本来魔物ではなく、"人間が魔法により一時的に魔物に変えられたモノ"だったそうだ。それが本当だとすれば、恐らくその人間に配慮して、私の罪状は表向きにはぼかされたのだろう」
「なんですかそれ……。エルドリスたちは何も知らなかったんですよね?」
「もちろん。知っていたら調理などしない。どれほどの大金を積まれてもな」
「使者は? アンフィモルフを運んできた使者はどうなったんです? そいつに吐かせれば、エルドリスの無実を証明できます」
「私も同じことを特務執行官に訴えたさ。だが聞き入れられなかった。使者が語った名も偽名だったようで、そんな人物は帝都に存在しないと一笑に付されて終わった」
エルドリスは淡々と語る。その無感情さはこちらが困惑を覚えるくらいだ。
「そんなことがあったのに……どうしてあなたは今、『30分クッキング』の調理人を? 特別待遇を得るためですか?」
僕は、終身刑の囚人に似つかわしくない居心地の良い独房内を見回した。どの調度品も、第七監獄《グラットリエ》が囚人向けに常備しているソレではない。
「『30分クッキング』の視聴者層を知っているか」
「……は?」
「あの番組の視聴者のほとんどは、貴族や軍高官などの富裕層・権力者だ。奴らは"魔物を生きたまま、苦しめながら食材にし、調理する"という異常なエンターテインメントに嗜虐《しぎゃく》心の充足を求めている。いわば変態だ。そして、その変態どもの中に、私とリュネットを嵌《は》めた奴がいる」
僕は身構えた。彼女が次に何を言うか、予想がついたからだ。
「私が『30分クッキング』の調理人をする理由はな、変態どもに極上のエンターテインメントと極上の料理を画面越しに提供し、生で見てみたいと思わせ、私を召喚させるためだ」
召喚させ、対峙して、見極めようというのだ。自分たちに地獄を味わわせた憎き敵《かたき》が誰なのか。
「あなたは……こんな場所から、復讐を?」
「ああ。私は、私とリュネットを陥れた奴を必ず見つけ出す。使者が"我が主"と語ったその人物を。そしてすべての真相を暴き、リュネットの墓の前で、奴の生首に土下座させてやる」
「ど……どうして、監督官の僕にそんな話……」
自分から問うたのは事実だが、それでも、そんな回答がくるとは思わなかった。
僕は監督官だ。彼女がこの第七監獄《グラットリエ》を出て復讐を果たそうと目論《もくろ》んでいるのなら、それを止めることが職務。
「僕は……今の話を上官に報告し、あなたを『30分クッキング』の調理人から外させることだってできてしまいます」
「だが、お前はそうしないだろう」
と、間髪入れずに返ってきた。
「私がお前に今の話をしたのは、私とお前の目的が一致しているからだ。私は復讐を果たし、無実を証明し、ここを出たい。お前は私をここから出して、私の調理助手《アシスタント》兼監督官という職務から逃れたい」
「それは……」
「それにな、お前がどんな報告をしようと、私は余程のことがない限り、『30分クッキング』の調理人からは外されない。なぜなら、延命魔法を使って魔物を生かしながら調理できる調理人は、私だけだからだ。そもそも私が調理人として選ばれた理由も、この魔法だ」
言いながら彼女が手のひらを上向けると、そこに白く丸い靄《もや》のような光が集まった。引継ぎ資料で読み、実際に目にもしている延命魔法、虚の脈息《ルクス・エヴィータ》。囚人である彼女に、特別待遇として唯一許された魔法。
その光がふっと消え、彼女の表情に目を遣った僕へ、碧い瞳が真っ直ぐ向けられていた。
「イオルク監督官。たった今から、私とお前は同志だ」
「同志……」
「盃を交わそう」
エルドリスは立ち上がると、戸棚から、細長い首に胴がやや膨らんだ形状の漆黒の瓶と、盃を二つ取り出して戻ってきた。
「これは?」
「ナイトフィーンドの胆汁酒だ。B級魔物、ナイトフィーンドの胆嚢から抽出した液を、砂糖と香草で発酵させて作る」
彼女は二つの盃それぞれに黒紫色の液体を注いだ。濃厚なアルコールの香りが立ち上る。
「これは、互いを裏切らないという誓いの儀式だ。互いの盃に、魔力を少し流してから飲む」
エルドリスが盃のひとつに指先をかざすと、白く淡い光が黒紫色の液体の表面を滑るように広がった。僕もそれに倣い、もうひとつの盃に指を近づける。
魔力の操作はあまり得意ではない。それでも、オレンジ色をした僕の魔力はつつがなく湖面に満ちた。
そして僕たちは盃を交換し合い、互いの魔力の流れた液体を、ひと息にあおった。
舌に広がるのは、濃厚で甘苦しい味わい。そして、喉元から熱が広がり体がカッと温まる感覚。
「……キツイ酒ですね」
「ふふ、"ひよっこ"め」
エルドリスは満足そうに笑う。窓から差し込む陽光が、その白い肌を輝かせ、碧い瞳に光の珠を宿す。
僕はそんな彼女を見て、美しいと思ってしまった。
「皆さま、こんにちは。『30分クッキング』です」 魔導カメラに向かい、抑揚を意識しながら番組のオープニング口上を始める。隣には、黒革のエプロンを身にまとったエルドリスが、いつものように無表情で立っている。「本日の食材は、こちら」 僕が背後を指し示すと、鎖と首輪に繋がれて吠える魔物が映し出された。「ヴァーモート・ハウンド。C級魔物です」 黒く滑らかな毛並みを持つ大型の犬型魔物で、四肢は異様に発達しており、特に後ろ脚の筋力が強い。その跳躍力は人間の身長を軽々と超え、獲物を捕らえる際には飛びかかって喉元に噛みつく。 特徴的なのは、その涙。 ヴァーモート・ハウンドは極度のストレスを受けると、フィンブリオの涙と呼ばれる特殊な分泌液を目から流す。それは極めて甘く、果実酒のような香りを持ち、料理の旨味やコクを引き立てる高級調味料として重宝される。 エルドリスが、僕と話す時間を作る対価として僕に求めた調味料だ。「さて、今日はこのヴァーモート・ハウンドを使ってバーベキューを作ります。では、エルドリス先生、よろしくお願いします」 僕が言うと、エルドリスは厨房の端にあった長い木製のピザピールを手に取った。「まずは、適度にストレスを与えて、フィンブリオの涙を抽出する」 ヴァーモート・ハウンドにツカツカと歩み寄り、その横腹にフルスイングの一打を見舞う。 ゴチャッ。 嫌な音がした。「グゥウウウゥ……!」 ヴァーモート・ハウンドが低く唸り声を上げ、身を捩る。エルドリスはさ
「んふふっふ~、んふふ♪ んふふっふ~、んふふ♪」『30分クッキング』放送前の地下調理場にはたいてい、エルドリスの鼻歌が響いている。彼女は僕と共に調理器具や魔物以外の食材の準備をしながら、僕など目に入っていないかのように一人の世界の中で歌い続ける。 そんな彼女の世界を脅かす来客があった。 廊下から調理場へと続く鉄製の扉がギィィと開く。「やあ、エリィ。調子はどうかな」 現れたのは、黒衣を羽織った長身の男だった。透けるような金髪に赤褐色の目、勝気な眉。がっしりとした首から続く肩幅は広く、服の上からでも窺《うかが》える鍛え上げられた体躯が、少なくとも彼が事務職の文官ではないことを物語っている。 エルドリスの鼻歌が止み、彼女は振り返る。「ネイヴァン・ルーガス。何しに来た」「フフ……演者と少し交流しようと思ってね」 低くゆったりと響く声。 彼女の呼んだ名を聞いてピンときた。ネイヴァン・ルーガスは、この『30分クッキング』の脚本家兼演出家だ。刑務所の役人ではなく民間人で、普段は調理場に顔を出さないため、その姿は初めて見た。「もうじき生放送が始まる。目障りだから出ていけ」「ご挨拶だなあ……ああ、そうそう。目障りといえば俺も、昨日の放送でとんでもない蛇足を見つけちまってねえ」 ネイヴァンの目がギロリと一瞬僕を見て、またエルドリスに戻る。「あんな馬のゲロの腐ったヤツみたいな実食シーン、俺が書いたとは思われたくないな。ボケた婆さんだってもう少しマシな台詞を吐くぜ」「演出家だろう? 役者の伸びしろに期待しろよ」「ふぅん、伸びしろねぇ……」 頭の先からつま先まで値踏みするような露骨な視線
エルドリスは昨日あのあと、ネイヴァンとどんな話をしたのだろう。 いつものように『30分クッキング』の準備を進めながら、僕はその疑問を頭の片隅で転がしていた。今日、顔を合わせたときに、それとなく聞いてみたのだが、彼女は『大した話じゃない』と言うだけだった。 特上の食材。それは一体何なのか。『30分クッキング』の趣旨からして、魔物であることは間違いなさそうだ。とすると、相当レアな魔物なのだろうか。 もうひとつ気になるのは、ネイヴァンが言った『お前の望みのモノかもな』という言葉の意味。エルドリスはネイヴァンに、どのような望みを伝えたのか。『かもな』という表現。以前にエルドリスが僕にフィンブリオの涙を求めたように、何か欲しいものを伝えたのだとしたら、それが用意できたか否かはAll or Nothing《オールオアナッシング》。『かもな』という不確実性を匂わす言い方はしないはず。 考えれば考えるほど、落ち着かない。 そうこうしているうちにいつの間にか、生放送の時間は迫っていた。◆「皆さま、こんにちは。『30分クッキング』です」 オープニングの挨拶をしながら、カメラのレンズを意識する。視聴者――嗜虐心を持て余した金持ちたちの目がこちらを見ている。 エルドリスは相変わらずの無表情。準備段階の方が、鼻歌まで歌って機嫌が良さそうなのが不思議だ。もしかすると、カメラの前では多少キャラを作っているのかもしれない。「本日より、特別企画――一体の魔物の全身を使った“フルコース”をお届けします」 台本通りの台詞。だがそれも、ここまでだった。昨日、夜になって上官から渡された僕の台本には、ここから先の展開はアドリブでと書かれていた。
ヴァルドルは、昨日と変わらず檻の中にいた。 四肢を拘束され、膝を抱えるように座らされている。表情はない。昨日、血液を搾られた際には呻き声を上げたが、今はただじっと虚空を見つめていた。 僕は準備をしながら、魔物の様子を盗み見ていた。昨日、エルドリスが回復魔法をかけたおかげで、傷は完全に塞がっている。それでも、昨日からずっとこのままの姿勢で拘束されているのかと思うと、胃の奥がずしりと重くなる。 少なくとも、水と何かしらの食事は与えられた形跡がある。檻の隅には、空の水皿と、食べ残しらしき肉の端切れが転がっていた。だがそれが、人道的な配慮からなのか、それともただの“食材の管理”なのかは、僕には判断がつかなかった。「助手君」 不意にエルドリスの声が背後から響き、僕は我に返った。彼女はいつものように淡々とした表情で、調理台に用意された器具を点検していた。「生放送の時間だ。準備はできているか」「……はい」 今日もまた、凄惨な30分間が始まる。 ◆「皆さま、こんにちは。『30分クッキング』です」 いつも通り、カメラに向かって挨拶をする。「本日は、フルコースの第二弾。アミューズ・ブーシュとオードブルを作ります」 エルドリスが檻の前に立つ。ヴァルドルは相変わらず無表情だ。しかし、彼の鱗状の皮膚の一部が、微かに震えているのが見えた。「まずは、皮を剥ぐ」 言いながら、エルドリスは鋭利な皮剥ぎ包丁を手に取る。その刃先は薄く研ぎ澄まされており、光を反射して輝いていた。「ヴァルドルの皮は、鱗の間に脂肪層を含んでおり、強い旨
ヴァルドルは昨日までと同じく、狭い檻の中で膝を抱えて座っている。 別に気にかける必要もないのだが、どうにも気になってしまって、僕は準備をしながら、さりげなく檻の近くを通り、魔物の様子を伺った。すると、かすかな声が聞こえた。「……ま、こ……ぐ……で……」 魔物の言葉はわからない。助けを求めているのか、神に祈りでも捧げているのか。 いや、意味のある言葉なはずがない。この魔物にそんな知能はないだろう。 ……本当に?「助手君、そろそろ時間だ」 考えを巡らせているうちに、エルドリスの声が響いた。 僕はヴァルドルを一瞥し、調理台へと戻る。 生放送の時間が迫っている。今日もまた、お届けしなければ。 "極上のエンターテインメント"を。 ◆「皆さま、こんにちは。『30分クッキング』です」 カメラに向かって、いつもの挨拶をする。「本日は、フルコースの第三弾。ヴァルドルの肝臓を使ったポタージュを作ります」「ヴァルドルの肝臓は、鉄分と脂肪が豊富で、クリーミーな味わいが特徴だ。燻製にすることで、濃厚な旨味が際立つ」 エルドリスは説明しながら、檻の扉を開いた。僕は彼女に言われる前にヴァルドルの鎖を引き、昨日と同じように蹲《うずくま》った態勢にさせる。 彼女の靴底が魔物の横っ腹を蹴りやり、まるで猫でも転がすかのように、全長四メートルの魔物の体を仰向けにした。「では、開いていく」
刑務官事務所の片隅で、僕は魔導通信機の受話器を握っていた。「ネイヴァンさん、エルドリスから伝言を預かっています」 受話器の向こうから、退屈そうな声が返ってくる。「おいおい、エリィの声が聞きたかったのに、きみかあ。……で?」「『パーティ次第だ』と」 一瞬、沈黙があった。 次に聞こえたのは、ククッという笑い声。「へえ、そいつは面白い」「そうなんですか? 僕には何が何だか」「エリィに伝えてくれ。『衣装を用意する』ってな」 また伝言ですか、という文句は飲み込み、「わかりました」と返す。 僕にはもうひとつ、この男に確認したいことがあった。その答えを得るためにも、相手の機嫌を損ねるのは得策ではない。「ネイヴァンさん、教えてください。あなたが用意したA級魔物ヴァルドル。あれは、魔物なんですよね?」「ふうーん?」 何故そんなことを聞く、とでも言いたげな声が上がる。それもそのはず。『30分クッキング』は魔物を調理する番組であり、食材として用意される肉はすべて魔物だ。 だがそのうえで、ネイヴァンは僕の真意を察したらしい。彼はきちんと、僕と同じ世界観の答えを返してきた。「まあ、エリィの答えを聞く限り、あの魔物は確かに魔物だったんだろうよ」◆「皆さま、こんにちは。『30分クッキング』です」 今日も生放送が始まる。「本日はヴィアンド(肉料理)として、ヴァルドルの腕肉――」「舌と腕肉の二種のステーキを作る」
出勤するやいなや、魔導通信機の受話器を持った上官に手招きされた。「お前にだ。ネイヴァン・ルーガス氏から」 昨日のメニュー変更の件かもしれない。 受話器を受け取って「もしもし」と応答すると、早速不機嫌そうな声が耳に飛び込んできた。「きみさあ、困るんだよねえ。エリィをちゃんとコントロールしてくれないとぉ」「すみません。昨日のメニューのことですよね?」「それ以外に、なぁにがあるんだよ」「すみません」「まあきみ程度のひよっこにエリィは乗りこなせんだろうなぁ。初めっから期待しちゃいないが」「あの」「なぁんだよ。弁明でもするかぁ?」 ついでだから言ってしまおう。「エルドリスからまた伝言があります。『三日は待たない』と」「わぁかった、わかった、『明日だ』って言っておけ」「明日って、何がです?」「ああ? 俺は忙しいんだ。エリィに聞けよ」 通信が切れた。正確には、一方的に切られた。 ため息を吐く僕を、上官が見ないふりしていることにも僕は気づいていた。 ◆「皆さま、こんにちは。『30分クッキング』です」 笑顔の能面にも慣れてきた。「本日は、フルコースの締めくくりとして、デセールとカフェ・エ・プティフールを作ります」 僕がそう告げる後ろの調理台で、魔物の深い呼吸音が響いていた。 そうだ。今日はいつもと違う。ヴァルドルは生放送の前から調理台の上に上半身をうつ伏せる形で、首と右腕を固定されている。 その光景をバックに僕とエルドリスは並んでオープニングを撮っていた。
「おいおいエリィ、もう少しそっちへ寄らせてくれよ」「うるさい。肘から先を失いたくなければ気をつけの姿勢で黙っていろ」「酷いぜまったく。なあ、新人監督官殿?」「ううっ、苦しい……」 ぎゅうぎゅう詰めの檻の中で、エルドリスはできる限りネイヴァンから距離を取ろうとしていた。しかし、狭い空間では限界がある。逆にネイヴァンはこれ幸いとばかりにエルドリスに密着しようとし、そのたびに肘打ちや足蹴りを食らっていた。その流れ弾が僕にも当たる。 通常、この転送用の檻は、死刑囚一人を島へ送るためのものだ。ゆえに狭い。極端に狭い。なのに今、この中には僕、エルドリス、ネイヴァンの三人が詰め込まれている。身動きはほとんど取れない。僕はエルドリスの肩に頭を押し付けられ、ネイヴァンの膝に挟まれたまま、完全に潰されそうになっていた。三人の中で一番背が低い僕にとって、この圧迫は地獄そのものだ。「うっ……死んじゃう……」「ネイヴァン・ルーガス。私に膝を当てるな、気色悪い。脚まで切り落とされたいか」「エェェリィィ……俺は今、最高に傷ついてるぜぇ?」 こんな状態で、本当に転移できるのだろうか。「準備はいいか」 檻の前に立った上官の声が響く。いいわけがない。「転送開始!」 合図とともに、檻の周囲に魔法陣が展開し、光が視界を満たした。 次の瞬間、僕たちは檻ごと別の場所へと投げ出された。 転移の衝撃で、体がぐちゃっと潰されそうになる。視界がぐるぐる回り、気づけば僕は檻から転がり出て、黒い砂の広がる砂浜に転がっていた。「うっ……」
「空間旅行《ホップステップ》」 僕の肩に手を触れたネイヴァンが呪文を口にした瞬間、視界がぐにゃりと歪み、気がつくと僕は黒い砂浜へと戻ってきていた。正午を過ぎた太陽が黒い砂浜に反射して眩しい。生暖かい潮風は、相も変わらず腐臭交じりのしょっぱい臭いがする。 僕より先に転移していたエルドリスは、調理人の性《さが》なのか、早くも調理台の前に立っていた。 間もなくネイヴァンが転移してくる。彼は、「こんな場所でもホームって感じだな」 と同意を求めて僕を見たが、僕は素直にそうですねとは返せなかった。 第七監獄《グラットリエ》に帰りたい。 頭の中でそう思って、実に皮肉な一文だなと笑えた。配属が決まったときには絶望すらした最悪の職場。凶悪犯が収監され、本土から隔絶された孤島の監獄。 そうだ、世間からまったく切り離されているという点で、第七監獄《グラットリエ》は死刑囚島《タルタロメア》と似ている。けれども今の僕にとっては、あれほど嫌っていた第七監獄《グラットリエ》が故郷のように懐かしい。 ネイヴァンは僕の微妙な反応を深刻には捉えなかったらしく、揚々とエルドリスのほうへ歩いていった。そして彼女の手元を覗き込み、大声で僕を呼ぶ。 一体何だというんだ。 この期に及んで面倒事はごめんだった。早く帰りたい。そればかりが思考を支配する。「どうしたんですか?」「おい、これ見てみろよ、新人君」 ネイヴァンとエルドリスの視線の先、潮風に吹き上げられた黒砂にまみれた調理台の上に、何かが置いてある。 皺が寄り、黄ばんだ紙。そして、その上に重石のように置かれた――木製のナイフ。
規格外の魔物が森へと消えてから、僕もエルドリスも、もちろん瀕死のネイヴァンも、口をきくことはなかった。二人が何を思っていたのかは知れないが、僕はただ目の前の命を救うことに集中した。 正確には、そうすることで規格外の魔物への恐怖を忘れようとした。 横たわったネイヴァンの上半身の服を手早く脱がす。そして両手を胸の穴にかざし、強化魔法で上げていた魔力を惜しみなく注ぐ。延命魔法が切れる前に、彼の心臓を再生させなければ。 淡い光が何層にもなって穴の開いた胸を包む。やがて、その層を通じて小さな振動が僕の手のひらへ伝わってくる。 僕は穴の場所を少し避けてネイヴァンの右胸付近に耳を当てた。 トクン……トクン……「心拍が、戻った……」 僕の呟きに、エルドリスが小さく頷く。「よくやった、助手君。これで虚の脈息《ルクス・エヴィータ》が切れても絶命しない」 その言葉にホッと肩の力が抜ける。 ネイヴァンも目を開けて、僅かに笑った。「サンキューな、新人君。きみが回復魔法を使える人間で助かったぜ」「いえ、僕は大したことは……」 彼の命を救った一番の功績はやはり、エルドリスの延命魔法だと僕は思う。僕の教科書魔法とは違い、彼女のあれは難易度でいえばS級のはず。あれがなければ――そして彼女があれを長々しい詠唱もなく即座に発動できる能力者でなければ、ネイヴァンは死んでいた。「エルドリスのおかげです」 僕が言うと、彼女は一瞬、意外そうに眉を上げ、それからどこか後ろめたそうに目を伏せた。
僕はというと、ネイヴァンが戦っている間、自分自身に強化魔法を掛けていた。このあとネイヴァンに掛けることになる回復魔法の威力をできる限り上げるためだ。「助手君」 戦闘に目を向けたままエルドリスが僕を呼ぶ。「十五分で……いけそうか?」「五分五分、といったところです。あの、回復魔法が間に合わなかったら、延命魔法の重ね掛けもできるんですよね? 妹さんにやっていたって……」 碧い瞳が一瞬睨むように僕を見て、また前方に戻る。「す、すみません。別に初めからそれ頼みにしたいわけじゃないんですが、人の命が僕の魔法にかかってるって思ったら……」 プレッシャーで死にそうで。「勘違いするな。責めたわけじゃない。ただ、延命魔法の重ね掛けが上手くいく保証はないと伝えておく」「ど、どうしてですか?」「リュネットの場合、最初に延命魔法を掛けた時点で、"欠けていた臓腑"の代替物が揃っていた。しかし、今のネイヴァンの場合はそうじゃない」「代替物、ですか……」 穴の開いた心臓の代わりとなれるもの。それは別の無傷な心臓。 小さな疑問が湧いた。確か、エルドリスの妹リュネットは、町の外で魔物に遭遇し、内臓のほとんどを食われた、と。ならばその時エルドリスは、どうやってそれら内臓の代わりを見つけたのだろうか。 ネイヴァンとラシュトの間で、空気が爆ぜた。 僕の意識はそちらへ奪われる。 戦いはネイヴァンが明確に押していた。延命魔法により死の恐怖を感じずに戦える男。躊躇なく相手の懐へ潜り込み、急所を狙い続ける。
「ネイヴァン・ルーガスッ!」 ネイヴァンが立っていた位置でエルドリスが叫ぶ。二人の場所が、入れ替わったのだ。 ネイヴァンは倒れ、左胸に刺さった槍は、スライムのように溶けて逃げていく。その槍の抜けた穴から尋常じゃない量の血が溢れ出す。 左腕の痛みを、一瞬で忘れた。 僕はほぼ反射的にネイヴァンへ駆け寄り、回復魔法を発動した。だが初歩の初歩たる教科書魔法だ。山火事にコップ一杯の水をかけ続けるようなもの。燃え尽きるスピードの方が圧倒的に早い。「虚の脈息《ルクス・エヴィータ》」 エルドリスの手がかざされて、真っ赤な胸の穴が、濃い白の光に包まれる。「回復魔法では間に合わない」 延命魔法だ。これでネイヴァンは、30分は生き長らえる。だが延命魔法は"致命傷を負っていても一定時間生きられるようにする"だけで、"致命傷を治す"わけではない。だからその30分の猶予期間に回復魔法で傷ついた臓器を――穴の開いた心臓を治療しなくては。 白い光が消え、血の止まったネイヴァンが、「やってくれるじゃねえか」と呟きながら上体を起こす。「ネイヴァンさん、まだ動いては――」「ああん? 殺されかけて泣き寝入りしろってぇ?」「治ったわけじゃないのは、その痛みでわかっているでしょう!?」「さあな。どういうわけか、大して痛くねぇんだ」 エルドリスの延命魔法は、命の期限を延ばすだけの魔法。かつて彼女が『30分クッキング』の視聴者に向かい『痛覚には何ら影響ない』と語ったとおり、痛みは消えていないはず。本来ならば起き上がるどころか話すことすら、呼吸すら辛いはずなのだ。 その痛みを超越しているのだとしたら、それは大量出血による血圧の急低下やアドレナリ
四、五メートルは上から落ちてきたのにケロリとしているラシュトを見て、僕は寒気を覚えた。やはり、コレと戦うのは無謀だ。「エルドリス」 逃げましょう、という意味で僕は彼女を呼んだが、反応はない。彼女の碧い眼差しはもはや、人間離れした少年へと釘付けになっている。「呼ばれてるよ、綺麗でかっこいいお姉さん」 ラシュトがくすくす笑うが、エルドリスの表情は能面のようにぴくりとも動かない。 戦《や》る気なのだ。 僕は覚悟した。そして気持ちを、いかに逃げるか、から、いかに捕らえるか、に切り替える。 ネイヴァンも僕と同じ考えに至ったようで、ラシュトに正対して重心低く立ち、利き手の拳を握っている。「アハ、そうこなくっちゃ。活きの良い獲物は好きだよ」 ラシュトの笑みが深くなる。「ぬかせ」 とネイヴァン。その拳が赤い光に覆われる。 それが開戦の狼煙《のろし》となった。 高らかな笑い声とともに、ラシュトの体がねじれて変形する。溶けるように輪郭が崩れ、次の瞬間――エルドリスと瓜二つの姿がそこに立っていた。「……悪趣味め」 エルドリスは即座に間合いを詰め、ナイフで自分と同じ姿の首を一文字に切り掛かる。後ろに飛び退いた白い喉を刃が掠め、赤い血が僅かに飛び散る。 ラシュトは軽やかに距離を取ると、今度はネイヴァンの姿に変わる。口元を歪めて、挑発するように舌なめずりした。「なあエリィ。魔物とヤったことあるか? 俺で試してみるのはどうだい」「ネイヴァン・ルーガス、こいつを黙らせ
ラシュトを振り返った僕たちはすぐさま迎撃体勢をとった。そこにいるのは、どう見ても人間の少年。けれどネイヴァンが言ったとおり、人間ならば砂浜からの帰還に数時間は掛かるはず。 十分やそこらで戻ってこられたということはやはり、「きみは、人間ではないんですかっ……?」 ラシュトは口角を引き上げ、悪戯っぽく笑った。「怖いお兄さん、僕から見たらあなただって、純粋な人間には見えないよ?」「黙れクソガキ!」 ネイヴァンが吼えるが、少年は意にも解さず楽し気に続ける。「そうそう、まだ答えを聞いてなかったね。どんなふうに殺されたいか教えてくれる?」「それはこちらの台詞だ。希望どおりの殺し方をしてやろう。こちらには名のある脚本家兼演出家と、魔物を開きなれた調理人、そして万能な調理助手《アシスタント》がいる」「おおっと。あなたたちやっぱり、死刑囚じゃなかったんだね。じゃあそうだなぁ……こんなプロットにしてよ。まずは冒頭で、パーティ全員毒蛇に噛まれて死ぬ、って」 次の瞬間、ラシュトの姿がぐにゃりと歪み、肉が変質する嫌な音が響いた。皮膚が硬質化し、暗い色の鱗が連なっていく。彼の身体は分裂するように長く伸び、それが何本にも分かれていく。 無数の黒い蛇。くわあ、と開かれた口には巨大な牙。そして牙の先から滴る毒液。 硬い鱗を持った蛇たちが地面を這う。 ズズズ……ズズズ……。 この音……! 僕は気づいた。蛇の鱗が岩に擦れる音。これは昨夜聞いた音と同じ。 あれは何かを引き摺った音じゃなく、無数の蛇が、岩壁に開いた隙間を潜った音だったんだ。 ラシュ
僕たちは光の雨粒に打たれた白骨遺体を見つめていた。人間の形を保ってはいるものの、ところどころ損傷が目立つ。とりわけ頭蓋骨は縦に真っ二つに割れていて、致命傷の跡なのか白骨化後の傷なのかは知れないが、異様だった。 骨の表面には、雨水や泥の跡がうっすらと残っている。 そして絡みつく、僕が放った絶対拘束《トータル・フェター》の蛇。その意味するところはつまり、「これは囚人の――死刑囚の遺骨です」「誰なんだよ」 とネイヴァン。「わかりません。でもラシュトの部屋の奥にあったんですから、ラシュトの知り合いなのでは?」「うーむ……でもあいつ、他の死刑囚とつるむようなタイプか? 殺しちまいそうだろ」「知らないですよ」「あ、そうだ。これは聞いた話だが、人間の遺体が雨風に晒された状態で完全に白骨化するには、少なくとも一年かかるらしいぜ。となれば、この遺体は一年以上前にこの島へ送られた囚人のものだ」「そんなの、数えきれないほどいます」「だよなぁ。……新人君、識嚥《シエ》で食ってみろよ。それでわかるだろ」「嫌ですよ! 冗談じゃない!」 この男はなんてことを言うんだ。 エルドリスが小さくため息をついた。「断られるに決まってるだろ。頭を使え、ネイヴァン・ルーガス」「なんだよエリィ。じゃあ他に方法があるっていうのか?」「だから頭を使えと言っている。これまでの情報を総合的に考えてみるんだ。まず、この場所はラシュトのねぐらの奥にあって、ここに繋がる通路は岩壁によって遮断されていた。だが完全な遮断ではなかった。岩壁には隙間があったし、ここの天井にも隙間がある」「それが何なんだよ」 次に、とエルドリスはネイヴァンの問いかけを無視して続けた。
頭が重い。手足が思うように動かない。体が痛い。 目を開けると、冷たい岩肌の床が視界に入り、その先に、赤々と燃える焚き火が見えた。「おはよう、怖いお兄さん」 楽しげな声が降ってくる。 顔を動かして声のした方を見ると、ラシュトが焚き火のそばに座り、金属製のナイフを弄んでいた。彼は木製のナイフしか持っていなかったはずなので、それは恐らくエルドリスの持ち物だろう。その唇の端は愉快そうに吊り上がっている。「あなたたちさ、昨夜食べたセフィアベリーと今朝食べたヴェルド、食べ合わせって考えたことある?」 唐突な問いかけを聞きながら、頭の中で警鐘が鳴り続けている。手足が動かないのは縛られているせいだ。しかも手は背中側で括られているため、身を起こす支えにもできない。 エルドリスとネイヴァンも目を覚ましていたようで、すぐそばで動く気配がする。「セフィアベリーはね、胃でなかなか消化されないんだ。だからひと晩経ったくらいじゃまだ、胃の中に残ってる。それで、ヴェルドと混ざると……さ、あっという間に有害成分に変わる。そうなると、人間は――」 ラシュトはそこで言葉を止め、ゆっくりと笑みを深めた。「――昏倒してぐっすり眠っちゃうんだよ」 ネイヴァンが舌打ちする。本当は悪態のひとつも吐きたいところだろうが、彼とて今、この不利な状況で少年を煽るリスクを考えないわけがない。 エルドリスも同様だった。いつもネイヴァン相手に流暢に飛び出す嫌味が今は鳴りを潜めている。だが、彼女の無念は僕ら以上だろう。調理人である彼女にとって、毒の生成に食べ合わせを使われること、そしてそれにまんまと引っかかってしまったことは、屈辱にも近いはず。「あなたたちは運が悪かった。でも逆に僕はものすごく幸運だ。い
なんだ? どういうことだ? ラシュトはどこへ消えた? 僕はエルドリスとネイヴァンを起こし、事の顛末を二人へ伝えた。 ネイヴァンが点火魔法で焚き火に火をつけ、洞窟の中に鮮やかな視界が戻ってくる。僕たちは壁面を丹念に調べ始めた。叩いたり、押してみたり、突起に指をかけて引いてみたり。しかし――「特に変わったところはないな……」 ネイヴァンが首を水平に振る。壁面を構成する岩は、どれもただの岩でしかない。床も、下に抜け穴がないかと三人で調べてみたが、何も見つからなかった。 僕たちが調査を続けていると、外から小鳥の鳴き声が聞こえてきた。「朝か」 エルドリスは立ち上がると、部屋の入り口へ向かっていく。「どこへ行くんです? もう砂浜へ戻りましょう。ネイヴァンさん、転移魔法をお願いします」「少し待て、念のため洞窟の外を確認する」「確認って何を! エルドリス、待ってくださいっ」 僕は洞窟へ入っていくエルドリスを追った。エルドリスは歩きながら僕の質問に答える。「確認するのはあの部屋の外側だ。私たちはここに入ってくるとき、蔓に覆われた入り口しか見なかった」「それが何なんです?」「あの部屋――あの広い空間には外気が流れていたな。つまり、僅かだが外部と繋がっているということ。その繋がっている場所を外側から見れば、わかるかもしれない。内側を調べてもさっぱりだったが、子どもひとり通り抜けるだけの隙間の手がかりが。あくまで小さな可能性だが」「わかりました。じゃあ、洞窟の周囲をざっと見て、そしたら浜辺へ帰りましょう」「おいおい、新人君。なんだか妙に焦っちゃいねえか」 後ろから付いてきていたネイヴァンが飄々と言う。彼にはわから