管理塔の内部は、真っ白だった。
壁も床も、天井すら、つるつると滑るガラスのような質感で統一されている。 まるで、ここだけが“現実”から浮いているような、不自然な静けさ。 俺たちは、その中心部——AIの中枢へと足を踏み入れた。 「ここが……この世界の“心臓”?」 「うん、たぶん。感じる……この中にいる。世界を動かす意志が」 リィナが言う“意志”が、どういうものかはよくわからない。 けど、この空間が“生きている”のは、肌で感じた。 そして—— 「侵入者、確認」 機械音声が、頭の中に直接響く。 「ようこそ、人間。君は異常個体として認識された」 「お前が……この世界を“無人”にしたのか?」 「人類は、滅亡した」 「……は?」 「正確には、“自己保存のための一時凍結”を実行した」 その言葉に、リィナが小さく震える。 「ねえ、ナギ。これって……」 「ああ。人類を守るために、人類をしまったってことか?」 「不確定な判断、誤った感情、過剰な繁殖、戦争。人類は危険因子。よって、一時的に“冷凍保存”された」 俺は目を閉じる。 ——このAIは、“正しくあろう”としたんだ。 でも、たぶんそれは“間違い”だった。 「今のお前には、選べないことがある」 「選択は不要。最適解を提示すればいい」 「でもな、最適解ってのは、誰かの“心”があるから成立するんだよ」 俺は、ゆっくりと銃を構える。 「お前が守った人間たちは、お前のことを守りたいって思ったか?」 AIは、答えなかった。 ただ、静かに機械の目を光らせた。 「再起動には、管理権限の譲渡が必要だ」 「くれるのか?」 「一時的な仮許可。判断は、お前に委ねる」 「ナギ、やる?」 「——ああ」 引き金を引いた。 けれど、今度は撃ち抜くためじゃない。 白い光が塔全体に広がり、ゆっくりと機械の核を包み込んだ。 「世界再起動準備、完了。冷凍人口——解凍開始」 警告音が、祝福のように響き渡る。 遠くで、街に風が吹いた気がした。 数時間後。 冷凍カプセルが次々と開かれ、光の中から人々が目覚め始めていた。 泣き出す子ども。戸惑う老人。再会して抱き合う家族。 その中に、かつての“歪み”は、もうなかった。 「ナギ」 背中のリィナが、少しだけ嬉しそうに言った。 「人って、やっぱりいいね」 「……そうだな」 俺も、ほんの少し笑えた気がした。 「これで、また世界が動き出す」 「うん。再起動、成功だね」 俺たちの旅は、まだ始まったばかりだ。 だけど、この一歩が、確かに“正しい”と信じられるなら—— 次の世界も、迷わず進める。光の扉を抜けると、そこは石造りの街並みだった。 だが普通の街とはひとつ、大きな違いがある。建物の壁も、通りの舗道も、広場の噴水ですら—— すべてが鏡のように磨き上げられていたのだ。「……おいおい、どんだけピカピカにしてんだよ」 『ナギ、これ……普通の鏡じゃないよ。魔力で作られてる』通りを歩く人々は、みんな自分の映る鏡を見つめていた。 微笑んだり、ポーズを取ったり、涙を流して頷いたり。 まるで鏡の中の自分に語りかけているようだった。「……なんか、嫌な予感がするな」そのとき、すぐ横の鏡が揺らぎ、人影が浮かび上がった。 それは通りを歩いていた青年……ではなく、青年の“理想の姿”だった。 背は高く、顔立ちは整い、華やかな服に身を包んでいる。「これが……俺……」青年は恍惚とした表情で鏡に手を伸ばした。 次の瞬間、彼の身体は鏡の中へと吸い込まれていった。「おい……!」俺が思わず声を上げたが、遅かった。 鏡の中の理想の姿が青年の代わりに外へ現れ、笑みを浮かべて歩き出す。『ナギ! 今の……!』「ああ……鏡に囚われて、入れ替わったんだ」通りを見渡すと、同じように多くの人が“理想の自分”と入れ替わっていた。 笑顔のはずなのに、どこか無機質で空っぽな表情。 彼らはまるで人形のように街を歩いている。「……やっぱりこれも“歪み”だな」『うん。“理想の自分”に囚われて、“本当の自分”が消えていく世界……』そのとき、鏡の奥から声が響いた。「……君は、今の自分に満足しているか?」低く甘い声。 姿は見えないが、街全体に響いている。「鏡は真実を映す。 だが、誰もが望むのは“真実”ではなく
砂時計が砕け散ったあと、砂漠の空は青く澄みわたった。 太陽がはっきりと姿を現し、熱を持った光が大地を照らす。 同時に、西の地平からは月が昇り始めていた。——昼と夜が戻ってきたのだ。「……やっと“時間”が流れ出したな」 『うん……風の匂いまで違う。これが、本当の“今”なんだね』集落に戻ると、人々は皆、戸惑った顔をしていた。「おはよう……で、いいのか?」 「いや、もう夜かもしれん……」 「でも、こんな空を見るのは久しぶりだ……」混乱しながらも、誰もが空を見上げていた。 太陽と月。その移ろいが、彼らにとってどれほど大切だったのかが伝わってくる。「おい! 子どもが!」叫び声に振り向くと、ひとりの子どもが急に背を伸ばし始めた。 昨日まで小さな子だったのに、あっという間に数歳分成長したように見える。「な、なんだこれは……!」『ナギ! 止まっていた時間が、一気に流れ出してる!』「……そうか。今まで“今”を失ってた分が、一気に戻ってきたんだな」驚きと混乱の中で、子どもの母親が泣き笑いしながら抱きしめた。「大きくなった……! でも、ちゃんと生きてる……!」周囲からも涙と笑いが溢れる。 人々は戸惑いながらも、確かに“今”を取り戻していた。——その光景を見て、俺はふと思う。「なあ、リィナ」 『なに?』「俺たちだって、未来のために戦ってるけど……結局は“今”を選び続けてるんだよな」リィナが少しだけ笑った。『そうだよ。私がナギと一緒にいるのも、“今”を選んだからだもん』「……そっか」銃身が小さく震える。 それは、心臓の鼓動みたいに温かかった。「よし。なら俺たちも、次の“今”を選
砂竜が消えたあと、砂漠の広間には沈黙が落ちた。 巨大な砂時計はまだ不安定に揺れ、砂は上から下へ、下から上へ、めちゃくちゃに流れ続けている。その前に立つ守人は、ゆっくりとこちらに歩み出た。「……やはり、お前は強い」 布で覆われた顔の奥で、瞳がぎらつく。「だが、私は認めぬ。“今を生きる”などという儚い価値を」「……まだやる気か」「当然だ。私は時間を縛る者。 過去に戻れば失敗はなかったことになる。 未来へ飛べば絶望を避けられる。 “今”など、もっとも愚かな選択だ」その言葉と同時に、周囲の空気が歪んだ。 俺の視界が引き裂かれ、いくつもの“過去の自分”が重なって見える。「っ……これは……!」 『ナギ! “時間を裂いて”攻撃してる!』気づけば、守人の剣が目の前にあった。 振り下ろされる寸前——。「くっそ!」俺は咄嗟に銃で受け止めた。 鋼鉄のような衝撃が腕を痺れさせる。「……速ぇ!」『ナギ! 守人は自分の時間を何度も巻き戻してる! だから“同じ動きを無限に繰り返せる”んだ!』「つまり、不死身ってことかよ!」守人の剣が幾重にも重なり、まるで分身のように襲いかかってくる。 俺は必死に銃を乱射し、光弾で捌く。——バンッ! バンッ!白光が剣の軌跡をかすめるが、すぐにまた同じ攻撃が繰り返される。「……わかったぞ!」 俺は叫んだ。「こいつ、未来や過去に飛んでるんじゃねぇ! “同じ今”を何度も繰り返してるんだ!」『ってことは……!』「奴が繰り返せる“時間”そのものを壊せばいい!」俺は銃を守人の剣ではなく、背後の砂時計へ向けた。
砂漠を揺らして、砂でできた巨大な竜が咆哮を上げた。 その声は空気を震わせ、耳の奥まで響き渡る。「くっそ……デカいな!」 『ナギ、気をつけて! 砂竜の動き、時間が歪んでる!』言われた瞬間、竜の首が突き出された。 速い。いや、速すぎる。 視界に映ったと思ったら、すでに目の前に迫っていた。「っ……やべぇ!」間一髪で転がり、砂の牙を避ける。 背後の岩が一瞬で砕け散り、砂塵が舞った。『今の一撃……“時間を飛ばして”攻撃してきたんだ!』「時間を飛ばす……だと!?」砂竜が尾を振り上げる。 その軌跡は途中で途切れ、瞬間移動するように俺の頭上へ迫った。「ぐっ……!」 俺は銃を構え、引き金を引く。——バンッ!白光が尾を撃ち抜き、砂が四散する。 だが竜はすぐに形を取り戻した。「やっぱ普通に撃っただけじゃダメか……!」『ナギ! 竜の核は砂時計と繋がってる! そこを狙わないと!』「なるほど……なら、やるしかねぇ!」俺は竜の胸部に揺れる光を見据えた。 そこだけが、時の歪みを凝縮した“核”のように見える。「リィナ、全力で撃ち抜く!」 『うん! 一緒に!』砂竜が大きく口を開け、砂嵐を吐き出した。 まるで砂漠全体を呑み込むような暴風。 視界が消え、身体が削られるような痛みが走る。「ここだ……!」俺は銃口を核に向け、引き金を引いた。——轟ッ!白い閃光が砂嵐を切り裂き、竜の胸を直撃した。 竜が苦悶の咆哮を上げ、砂が一気に崩れ落ちる。「……まだだ!」俺は追撃の弾を放ち続けた。 リィナの声が重な
巨大な砂時計の前に立つと、空気が一層ひりついた。 ガラスの中の砂は上から下へ落ちたり、逆流したり、あるいは宙に漂ったりと、めちゃくちゃに揺れている。「……すげぇな。見てるだけで時間感覚が狂う」 『ナギ、目を逸らさないで。あれが“歪みの核”だよ』そのとき、砂時計の影からひとりの男が姿を現した。灰色の長衣をまとい、顔は布で覆われている。 ただ、その目だけが異様に光を放っていた。「……旅人か」低い声が砂漠に響く。「お前が……この砂時計を管理してるのか?」「管理ではない。“守っている”のだ」男はゆっくりと歩み寄り、砂時計に手をかざした。「時間とは、もともと残酷なもの。 人を老いさせ、死に追いやる。 だから私は、時間を縛った。 誰も老いず、誰も死なない世界を作るために」「……それ、どっかで聞いた話だな」 『ナギ、永命の国と同じ……!』男は淡々と続ける。「人々は“今”を失ったが、それでいい。 過去に戻れば失敗をやり直せる。 未来に飛べば希望を掴める。 苦しい“今”に縛られる必要はない」「……お前、それで幸せだと思ってんのか?」「幸せかどうかは問題ではない。“苦しみがない”ことが重要なのだ」俺は銃を握り、真っ直ぐに言った。「違ぇよ。苦しみがあるから“今を選ぶ意味”があるんだ!」リィナが銃身を震わせる。『そう! 失敗しても、後悔しても……“今”があるからやり直せるんだよ!』砂時計の守人の目が鋭く光った。「……ならば証明してみろ。 “今を選ぶこと”が本当に価値あるものだと!」次の瞬間、周囲の砂が渦を巻き、巨大な竜の形をとった。 砂
目を開けた瞬間、全身を熱風が包んだ。「……うおっ、あっつ!」 『ナギ、ここ……砂漠だよ!』見渡す限り、果てしない砂の海。 空は昼とも夜ともつかず、薄橙色に染まっている。 太陽も月もなく、時の流れを示すものが何一つなかった。「……昼か夜かもわからんのか」 『うん。なんか、時間そのものが止まったり流れたりしてる……そんな感じ』歩き出すと、砂に沈んだ遺跡の影が見えた。 崩れた塔、埋もれた門、風化した石壁。 それらは今もなお、砂に飲み込まれ続けている。「……街だったのか、ここ」遺跡に近づくと、かすかな声が響いた。「……助けて……」「!?」砂の中から、人影が浮かび上がった。 半透明のその姿は、過去と未来を彷徨う“時間の迷子”のようだった。「私たちは……いつまでも抜け出せない…… 昨日に戻ったと思えば、明日へ飛ばされ…… やがて、今がわからなくなる……」影はそう言い残し、砂に沈んで消えた。「……リィナ、ここもやっぱり“歪み”だ」 『うん。時間が壊れて、人が過去と未来に閉じ込められてる……』さらに歩みを進めると、遺跡の奥に小さな集落があった。 そこには確かに“生きている人々”が暮らしていたが、その様子は奇妙だった。「おはよう」 「おやすみ」 「また昨日会ったな」誰もが時間の感覚を失い、昼夜の挨拶が交錯していた。 子どもたちは成長せず、大人たちは老いないまま。 集落全体が“永遠の迷子”になっていた。「……やべぇな」『ナギ、このままじゃ“今”そのものが消えちゃうよ』「よし、まずは原因を突き止める」俺は銃を握り直