LOGIN車椅子に座っていても、彼が持つただならぬオーラを隠しきれないでいた。こうして、彼のような重鎮の登場によって、ただでさえ重苦しい会議室の雰囲気が、一瞬にしてさらに険しくなった。一方、美雨は、安人と桜の関係を知らなかった。彼女はこの映画の脚本家だが、浩平と仕事をするのは初めてだ。確かに、浩平は彼女の才能と物語を高く評価したが、プライベートでの接点はこれまでほとんどなかった。そのため、この会議室で、安人が桜のために来たと知らないのは、彼女だけだった。安人は映画のメインスポンサーだ。だから事情を知らない美雨は、彼を見て、誰かの責任を問い詰めにきたのだと無意識に考えた。すると、彼女は俯いて、どうやって全ての責任を桜に押し付けようかと、ひそかに算段を立てていた…………浩平もまた、安人が直接出向いてくるとは思っていなかった。以前の安人は、もっと慎重だったはずだ。桜が交際を公表したがらなかったので、彼はいつも彼女に合わせていた。あの碓氷家の跡取りで、財界のトップに君臨する碓氷グループのトップが、愛のため、名前もない、公にできない恋人であることに甘んじているなんて。それで浩平はあの碓氷家にも、一途で純真な恋愛に溺れるような人間がいるもんだと、プライベートではよく誠也をからかったものだ。それに、桜は今がまさにキャリアの正念場だ。だから、この秘密の関係は2、3年は続くだろうと思っていた。現に、今交際を公にするのは確かに適切ではないからだ。しかし、今日のこの様子では、安人はもう隠すつもりはないようだ。でも昨夜の出来事を思い返せば、浩平には安人の気持ちがすぐに理解できた。桜は、もう少しで命を落とすところだったんだ。安人が顔を出すのを我慢している方が、むしろあり得ないだろう。そう思って、浩平は安人を見つめた。「桜の容態は?」安人は美雨にちらりと目をやり、浩平に向き直った。「まだ危険な状態だ」浩平はきょとんとした。「そんなにひどいのか?」「溺れたことだけが原因じゃない。医者の話では、一番の問題は彼女の心の問題らしい」それを聞いて、浩平はすぐに心理カウンセラーの清美の方を見た。「藤川先生、どういうことですか?桜は問題ないと言っていたじゃないですか?」途端に清美も顔をこわばらせ、慌てて説明した。「この役は役者の心理的
安人が撮影班に戻る道中、ネットではすでに桜が飛び降り自殺を図ったというデマが広まっていた。輝星エンターテイメントもすぐに手を打った。しかし、桜の人気はあまりに高く、いくら事務所が素早く動いても、情報を完全に抑え込むことはできなかった。メディアは注目を集めようと、ここぞとばかりに桜の話題性を利用した。噂はたちまち炎上し、面白がって中には桜のツイッターに、本人からの説明を求めるコメントを残す者までいた。ファンたちはすぐに彼女のために発言をした。しかし、メディアが意図的に話を煽り、桜本人も沈黙を続けたため、事態は悪化する一方だった。わずか半日で、#桜、飛び降り自殺、#桜、生死不明といったデマがトレンドの上位を占めるようになった。道中、安人は綾からの電話を受けた。今回の件は、碓氷家の注目をも惹きつけた。悠翔でさえ、安人に何通もラインを送ってきていた。安人は、桜がすでに危険な状態を脱したことを伝え、家族を安心させた。自分が来たからには、もう桜を傷つけさせないつもりだから。桜を陥れた奴らは、自分がこの手で片付けてやる。昨夜、浩平はすぐに、桜が海に落ちたという情報を絶対に外部に漏らさないよう指示したはずだった。撮影班のスタッフは皆、長年浩平と共に仕事をしてきた仲間だ。だから浩平の指示には、いつも絶対服従だった。つまり、情報を漏らしたのは昨夜の救助に協力してくれた地元の人たちの可能性がある。だが、当時その場にいた地元の人たちは、素朴で正直な人ばかりだ。昨夜、浩平が口止めすると、彼らはすぐに「絶対に誰にも言わない」と約束してくれた。町の人たちは、誰もが映画が無事に完成し、公開されることを心待ちにしている。町の観光を盛り上げる絶好の機会だからだ。だから、彼らはそれを台無しにするような馬鹿な真似はしないだろう。となると、誰が情報を漏らしたのか、その答えはもう明らかだ。安人は窓の外を見つめた。その漆黒な瞳は、氷のように冷たかった。……この時、撮影班の会議室には、浩平と朋花、そして美雨と清美が集まっていた。4人は会議テーブルを囲んで座っており、室内は重苦しい空気に包まれていた。ネットでの炎上は収まらず、映画もクランクインから1ヶ月でこんな事件が起きた。プロデューサーやスポンサーにも、何らかの説明が必要だ。美雨
「君のせいじゃない」安人は桜を見つめ、複雑な表情で言った。「これは事故だが、100%事故とも言い切れない」寧々はきょとんとして彼を見た。「あ、あの……どういう意味ですか?もしかして、桜が溺れたのは、誰かの仕業だってことですか?」「この件は俺がちゃんと始末をつけてくる。今は何も聞くな、何も言うな。もしここ数日、誰かに桜のことを聞かれても、とぼけて黙っててくれ」寧々は理由は分からなかったが、安人がそう言うからには何か考えがあるのだろうと思った。「では、私は先に入院手続きをしてきます。それから、あなたも濡れた服を着替えないとですね。着替えはお持ちですか?」「急いで来たから、用意してない」寧々は尋ねた。「でしたら、あとで町のお店で一式買ってきましょうか?」安人は自分の姿を見下ろした。服はびしょ濡れで体に張りつき、しかも海水なのでベタベタして気持ち悪い。夜が明けたら新太が荷物を届けてくれることになっているが、到着するのは早くても午後になるだろう。それまで濡れたままでいるわけにもいかなかった。少し考えた後、安人は寧々を見て言った。「夏帆に買いに行かせてくれ」「夏帆に?」寧々はわけが分からなかった。「ああ、彼女は新太と親しいから、何を買えばいいか教えてもらえるだろう」寧々は少し鈍いところがあった。ここまで言われてもまだピンと来ておらず、ただぽかんとしながら頷いた。「分かりました。すぐに戻って夏帆に伝えます」それから、寧々が病室を出ていくのを見届けて、安人はナースコールを押した。すぐに看護師がドアを開けて入ってきた。「どうかなさいましたか?」安人は看護師を見て、淡々と言った。「足の裏を何か鋭いもので切ってしまった。悪いが、手当てをしてくれないか」看護師は驚いた。「足の裏ですか?何で切ったんですか?」「よく分からない。多分海の中で傷ついたんだろう」「でしたら、救急外来で診てもらった方がいいですよ」「彼女を一人にしておけない」そう言われ、看護師は安人をじっと見た。男は驚くほど顔立ちが整っており、全身ずぶ濡れでも、その威圧感のあるオーラは隠しきれないでいた。看護師は少し考えて言った。「でしたら、こちらから救急外来に連絡して、当直の先生にこちらに来てもらって手当をしてもらいましょうか。それでよろしいです
「ザブンッ」という音を立てて、男の大きな体が勢いよく海へ飛び込んだ。その後ろから、寧々と夏帆が地元の人を何人か連れて、慌てて駆け寄ってきた。地元の人たちは皆泳ぎが得意で、安人が救助のために海へ飛び込むのを見ると、すぐさま服と靴を脱いで後を追った。荒れ狂う波の中、誰かが叫んだ。「満ち潮だぞ!みんな気をつけろ!」真っ暗な海はうねりを増し、波が次々と高く押し寄せる。泳ぎの達者な地元の人たちでさえ、前に進むのがやっとだった。安人が真っ先に海へ飛び込んだが、今や桜どころか、安人の姿さえも見失ってしまっていた。寧々は真っ暗な海を見つめて、完全に我を忘れて叫んだ。「桜さん!あれは桜さんなの?ううっ」そう泣きながら、後を追って海に入ろうとする寧々を、夏帆が引き留めた。「落ち着いて!碓氷さんが絶対に桜さんを助けてくれるから!」引き止められて、寧々は砂浜にへたり込み、ただただ大声で泣き続けるしかなかった。「桜さんは泳げないのよ!今日の海に落ちるシーンは、スタントを使えばいいって何度も言ったのに!彼女が頑なに聞こうとしないんだから。あなたたちまで彼女の言いなりになるなんて!あの子、小さい頃に溺れたことがあって、本当は水が怖いのよ!このままじゃ彼女死んじゃう……本当に死んじゃうわ!」そんな泣き叫んでパニックになる寧々を、夏帆は強張った表情で抱きしめた。しかし、どんな慰めの言葉も、この状況では虚しく響くだけだった。彼女は真っ暗な海を見つめ、桜の無事を祈ることしかできなかった。浩平と朋花が人を連れて浜辺に駆けつけた、その時。海の方から、ついに地元の人たちの叫び声が聞こえてきた。「見つけたぞ!はやく、こっちに来て手を貸してくれ!」寧々はピタリと泣き止み、よろよろと立ち上がった。「桜さんが見つかった!見つかったのね……」数人の地元の人に手伝われながら、安人は桜を抱いて砂浜に戻ってきた。でも、桜は意識がなく、壊れた人形のようにぐったりと動かなかった。安人は彼女を砂の上にそっと横たわらせると、震える手で彼女の頬を叩いた。「桜?桜、目を覚ませ!」だが、桜は、ぴくりともしなかった。安人は濡れた顔を腕で拭うと、息を深く吸い込み、無理やり自分を落ち着かせた。そしてすぐさま、彼は桜に心臓マッサージと人工呼吸を始めた。寧々
トラちゃんは彼の足元に歩み寄り、まん丸な頭をズボンの裾にすり寄せた。安人は身をかがめてトラちゃんを抱き上げ、そのままソファに座った。静寂に包まれた部屋の中で、彼はぽつりと一人で猫を抱えていた。トラちゃんは彼の膝の上でおとなしく丸くなり、ゴロゴロと喉を鳴らした。安人はトラちゃんを見つめ、大きな手でその毛を優しく撫でた。「桜に会いたいか?」トラちゃんは「にゃーん」と鳴いて、まるで「会いたい」と答えているかのようだった。安人は自嘲気味に口元を歪めた。「彼女は俺なんかより、お前のほうがよっぽど好きみたいだしな」トラちゃんの耳がぴくりと動き、顔を上げた。そして、まん丸な瞳で安人をじっと見つめた。その目はまるで「何を馬鹿なことを言ってるんだ?」とでも言いたげだった。安人はトラちゃんには構わず、ソファに深くもたれかかり、ゆっくりと目を閉じた。トラちゃんはしばらく彼を見つめていた。でも、彼の考えていることが分からないと諦めたのか、再び膝の上で丸まって目を閉じ、喉を鳴らし始めた。長い夜だった。安人はトラちゃんを抱いたまま、桜の家のソファで朝を迎えた。それから1週間、彼はほとんど毎晩眠れずにいた。眠るために酒を飲んでみたが、それでもぐっすり眠ることはできなかった。たとえ眠りについても、夜中に悪夢を見て飛び起きてしまうのだ。ついには、桜が海に落ちる夢まで見た。必死に海へ飛び込んで彼女を掴もうとするが、間に合わない。桜は目の前で、ゆっくりと漆黒の深海へと沈んでいく……そんな悪夢が続き、再び驚いて飛び起きると、安人はもう居ても立っても居られなくなった。そうだ、浦豊町へ行こう。桜の邪魔はしない。ただ、そっと彼女の姿を見て、無事を確認するだけでいい。そうすればきっと安心できるはずだ。……それから、安人がM市に到着したときには深夜2時を回っていた。今回は突然、衝動的に来てしまったので、荷物はなにもない。持っているのはスマホとパスポートだけだった。新太は同行していないが、事前に送迎の車を手配してくれていた。空港から浦豊町までは1時間ほどかかる。安人は、まず前回泊まったビジネスホテルに1泊して、次の日にでも撮影班の様子を見に行こうと考えていた。しかし、車が浦豊町に入ったちょうどその時、夏帆から電話がかかってきた。
片や、寧々は深夜3時に、はっと目を覚ました。嫌な夢を見たのだ。夢の中で、桜が海に落ちて死んでしまう夢だった。目が覚めても、寧々の胸のドキドキはまだおさまらなかった。考えた末、やっぱり桜の様子を見に行った方がいいと思った。寧々が身を起こすと、隣で寝ていた夏帆も目を覚ました。「どうしたの?」「なんでもない。桜さんの様子を見てくるだけ」夏帆に声をかけられた寧々はスリッパを履くと、ドアを開けに行った。だが、部屋を出たとたん、玄関のドアが大きく開けっぱなしになっているのが目に飛び込んできた。ドキッとして、寧々が桜の部屋に目を向けた。部屋のドアは全開で、中は真っ暗だった。嫌な予感に駆られ、寧々は部屋に駆け込んで明かりをつけた――すると、部屋には誰もいなかった。ベッドの足元には、桜のピンクのキャラクター物のスリッパが揃えて置いてあるだけだった。だけど、桜はどこにもいない。「桜さん?桜さん、どこにいるのよ!」最後の望みをかけて、寧々はバスルームに駆け込んだ。でも、桜はそこにはいなかった。一体どこへ行ったんだろう?物音を聞きつけた夏帆が隣の部屋から駆けつけ、辺りを見回して彼女はすぐに状況を察した。「手分けして探そう!」夏帆はスマホを取り出して言った。「あなたは岡本さんと我妻監督のところへ行って。私は碓氷さんに電話するから」「でも、桜さんは碓氷さんに迷惑かけちゃダメだって」「今、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」夏帆は寧々の言葉を遮り、真剣な顔で言った。「本当に取り返しがつかなくなってから、碓氷さんに知らせるつもりなの?」寧々は夏帆をぼうっと見つめたまま、たちまち涙をこぼした。「わ、わかった。今すぐ岡本さんと我妻監督を探しに行く!」「桜さんは裸足だから、きっとそんなに遠くには行ってないはず。我妻監督に、藤川先生も連れてきてもらうよう頼んで!」と夏帆は付け加えた。「うん!」こうして、寧々と夏帆は二手に分かれて行動した。その間、夏帆は安人の番号に電話をかけた。こんな時間だから、夏帆も安人がすぐに出るとは思っていなかったが、電話はすぐに繋がった。そして、電話がつながるなり、夏帆は単刀直入に切り出した。「碓氷さん、桜さんがいなくなりました!」……時間は1週間前の深夜
安人は頷いた。綾はもう一度しゃがみ込み、優しく微笑みながら言った。「安人くんの声はとっても可愛いね。もう一度聞かせてくれるかな?」安人は口を開き、ゆっくりと話した。「うん」「偉いね!」綾は彼の頭を撫でて、優希の方を見た。「優希、安人くんと遊んでおいで」「うん!」優希はすぐに安人の手を引いて、リビングへと楽しそうに走り出した。安人は喜んで優希の後をついて行った。優希は自分のオモチャ箱を持ってきて、中のおもちゃを全部出して見せた。「安人くん、このおもちゃの中から好きなのを一個選んでいいよ。どれでも好きなのをプレゼントするから。でも、一個だけだよ」子供たちは自分たちで
豪雨のため、飛行機の出発が遅れていた。綾はファーストクラスを予約していたから、特別待合室で待機していた。待ち時間に、彼女は近くの週刊誌を手に取ってパラパラとめくり始めた。その時、黒い革靴が彼女の目の前で止まった。綾は不思議に思い、顔を上げると誠也の沈んだ瞳と目が合った。彼女は唇を閉じ、無意識に眉をひそめた。「星城市に行くのか?」彼は薄い唇を上げた。その言葉を聞いて、綾は何となく嫌な予感がした。「当たったようだな。俺も星城市に行く」誠也は低い声で言った。綾は黙り込んだ。誠也は彼女の隣の席を一瞥し、堂々と座った。「文化庁のプロモーションビデオ撮影に参加す
新年の午前1時過ぎ、悠人は救急処置室に運ばれた。診察した医師は、深刻な顔で言った。「傷が深いです。骨に達しているかもしれません」綾は救急処置室の前で、険しい顔で電話をかける誠也を見ていた。彼の目に、動揺と焦りが浮かんでいるのが、綾にはよく分かった。こんなことになるなんて、綾は思ってもみなかった。確かに誠也に憎しみは感じていたが、悠人を傷つけたいと思ったことは一度もなかった。5年間、悠人の面倒を見てきて、風邪を引いたり熱を出したりすることはあったが、大きな怪我をしたことはほとんどなかった。悠人が生まれてから、これほどの大怪我をしたのは初めてだったので、綾は心を痛めてい
「それ、本気で言ってるの?」「うん。哲也個人のことは置いといて、栄光グループっていう会社のイメージで考えてみてよ。もし事前に話が通ってなかったら、あそこの広報部がすぐ動くはず。あんなスキャンダルが出るわけないし、こんなに早く広まるのもおかしい」「てことは......」梓は一瞬言葉を飲み込んでから言った。「あのスキャンダルって、新井社長がわざとメディアに流させたってこと?」「うん」「だとしたら、もっとおかしいじゃない!」梓は眉をひそめた。「新井社長には、あなたっていう彼女がいるのよ。なのにあんなスキャンダルを放っておくなんて、彼女としてあんまりじゃない!」「梓、そんなに気にし







