LOGINすると、桜に電話をかけてきたのは、やはり輝星エンターテイメントが手配した新しいマネージャーの岡本朋花(おかもと ともか)だった。朋花の話によると、明日は会社に来て、新しいチームのメンバーと顔合わせをしてほしいらしい。ついでに今後の芸能活動について、詳しく計画を立てるための会議もするそうだ。通話はすぐに終わった。電話を切ると、桜は安人がずっと入り口に立っていたことに気づいた。桜が顔を上げて安人と目が合うと、彼の方から先に口を開いた。「新しいマネージャーからの電話か?」「うん」桜は頷いた。「明日、輝星エンターテイメントで会議を行うそうです」安人は眉を上げた。「いいことじゃないか?どうして、そんな浮かない顔をしているんだ?」「嬉しくないわけじゃないんですけど、ただ……」桜は小さくため息をついた。「なんていうか、ちょっと戸惑っているのかもしれません。ずっとのんびりしていたので、急に仕事の話が来て、緊張しています」それを聞いて、安人がクスっと笑うと、「こっちへ」と言った。桜はキッチンを出て、安人についてベランダへ向かった。そこはベランダというより、まるでオープンテラスのようにレイアウトされていた。二人はそこで並んで立ち、眼下に広がる街の夜景を見下ろした。桜の部屋も安人と同じ間取りだけど、ベランダのレイアウトは全く異なっていた。彼女は植物を育てるのが好きだから、いくつかの植物は置いてはあるものの、ただ、ズボラな性格のせいで、今も生き残っている鉢植えはほんのわずかだけだった。一方、安人のバルコニーはとてもシンプルだ。ティーテーブルセットと本棚、それから桜には誰だか分からない外国人の彫像が一つ置いてあるだけ……とにかく、同じ間取りなのに、部屋の雰囲気は正反対だ。片や、デキる社長の部屋みたいなミニマリストスタイルで、片や、いろんなテイストが混ざったガーリースタイル……それを見て桜は今夜帰ったら、寧々と一緒に部屋の片付けでもしようと決めたのだった。「また何か考えているのか?」桜が考え込んでいると、頭上から、男の低い声が聞こえてきた。桜は少し顎を上げて、横を向いて彼を見た。すると、安人も視線を落とし、ぽかんとしている桜の顔を見て言った。「明日、会社に行って新しい会社とどう交渉するか、考えていたのか?」桜は
……それからダイニングテーブルでは、安人と桜が向かい合って座った。二人は黙々と、食事を進め、テーブルの真ん中には、美味しそうな鍋が置かれているのだった。桜は時々、ちらちらと安人の方を見たが、安人の食べ方は上品で優雅だった。ごく普通の食事のはずなのに、彼が食べるとまるで高級レストランの料理のように見えた。すると桜は、またうっとりと見惚れてしまっていた……向かいの彼女がしばらく動かないのに気づいて、安人はふと手を止め、顔を上げると、向かい側で桜が箸を手に固まっていて、自分のことを見てはいるけど、心はどこか上の空のように見えた。「桜さん」返事がない。安人は口の端を少し上げて、もう一回呼んだ。「桜さん」「え?」桜はその呼びかけにはっと我に返った。安人と目が合うと、急に気まずくなってどもってしまうのだった。「な、なんでしょう?」「早く食べないと。冷めたら美味しくないぞ」と安人はさらに優しく声をかけた。「あ、はい!今すぐ食べます!」桜は慌ててうつむくと、ご飯を口に運んだ。一方、安人は最後に鍋のスープを数口飲むと、箸を置いた。彼はティッシュを数枚取って口元を拭うと、桜に言った。「君の友達、料理が上手なんだな」「ええ、あの子は料理の才能があるんですよ!」桜は答えた。「実はこの前まで、一緒に地元に帰ってお店を開こうかって話もしていたくらいです」「この前まで?」「はい、でももうそのつもりはありません!」桜はにこっと笑った。「前の会社との契約を解除して、新しく輝星エンターテイメントと契約したんです!輝星エンターテイメントなら、ご存じですよね?」「……ああ、知っている」「そこは芸能界で唯一『堅実』だと名を知られている会社なんです!」輝星エンターテイメントの話になると、桜は瞳を輝かせた。「新井先生が紹介してくださったんです!」「そうか」安人はかすかに微笑んだ。「この様子だと彼女も、君のことが気に入ったみたいだな」「はい、彼女はすっごく綺麗な方で、あんなに優秀なのに全然偉そうにしていないんです。会う前は、もっとクールな人だと思ってたんですけど。でも実際に話してみたら、すごく気さくで、この前送ってくれた時なんて、優希さんって呼んでいいよって言ってくれたんです!」それを聞いて安人は言った。「彼女は君より
そして桜は安人をじっと見つめたまま、整った小さな顔には様々な感情が浮かんでいるのだった。その美しい瞳もまたキラキラと輝き、生き生きとしていて、人の心を惹きつけていた。一方そんなあたふたしている桜を見た安人は深い眼差しを向けながら、小さく喉を鳴らし、「鍋、熱かったら無理しないで」と言った。その言葉で、桜は自分がどれだけ危なっかしいことをしたかにようやく気づいた。彼女は思わず顔がカッと赤くなり、うつむいてか細い声で、「ありがとうございます」と言った。そして、安人は彼女から手を離し、自らコンロの前に立って言った。「俺がやる」すると、桜は、安人がシャツの袖をまくり、落ち着いた様子で鍋掴みを持って鍋を持ち上げるのを見ていた。その堂々とした様子は、まるで料理に慣れているみたいだった。桜は思わず気になって尋ねた。「碓氷さん、普段から料理するんですか?」「いや、したことない」彼はちらりと桜を見た。「でも、鍋を運ぶくらいの技術なんていらないだろ?」「は、はい……いらないです」そう言って、安人がすっと鍋を持ち上げ、横のトレイに乗せると取り分けのお皿を次々と用意していった。その動作は至って落ち着いていて、いとも簡単そうにこなしているのだった。それを見ていると、桜は、顔がまた熱くなるのを感じた。うん、自分が不器用なだけだ。一方、安人が一通り準備を整えると、桜の方に振り返って言った。「もうこれでいいかな?」桜はなんだかおかしくなって、彼を見ながら言った。「あなたが食べるのに、どうして私に聞くんですか?」「君は食べないのか?」「え?」桜は一瞬ためらった。「もしかして、私もここで食べていいってことですか?」「ああ」安人は尋ねた。「夕食はまだなんだろ?」桜は首を横に振った。「まだです」「じゃあ一緒に食べよう」安人は言った。「他に準備するものはあるか?」「……はい、あと炊き込みご飯があります」「じゃあ、それも温めてくれ」「はい!」桜はそう言ってキャラクターもののスリッパで、楽しそうに冷蔵庫へ向かった。すると、背後から再び男の低い声が聞こえてきた。「冷蔵庫のジュース、好きなのを飲んでいいぞ」「あ、はい」桜はずらりと並んだジュースに目をやった。ぶどうジュース、いちごジュース、マンゴージュース、オレンジジュ
安人を本気で好きになってから、真帆はもう1年以上も年下の男の子と遊んでいなかった。今思えば、自分もとっくに本気だったと気づいていたのかもしれない。でも残念ながら、その想いは届かなかったみたい。先週も父に、安人との関係はどうなっているのかと聞かれたばかりだったのに。これはもう、父にはっきり話すしかないみたいね。それにしても、安人が桜を選んだことは、やっぱり真帆にとって大きなショックだった。桜は確かに綺麗で、年も23歳と若い。でも彼女はスキャンダルだらけの見掛け倒しのタレントじゃないか。そんな女を安人が選ぶなんて、真帆は自分がこんな形で負けたのが悔しくてたまらなかった。もしかして、彼らみたいにいつも人の上に立っているような男は、みんな若い子がいいのかしら。そう思って真帆はカウンター席に座り、片手で頬杖をつきながら、もう片方の手でグラスを弄びつつ、うっすらと唇の端を上げた。自分はもう若くない。年が明けたら、もう31歳だ。このまま結婚しなかったら、紫藤家の跡継ぎだって産めるかどうかわからない。真帆はグラスの中の液体を見つめ、ふっと笑みを漏らすと、独り言を呟いた。「跡継ぎって、男でも女でも同じなのね。お家のために子供を産まなきゃいけないプレッシャーって……」「紫藤社長?」すると、すぐ隣から、低く落ち着いた声が聞こえた。真帆が横を向くと、裕貴の穏やかな眼差しと視線が合った。「あなたは……」真帆は眉をひそめた。「知らない顔ね……」顔は悪くないけど。もしかして、新しく入ったホスト?「あなたは、いくつ?」真帆は裕貴に尋ねた。裕貴はなぜ急に歳を聞かれたのかわからなかったが、正直に答えた。「31歳です」「え?」真帆は驚き、いつもはクールな顔に何とも言えない表情を浮かべた。くるりと向きを変えると、真帆はグラスを片手にバーテンダーへ文句を言った。「この店も手を抜くようになったわね。今どき25歳より上の男を雇うなんて。私たち客の気持ち、考えてる?」バーテンダーは疑問に思った。「彼のことよ……」真帆はグラスを置くと、細く白い指で裕貴の整った顔を指した。そして公平に評価するように言った。「顔はハンサムだし、メガネをかけてて真面目そうに見えるけど、31歳よ……」そこまで言うと、真帆はくすりと笑った。裕貴を指してい
そして、28階で、桜はインターホンを鳴らした。しばらくすると、ドアが開いた。「碓……」そう呼びかけた言葉の続きは、真帆の顔を見て、喉の奥に引っ込んだ。スーツ姿の真帆は、いかにも仕事のできそうなクールな女性だった。彼女は桜を見ると、いつもは冷静な目に、一瞬だけ驚きの色が浮かんだ。こうして、二人の女性は、ドアを挟んで見つめ合った。そこには、少し気まずい空気が流れていた。桜は、自分が今、安人の契約上の彼女だということを忘れてはいなかった。そして、目の前の真帆にこそこの関係を見せつけないといけないのだ。どう振る舞うべきかを彼女が考えていると、安人の声がした。「指紋、登録しただろ?」そう言って近づいてきた安人は、ドアの外にいる桜を見ると、いつも通りの様子で続けた。「言い忘れてたけど、紫藤社長がプロジェクトの詳細な打ち合わせで来てるんだ」桜は安人に向かって、にこっと可愛らしく笑った。「そうですか。じゃあ私のことは気にしないで、お二人は仕事に専念してください!」安人は彼女を見つめて言った。「もうできたのか?」桜がうなずき、持ってきた容器を渡そうとしたとき、安人が言った。「ちょうどいい。中に入って食事の支度をしてくれ。紫藤社長との話も、もうすぐ終わるから」その言葉を聞いて、桜はすぐに彼の意図を察した。さっと家の中に入ると、容器を下駄箱の上に置き、扉を開けてピンクのキャラクターもののスリッパに履き替えた。その一連の動きはとてもスムーズで、まるで何度も繰り返してきたかのようだった。これは、二人が事前に打ち合わせていたことだった。恋人同士なのだから、家には彼女専用のスリッパが用意してあるのは当然だということだ。すると、案の定傍らに立っていた真帆は、桜の足元に目をやった。それはこの家の雰囲気にも、安人自身にもまったくそぐわないピンクのキャラクタースリッパ。それを見て、真帆はごくわずかに眉をひそめた。そして自分の足元に目をやると、ごく普通のアイボリーの来客用スリッパだった。この扱いの違いに、真帆は嫌な予感を覚えた。だから、桜が容器を抱えてキッチンに入っていくと、真帆は安人に向き直った。「あなたたち、付き合っているんですか?」すると安人は一瞬動きを止めたが、すぐに真帆に視線を向けて片眉を上げた。そしていつも
メッセージを送ると、安人はふと眉を上げた。そして、すぐにもう一通送ってきた――……一方、ベッドに寝転がっていた桜は、安人から送られてきたメッセージを見て、驚きのあまり飛び起きた。U・Y:【愛人として、スポンサーの俺に何かお礼とかないのかな?】お礼?どんなお礼?あれは、彰人と京子の前だけの話じゃなかったの?毎日暇している桜ちゃん:【碓氷さん、私……私、そういうのはちょっと……】U・Y:【……桜さん、何を考えてるんだ?前に手伝った時は、料理もあったのに。今回はパートナーになったから、もうお礼はないってこと?】桜は黙り込んだ。そっか、自分が変なこと考えちゃったんだ。そう思って明日、寧々にまた小料理を作ってもらうってラインしようとしたら、また安人からメッセージが来た。U・Y:【病気なんだから、早く休んで。元気になったら、今度は君の手作り料理が食べたいな】U・Y:【おやすみ】桜はこのメッセージを見て、また理由もなく胸が高鳴った。毎日暇している桜ちゃん:【はい、おやすみなさい】スマホを置いて、桜は胸に手を当てて目を閉じた。その夜、彼女は夢のなかでずっと安人のことを見ていた……それからの1週間、桜は家でゆっくり療養した。毎日、安人と何通かラインをやり取りして、ごく普通の日常会話を交わしていた。こうして、二人の距離は少しずつ縮まっていった。桜も普段はまだ「碓氷さん」と呼んでいたけど、話すときの彼女は、前よりもずっとリラックスできるようになった。それから、あっという間に2週間が過ぎた。桜と金吾の契約が正式に満了した。優希が自ら動いてくれたおかげで、解約手続きはスムーズに進んだ。証拠もしっかり集まっていたから、裁判が始まると金吾側の弁護士は全く歯が立たなかった。結局、違約金は40億円という法外な金額から、わずか76万円にまで減額された。賠償金を払うことには変わりはない。でも、40億円が76万円になったのだ。ここまで賠償金を減らせただけでも桜にとっては、もはや完全勝利と言えるのだ。裁判に勝つとすぐ、桃子から会社に呼ばれ、その日のうちに正式に契約を結ぶことになったのだった。新しい契約は、自由度の高いものだった。契約期間は5年間だ。契約が終わると、桜は桃子にまず家で休むように言われた。
綾も窓の外を見た。また雪が降ってきた。羽根のような雪が空から舞い落ちて積もっていたのだ。「雪が好きなの?」「お父さんと約束したんだ」安人の声は小さかった。「冬に雪が降ったら、一緒に雪だるまを作って、雪合戦をするって約束したんだ」綾はハッとした。「母さん」安人は綾の方を向いた。「お父さんはもう帰ってこないの?」綾は息子の真っ黒な瞳を見つめ、何と答えていいのか分からなかった。心臓がまるで大きな手に握りつぶされるようだった。安人は繊細な子だ。きっと、誠也がもういないことに気づいているのだろう。安人が言った。「お父さんが病気だってことは知ってる。海外でお金を稼ぐって
ドキュメンタリーのタイトルは、『ママだから』に決まった。ドキュメンタリー『ママだから』は、綾が編集作業の最終段階で、ショートドラマとして動画配信サービスで配信することを提案した。冒険的な決断ではあったが、低予算で制作できたため、監督も最終的には同意した。日曜日の夜8時、ショートドラマ『ママだから』の配信が、ついに開始された。一夜にして再生回数が急増し、社会的に大きな話題を呼んだ。ショートドラマの大ヒットは、莫大な利益だけでなく、大きな変化も巻き起こした。「パープルリボン運動」という社会団体が世間から大きな注目を集められるようになり、多くの母親たちが『ママだから』を通して
輝は背が高く、彼に支えられている男はやや痩せ気味に見えた。そして今、酔っ払った男は輝の肩にもたれかかり、泣きじゃくりながら「俺を愛してない、どうして愛してくれないんだ」と呟いていた。音々は眉を上げ、唇を尖らせ、口笛を吹いた――それを聞いた輝は歩みを止め、顔を上げた。目が合うと、輝は眉をひそめた。そして目の中には、夜の闇ですら隠しきれないほどの音々への嫌悪感が浮かんでいた。音々はそれを見て取ったが、全く動じなかった。彼女の視線は酔った男の顔から輝の顔へと移った。美しいアーチ眉を少し上げ、輝を見て、意味深な視線を送った。「岡崎先生、男にも女にもモテるんですね?」輝は
「誠也!」丈は我慢できずに彼に向かって怒鳴った。「まだ諦めるな!中島先生が言ってたじゃないか。S国で治療を受ければ、まだチャンスはあるって......」「わずか5%のチャンスだ」誠也は丈を見つめ、暗い瞳で言った。「低すぎる。丈、もう説得するのはやめてくれ。最後は、静かに過ごさせてほしい」丈は呆然と彼を見つめた。「静かに死にたい。もし最期が苦しいなら、S国で安楽死を申請する。清彦が葬儀の手配は全部してくれた。葬式はなしだ。火葬にして、灰は梨野川に撒いてほしい。綾の新居に近いから......」「誠也、黙れ!」丈は激しく怒鳴った。「バカなこと言うな。こっちのことが片付いたら、すぐ







