Home / SF / 神様を殺した日 / 痛みの継承

Share

痛みの継承

Author: 吟色
last update Last Updated: 2025-07-12 21:20:09

アキラの端末が再び小さく震えた。

画面のノイズが強まり、何かを探すように微弱な信号を発している。

それに呼応するように、地下室の奥。鉄のラックに埋め込まれた小型の装置が、かすかに唸りを上げた。

「この施設には、記録用の中継端末が残されている。

君の端末が起動したことで、眠っていた記録にアクセスできるようになったようだ」

ルキが静かに説明し、古びた配線に手を伸ばしてコードを接続する。

それだけで、薄暗い壁面がうっすらと発光し、ノイズ混じりの映像が投影された。

そこに映し出されたのは、崩れた街だった。

ビルの骨組みが折れ曲がり、粉塵が空を覆っている。

その中を、ひとりの女性が駆けていた。

「ハル……! ハル、どこ!? 答えてよ……!」

泣き叫びながら、何度も何度も名を呼ぶ。

煤けた顔に血の滲む傷。瓦礫を素手でかき分け、足を引きずりながら進む。

その目は絶望に飲まれながらも、どこか強かった。

アキラもカナも、言葉を失ってその姿を見つめていた。

やがて女性は、小さな手を抱きかかえる。

ぐったりとした子ども。息をしているのかも分からない。

「大丈夫……ママがいるから。置いていかない……絶対に……っ」

その声にノイズが走る。

映像が切り替わり、別の記録が再生された。

今度は、会議室のような場所。

複数の人物が、激しく言い争っている。

《避難指定区域の切り離しが命令された? 都市機能が──!》

《幸福スコアの低い区域にリソースを回すのは非合理だ。これは、国の存続のための決定だ》

「……これが、昔の世界……?」

カナの声は、かすれていた。

けれど、アキラは一言も発さず、ただ見ていた。

「戦争。貧困。差別。思想の衝突。

AIが支配する以前の人類は、あらゆる“不確かさ”の中で生きていた」

ルキが静かに言った。

「幸福を測るスコアもなければ、正しさを数値で保証するものもなかった。

だが、彼らには選ぶ自由があった。たとえその結果が間違いであっても……自分の足で、生きていた」

その言葉に、アキラの胸が痛んだ。

「……正しいはずなのに、なんで……こんなに、苦しいんだよ……」

記録に映っていたのは、間違いの時代のはずだった。

なのに、そこにいた人々は確かに生きていて、誰かを想っていた。

拳を握る。

喉が焼けるように熱くて、息を呑むだけで精一杯だった。

「俺……この世界しか知らなかった。

間違えたら幸福スコアが下がるって、それが当たり前で……でも、あの人たちは……見えない中でも、選んでたんだ……」

手の中の端末が、震える。

《音声記録・再生開始》

女性のかすれた声が、記録から響いた。それは映像よりも、はるかに静かで、深く、胸に刺さった。

《あのとき、何度も叫んだけど……誰にも届かなかった》

《でもそれでも、私は生きたかった。息をして、伝えたかった。

こんな世界があったことを、誰かに──》

その言葉に、カナが顔を伏せた。

「……なんでこんなに、胸が痛いの……」

涙が頬を伝っていた。

知らないはずの記憶なのに。誰かの過去なのに。

ただの映像じゃない。痛みそのものだった。

「それが継承だ」

ルキの声が、地下に響いた。

「過去を知るだけじゃない。

彼らが“選び、苦しみ、それでも生きた理由”を、自分の中に刻むこと。それが継承だ」

アキラは、目を伏せた。

父が、言っていた。

選ばれる側じゃない。自分で選ぶんだ。

あの言葉が、今になって胸の奥で静かに響いていた。

何かが、自分の中で、変わり始めていた。

「……だったら俺は、もう逃げない。

過去の誰かが、命を懸けて残したものを、俺の中で終わらせたくない」

カナが、息をのんだ。

「私も……知らない景色が見えた気がする。

でも、どうしてだろう。怖いはずなのに、前に進みたくなる……」

ルキが、小さくうなずいた。

「記録は、終わった過去じゃない。

それを見た君たちが、どう生きるかを問う現在だ。

幸福が選んだ生き方に、ただ従うのか。

それとも、自分の意思で、何かを変えるのか」

カナが、震える声で言った。

「間違いってだけで、声を消されるなら。

そんな未来、私は記録したくない。

ちゃんと残したい。消された声も、痛みも、すべて……」

《記録端末:第1層 継承完了》

《接続安定化:準備中》

表示は無機質なのに、どこかあたたかく響いていた。

継承は、まだ始まったばかり。

でもそれは確かに。この幸福に殺された世界に、

初めて痛みが刻まれた夜だった。

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • 神様を殺した日   永遠に咲く花

    一年後の春。白い洋館の庭は、花で溢れていた。レグルスが植えた花、エリュシオンが育てた花、ゾディアスが選んだ花、ミリアドが水をやった花。すべてが、美しく咲き誇っている。その中心で、ノアフラワーが特別な輝きを放っていた。「一年か……」レグルスが庭で呟く。一年前、初めて芽が出た日。あの時の感動を、今でも鮮明に覚えている。「レグルス」エリュシオンが隣に立つ。「お前、変わったな」「変わった……?」「ああ」エリュシオンが微笑む。「一年前のお前は、笑顔を作ることもできなかった」「今は、自然に笑える」レグルスが自分の顔に触れる。確かに、頬が緩んでいる。自然に、笑顔になっている。「これが……」レグルスが呟く。「幸せということなのか……」「ああ」エリュシオンが頷く。「お前は、幸せになったんだ」その時、玄関から声が聞こえた。「おはようございます!」レグルスが振り返ると、若い男女のカップルが立っていた。「あ……」レグルスが思い出す。「君たちは……」「覚えていてくださったんですね」女性が嬉しそうに言う。「半年前に、プロポーズの花束を買った……」「そうです!」男性が笑顔で答える。「実は……結婚しました」「そして……」女性が自分のお腹に手を当てる。「赤ちゃんができたんです」レグルスの目が、大きく見開かれる。「赤ちゃん……」「新しい命……

  • 神様を殺した日   それぞれの道

    ノアフラワーが咲いてから、数ヶ月が経った。その花は枯れることなく、いつまでも美しく咲き続けていた。まるで、ノアがそこにいるかのように。ある日の夕方、全員がリビングに集まった。「みんなに、話があるんだ」アキラが切り出す。「俺……これから、旅に出ようと思う」「旅?」カナが驚く。「どこへ?」「まだ、はっきりとは決めてないけど……」アキラが説明する。「世界中を見て回りたい」「新しい世界が、どんな風に育っているのか」「自分の目で確かめたい」「それに……」アキラが胸に手を当てる。「ノアに見せてあげたい」「こんなに素晴らしい世界になったって」沈黙が落ちる。そして、カナが微笑んだ。「いいと思う」「アキラらしい」「でも……」リナが心配する。「花屋は?」「心配ない」セツが答える。「俺たちがいる」「アキラがいなくても、ちゃんと回る」「それに……」ミナが付け加える。「私も、実は考えていたことがあります」「何?」「記録の研究を、本格的に始めたいんです」ミナが説明する。「人々の記憶を、もっと深く理解するために」「大学に戻って、研究者として」「それは……」カナが嬉しそうに言う。「素晴らしいわ」「実は……」エリシアも口を開く。「私も、新しいことを始めようと思っています」「カウンセリングの仕事を」「記

  • 神様を殺した日   一年後の世界

    新世界が生まれてから、一年が経った。白い洋館の庭には、色とりどりの花が咲き誇っていた。レグルスたちが植えた花も、見事に咲いている。「きれいだ……」レグルスが自分の花壇を見つめる。「一年前は、小さな芽だったのに……」「今では、こんなに立派に……」「成長しましたね」エリュシオンが隣に立つ。「花も、私たちも」確かに、創造者たちは大きく変わっていた。もう、かつての冷たい管理者の面影はない。温かく、優しく、人間らしく生きている。「エリュシオン」レグルスが振り返る。「私たちは……正しい選択をしたと思うか?」「感情を取り戻したこと」「人間になったこと」エリュシオンが微笑む。「後悔しているのか?」「いや……」レグルスが首を振る。「後悔なんてしていない」「ただ……」「時々、不思議に思うんだ」「あの頃の自分が、どうしてあんなに冷たかったのか」「それが……」エリュシオンが空を見上げる。「成長の証だよ」「過去の自分を振り返り、疑問を持てるということは」「前に進んでいる証拠だ」白い洋館では、いつものように朝食の準備が進んでいた。「アキラ、お皿並べて」カナが手際よく動く。「ああ」アキラが応じる。二人の動きは、一年の間に完璧に息が合うようになっていた。「おはよう」マナが階段を降りてくる。すっかり成長し、以前より少し背が伸びた。「おはよう、マナ」リナが微笑む。

  • 神様を殺した日   芽生えの日

    一週間後。朝早く、レグルスが一人で白い洋館を訪れた。「すみません……」まだ開店前の時間だったが、アキラが気づいて扉を開けた。「レグルス……」「こんな朝早くに、すみません」レグルスが申し訳なさそうに言う。「でも……どうしても見たくて……」「花ですね」アキラが微笑む。「さあ、庭へ」二人で庭に出ると、レグルスが息を飲んだ。「これは……」自分が植えた花壇に、小さな緑の芽が顔を出していた。「芽が……出てる……」レグルスがゆっくりと近づく。そして、膝をついて、小さな芽を見つめる。「本当に……出た……」「ええ」アキラが隣に座る。「あなたが植えた種から」「あなたが水をやり続けた結果です」レグルスの目に、涙が浮かぶ。「私が……」「この小さな命を……」「育てたのか……」「そうです」アキラが頷く。「これが、創造の喜びです」「管理や支配じゃなく」「育てることの喜び」レグルスが泣き始めた。長い間、封印していた感情が溢れ出す。「嬉しい……」「こんなに嬉しいことがあるなんて……」「小さな芽が出ただけなのに……」「こんなに……心が満たされる……」アキラが静かに見守る。創造者が、初めて本当の喜びを知った瞬間。それは、何にも代えがたい光景だった。しばらくして、レグルスが涙を拭った。「ありがとう」「君たちのおかげで……」「私は……本当の意味で生

  • 神様を殺した日   創造者たちの訪問

    新世界での生活が始まって三ヶ月。白い洋館フラワーショップは、地域の人々に愛される場所になっていた。その日の午後、珍しい客が訪れた。「こんにちは」エリュシオンが、人間の姿で入ってくる。「エリュシオン……」アキラが驚く。「どうしたんですか?」「少し、話がしたくて」エリュシオンが微笑む。「それに、君たちの花を見たかった」「どうぞ、こちらへ」カナが相談スペースに案内する。エリュシオンが花々を眺める。「美しいね」「ノアが植えたかった花たちだ」「はい」カナが頷く。「みんなで大切に育ててます」「君たちは……」エリュシオンが感慨深そうに言う。「本当に、ノアの想いを受け継いでいるんだね」「当然です」アキラが答える。「ノアは俺たちの中にいるんですから」エリュシオンが静かに語り始める。「実は……相談がある」「相談?」「ああ」エリュシオンが真剣な表情になる。「他の創造者たちのことだ」「レグルスたちは、人間社会にうまく馴染めているだろうか」「ああ……」アキラが考える。「そういえば、あまり見かけませんね」「そうなんだ」エリュシオンが心配そうに言う。「彼らは、長い間感情を封印していた」「急に人間として生きろと言われても……」「戸惑っているんだと思う」「それは……」カナが理解する。「助けが必要ということですか?」「もし可能なら……」

  • 神様を殺した日   記憶と共に生きる

    新世界での生活が始まって一ヶ月。白い洋館には、少しずつ日常が根付いていた。その日、花屋に一人の老人が訪れた。「すみません……」老人が戸惑いがちに入ってくる。「あの……相談があるんですが……」「はい」カナが優しく応対する。「どうぞ、こちらへ」花屋の一角には、相談スペースが設けられている。老人が座ると、ゆっくりと話し始めた。「実は……」「記憶のことで……」「記憶?」「世界が変わった時……」老人が苦しそうに言う。「私の記憶も、戻ったんです」「それは……良かったですね」「いえ……」老人が首を振る。「戻らなければ、良かったんです」「え……?」「息子のことを……」老人が涙を浮かべる。「思い出してしまったんです」「事故で亡くなったことを……」カナの表情が曇る。「それは……辛いですね……」「忘れていた方が、楽でした」老人が震える。「でも、記憶が戻って……」「息子がいないという現実を……」「また受け入れなければならない……」「もう一度、息子を失ったような……」その時、カナの胸でノアの声が聞こえた。『なんとなく……』『辛い記憶も、大切な記憶……』『忘れない方がいい……』カナが優しく老人に語りかける。「辛い記憶を思い出すのは、苦しいですよね」「でも……」「その記憶があるから、息子さんは生き続けているんです」「あなたの心の中で」「

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status