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#46.第十二話「反撃の一手」②

مؤلف: あともす
last update تاريخ النشر: 2026-08-23 13:25:26

 アーサーがトーマスと向かい合っている頃、代官邸を少し離れた物陰から、その様子を見つめている二つの視線があった。ウルフとアリスだ。

 二人の目的はひとつ。

 アーサー、ウルフ、アリス、ルーシー。四人の命運をかけて、トーマスとの交渉に使う不正の証拠となる帳簿を、屋敷の中から盗み出すことだった。

 はじめに二人は、屋敷の表側から警備の状況を確認した。

 正面入口のあたりには、アーサーの馬車を迎えるためか、召使いや下男が複数立っている。門の前では人が出入りし、普段よりも落ち着かない空気が漂っていた。

 それを見て、アリスは眉間にしわを寄せた。

「案の定、人がいっぱいいるわね」

 きっとトーマスは、ミルナー家の署名やアーサーとの対話に横槍が入らないよう、警戒しているのだろう。

「こりゃ、お前の親父さんもたまらないな……署名しないならしないで、すぐにでもお前んちを改めて、粉挽きが不埒なことを考えていたとか言う気でいたんだろうよ」

「そんなことになったら、私たちはこの村で生きていけないわ。粉挽きをよく思ってない人は少なくないもの……こっち来て」

 アリスは小声でそう言うと、ウルフを促し、正面入口
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  • 神父と白い野獣   #47.第十二話「反撃の一手」③

     錠前が引っかかっているだけの戸を静かに開き、二人は息を殺して、そろそろと資料室の中へ入った。 扉を閉めきる前に、アリスの耳が小さな声を拾う。 壁の向こうから、人の話し声が聞こえていた。 片方は低く、威圧的で押さえつけるような声音。もう片方は、それに負けまいとするように、慎重に言葉を選んでいるような、それでいて意志の強い声。──トーマスとアーサーが話しているんだ。「何喋ってるんだろう……」 アリスが思わず呟くと、ウルフは廊下側の人の気配を確かめながら短く答えた。「さあな。しかしあいつ、司祭をやってるだけあって、代官相手に話を持たせるくらいはできてるみたいだな」 まるでからかうような言い方をするウルフだが、彼なりにアーサーを心配していたのだと思うと、アリスは少し嬉しい気持ちになった。(私も、できることをしなくちゃ……!) 帳簿探しは慎重に。少しでも物音を立てれば、壁の向こうへ届きかねない。 ウルフはすぐに部屋の中へ視線を走らせた。 壁際にはいくつもの棚が並び、紐で束ねられたロールや、書きつけの束、木箱が置かれている。中央の作業台には、まだ片づけられていない書類が広げられたままだった。 その上に置かれている羊皮紙を見て、アリスの息が止まりかける。 そこには、父の名が署名された誓約書があった。【ウィンドル川及び水車用水路の保全に関する誓約】我、サイモン・ミルナーは、ペンストレイト領内において粉挽き業を営む者として、領主及び代官の命に従い、左の事項を誓約する。一、ウィンドル川、水車用水路、堰及びこれに付随する施設を汚損せず、その清浄を保つこと。一、灰、獣脂、腐敗物、薬品その他、水質を損なうおそれある物を故意に川及び用水へ流さぬこと。一、水車、倉庫、作業場及び排水路を常に適切な状態に保ち、不浄又は異変を認めた際は速やかに代官へ報告すること。一、代官又はその任を受けた役人が、水質及び施設の保全状況を確認するため検査を行う場合、これを拒まず協力すること。一、村内において水質汚濁その他公衆の安全に関わる疑いが生じた際は、必要な調査及び改善命令に従うこと。一、本誓約に違反したと認められた場合は、領主裁判所の裁定に服し、罰金、営業停止その他相当の処分を受けることに異議を唱えない。右、領民の安全及び村の秩序維持のため、偽りなく誓約し、ここに

  • 神父と白い野獣   #46.第十二話「反撃の一手」②

     アーサーがトーマスと向かい合っている頃、代官邸を少し離れた物陰から、その様子を見つめている二つの視線があった。ウルフとアリスだ。 二人の目的はひとつ。 アーサー、ウルフ、アリス、ルーシー。四人の命運をかけて、トーマスとの交渉に使う不正の証拠となる帳簿を、屋敷の中から盗み出すことだった。 はじめに二人は、屋敷の表側から警備の状況を確認した。 正面入口のあたりには、アーサーの馬車を迎えるためか、召使いや下男が複数立っている。門の前では人が出入りし、普段よりも落ち着かない空気が漂っていた。 それを見て、アリスは眉間にしわを寄せた。「案の定、人がいっぱいいるわね」 きっとトーマスは、ミルナー家の署名やアーサーとの対話に横槍が入らないよう、警戒しているのだろう。「こりゃ、お前の親父さんもたまらないな……署名しないならしないで、すぐにでもお前んちを改めて、粉挽きが不埒なことを考えていたとか言う気でいたんだろうよ」「そんなことになったら、私たちはこの村で生きていけないわ。粉挽きをよく思ってない人は少なくないもの……こっち来て」 アリスは小声でそう言うと、ウルフを促し、正面入口から外れた塀沿いへ回った。 そこは屋敷の通用口へ続く道だった。普段なら、下働きや出入りの者が使う場所である。正面から入るよりは、まだ人目を避けられるはずだった。 だが、ウルフはすぐに足を止める。 そして塀の先、通用口のあたり、屋敷の窓へと順に視線を走らせ、低く言った。「駄目だ。ここも人の目が切れない」「でも、正面よりはましでしょ」 一見ひと気の少ないその場所を前に首を横に振るウルフに、アリスはむっとした。「そんなの、人払いしてるからに決まってる。その代わり、見えないところに監視が隠れているんだ。そんな場所を安易にうろつくのは命取りだろ。仮に中に入れても、こんな高い塀じゃ戻る時に逃げ道が悪い。俺一人ならまだしも、お前連れじゃな」「じゃあ、どうするの?」「こっちだ」 言うが早いか、ウルフは屋敷から離れてずれた方面へ歩き出した。「え、どこへ行くの、ウルフ……待って!」 慌てて追いかけるアリスを連れ、ウルフはウィンドル川沿いの茂みへ向かう。 その光景を見て、アリスはすぐに察した。 川の方から屋敷の裏手に忍び込む気なのだと。 途端に、アリスの顔が露骨に曇る。 彼女

  • 神父と白い野獣   #40.5.十話の補足:川が村を養い、毒を運ぶまで

    ■村を一本につなぐ生活インフラ十四世紀のイングランドでは、井戸や泉、川や小川など、土地にある水源を組み合わせて生活していました。飲み水には泉や井戸が好まれましたが、すべての家が良質な水源を持っていたわけではありません。川の水も、炊事、洗濯、道具の洗浄、家畜への給水など、さまざまな用途に使われました。川は水源であると同時に、仕事場でもありました。水車を回して穀物を挽き、魚を獲り、羊毛や獣皮を洗い、家畜の手入れをする。中世の川は、現代でいう水道、動力設備、作業場の役割を一度に担っていたのです。便利である一方、そこには大きな弱点がありました。上流で使われた水が、処理されないまま下流へ流れていくことです。■目の前から消えても、汚れは消えない流れる水の中で動物を洗えば、毛や泥、脂、薬剤はすぐにその場から見えなくなります。しかし、汚れが消滅したわけではありません。下流へ移動しただけです。汚染の広がり方は、川の状態によって変わります。水量が多く流れが速ければ薄まりやすく、渇水時や流れの緩い場所では高い濃度のまま残りやすくなります。脂やタールのように水へ均一に溶けない物質は、水面や岸辺へ寄り、泥、水草、石などへ付着することもあります。そのため、同じ川を利用していても、村人全員が同時に倒れるとは限りません。水を汲んだ場所や時間、飲用・調理・食器洗いといった用途によって、口に入る量が異なるからです。ある家では何人も体調を崩し、隣家では被害が出ないという、原因を見つけにくい状況も生まれます。中世の人々も、水の濁りや悪臭を気にしなかったわけではありません。都市では水路への廃棄を規制し、給水設備を管理した記録が残っています。ただし、目に見えない成分を検査する手段はなく、異変の原因を突き止めるには、臭い、色、残留物、病人の分布などから推測するしかありませんでした。■タールと獣脂は動物用の軟膏だった作中で犬の洗浄に使われているタールと獣脂は、当時の生活から完全にかけ離れた材料ではありません。羊の皮膚病や寄生虫対策では、タールにバターやラードなどの脂を混ぜた軟膏が使われました。羊飼いがこうした軟膏を入れた「タール箱」を

  • 神父と白い野獣   #40.第十話「窓を開けた先には」③

     アーサー必死に話し合おうとトーマスに提案する横で、村人たちは状況が呑み込めずに立ち尽くしているウルフをその場に残したまま、天幕を囲むように杭を打ち、縄を張り始めている。木槌の音が夜気に重く響いた。「一体、何の騒ぎだ」 低い声に、何人かの村人がびくりと肩を揺らした。トーマスは一歩前へ進み出る。「初めまして、かな。貴様と直接喋るのは初めてだと思うが、私はこのアッシュワース村で領主ジェフリー・オーランド・ペンストレイト男爵様より代官を任ぜられている、トーマス・ベネディクトゥス・ゴードンである」 わざとらしく名乗りを済ませ、口元だけで笑う。ウルフは答えず、黙って見下ろしていた。「アーサー司祭殿から貴様の事は多少聞いてはいる。単刀直入に言おう……流浪人殿を村人たちが怖がっている。今すぐ立ち退いてはくれないか。もしそれを拒否するなら、この結界の中から出る事はまかりならん。貴様には村に呪いを持ち込んだ疑いがあるのだ」 「だからトーマスさんっ、彼は誰かを呪ったりはしてません!」 アーサーが前へ出る。だがトーマスは視線だけでそれを制した。「では、それを今すぐ証明したまえ。今すぐだ。出来ないなら我々に従って頂く他無い」 「今すぐって……」 喉がひりつく。アーサーは不安げにウルフを見た。呪いの原因はまだ調査中だ。今この場で潔白を示すのは難しい。「では時間をください。一日……いや、数時間あれば彼が呪いと無関係であることを証明いたします!」 縋るように言うと、群衆の後ろで小さなざわめきが起きた。「無駄な時間稼ぎだ」 トーマスの声は冷え切っていた。「騒ぎが起こってから何日経っていると思っている。数時間でどうにかなるなら、とっくにどうにかしていてもおかしくないだろう、司祭殿。村人たちはもう我慢の限界を迎えている。今すぐ説明出来ないなら、下がっていていただこう」 言葉のたび、村人たちの視線がアーサーへ突き刺さる。「それは現在……」 調査中です、と口を滑らせかけたアーサーを遮るように、ウル

  • 神父と白い野獣   #39.第十話「窓を開けた先には」②

     上流から順に調べていたウルフは、日が暮れる頃にポイントC――バートン邸付近の川辺にたどり着き、調査を始めた。  バートン邸の裏手を流れる川には、最初に調べたような流れの早い深みは無く、比較的浅く穏やかな流れのそばに、砂と石の多い河原が点在していた。これなら村人にとっても使い勝手がよさそうなのに、不自然なほど人気が無かった。  しかも、ガマほどの丈高い草は生えていないものの、人目を遮る茂みは多い。身を隠すには都合がよく、あの群生地とはまた別の厄介さがあった。  そこでウルフは付近を細かく調べてゆくと、やがて明らかに踏み荒らされた跡のある川岸を見つけた。  足跡の周辺には大量の獣毛が散らばり、油じみた悪臭も色濃く残っている。「この臭い、タールか……他は獣の脂と灰汁ってとこだな……」 ウルフは詳しい仕組みを知らないが、タールは松脂などから採る黒い油で、防水、防腐、獣皮の駆虫、家畜の洗浄にも用いられる。ただし刺激が強く、皮膚を荒らし、口に入れば激しい腹痛や嘔吐を招き、大量なら命にも関わる。獣脂も腐れば吐き気や下痢のもととなり、灰汁は灰から取る強アルカリ性の液で、肌に触れれば炎症や火傷を起こし、飲めば喉や胃を焼く危険な代物だ。  つまり、石鹸じみた洗浄剤の残滓が、この川辺一帯を広く汚していたのである。  ウルフは地面に散った毛を摘み上げ、指先で確かめた。「この毛は……あの犬どもか。こんなところで薬品を使って獣なんか洗ったら、下流の人間に被害が出るに決まってるだろ、あのデブ!」 残留物の量から見て、一度や二度ではない。何度もここで犬を洗っていたと考えてよかった。  ウルフは採取用の水筒へ慎重に川水を詰め、周囲に散らばった犬の毛や薬品の残り滓を布切れへ包んで集めていた。すると、不意に人の気配がこちらへ近づいてくるのを感じ、即座に身を低くする。  気取られぬよう茂みの奥へ身を伏せ、葉の隙間から様子を窺うと、一人の羊飼いが数匹の犬を連れて川辺へ現れた。男は何のためらいもなく犬を浅瀬へ追い込み、桶からどろりとした薬品を掬って毛並み

  • 神父と白い野獣   #38.第十話「窓を開けた先には」①

     ウィンドル川。アッシュワース村西側の丘陵地から流れ出し、村の中心を東へ横切って、東の湿地帯へ注ぐ川で、村の主要な生活用水場となっている。  粉挽き施設を抱えるアリスの家、ミルナー家は川の最上流に位置し、少し下れば代官のバートン邸、さらにアーサーの住む司祭館のある聖ヒュー教会、最下流の湿地帯付近にルーシーの家があると聞いた。  ウィンドル――『曲がりくねった』という名の通り、この川はカーブが多く、流れの速さも水深も場所によってまちまちで安定しない。  特に水気を帯びやすく乾きにくい粘土質の湿地帯は、夏になると背の高い草やガマが生い茂って視界が悪く、人も近寄らない。何かを仕掛けるにはもってこいの場所だろう。  ウルフは胸元まである水の中から、川べりに繁茂したガマの群生地を見上げ、周囲へ視線を巡らせた。「ここも何も無しか……毒を仕掛けるなら、水の汚れが溜まりやすいこういう場所に置いてるかと思ったが、そうでもないのか……おっと」 不意に苔むした石を踏み、流れの速い水に体を持っていかれそうになりながら浅瀬へ向かった。  川から上がり、服の水気を絞りながら上流を眺める。 (あれだけの体調不良者を出すような毒を、証拠も残さず大量に流す方法……いや、どこかに何らかの証拠はあるはずだ)  しばらくその場に腰を下ろし、ウルフが考え込んでいると、背後から声が掛かった。「流浪人の旦那!」 振り向くと、森番のホッジがこちらへ歩いて来るところだった。「あんたか。今日は別にウナギは獲っていないぞ」 「そうかい。また獲ったら頼むよ。あれからも、あんたの味付けをまた食べたいって妻がうるさくてよ」 「そうか。それなら何よりだ。用はそれだけか?」 「まあ、森の様子を見て回ってたら見かけたから、声を掛けただけさ。じゃあな」 そう言ってホッジはさっさと立ち去ってしまった。森番の仕事として、この辺り一帯の様子を見て回るとなれば、暇でもないのだろう。  ところで、ウルフは知らないことだが――代官のトーマスから賄賂を渡されていたホッジが、こうして気安く話し

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