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第2話

Auteur: ユキ
鹿乃子は最後の言葉を飲み込み、踵を返して車に乗り込むと、在留管理庁へと向かった。

D国の永住権申請の手続きは複雑ではない。特に自分のような家柄の人間にとっては。

数年前、秋月家の事業はすべて海外に移転し、両親も兄も海外へ移住していた。自分だけが、聖のためにこの国に残っていたのだ。

そして今、自分もまた去ろうとしていた。

「手続きには一週間ほどかかります」

担当者が微笑みながら言った。

彼女は頷き、受領証を受け取って在留管理庁を出た。

やっと終わる。

西園寺聖。六年間追いかけ続け、俗世に引きずり下ろせると思っていたあの高潔な聖人は、結局自分のものではなかった。

彼のために多くのものを諦めた。精進料理に付き合い、禁欲的な生活に合わせ、本来の奔放な性格さえも押し殺した。少しでも彼に近づくために。けれど結局、彼の心の奥底にある渇望に触れることさえできなかった。

彼女は手の中の受領証を見つめ、自嘲気味に笑ったが、胸の奥は痛んだ。

いいわ、聖。あなたが私を愛さなくても、私を愛してくれる人は他にいくらでもいる。

その夜、彼女は友人たちを誘ってクラブへ繰り出した。

聖と結婚して以来、こうした場所には長く顔を出していなかった。

今日、彼女は黒のキャミソールワンピースを身に纏っていた。歩くたびに裾が揺れ、長い脚が覗く。その瞳には久しく忘れていた得意気の光が宿っていた。

「鹿乃子、今日はいったいどうしたの?」

友人の藤原夏美(ふじはら なつみ)が驚いたように彼女の腕を掴んだ。

「あの堅物の聖人様に惚れてから、毎日彼を追いかけ回して、こういう場所には二度と来ないって言ってなかった?」

鹿乃子は笑ってグラスを傾け、少し酔った瞳で言った。

「もういいのよ。今日は思う存分遊ぼう!」

彼女はダンスフロアへ向かい、リズムに合わせて体を揺らした。まるで拘束から解き放たれたかのように、自由奔放に。

周囲の男性モデルたちに視線を流し、唇に笑みを浮かべ、そのうちの一人の腹筋に指を滑らせると、低い笑い声が上がった。

「鹿乃子、正気?」

夏美が追いかけてきて、彼女の手を引いた。

「あんなに男の腹筋触って、密着して踊って、聖が見たら怒るわよ?」

「彼、ここにはいないし」

「いや……」

夏美は言い淀み、彼女の耳元で囁いた。

「誰がいないって言ったのよ。ずっと言おうと思ってたけど、西園寺聖、後ろのVIP席にいるわよ。さっきからずっとあなたのこと見てる」

鹿乃子の指先が強張った。ゆっくりと顔を上げる。

煌めく照明の向こう、彼女は一目で彼を見つけた。

聖は黒のスーツを着て、周囲の喧騒から浮いていた。

彼は隅の席に座り、長い指をグラスの縁にかけ、重苦しい視線を彼女に注いでいた。一体いつから見ていたのだろう。ちょうどその時、音楽が止まった。

聖の隣にいた友人が冷やかす声が聞こえた。

「聖、鹿乃子ちゃんがあそこで随分踊ってるし、他の男を触ってるぞ。俺の嫁ならとっくに怒り切れたが、よく座ってられるな」

聖は表情一つ変えず、ただ茶を啜り、冷淡な声で言った。

「彼女には分別がある。一線を越えるような真似はしない」

その言葉は毒を塗った針のように、彼女の心の一番柔らかい場所を刺した。

分別がある?

自分が愛しすぎているから、他の男とどうにかなるはずがないと高を括っているのか、それとも……そもそも興味がないのか。

恐らく、その両方だろう。

「まったく、お前のその達観ぶりには負けるよ。この世でお前の心を乱すものなんてあるのかね……」

友人の言葉が途中で裏返った。

「おい、聖、どこへ行くんだ?」

鹿乃子は反射的に顔を上げた。聖が猛然と立ち上がり、ダンスフロアの反対側を死にそうな形相で睨みつけていた。普段の無機質な瞳に、見たこともない嫉妬の色が浮かんでいる。

彼女はその視線を追った——

案の定、梨花が白のワンピースを着てフロアの端に立ち、一人の男と連絡先を交換していた。

聖は大股で歩み寄り、梨花の手首を荒々しく掴んだ。恐ろしいほど冷たい声だった。

「何故こんな場所に来た?誰が男に番号を教えていいと言った!」

梨花は呆気にとられ、すぐに目を潤ませた。

「どうしていちゃいけないの?なんで連絡先を教えちゃ駄目なの?兄さん、私のことなんてもうどうでもいいんでしょ?だったら私が何をしようと関係ないじゃない!」

聖の指の関節が白く浮き出る。

「なぜそう思う?」

「どうでもいいと思ってるじゃない!」

梨花の声が涙声になる。

「私を避けて、会ってもくれない!兄さん、昔はあんなに優しかったのに、どうして急に変わってしまったの!」

その言葉に、聖の喉仏が動き、抑圧された感情が声に滲んだ。

「それは……」

鹿乃子は傍らに立ち、心臓を鷲掴みにされたような気分だった。

彼女にはわかる。聖には言えないのだ。

どう言えばいい?

妹を愛しているから、避けているのだと?

妹を見ると、理性を失ってしまうからだと?

妹を愛しすぎるあまり、結婚して二年の妻を抱きもせず、代わりに妹と瓜二つの精巧なドールを作って慰めにしているのだと?

鹿乃子は自嘲気味に笑い、立ち去ろうとした。しかし、泣き声が耳に入った。

「兄さん、昔に戻ろうよ。昔の兄さんがいい、私だけを見てくれていた兄さんがいいの!」

聖の声は低く、しわがれていた。

「兄さんはもう結婚したんだ。お前一人にかかりきりにはなれない」

「じゃあ、その奥さんさえいなくなれば、また昔みたいに戻れるの?」

梨花がふと顔を上げた。その瞳には狂気が宿っていた。

鹿乃子がバッグを持って去ろうとしたその時、梨花がテーブルの酒瓶を掴み、早足で向かってくるのが見えた。

ガシャン。

酒瓶が頭に叩きつけられ、ガラスの砕ける音が耳元で炸裂した。生温かい鮮血が額を伝う。

「鹿乃子!」

夏美の悲鳴が聞こえた。

よろめいて後ずさる鹿乃子の視界に、梨花が二本目の瓶を振り上げる姿が映った——

「死んじゃえ!」

二撃目はさらに重かった。

今度こそ鹿乃子は意識を失い、血の海に倒れ込んだ。耳に残ったのは、騒がしい悲鳴だけだった。

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