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1.大嫌いな常連客⑥

Author: 鷹槻れん
last update Last Updated: 2025-08-04 07:00:56

「ところで凜子。バス、間に合わなかったんじゃね?」

 って、如何にももののついでみたいに言ってきて……その瞬間、私が困ってるの、やっぱり知ってたんじゃないって思って、すごく腹が立ったの。

 っていうか……だったら今の私がこんなことをしている場合じゃないっていうのも、分かるよね?

「そうよ! だから……離してっ! 私、急いで大学に行かないといけないのっ!」

 再度 奏芽《かなめ》さんの腕からすり抜けようともがき始めた私に、奏芽さんが「どうやって?」って静かに問いかけてきて、私はグッと言葉に詰まる。

「まさか走って行こうってわけじゃねぇだろ?」

 畳み掛けるように言われたセリフに、ますます言葉を失って黙り込んだ。

「なぁ、俺が車で連れてってやろうか?」

 奏芽さんがまるで満を持したみたいにそう言って私の耳元でクスッと笑った時、絶対確信犯だって思ったの。

 だから――。

 本当は喉から手が出そうなくらい願ってもない申し出だったけれど、フルフルと首を横に振って彼を拒絶した。

「かっ、奏芽さんの車に乗ったら……真っ直ぐ大学にたどり着ける気がしないので……っ!」

 言って、素早くしゃがみ込んで彼の腕をまんまとすり抜けると、私は再度捕まったりしないで済むように、くるりと向きを変えて彼を視界に収めた。

 一歩、二歩と後退りながら彼から距離を取りつつ、奏芽さんの出方を窺う。

 奏芽さんは心底楽しそうにニヤリと笑うと、私が下がった分以上の距離を詰めてきて。

「さすが俺が見込んだ女だな、凜子! そういうお堅いところ、正直たまんねぇわ。……けど、まぁそうだなぁ。だったら――」

 そこでスマホを取り出すと、何やら操作をしてから、「タクシー呼んでやったから」って私に画面を見せてくる。

 何?と不審に思ったのも束の間。

 私はすぐに驚きの声を上げてしまった。

「うそっ。最近って、アプリでタクシー呼べちゃうのっ!?」

 タクシーといえば道路を流しているのを運よく捕まえるか、タクシー会社に電話して指定した場所まで来てもらうか、駅前なんかの決められたスペースに停車してるのを捕まえるかするしかないと思っていた私には余りにも未知の世界で。

 思わず彼の見せてくれた画面に顔を近づけて嘆息してしまう。

「凜子、口開いてるぞ?」

 知らないことだったから、思わず気が抜けて無防備になってしまっていたみたい。

 奏芽さんに大笑いされて、私は慌てて口元を引き締めた。

 っていうか、さすがに口なんて開けてなかったわっ!

 キッ!と彼を睨みつけてから、そこでふとあることに思い至ってにわかにしゅんとなる。

「せっかく呼んでもらったけど私……」

 タクシーなんて贅沢なもの、お金が勿体なくて乗れない。でもそんなの、さすがに恥ずかしくて言えないよ。

 なんて続けたらいいのか分からなくて言葉に詰まった私に、

「あ、言い忘れてたけど。もちろん、俺も一緒に乗るから」

 まるで私の戸惑いを払拭するような勢いであっけらかんと当然のようにそう言われて、私は思わず奏芽さんの顔を見つめてフリーズした。

「え……?」

「だぁーかぁーらぁー。俺も! 乗るの! 凜子とドライブ、ブッブッブー♪」

 って……やけに楽しそうに言うんだけど……本気?

「けど私っ、そんなことしてもらってもあなたの――」

「あなた?」

 いつもの癖で「あなた」って言いかけたら、すぐさまダメ出しが入った。

「……えっと、か、奏芽さんの……相手なんてする暇ないですよ? さっきもお話したように、講義に出たいから急いでるわけで……」

 ゴニョゴニョと語尾が濁ったのは、それでも彼の申し出に少しだけ心を動かされてしまっていたから――。

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