تسجيل الدخول「おいもみじ!帰ったぞ……!」 「お、お邪魔します、お姉ちゃん……」 玄関を開けるなり、誠司は大声でもみじを呼び付ける。 だが、誠司と胡桃が家な中に入り、いくら玄関で待っていようとももみじがやって来る気配は無い。 時刻はお昼少し前。 まさかまだ寝てやいないだろうな、と誠司は苛立ちを滲ませつつ胡桃にそこに待っているように伝えてリビングに向かった。 ドスドス、と足音荒くリビングを通り過ぎ、誠司はもみじの部屋の前までやって来る。 リビングは、もみじの荷物が無くなっていたが誠司はその事には全く気が付かなかった。 もみじの部屋の前に着いた誠司はすうっと息を吸い込み、扉を壊さんばかりの強さで叩いた。 「おいもみじ!まだ寝ているのか!?起きろ!」 ドンドン、と誠司は扉を叩き大声で呼びかける。 だが、扉の向こうからは何の返答もなく、何かが動く気配も何も感じない。 「ふざけるなよ!開けるぞ!」 もしかしたら、部屋の鍵が閉まっているかもしれない──。 そんな考えが一瞬誠司の頭に過ぎったが、ドアノブを掴んで思い切り力を入れた。 すると、意外にもすんなりと扉が開き、誠司は呆気なく感じてしまう。 「おい──」 部屋に入った誠司は、もみじを起こそうと声を上げた所でぴたり、と止まった。 部屋の中はガラン、としており人の気配も何も無かった。 そして、もみじの私物がごっそりとなくなっているのを見て誠司は目を見開いた。 「──は?」 私物のみならず、もみじ本人もそこにはおらず誠司の思考が停止してしまう。 そうこうしていると、背後から近付いてくる足音が聞こえ、胡桃の声が響く。 「誠司……?どうしたの、お姉ちゃんはいた?」 胡桃の声に誠司ははっとして弾かれたように振り向く。 「胡桃……いや、もみじは……」 「どうしたの──?」 胡桃はゆっくりリビングを通り、誠司がいるであろうもみじの部屋に向かう。 すると、リビングを通りかかった時。 テーブルの上に置いてある書類が目に入った。 「──っ!?」 胡桃の目は、思わずテーブルに置かれている二枚の書類に釘付けになる。 【離婚届】と【離婚協議書】の文字が目に入った胡桃は、思わずテーブルに足早に近付き、書類を急いで手にした。 「──胡桃?どうした?」 「……なっ、なんでもないわ!お姉ちゃんはいた?
◇ あっという間に時間は過ぎ、もみじが退院してから5日が経過した。 もみじは誠司と暮らしていた家の荷物の片付けを進めていた。 恐らく、自分が家を出て行けば誠司は胡桃をここに連れ込み、一緒に暮らすようになるだろう。 誠司は自分の身の回りの事に無頓着だ。 胃腸が弱いのに、食事は無茶な事をするし、家事なども恐らく何も出来ない。 今まではもみじが専業主婦として家の事を全てやってはいたが、もみじが出て行ったあと。 胡桃が誠司の家にやって来て一緒に住むようになったとしても、2人とも仕事をするだろう。 だからきっと家事は疎かになる。 「……まあ、ハウスキーパーを入れれば何も問題はないわね」 今でさえ、もみじは誠司の部屋の掃除や洗濯物に関しては外注していた。 もう、誠司の身の回りに関する世話を何一つしたくなくなったのだ。 だが、外注してしまえばそれはとても楽で。 時間が空いたお陰で、もみじは今十分にデザインの仕事に充てる時間が確保出来ていた。 もみじは、綺麗に物が殆どなくなった自分の室内をぐるり、と見回して満足気に頷いた。 「──うん、綺麗になった。駅近の物件がすぐに見つかって良かった。仮住まいだから、これから本格的に家を買わなくちゃいけないけど……今はあの部屋で十分だもんね」 即入居可の物件を見つけたもみじは、運命を感じてすぐにそこを契約した。 そして、粗方の荷物を荷造りして引越し業者を手配したのだ。 引越しの日は、明日。 誠司が胡桃の元に向かってから、1度も連絡は来ていない。 「私が家を出て行った事に気付けば、流石に連絡が来るでしょう」 もみじはそう呟くと、手荷物を1つだけ手にして部屋を出る。 次にこの家に帰ってくるのは、引越し業者がやってくるその日。 もみじは万が一誠司が帰って来た時のために自分の署名入りの離婚届と離婚協議書をテーブルに置き、その後は1度も振り返らずに家を出た。 ◇ もみじが家を出て、数時間後。 奇しくも誠司は胡桃を伴い帰国した。 胡桃の体調がここ数日、悪化していたのだ。 そのため、なるべく早く帰国して慣れた母国で診察をしたかった。 「胡桃、大丈夫か?もう少しで家に着く」 「うう……ごめんなさい、誠司……。何だか最近お腹が変で……」 「1度大きな病院で詳しく検査をしてもらおう。明日、1番に診察の
「嬉しい……っ、凄く嬉しいわ、誠司……!だけど……本当にそんな事をしてもらってもいいのかな……」 「何を遠慮しているんだ?胡桃は素晴らしいデザイナーだ。だが、まだ学生の身で伸び代はまだまだある。そこを、プロのデザイナーに見てもらえば、胡桃はもっと素晴らしいデザイナーになれるだろう?」 誠司の言葉に、胡桃は嬉しいけど悲しそうな表情を浮かべて見せた。 「……だ、だけどお姉ちゃんが……」 「──もみじ?」 胡桃の口から、怯えたようにもみじの名前が紡がれて、誠司は不快そうに眉を寄せた。 「お姉ちゃんだって、デザイン学科にいたじゃない……だけど、誠司との結婚で大学を中退したわ……お姉ちゃんもデザイナーを目指していたのに、私だけ誠司に……」 「そんな事は気にしなくていい。もみじには所詮そこまでの実力しかなかったんだ。実力があれば、俺と結婚した後だって独学でデザインの勉強は出来る。立派なデザイナーにだってなれているはずだ。だが、もみじにはそこまでの能力も才能もなかったんだよ。所詮、そこまでの女だったんだ」 誠司は鼻で笑うように吐き捨てると、胡桃を抱きしめる。 「でも……この事がバレたら、私怖いわ……。私がお姉ちゃんが通っていた大学を受験した時だって……」 「──ああ、確かもみじが邪魔をしたんだったな……。受験票をわざと隠されたり、家の力を使って受験当日の試験の得点を改ざんしようとしたんだろう?」 「うん……。だから、私が誠司にこんなに良くしてもらっているって知ったら、またお姉ちゃん……」 「大丈夫だ。もみじには今はもう実家の力は使えないだろう?それに、もみじに余分な金は渡していない。金に物を言わせて、胡桃を陥れるような真似は絶対に出来ないから安心してくれ」 誠司の言葉に、胡桃はそっと上目遣いで誠司を見上げた。 「ほ、本当……?私、お姉ちゃんを怖がらなくていいの……?」 「ああ、大丈夫だよ胡桃。俺が絶対に胡桃を守ってやるからな」 胡桃の大きな瞳には、溢れんばかりの涙が溜まっている。 誠司の言葉を聞いた瞬間、その大きな瞳からは耐えきれなくなった涙が零れ落ち、胡桃は声を上げてしまわないように声を殺して泣いた。 その姿が酷くか細く、今にも倒れてしまいそうなほど儚く見えて、酷く庇護欲を誘う。 誠司は胡桃を掻き抱くように腕に力を込めて胡桃の体を引き寄
◇ 場所は変わって、E国。 胡桃が入院している病院。 バタバタと慌ただしく走る音が廊下から聞こえてきて、胡桃はにんまりと口端を持ち上げた。 「胡桃!大丈夫か!?」 「──誠司ぃ!」 胡桃が入院している病室に、血相を変えて誠司が駆け込んで来る。 その瞬間、胡桃は瞳にじわりと涙を浮かべ、走り寄ってくる誠司に向かって自分の腕を伸ばした。 誠司は胡桃の電話を受けてから相当急いで出国したのだろう。 衣服も乱れ、普段はキッチリとセットされている髪の毛も無造作に乱れていた。 「ごめんなさい、誠司。お仕事で忙しいのにこんな事で呼び戻しちゃって……」 「気にするな、胡桃。それより体は?大丈夫なのか?」 「うん、さっき検査結果を聞いたところよ。腹痛は、ストレスだろうって……。慣れない環境での勉強やご飯が体に合わなくて、ストレスが溜まってお腹が痛くなっちゃったんだろうって、お医者様が……」 「そうか……可哀想に、胡桃」 ほろほろ、と静かに涙を流す胡桃を誠司は自分の胸に抱き寄せると愛しげに目を細め、頭を撫でた。 そして誠司は胡桃を抱きしめたまま、行きの飛行機の中でずっと考えていた事を胡桃に話す事にした。 「胡桃。飛行機の中でずっと考えていたんだけどな……?」 「うん、なあに?」 涙で濡れた瞳が、誠司を見上げる。 誠司は思わず胡桃にキスをしてから言葉を続けた。 「俺も、ずっとこっちに居る訳にはいかないだろう?会社もあるし……」 「ええ、そうね……。だから、誠司がお仕事を頑張っている間、私はこっちで──」 「だが、また今日みたいに体調を崩してしまったらどうする?重要な会議や、取引があった場合、胡桃の元にすぐに駆け付ける事が出来ない」 「で、でも最初はその予定だったのだし、私1人でも頑張れるわ。昨日はパニックになっちゃって、誠司に電話しちゃったけど、次からは大丈夫よ。私1人ででも──」 「いや、胡桃に何かあった時に俺が傍に居られないのが耐えられないんだ。胡桃の身に万が一の事があったら?その時俺は仕事で何も知る事が出来なくて……胡桃が1人で苦しんでいると後から知ったら……辛すぎて、どうにかなりそうだ」 「誠司……!」 誠司の言葉に、胡桃は感動したように涙を零し、自分の口元を両手で覆う。 そんな胡桃の肩に手を置いた誠司は、迷いのない目で真っ直
◇ 翌日。 病院で退院の準備をしていたもみじは、病室をノックする音に扉に顔を向けた。 「──はい」 「おはようございます、新島さん」 「髙野辺さん!」 おはようございます、ともみじが笑顔で挨拶をすると、髙野辺は病室に入って来てもみじの荷物をさり気なく持った。 「退院手続きは済んでいます。今日この後少し時間はありますか?久保田と話した事を伝えたくて」 「あっ、ありがとうございます!はい、時間はあるので大丈夫ですよ」 「分かりました。それじゃあ……話す内容が内容なので……個室のレストランを予約しても大丈夫ですか?」 髙野辺の言葉に、もみじは頷いた。 髙野辺が退院手続きを済ませてくれていたお陰で、病院の退院は驚くほどスムーズに済んだ。 駐車場まで一緒に向かい、髙野辺が助手席のドアを開けてくれる。 もみじはお礼を言いつつ助手席に乗り込んだ。 髙野辺も運転席に乗り込み、2人は雑談をしながら髙野辺が予約しているレストランに向かった。 ◇ レストランに着き、食事をしつつ髙野辺が久保田からの話をもみじに告げる。 「新島さん。昨日久保田と話をしたんですが、新島さんが今まで提出した証拠と、昨日暴力を受けた診断書でどうにか動く事が出来ると久保田が言っていました」 「──本当ですか!?」 「ええ、本当です。それで、久保田はこれから先の事をどうしたいか……それを新島さんから聞いて欲しい、と。久保田に任せていただければ、旦那さんに1度久保田の方から連絡を入れるそうです」 「──私が離婚について動き出している、と言う事が夫にも分かるって事ですよね?」 「ええ、そう言う事になりそうですね」 髙野辺の言葉を聞いたもみじは、少し考える素振りを見せてから再び口を開いた。 「それでしたら、少しだけ待ってもらってもいいですか?あの家から出る準備をします。夫に知られないようにどこか賃貸を借りますので、10日ほど待っていただいてもいいですか?」 家を出る──。 もみじの言葉を聞いた髙野辺は、微笑んだまま頷いた。 「ええ、分かりました。そうですよね、離婚するために弁護士を雇っているのだから、一緒の家では暮らしたくないですよね」 「すぐに離婚したいと言ったくせに、時間がかかってしまい申し訳ないです」 しゅん、と肩を落とすもみじに髙野辺は慌てて首を横に振った
「どれぐらい、早く──……」 髙野辺から言われた言葉を、もみじは繰り返す。 なるべく早く、一刻も早く離婚したい。 自分がデザイナーの「Sea」だとバレる前に一刻も早く誠司から離れたい。 自分の妹と。 血の繋がった妹と体の関係を持っている、汚らわしい人とは早く離れたい。 もみじは髙野辺を真っ直ぐ見つめ返して改めて口にした。 「出来るなら、明日にだって離婚したいんです。夫が、離婚届と離婚協議書にサインをしてさえくれれば……。本当だったら今すぐにでも離婚したいんです」 もみじの言葉を真正面から受け止めた髙野辺は「そうですか」と頷いた。 「……髙野辺さん、どうしてそんな事を?」 「──いえ。ほら、俺は久保田の代理で今日ここに来たでしょう?ですから、新島さんの意志を再確認しておきたいな、と思って」 「そうだったんですね。久保田先生には、今お伝えした内容を話してください」 もみじの言葉に髙野辺は「ええ、分かりました」と笑顔で答える。 そして、時計を確認するともみじに向き直った。 「すみません、新島さん。俺はそろそろ……明日新島さんが退院される時に迎えに来ます」 「──えっ!?だ、だけどご迷惑じゃ……」 「大丈夫ですよ。今日、これから久保田に報告をして……明日、久保田からの説明を新島さんにお伝えしますね」 「わっ、本当に何から何まですみません……!ありがとうございます!」 「いえいえ。それでは、お大事にしてくださいね?」 「はい!髙野辺さんも気をつけて帰ってください」 笑顔で見送ってくれるもみじに軽く手を上げて扉を閉めた髙野辺は、廊下を歩く。 (──新島さんの実家が、どうやら妹のために動いているんだよな……。嶋久志 忠、か……。どうする?奴の会社に駅舎立て替えの情報を握らせるか?) 髙野辺は考えつつ廊下を進む。 病院の正面玄関から駐車場に向かうと、そこには既に秘書の田島が待機していた。 「社長、お帰りなさいませ」 「ああ。何も問題は無かったか?」 「はい、社の方は何も」 田島が車のドアを開け、乗り込む。 後部座席に髙野辺が座った後、田島はすぐに運転席に乗り込み、エンジンをかける前に口を開く。 「社の方は大丈夫ですが……どうやら嶋久志の家に駅舎の情報が漏れたようです」 「……早いな」 田島がそう言いつつ、茶封筒を髙野
「わざわざ会社まで押しかけて、何のつもりだ?」 社長室に向かい、入室したもみじを迎えたのは、誠司のそんな心無い冷たい言葉だった。 呆れたように額を手のひらで抑え、溜息を吐き出す誠司。 そして、誠司の後ろにあるソファには胡桃が当然のように座っていて。 もみじは、まさか開口一番、誠司にそんな言葉を言われるとは思っていなかった。 「何のつもりって……。どうして私が誠司の会社に来ただけで、そんな事を言われなくちゃ……」 「俺は仕事で忙しいのに、どうして俺を煩わせる?話があるなら、帰ってからでもいいだろう?急ぎの用事なんてもみじには無いだろうに……」 はあー、と深い溜息
◇ 誠司の会社。 「──ぐぅっ」 「しゃ、社長……大丈夫ですか?」 「……胃薬を。今すぐ手配してくれ」 「か、かしこまりました!」 誠司は、社長室でキリキリと痛む胃を押さえ、脂汗を浮かべていた。 誠司の秘書──田島は、真っ青な顔で辛そうに唸る誠司を見て慌てて薬局に走った。 「──くそっ、昨夜の飯が……」 少々、脂っこい感じがしたのだ。 その事に気付いた誠司は、全て食べる事はせずに捨てたのだが、それでも胃がキリキリと痛み辛い。 「こんな風になる事は、ここ最近無かったのに……」 もみじと結婚してから。 この数年、胃が痛むと言う経験は殆ど無かった。 それなのに、昨夜は
◇ その日の、夜──。 もみじを病室まで送り届けた髙野辺は、もみじにまた明日と挨拶をして部屋を出た。 そして、髙野辺はそのまま病院を出る事なくある場所に向かって歩いていた。 髙野辺が向かったのは、病院の「院長室」 院長室のドアをノックすると、院長自ら扉を開けた。 「髙野辺様!」 「院長、急にすまない」 「いいえ、いいえ!髙野辺様でしたらいつでも!いつもご支援いただき、本当に感謝しております!」 室内に案内された髙野辺は、促されるままソファに腰を下ろした。 院長が髙野辺の目の前にコーヒーの入ったカップを置くと、不安そうに視線を向けてくるのを感じる。 髙野辺は淹れてもらっ
◇ 場所は変わって、もみじが入院している病室。 ベッドに横たわりながら、もみじは病室の真っ白な天井をぼうっと見つめつつ、ころりと寝返りを打った。 じっとしていると、昼間の事が思い出されて、もみじはぐっと強く目をつぶった。 (……誠司は、胡桃を優先した) あの時の光景を思い出して、もみじの唇が震えてくる。 (私が倒れても、誠司は見向きもせずに……胡桃を大事そうに抱えて……) そもそも、そんなに胡桃が大切なら。 どうして誠司は自分と結婚したのだろう、ともみじはどんどん暗くなってしまう。 (結婚しても……、誠司とはまだ本当の夫婦になっていない……。それに、結婚指輪だって──。会







