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法廷でのことだった。裁判官は、一つの疑問を口にした。「つまり被告は、結婚を約束した相手がいながら、裏では別の女性と不適切な関係を持っていたと。そういうことですね」宏介は反論した。「明日香を妹のように思っていただけです。男女の関係ではありません!優しくしたのはただの親切心で、そんな風に言われたら、優香がどう思うか考えてください」彼はまだ、やり直せると思っていた。傍聴席にいた人たちは、一斉に憤慨した。「あんた、クズじゃないか!女の子には、あんたみたいな男はふさわしくない」宏介は、そんな声は聞こえないふりをして、ひたすら繰り返した。「俺の優香を返してくれ」裁判官は宏介の言い訳に惑わされず、判決を言い渡した。彼のそれまで築き上げてきた全ての名誉も、取り消されることになった。輝かしいキャリアは、完全に水の泡と化した。しかし、宏介はそんなこと気にも留めず、ただ私を追いかけようとした。「優香、俺はもう罰を受けたんだ。頼むから、もう一度振り向いてくれないか」しかし私は、正人の手を強く握り、迷わず前を向いて歩き出した。一度も、振り返ることはなかった。宏介はなおも騒ぎ立てようとしたが、すぐに取り押さえられ、連行されていった。明日香も、似たような末路を辿っていた。彼女は貯金を使い果たし、仕事も失っていた。与えられていた社宅も、追い出されてしまった。明日香には帰る場所がなかった。そして、一日中、私の家の前で騒いで暴れるようになった。「あんたは疫病神よ。いい男と結婚したくせに、どうして戻ってきたのよ?男たちが自分のために争うのを見て、楽しんでるんでしょ。本当に悪い女」明日香に返ってきたのは、住民の罵声だけだった。「うるさい、うちの前で叫ぶんじゃない!」明日香はどこへ行っても、人にいい目で見られなかった。「昔からその女の態度が気に食わなかったのよね。いつも威張ってて、自分より弱い人だけいじめて」お金を借りようとしても、誰も相手してくれなかった。以前は宏介という後ろ盾がいたから、明日香は人の評価を気にする必要がなかったのだ。それからしばらくして、私は女の子を産んだ。家族三人、幸せで笑顔の絶えない日々だった。宏介は、明日香と一緒に暮らし始めたと聞いた。しかし、彼の心は
宏介は私にすがりつこうとしたが、正人に殴り倒された。「もう一度、俺の妻にちょっかいを出してみろ。ただじゃおかないからな」しかし、宏介はそれでも毎日やってきた。彼の心は、日に日に虚しくなっていった。もともと結婚するはずだったのに。まさかこんなことになるなんて。二人の新生活のために整えた部屋も、今では宏介一人きりだ。夜、静まり返ると、抑えきれない感情が押し寄せてくる。これまでの楽しかった思い出ばかりが、次々と頭に浮かんで消えなかった。あの頃はまだ、明日香とのいざこざがなかった。自分と優香、二人だけの世界だった。優香は公務員として働き、自分は小さなお店を始めて、少しずつ大きくしていくつもりだった。それから、子供が一人か二人生まれて。こんなにもささやかな願いが、すぐそこまで来ていたというのに。それなのに、自らの手で全てを壊してしまったのだ。きっかけは、明日香が泣きながら自分の元へやってきた時のことだった。「好きな人に振られちゃったの。どうして私じゃだめなのよ」彼女の涙に、心が揺らいでしまったのだ。明日香を喜ばせるために、優香には黙って明日香の言う通りに秘密機関に就いた。そして、来る日も来る日も仕事に明け暮れた。どうしてあんなことをしてしまったんだろう。「自分の将来のためだ」と言えば、優香はきっと分かってくれるに違いない。そう高をくくって、事前に相談をしなかったのだ。今となっては、後悔で胸が張り裂けそうだった。何もかも、自分から手放してしまったじゃないか。面会が許された日も、本当は優香に会いたかった。でも、明日香がいつも「寂しくてつらいの」と言って、泣きついてくる。どうすることもできず、結局いつも優香に我慢をさせていた。仕事が終われば、優香と過ごす時間はいくらでもあると、そう思っていたのだ。いやだ、こうなるはずじゃなかった。宏介は耐え切れなかった。優香が他の男の妻になるなんて、許せなかった。そう思った宏介は、正人の家に忍び込んだ。……眠っていると、誰かに抱き上げられる感覚がした。今日、正人は仕事で家にいないことを思い出した、私は怖くて声をあげた。けれど、すぐに宏介に口をふさがれた。彼は声を押し殺し、声を震わせた。「優香、俺が悪かった。
正人に支えられて、私は穏やかな日々を送っていた。体もだいぶ良くなった。しかし正人は、時々眉をしかめた。「お前の体はまだ万全じゃない。それなのに妊娠するための薬なんて、体に負担がかかるに決まってる」愛している人の子供がほしいと思うのは、ごく自然なことだ。今の私は、まさにそんな気持ちだった。もう、母親になる覚悟はできていた。正人とは、子供のころに一度だけ会ったことがあった。あの頃、私は初めて都会に引っ越してきたばかりだった。正人が案内役になってくれて、私が都会の暮らしに慣れるまでそばにいてくれた。おかげで私は、都会の暮らしに緊張することなく、毎日がどんどん楽しくなっていった。しかしある日、正人が引っ越すことになった。彼の家族は、もっと大きな街に行くことになったんだ。正人は、別れを告げる時間もないまま、他の街へ行ってしまった。それから私は遊び相手がいなくなって、外に出かけてもぶらぶらするだけの日々に戻った。それから学校に通い始め、宏介に出会った。次第に、正人のことは忘れてしまっていた。もう一生、会うことはないだろうと思っていたけれど、運命の再会は訪れた。私が病院で、「どうか母を助けてください」と泣き叫んでいたときだった。正人が現れて、ためらうことなく治療費を払ってくれた。彼は子供の頃から私の腕にあるあざを見て、すぐに私だと気づいたらしい。「優香?」何年も経っているのに、そのことを覚えていてくれたんだ。私は感動して、慌ててお礼を言った。お金は必ず返す、と。しかし、私の毎月の収入なんてほんのわずか。おそらく、一生かかっても返しきれないほどの金額だった。正人はそんなことを全く気にせずに、私と一緒に母の看病をしてくれた。しかし、治療が間に合わず、母は手遅れで亡くなってしまった。私は母の墓の前で泣き崩れた。宏介への気持ちは、その時に完全に消えてしまった。借金を返すために、私は正人の家で家政婦として働くことになった。そうしているうちに、子供のころの淡い気持ちがよみがえって、私たちは自然と付き合うことになった。正人の仕事の都合もあって、私たちの結婚は、両親に挨拶をするだけの、ごくささやかなものだった。それでも私は、すごく満足だった。正人は、そんなことを申し訳なく思
正人は、明日香が不正な手段で今の仕事を得たことを突き止め、上層部に告発した。明日香は仕事を失うだけでなく、賠償責任まで負わされることになった。こうなっては、明日香も冷静ではいられなかった。彼女は慌てて、宏介にすがりついた。「宏介さん、どうしよう?あなたなら何とかできるでしょ?顔が広いんだから。私、仕事がないと生きていけないの」しかし、宏介はただ呆然としていた。彼は優香が結婚したという事実を、どうしても受け入れることができなかったのだ。じゃあ、自分は一体どうすればいいんだ。優香に、捨てられたんだ。胸が、張り裂けそうだった。明日香が、宏介の体を激しく揺さぶった。「宏介さん、早く何か考えてよ」いつもなら明日香の言うことを何でも聞いていた宏介だが、今回は冷たい視線を送るだけだった。「仕事がなくなった?いいことじゃないか。あれは元々、優香のものだったんだ。優香に返してやれ」明日香は、自分の耳を疑った。彼女は怒りに任せて宏介の胸を叩いた。「約束したじゃない?あの仕事は私の誕生日プレゼントだって。どうして今さらそんなこと言うのよ」宏介は、逆に明日香を睨みつけた。「うるさい。俺は今、優香のことしか考えられないんだ。お前はもうここに来るな。今後も俺の前に現れるな。お前のせいで、優香は俺のもとを去ったんだぞ」明日香は言葉に詰まって、力なく笑った。「私は頼んでもいないわ、あなたが勝手に手伝うって言ってきたんじゃない?それなのに、今になって私のせいだなんて!」二人は口論から、もみ合いになった。正人はうるさく思い、二人を外に放り出した。その後、明日香はすぐに連行され、事情聴取を受けることになった。周りでは、以前から明日香を良く思わない人もいた。彼女たちは明日香の姿を見て、思わず笑い声を上げた。「やっぱり無能だったのね。仕事は奪ってきたものだったなんて。これまでどれだけの業務を押し付けられたか」もう一人がそれに続いた。「そうそう。自分はさっさと帰って、仕事は人任せ。それなのに、会社ではお嬢様ぶって、ほんと嫌な人よね」明日香は職場に顔を出すことすら恥ずかしくなり、悔しさで目を赤くした。「あなたたちには関係ないでしょ」明日香はすぐに解雇され、さらに給料の一部を返還するよう命じられ
意識が戻ると、夫の宮本正人(みやもと まさと)がそばにいた。私は慌てて自分のお腹に目をやった。正人は、私を安心させるように手を握ってくれた。「大丈夫、赤ちゃんは無事だ」彼の手のぬくもりが、私の心を温めてくれた。私は命拾いした気持ちで、そっとお腹をさすった。外がひどく騒がしい。宏介が大きな声でわめいているのが聞こえてくる。「なんで俺を入らせないんだ?自分の婚約者の面倒をみて、何が悪い?でたらめ言うなよ、優香が知らない男の子供なんて産むはずないだろうが」宏介は何度も「知らない男の子供」と繰り返した。正人は、こぶしを固く握りしめた。さっきは私のことが優先だったから、宏介を相手にしなかった。ただひたすら、私のそばにいてくれたのだ。でも今は、私が目を覚ましたのをわかったから、宏介に怒りをぶつけたくてたまらないようだった。病室の扉が、バンッと勢いよく開けられた。宏介が中に押し入ろうとする。「どけ」しかし、彼が正人に触れる前に、誰かに強く押さえつけられた。屈強な隊員たちに止められても、宏介の怒りは収まらない。「離せ!同じ隊員仲間じゃないか?他人の家庭問題に首を突っ込むなよ」正人は、宏介を睨みつけた。「家庭問題?松本隊長、冗談はよしてくれ。君がいつから我々の家族になったんだ?」宏介はその言葉の意味が分からず、もがきながら前に出ようとした。「あなたが優香の相手ですか。言っておきますが、俺たちは婚約しているんです。いくら立場が偉いからって、こんな横暴は許されませんよ」正人はためらうことなく宏介に拳を振る舞って、地面に殴り倒した。「君なんかに彼女のことを口にする資格があるのか?幼馴染の女のために、結婚式に出席もしないで優香に恥をかかせたくせに。今更どの面さげて婚約したなんて言えるんだ」宏介はようやくその時のことを思い出したようだった。私の方を見て申し訳なさそうな顔をしたが、それでも引き下がる気はないようだった。「どちらにせよ、俺と優香の付き合いは長いです。あなたが機関内でどんなに偉い人間かは知らないが、人の女を横取りするなんて筋が通りません。お腹の子があなたのだと?笑わせないでください、優香はもともと生理が重いんですよ」正人は慌てる様子もなく、一枚の受付記録を取り出した。そ
股から流れる血を見て、私はパニックになった。「宏介、病院に連れてって」いろんな薬を飲んで、やっと授かった子だから。妊娠に気づいて喜ぶ間もなかったから。この子を失いたくない。私は、必死に宏介にすがりついた。「助けて、痛い。宏介、お願いだから、お願い……」そんな私に手を貸そうとした宏介の隣で、明日香がそれを大声で引き止めた。「あら、宏介さん、それ、流産じゃない?優香さんとはしてないって言ってたのに、その子、どこの子かね?もしかして浮気されたんじゃないの?優香さんって、男がいないとダメな人だと思ってた」私は宏介に必死にしがみついた。「仕事のことはもうどうでもいいから、病院に連れてって……」私は痛みで意識が飛びそうだった。なのに、宏介は明日香の言葉を聞いて、足を止めてしまった。「ただの生理だよ。優香はいつもこんなに痛がるんだ。ナプキン持ってないか?」明日香は目に一瞬、嫉妬の色を浮かべた。そして、すかさず宏介を引き止めた。「生理痛でこんな風にはならないよ。絶対に流産だわ。この前だって、産婦人科で薬をもらってたじゃない。宏介さん、私が秘密機関に行くように勧めて本当によかったね。優香さんの本性が見抜けて」宏介は、まるで信じていない様子だった。明日香の頭を軽く叩いて、冗談めかして言った。「ばかなこと言うなよ。ただの生理痛だって。信じないなら、賭けてもいいぜ?」明日香は腹を立てたが、頷いて黙ってくれた。二人はそんな風に、私が血を流して苦しんでいる隣で話だけをしていた。誰も助けようとはしてくれなかった。絶望した私は、「助けて」と叫びながら、這うようにして道路がある方へと向かった。明日香は、にやりと口の端を上げた。「宏介さん、優香さんが行っちゃったら、賭けができないじゃない?」宏介は私の腕を掴んで、力ずくで引き戻した。私は絶望のあまり、脅すように言った。「助けないならどいて。私の夫はあなたたちの上司なのよ、ここで私を見捨てるのは、犯罪なんだから」明日香はさらに煽った。「は?上司?まだ夢でも見てるんじゃないの?どこの馬の骨かも分からない男とくっついただけでしょ」私は明日香の顔を、思い切りひっぱたいた。しかし宏介は私を突き飛ばし、頭を押さえつけた。「何するんだ、謝れ!」私の髪は