LOGIN――その言葉は、まるで銃弾のように、智也の胸を撃ち抜いた。
胸がぎゅっと締め付けられ、呼吸さえ忘れそうになる。 (……今の僕を、知りたい、って……?) 智也は呆然と大成を見つめる。 大成の声は低く、柔らかく、それでいて危ういほど親密で―― 告白のようでもあり、長い年月の奥底に秘められた執着のようでもある。 「お酒、嫌いじゃないの?」 智也は一瞬固まる。 普段なら、一滴も口にしないはずの酒だ。 なのに、すぐに言葉が出ない。 「い、一杯だけなら……」 「それなら、食前酒にシャンパンはどう?」 智也は小さく頷き、さらに小声で答える。 「でも……シャンパンはあまり詳しくないので、社長が選んでいただけますか」 大成は微笑み、目で合図してサービススタッフを手配する。 智也はほっと胸を撫で下ろすが、心のざわめきは収まらない。 さらに、大成の落ち着きと優雅さは、智也の心を乱す。 目をそらしたくても、声や視線、表情に捕らえられて、逃れられない。 やがて、シャンパンが運ばれ、二人は乾杯する。 「鈴木さんのAJプロジェクト就任の乾杯だ」 智也は、杯を上げ、その後グラスに口を付けた。 心臓が高鳴る。 大成の視線と交わるたび、喉の奥に微かな熱を感じる。 前菜が運ばれてくる頃には、智也の心はますます乱れていた。 警戒心はまだあるが、身体は反応を深めている。 目は自然と大成の手や肩、横顔を追い、動作のひとつひとつが神経を刺激する。 大成の声は低く柔らかく、視線は鋭く 、抗えない圧力を帯びている。 智也の胸の辺りは熱くなり、血もざわめく。 シャンパンが喉を通る度、酒のせいか大成のせいか分からぬまま、身体全体にも熱が広がっていく。 意識がそこに気づく頃には、智也はすでに大成の存在に絡め取られ、徐々に心底から揺さぶられていた。 会話は自然に大学時代やAJの話題へと流れ、6年の空白などなかったかのように交わされる。 シャンパンと前菜で、智也の頭は軽くほてり、胸の奥も熱を帯びる。 普段酒を飲まない智也は、ほんのり酔い、世界が少し揺れるように感じる。 二人きりの懇親会が終わり席を立ち、大成は微笑みながら、そっと智也の腕に手を添える。 「じゃあ、僕が送っていこうか」 酒が回った智也は、声もろれつが怪しくなる。 「い……いや、自分で帰れるから……」 抗おうとしても、身体はふわりと重く、言葉は鈍くなる。 大成に半ば誘導されるように、智也はふわふわと車に乗り込み、温かく抗えない力に導かれるまま、胸はざわつき、混乱する。 豪華なリムジンはゆっくりとホテルを出る。 夜の闇の中、智也の意識は、微かな酔いと大成の深い視線の間で、ぼんやりと揺れていた。迎えのハイヤーの中で聞いた通り、午前中は会議だった。 AJ側のホテル事業の総統括者と、ホテルプロジェクトの七人とのもので、週に必ず1回行われるらしい。 だが、ここに忙しい大成は1ヶ月に1回しか出席しないようで今日は出ない。 智也は、一度大成から与えられた自室に入り、会議の用意を始める。 やがてタブレットや他の資料のファイルを取り脇に抱え一人会議室に向かう。 もう緊張感はマックスだった。 しかし、社会人としての責任から自分を鼓舞し気合いを入れ直す。 この、厳しい環境のAJで、智也はこれから一人で戦わないとならない。 そう、望んだのは自分だ。 エレベーターで会議室まで行くため、その前で少し待つ。 やがてすぐに扉が開いたがーー すると、そこに大成と、その後ろに若い男女のAJ社員が三人で乗っていた。 「あっ……」 智也は、会社では冷静でいないとと思うのに、大成と目が合ってしまい、思わずギョッとして目を大きく見開いてしまいそうになったがそれを堪えた。 「おはようございます」 そして、何も感じてないかのような顔で、他のAJの社員と同じように普通に大成に対して社長として頭を下げた。 「ああ……おはよう」 大成もすぐに智也から目を離し前を向き、智也に対して普通の社員を扱うような態度をとる。 智也は乗り込んだが、その瞬間、微かに大成の纏う蠱惑的な香りがして脳を電気が走ったように刺激された。 大成の、匂い立つような男の色気から漂うその香りは、僅かとしても他人からしたらもはや劇薬ではないかと思う。 自分でもどうしようもなく、脈動が早くなるのを感じる。 だが、何事もない素振りで男女にも朝の挨拶をして、一番後ろに立つ。 二人の社員も、この大会社の社長であり、妖艶な大人の男の容貌を持ち、若くして厳粛な威圧感を放つ大成と同じ空間にいるのが緊張するのだろう。 シーン……と静まり返った狭い空間に、汗が滲んできそうな強い緊張感が漂う。 やがて、会議室のある階に止まり扉が開いた。 大成は降りない雰囲気だったので、社員二人が大成に頭を下げ先に出た。 智也も後を続こうと動いた。 すると、大成とすれ違いざま頭を下げたその時ーー 大成の香りが一瞬強くなって、智也の胸がギュっと締め付けられた。 そして、その瞬間ーー 大成が、そっと大成のスーツの内ポケ
「智……也……」 大成の甘い低い声が聞こえて、智也は瞼を上げる。 すると、智也はベッドに横たわっている。 仰向けのそのまま周りに視線を巡らすと、見覚えのある風景 大成のあの実家の大豪邸の、高校時代智也が一時期住まわせてもらっていた部屋。 (良かった……俺、まだ高校生なんだ。それに夢だったんだ。大成に裏切られた事も、6年後、大成と再会した事も……) そう思い、ホッとするとーー 「智也、おはよう。朝だぞ。もうそろそろ起きないと遅刻するぞ」 ベッドの横に立っていた大成が上から覗きこんできて、他人にクールな彼が智也にだけに向けてくれる微笑みが見えた。 (大丈夫。いつもの大成。いつもの優しい俺の大成) そしてーー 上から、ゆっくりと大成の顔が降りて来た。 智也は、それを当然のようにして、二人の唇が重なる。 ホッとして、泣きたくなった。 事実、智也の両目から涙が流れていた。 そしてーー (大成……大好きだよ……) 心の中で、そいそう呟いた。 (本当に、ずっと……ずっと……このままで、永遠にこのままで大成といたい……それが、俺の本心) だがーー さっき目覚めたはずの智也は、再び、今度こそ"本当"に目覚めた。 さっきと同じように、仰向けのそのまま周りに視線を巡らすと、見覚えのある風景。 智也が社会人になってから2年ずっと住んでいる東京の一人暮らしのマンション。 いつものベッドの上。(やっぱ今……俺、サラリーマンなんだ。それに、やっぱ現実だったんだ。大成に裏切られた事も、一昨日大成と再会した事も……) 何故こんな夢を見たのか、自分でも理解に苦しみ唇を噛んだ。 何故、まるで、まだ智也の中に大成への未練があるかのような。 あんな優しい夢だったのに、今の智也には地獄のような悪夢でしかない。 心臓が、苦しい位にバクバクとする。 (もう、俺にとって大成は取り引き会社の社長でしかない……今日から本格的に仕事に入る。しっかりしないと……) でも、泣いていたのは、夢じゃなかった。 今も、それは絶え間なく智也の頬を伝う。 (俺って……まだ泣けたんだ……) 大成と別れてこの6年間、何か辛い事があっても泣かなかったから、もう大成の裏切りで涙は枯れ果てたんだと思っていた。
智也は、男なのに"キレイ"と言われた事に戸惑うが、視線を下に落とし出来るだけ冷静を保つ。 「そんな事は……」 久野(くの)は、ニッコリ笑うと、人をたらしこむような言葉がペラペラと軽薄に思えるくらいに出てくる。 「ご謙遜を。以前からずっと、鈴木さんとお話ししてみたかったんですよ……是非これから沢山お話ししたいと思ってます」 久野の笑みや声から、なんとなく嫌な感じしか智也にはしない。 それでも、表情には出さない。 「どうですか?AJ2日目は?」 やたら智也の動向に詳しい久野が微笑みを深めた。 「はあ……やはりAJさんは規模が大きくて戸惑ってます」 智也は、仕方なく社交辞令的に微笑みを作った。 「でも、鈴木さんはそんな表情を見せないから、私よりも若いのに本当にしっかりしている。それに、鈴木さんは大丈夫でしょう。不破社長の高校時代の同級生だったそうですし……」 「……」 久野の穏やかな様子から、それがイヤミなのか? それとも他に何か違う意味合いがあるのか? ただ普通に聞いてるだけなのか? それが判断できず、智也は閉口した。 「不破社長とは、高校時代仲がよろしかったんですか?」 しまった……と、智也は思った。 大成と再会したのは3日前で、しかもバタバタしていて、そう聞かれた時の事を考えてなかった。 こう言う風に色々な人から聞かれ詮索されるのは充分想定できたはずなのに。 「あの……それは……」 どう返答するべきか悩む。 仲が良かったと言えば、まるで贔屓してコネで登用された感じになるし―― ここでは悪かったとも言えるはずない。 例え、大成が智也を裏切った事が事実としても。 窮していると、智也と久野が向かい合う少し向こう、久野の後ろの廊下の角から突然声だけがした。 低く冷静な。 「それは、私が答えましょう……」 久野が振り返り、智也は、その声にハッとして真っすぐ前に視線を上げた。 すると、すぐにそこから大成が出てきた。 そして、貴族的な高貴さを漂わすスーツのズボンのポケットに右手を突っ込んだ姿で二人の前に立った。 こんな風景を以前見たような、そんな感覚に智也は又襲われた。 既視感。 それを感じたのは今の状況が、6年前、大成に高校の廊下で助けてもら
翌日の朝。10時。智也の自宅。昨日智也をハイヤーで迎えに来ていた大成の側近の中年男性、木根が、智也を昼食会に連れて行く為に迎えに来た。11時からの昼食会の場所は、一昨日の晩に、智也と大成がベッドを共にしたフォルセスホテルだった事が智也には重かった。まさかーーこんな昼間から、また二人きりの昼食ではないだろうか?と疑心暗鬼にもなった。でも、昨日の大成は、確かに"AJ関係者に智也達プロジェクトメンバーを紹介する"と言っていた。そして、後部座席の智也が横の木根に詳しく聞くと、今回は本当にホテルプロジェクトに関わるAJの関係者100人以上を呼んでのようだった。でも、一昨日の事もあり、まだ本当にAJの昼食会か訝しんでいたら、目的地の車止めにすぐに到着する。ドアが自動で開き、巨大なホテルを見上げる智也に、一昨日の晩の大成とのベッドの記憶が溢れるように蘇る。そして、それを消そう、消そうとする度に更に思い出す。体も、今にも火がつきそうになり、焦り、仕事にだけ意識を向けようと必死になった。そうしながらハイヤーから降りようとすると、木根がその前に告げた。「鈴木さん。今からの昼食会はAJの関係者ばかりなのでどうかお気を楽にご参加して下さいとの……不破社長からのご伝言です。それと、この昼食会は2時までですが、食事を取られてそこそこ周りに挨拶なさったら、すぐにお好きな時間にご自宅に帰られご休息なさるようにとも社長はおっしゃられてました」(気を楽に……と言われても……それに……俺は早く仕事がしたいのに……)木根の顔を見ながら、智也はそう思うと心の中で大きな溜め息をついた。智也の契約がAJ側とゼイン側で合意するのが諸事情で遅れた為に、智也はプロジェクトメンバー合流がズレ仕事も遅れている。すでにこの事が、智也のきっちりした性格上、その肩に重くのしかかっていた。智也の緊張は和らぐ所か深まり、大成の気遣いにも何か心がざわつく。昼食会の会場は、智也と大成が二人きりの懇親会をしたフレンチレストランでは無く、ホテルの見晴らしの良い上層部の大会場だった。智也が入ると、ホテルプロジェクトの責任者の面々だけでなく、AJの幹部や社員だと思われる老若男女多くがすでに集まっていた。大成は、昼食会はまるで小規模のように言っていたがーー調理器具を大規模に会場に持ち込み、職人達が
大成は、智也を37階のある部屋へ連れて行き、そこでやはり智也と二人きりになった。 大きな部屋の大きな窓からは、38階の大成の社長室から見えるのとほぼ同じ東京の景色が一望できた。 その近くには、いかにも高級そうな机。 そして、その上に2台の最新のPCと1台のタブレットが置かれ、周りにはプリンターや大きなプロジェクターがあり、今流行りの人間工学を駆使した疲れにくいと言う高価格のワークチェアがセットされていた。 中央には、大人数でも会議できそうなソファ3台と大きいテーブル1台も置かれている。 そして、部屋の隅には、紙コップ式の自販機まで置いてある。 好きなボタンを押せば、紅茶、お茶も豆を一から挽いて入れるコーヒーも、ホットとアイスが飲み放題。お金は必要ない。 その他にも炭酸飲料やエナジー系まである。 「鈴木君。ここが今日から君だけの部屋だ。好きに使ってくれ。それから……」 大成はそう言うと、不意に智也の腕を取り、近くにあったのドアを開けて中に連れ入った。 中には、短い廊下を挟み左右に更に別の部屋のドアが幾つかあった。 それを、大成が指さす。 「ここがトイレで、あっちがシャワー室で……その向かいが台所。台所には冷蔵庫もある」 大成は、智也の腕を再び引っ張って、台所横の四つ目のドアの前に来ると開けて言った。 「ここが……仮眠室…」 電気をつけなかったから薄暗い部屋に、仕事の合間の仮眠に使うにはやけに大きなダブルベッドがあった。 智也の脳裏に、急に数時間前の大成との激しい性交がよみがえる。 智也の心臓が跳ね、大成の触れる智也の腕の辺りが熱くなり智也は焦る。 でもそれを隠してふと大成に視線をやると、大成も智也を見詰めていた。 智也は、性交の匂いのする恋愛じみた雰囲気になる事を恐れ、咄嗟に視線を外し淡々と言った。 「はい。わかりました」 そして、大成一人をその場に残し、サッサと机やソファのある大きな部屋に戻る。 だが、大成と離れる瞬間、大成のいつもの蠱惑的な香りがして胸がズキとした。 すると、大成も戻って来て、さっきの変な雰囲気は何も無かったかのように話を続けた。 「今日から出勤と帰宅は、こちらが用意するハイヤーを使ってくれ。それと、昼食と、どうしても仕事が終わらなくて仕事部屋で
智也は、元々人付き合いは上手くないし苦手だ。自覚もしてる。しかし、空間デザイナーは対人折衝も仕事の内で、智也もこの1年、社会人として人間関係には努力してきた。だが――今から会うのは、外装デザイナーの西畠(にしはた)建築界の天才で雲上人で、マスコミにもよく取り上げられる。それだけでも緊張感があるのに、智也の母より年上で、智也の更に肩に力が入り口の中が乾く。さっきのファイルの写真や過去にテレビのニュースで見た西畠は、流石女性でここまでの地位を築いただけあり、誰から見ても負けん気の強い顔立ちをしていて、智也もそれを感じてもいた。だが――「西畠先生初めまして。鈴木智也です」智也が西畠に深々頭を下げると。「あら~!鈴木君って、写真で見た顔より実際は更に若いわね。まだ高校生って言っても学生証無しで学割り受けられるわよ。でも、写真も実物も本当に凄いイケメンねぇ~アイドルか俳優さんって言っても全然不思議じゃないわね!」意外な事に智也と初めて対面した西畠は、開口一番そう言い、口調は朗らかで、でも快活で、良い意味で知り合いのおばさんのような親しみやすさがあった。「とんでもありません」智也は、再び絶妙な角度で頭を下げると、品位ある清廉な声で返した。そこからは、智也が内心今感じて必死で隠している緊張感は一見したら読み取れず、他人には、智也は顔は学生のように若いが話すと落ち着いたしっかりした社会人と言う印象を与えた。だが、智也の額の髪の生え際には、薄っすらとだが緊張の汗が滲んでいた。それくらい、西畠は智也にとって偉大な人物だった。すると、そんな智也と西畠の会話する姿を近くでしっかりと見ていた大成が、まるで智也の額のそれを感知したかのようにそっと智也の背中に手を当てた。そして西畠に、まるで自分の大切な人を紹介するような、穏やかでありながらしっかりした口調で言った。「西畠先生。私からお願いします。今日から鈴木さんを本当に、どうかよろしくお願いします」そんな、智也を推す大成の声にも、智也の背中の大成の手にも智也は驚く。そして、その大きな大成の手を智也の背中に感じると、智也の緊張感で硬直していた体から、意識せず自然と悪い方の力みだけがストンと抜けた。どうしてそうなるのか自分でもわらかず、そんな自分に智也は戸惑う。「鈴木君。実はあなたのデザインが素晴ら