Partager

十七話:消えない悲鳴

Auteur: 渡瀬藍兵
last update Date de publication: 2025-05-19 19:38:39

「うわっ……また——」

 再び、視界が灼けた。

 光が退いたとき、悠斗の目に映ったのは——病室の前の廊下だった。

 冷たいリノリウムの床に、誠也が膝を抱えて座り込んでいる。わずかに開いた扉の隙間から、老医師の低い声が漏れ聞こえていた。

『……残念ながら、誠也くんの病状は、我々の予想を上回る速さで進行しています。正直に申し上げて——状況は、芳しくありません』

 老医師の声には、悔しさを押し殺したような重みがあった。

『そんな……っ! どうして……! どうして誠也がこんな目に……っ!』

 母親が泣き崩れた。目元を覆う手の隙間から、堰を切ったように涙が溢れている。父親は——ただ唇を引き結び、老医師の言葉を呑み込むことしかできずにいた。

『……なにか、手はないんですか?』

『我々としても、手は尽くしているのです……! ですが悪化の一途を辿っていまして、日に日に咳が……』

 悠斗は、扉の外にいる誠也に目を向けた。

 小さな手で口元を懸命に押さえ、咳を殺そうとしている。聞こえてはいけない。両親を、これ以上悲しませてはいけない。——その一心で、幼い身体を震わせながら。

『誠也が……ごほっ、ごほっ……!』

 それでも、咳は容赦なく込み上げてくる。堪えきれずに漏れたその音が、静まり返った廊下に痛々しく響いた。

『……誠也が、悪い子だったから、なのかな……? だから、神様が怒ってるのかな……?』

 か細い声が、呟いた。

 誠也は——自分の病を、罰だと思っていた。母が泣くのも、父が俯くのも、全部自分のせいだと。幼い心で、そう信じ込んでいたのだ。

『……がんばるから……。誠也、もっともっと、がんばるから……。だから、お母さん……もう、泣かないで……』

「っ……!!」

 悠斗は唇を噛んだ。

(違う……! 君は悪くない……! 君のせいなんかじゃないんだ……! こんなのは、ただ——どうしようもなかっただけで……!)

 声は届かない。ここは過去の記憶だ。悠斗にできることは、ただ見届けることだけ。それでも——目の奥が熱く滲み、一筋の涙が頬を伝って落ちた。

 ——場面が、移ろう。

 次に目を開けたとき、病室の空気は一変していた。

 ベッドに横たわる誠也の姿に、悠斗は息を呑んだ。かつて夕陽の中で弾んでいた小さな身体は、見る影もなく痩せ細っている。頬は削げ、手足は枯れ枝のように細い。あの廃病院で出会った影の姿に、限りなく近づいていた。

『誠也くん……!』

 病室の扉が勢いよく開いた。老医師が駆け込んでくる。その顔には——これまで一度も見せたことのない、明るさが灯っていた。

『聞いてくれ……! ご両親が、今日会いに来られるそうだ……!』

 息を弾ませながら、ベッドの傍に膝をつく。

『医療費の目処が立ったらしい……! これで君も、アメリカで治療が受けられる……!』

 誠也の虚ろだった瞳が、かすかに揺らいだ。

『治るんだよ、誠也くん……!』

 老医師の声が震えていた。喜びと、それでもなお拭いきれない焦りが綯い交ぜになり、言葉の端々が上擦っている。

『だから……負けないでくれ……!』

『ほん……と……? 誠也……治るの……?』

 ——だが、運命は、さらなる残酷さをもってこの子に応えた。

『せ、先生!!』

 若い医師が息を切らして駆け込んできた。誠也に聞こえぬよう、老医師の耳元に顔を寄せ、何かを囁く。

 老医師の顔から、みるみるうちに血の気が引いていった。先程まで喜びに満ちていた瞳が、絶望の色に塗り潰されていく。

『……ダメだ……! そんなこと、あの子には言えん……! 事実は伏せておいて、ひとまずアメリカへ渡航させる手配を——』

『ですが先生、どうなさるおつもりなんですか……!? 渡航費用だけでも莫大です……! それに、ご両親だって……』

『……私が、私が何とか工面する……! だから——』

『あれ……いま、ママの声が……聞こえた気が……する……』

 虚ろな目で天井を見上げたまま、誠也がそう呟いた。

 老医師と若い医師が、同時に凍りついた。

『……くっ!』

 若い医師は唇を噛み締め、誠也から顔を背けるようにして病室を飛び出していく。

 静寂が落ちた。

 窓の外では、夕陽が沈みかけている。橙の光が、痩せ細った誠也の頬をうっすらと染めていた。

『……じいちゃん先生……』

 か細い声が、老医師を呼ぶ。

『な、なんだい?』

 老医師は慌てて笑みを作ろうとした。だが顔の筋肉が言うことを聞かず、口元だけが不自然に歪む。笑顔とは程遠い——苦痛を堪えているようなその表情を、誠也は見ていなかった。天井を、見つめたまま。

『……ママが……謝ってくる……』

『えっ……』

『……ごめんねって……。もう会えないって……』

 老医師の顔から、最後の色が消えた。

『……みんなに……なにがあったの……?』

 虚ろな瞳が天井を見つめたまま、誠也は——本来なら決して届くはずのない、遠い場所からの声を、確かに聞き取っていた。生と死の境が薄れゆくこの子だからこそ、聴こえてしまった——家族の最期の声。

『……そんな……! やめてくれ……! この子はこれから生きなければならないんだ……! そんなことを知っては……!』

『……えっ……そ、そんな……。みんな……! 置いていか……ないでよ……! まって……!』

 誠也が、声を上げて泣いた。

 枯れかけた小さな身体から、絞り出すような慟哭が溢れた。それは咳と嗚咽が混ざり合い、呼吸さえままならない、壮絶な泣き声だった。

 ——ピッ……ピッ………ピッ…………

 心拍モニターの音が、間延びしていく。

 砂時計の最後の砂粒が、音もなく落ちていくように。幼い命の灯火が、一拍ごとに——確実に、弱まっていった。

 老医師はベッドの傍で立ち尽くしていた。握り締めた拳が、白くなるほど震えている。

『誠也くん……! 誠也くん……!! そんな……! なんで……!!!』

 やがて、波形が——平らになった。

 誠也の心臓は、鼓動を止めた。

「うそだ……!! 誠也くん……! 誠也くん……っ!!」

 悠斗は叫んでいた。

 過去の記憶だとわかっている。自分の声が届かないことも。それでも——叫ばずにはいられなかった。

 老医師の慟哭が病室に満ち、壁に反響し、廊下の果てまで響いていく。その声は——五十年の時を経てなお、この場所に染みついて消えない悲しみそのもののように、いつまでも、いつまでも木霊し続けた。

Continuez à lire ce livre gratuitement
Scanner le code pour télécharger l'application
Commentaires (1)
goodnovel comment avatar
輪廻
幽霊の少年もさることながら、老医師も良い人なのが……この人も未練タラタラで彷徨ってなければ良いのだけれど
VOIR TOUS LES COMMENTAIRES

Dernier chapitre

  • 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜    読者の皆さまへ

    ### 作品をより良くするための挑戦 この作品は、**物語の良さを最大限に引き出すため**に、大きく二つの改訂を行います。 一つ目は、視点の変更です。 当初は一人称で書いていましたが、**三人称一元視点(悠斗の内面に寄り添う視点)** に変更しました。これは、読者の皆さまにより深く物語の世界に没入していただくための選択でした。 一人称では表現しきれなかった、**静かな空気感**、**日常に滲み出る異常**、そして**じわりと背筋を這い上がる怖さ**。それらを、より豊かに、より美しく描くことができたと感じています。 二つ目は、内容のテコ入れです。 物語の核心は変えず、展開やシーンの構成を見直します。より自然な流れで、より緊張感のある展開で、悠斗と琴音の物語が読者の心に届くように。 ### でも、変わらないもの どれだけ手を加えても、**絶対に失いたくなかったもの**があります。 それは、**この物語が持つ温かさと切なさ**。 春の桜、夕陽の茜色、風に揺れる髪。そんな美しい日常の中に、静かに、でも確かに存在する「この世ならざるもの」との繋がり。 **悠斗の優しさ**と**美琴の儚さ**。二人の間に流れる、言葉にならない想い。 それらは、最初に書いた時から、ずっと変わらず、この物語の心臓として脈打っています。 ### 最後に この物語が、皆さまの心に、少しでも残るものであれば幸いです。 怖さの中にある優しさ。日常の中にある奇跡。そして、縁が結ぶ不思議な物語。 ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。

  • 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜   裏設定

    皆さん、物語を読んでいただきありがとうございます! ここでは、物語をさらに深く楽しんでいただくために、いくつかの裏設定を少しだけ解説したいと思います。 Q1. 迦夜(かや)って、結局何だったの? 第七章で悠斗たちを苦しめた《迦夜》。彼女たちは、琴音の呪いによって生まれた「歴史への怨嗟の集合体」です。 しかし、琴音が戦いの最中に言ったこのセリフ、気になりませんでしたか? > 『ぐぅ……! 吸収し損ねた迦夜の残骸か……! はみ出し者の分際で、妾に逆らうとは……っ!!』 実は、琴音はこの千年もの間、自らが振りまいた呪いが生み出す怨念を、その身に吸収し続けていました。 迦夜の力も怨みも。 つまり、悠斗たちが戦った迦夜は、その巨大な器から**ほんの少しだけ溢れ出してしまった「残骸」**にすぎません。 Q2. なぜ沙月(さつき)の血筋だけが、他の巫女より長生きできたの? 美琴の血筋をはじめ、多くの巫女たちが二十代という若さで命を落とす中、なぜ沙月の子孫だけは比較的長く生きられたのか。 その答えは、**沙月が呪いの元凶である琴音の「実の妹」**だったからです。 力の源流に最も近い血を持つ沙月は、琴音の力を扱える器でした。 (もちろん、全く呪われていない訳ではありません) 例えるなら、他の巫女たちの呪いの進行速度を「2倍速」とすると、沙月の子孫は「等速」で進む、というイメージです。 それ故に、他の巫女よりは長く、三十代~四十代まで生きることができました。 悠斗に一切呪いがないのは、沙月の子孫への強い想いから繋がった、祈りという名の奇跡なのです。 Q3. 忘れられた創設者・沙月の歴史 桜織市の創設者である沙月の歴史は、あまりにも長すぎるため、そのほとんどが人々の記憶から忘れ去られています。 温泉郷にかすかに「清き巫女の伝説」が残るのみで、その全貌を知るのは、桜織神社の墓守である藤次郎の一族だけです。 なぜ歴史が忘れられたのか? それは、沙月自身がそう望んだからです。 彼女は、自分の子孫たちが過酷な宿命に縛られず、自由に生きてほしいと願い、藤次郎の祖先に「真実を語り継ぐ必要はない」と伝えていました。 ちなみに、沙月には**《葵(あおい)》**という娘がいました。 白蛇様の分身体を封印する覚悟を決めた沙月は、その少し前に、娘を父方の家系へと

  • 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜   縁語り其の結び

    あれから――さらに、百年もの歳月が流れようとしていた。 悠久の風がこの白蛇山の山頂を吹き抜ける中、妾は静かに見守り続けていた。悠斗に遺した妾の血を媒体に、彼と美琴、そしてその子孫たちが紡ぐ、すべての記憶と感情を。 それが、妾が自らに課した最後の贖罪であったから。 二人は、実に満ち足りた生涯を送った。 まるで失われた時間を取り戻すかのように、笑い、愛し合い、時には些細なことで喧嘩をしながらも、固く手を携えて歩んだ。やがて、その腕に新しい命を抱き、慈しみ、育て、そして次の世代へと縁を繋いでいった。 霊砂や百合香たち、古の巫女たちもまた、穏やかに天寿を全うし、安らかな眠りについた。 その最後の魂が天へと昇ったのを見届けたとき……妾の役目も、ようやく終わったのだ。 あぁ……なんと壮大で、愛おしい記録であったことか。 妾の呪いが彼らを、そして多くの者を苦しめてしまった事実に変わりはない。 だが、妾の血を引き継いだ彼らの子孫たちが、この先も数多の物語を紡いでいく。かつてあれほど憎らしいとさえ思ったその事実が、今ではむしろ……誇らしく、喜ばしいとさえ感じるのだ。 そんなことを想いながら空を仰いでいた、その時だった。 『……姉上……』 ふと、天から懐かしい声が聞こえたような気がした。 いや、気のせいではない。魂に直接響く、凛として、それでいて慈しみに満ちた声。 『む……?』 『姉上……』 見上げると、雲間から柔らかな光が差し、天からひとつの人影が、静かに舞い降りてくる。 妾の記憶にある、ただ一人の姿。 『……沙月……!』 『迎えにまいりました』 地に降り立った妹は、以前と何ひとつ変わらぬ、穏やかな微笑みを浮かべていた。 かつては、その清廉さが息苦しくもあった。だが……それがいまは、どうしようもなく心地よい。 『ふふ……そなたの蒔いた種が、見事な花を咲かせ……こうして、妾を解放するに至った。感謝するぞ、沙月』 そう告げると、彼女は一瞬だけ驚いたように目を見開き、そして、そっと妾の手を取った。 差し出されたその手は、記憶にあるどの温もりよりも柔らかく、そして、暖かかった。千年の時を超え、ようやく妹の手に触れることができたのだ。 さぁ、天へと上がろう。 悠久の時を、今度こそ二人で。 そして、この地に生きる、まだ見ぬ愛しき子孫たちよ。

  • 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜   縁語り其の最終話:縁が結ぶ光

    あれから――十六年が経った。 月日は慌ただしく流れ、私の日常も大きく姿を変えた。 私は今、この桜織市で『結び屋』という名の霊媒処を営んでいる。 古の巫女である霊砂さんたちとの交流は続き、私の方から「一緒に霊媒師をやらないか」と声を掛けたところ、彼女たちも快く受け入れてくれた。今では、皆が『結び屋』の正式な仲間だ。 皆の助けもあってか、いつしか「よく当たる」などと評判になり、かつてのような無名の存在ではなくなった。 けれど、やっていることは昔と何も変わらない。 ただ静かに、迷える霊たちの傍に寄り添い、その”想い”と向き合い――癒すだけ。 かつて、彼女がそうしてくれたように。 *** バスの車窓から、ふと紅い影を纏った霊を見つける。すぐに停止ボタンを押し、運賃を払ってバスを降りた。 いた。あの霊だ。 「こんにちは。何か、お困り事でも?」 私は、路地裏に佇むその霊に、臆することなく声をかける。 『あんた……私が見えるのね……』 「ええ。何か抱えている想いがあるはずです。私でよければお聞きしますよ」 『……なんで……なんで私が死ななきゃいけなかったの!? あいつが……あいつが悪いのに……!』 胸の内に渦巻く、未練と怒り。それはまだ”すれ違い”の最中なのだろう。 「よければ……あなたの話を、聞かせてくれませんか。私にも、力になれることがあるかもしれません」 これまで、幾度となく見てきた。怒りに呑まれ、世界を恨んだ霊たちも――きちんと”言葉”を交わせば、癒えるのだと。 *** 『……ってわけがあってねぇ……』 先ほどまで荒れ狂っていた霊は、今ではすっかり落ち着き、赤く禍々しかった気配も、まるで嘘のように消えていた。 「なるほど……それは、とてもお辛かったですね」 そう伝えると、彼女の身体が透き通り始める。成仏の兆候だ。 「あとは私が、あなたの想いを引き継ぎましょう」 『……ほんとに? いや……なんだか、あんたは信用できる気がするよ……』 彼女は、誤解の果てに彷徨っていた。だが、その誤解はいま解けた。約束通り、後日、彼女の言葉を伝えるために”その人”へ連絡を取るつもりだ。それが、私の仕事。私が選んだ、生き方。 『……あぁ……なんだか……心地がいいや……』 彼女の姿がさらに透け、やがて光の粒子となり、静かに――天へと昇っていっ

  • 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜   縁語り其の百八十:おかえりとただいま

    僕は車の中で、輝信さんと……琴乃さんの話をしていた。 彼女は、魂を賭して美琴を、そして僕を守ってくれたのだ。 美琴の言葉を借りれば──魂が攻撃されて死んでしまった場合、その魂は浄土へ昇れず、消滅してしまう。それを知っていながら、琴乃さんは迷わず僕たちを守ってくれた。その事実を思えば、あの山頂での自分の行動は……あまりにも愚かだったと、今更ながら胸が痛む。 この命は、琴乃さんと美琴、ふたりの魂に支えられて今、ここにあるのだ。 琴乃さんの想い人であり、彼女を同じように深く愛していた──輝信さん。彼がどんな反応をするか、正直、不安だった。 けれど、返ってきた言葉は……想像していたものとは違っていた。 「そうか、琴乃がふたりを守ってくれたのか……なら──ちゃんと、生きないとな。きっと琴乃も、それを望んでる」 その声は、努めて明るく振る舞う中に、微かな震えが混じっていた。ほんの一瞬だけ、その瞳の奥に深い悲しみがよぎる。でも彼は、変わらず優しく微笑んでくれた。 「……はい」 僕は深く頷いた。 *** 車内の空気は、しばらく静寂に包まれた。それでも、輝信さんは黙って僕を自宅まで送り届けてくれた。 「元気でな、悠斗君!」 別れ際、彼は笑顔で手を振った。 「俺はこれから琴乃の亡骸を弔ってくる。……また気が向いたら、あの家に来てくれ!」 その言葉を聞いて、僕は彼に尋ねた。なにか、自分にもできることはないかと。 だけど彼は、そっと首を横に振った。 「これは俺が、一人でやりたいことだから」 彼の瞳は、どこか遠い空を見つめていた。 そして、こうも言った。呪いが消えた今、琴乃さんが住んでいたあの家に住むつもりだと。そこに、彼女のための大きな墓を建てるつもりだと── (……僕も、ちゃんとお墓参りに行かないと) そう心に誓った僕に、彼は大きく手を振って車に乗り込んだ。 「じゃあな、悠斗君! 達者でなぁ!!」 その声が遠ざかっていく。 僕は、ただ静かに頭を下げて、その車を見送った。 *** 輝信さんと別れた僕は、その足で――久しぶりに、母さんのいる病院へと向かった。 バスの振動に揺られながら、窓に映る自分の顔が、やけに強張っていることに気づいた。もう何度も来ているはずの場所なのに、今日は心が落ち着かない。大切な報告があるからか、それとも、これまで

  • 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜   縁語り其の百七十九:終幕のその先へ

    「……よく戻ったな」 長老の家の前に立ったとき、あの慈愛に満ちた声が出迎えてくれた。 琴音様のことを村人たちに伝え終え、僕はひとり、この家を訪れていた。理由はふたつ。ひとつは――琴音様が告げた、美琴の転生の話を伝えるため。この人にとっても、美琴はきっと、大切な存在だったから。 「長老……琴音様から、美琴についてのお話がありました」 「ふむ……聞こう」 僕は、琴音様が語った言葉をそのまま伝えた。十数年後、美琴は再びこの世に生を受け、僕のもとへ還ってくる、と。 「琴音様が……そんなことを……?」 長老は、にわかには信じがたいといった表情で目を細めた。だが、その深く刻まれた皺の奥で、小さな希望の灯火が宿るのが見えた。 僕は静かに頷く。 「はい。あのとき、琴音様は力強くそう言ってくれました。……あの瞳に、迷いはありませんでした」 ゆっくりと、深く頷いた長老の目から、ひとしずく涙がこぼれ落ちた。 「そうかぁ……そうかぁ……」 何度も繰り返されるその声に、どれほどの想いが込められていたのか――僕は、その涙の重みを、ただ静かに見守った。 そして――もうひとつ。 「長老、もうひとつ……お願いがあります」 「ほう? なんじゃ?」 「沙月さんの情報を……すべて、正しく書き直してほしいんです」 しばしの沈黙の後、長老は目を閉じて静かに問い返す。 「それは……構わんが、なぜ今になって?」 「沙月さんのこの村での記録は、偽られたままです。本当のことが、何ひとつ残されていない……。千鶴さんが、彼女の子孫である僕達を守るためにそうしたのは分かります。でも、今はもう――その呪いも、終わったから……」 かつて琴音様が残した呪いは、もう祓われた。今の村には、彼女を知る人もいない。それなら、もう……彼女の人生を”真実”として刻んでもいいはずだ。 「ふむ……。では、文献を作り直そう」 そう言って、長老は真っ直ぐ僕を見つめ、力強く頷いてくれた。その声に、ひとかけらの迷いもなかった。 「ありがとうございます」 知らず知らずのうちに詰めていた息が、そっと吐き出された。 「して……その沙月様について詳しく話してくれるか?」 「もちろんです」 そうして、僕は語りはじめた。あの人が歩んできた、千年の祈りの軌跡を。温泉郷で呪われた霊たちを鎮めたこと。僕に呪いが宿って

  • 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜   二十話:喪われた一年

     悠斗は美琴を伴い、地下倉庫へと足を踏み入れた。  空気が、重い。湿り気を帯びた冷たさが肌にまとわりつき、呼吸のたびに肺の奥まで染みこんでくる。光の届かない空間に澱んだ気配が充満し、まるで空気そのものが腐敗しているかのようだった。  そして——部屋の中央に、四つの人影。  いずれも床に倒れ伏したまま、微動だにしていない。 「……っ!!! 翔太! 奏汰!」  悠斗は駆け寄り、必死に二人の肩を揺さぶった。何度も、何度も。だが返ってくるのは、ぐったりと力の抜けた身体の重さだけ。目を覚ます気配は、微塵もなかった。 「……やはり、霊障の影響を受けていますね」  美琴は静かに翔太の傍らへ歩み

  • 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜   十九話:残された寂しさ

    「……ふぅ」  全身から力が抜けた。悠斗はソファの上に崩れ落ちるように座り込み、そのまま深く背もたれに身を預けた。 「大丈夫ですか? 顔色が良くないように見えますが……」 「うん……ありがとう。今夜の出来事は、本当に衝撃的だった。きっと一生、忘れられないだろうね」  霊を——ずっと避けてきた。見えていても見ないふりをして、関わらないように、意識の外へ追いやるようにして生きてきた。幼い頃のあの日を最後に、霊の成仏などという場面に立ち会うことは二度とないだろうと、そう思っていた。  だからこそ、今夜の体験は悠斗の心を根底から揺さぶっていた。封じ込めていたはずの記憶が呼び起こされ、胸の内に

  • 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜   十八話:小さな帰還

    「うっ……!」  意識が、引き戻された。  壮絶な記憶の奔流から——ゆっくりと、けれど確かに、現実の輪郭が戻ってくる。院長室の天井。埃の匂い。窓から差し込む、青白い月の光。 (今のは……本当に……! 僕は、誠也くんの過去を……!)  記憶の中では不思議と凪いでいた心臓が、現実に戻った途端、胸を突き破らんばかりに脈打ち始めた。こめかみが熱い。手のひらが、じっとりと汗ばんでいる。  隣を見ると、美琴は長いまつ毛を伏せたまま、白い頬を静かに涙で濡らしていた。 「……誠也くん、本当に……想像を絶するほど、辛くて、苦しい過去を背負っていたんですね……」  その声はひどく小さく、心の底からの

  • 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜   十六話:白光の彼方へ

     悠斗が次に目を開けたとき、世界は白に呑まれていた。  地平の果てまで、何ひとつない。境界も、影も、音さえも——ただ茫漠とした静寂だけが、この空間を満たしている。 「ここは……一体、どこなんだ?」  はっとして、身体を起こす。つい先程まで、美琴と一緒にいたはずだ。院長室で、誠也の頭を膝に乗せて—— 「美琴……! 美琴、どこにいるの!?」  声が、白い虚空に吸い込まれた。返事はない。振り返っても、見渡しても、彼女の姿はどこにもなかった。 (夢なのか……? それとも——)  現実との境目さえ、ここでは曖昧だった。立ち尽くしていても仕方がない。悠斗はひとまず足を動かすことにした。  

Plus de chapitres
Découvrez et lisez de bons romans gratuitement
Accédez gratuitement à un grand nombre de bons romans sur GoodNovel. Téléchargez les livres que vous aimez et lisez où et quand vous voulez.
Lisez des livres gratuitement sur l'APP
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status