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縁語り其の二:春の風、初めての言の葉

Author: 渡瀬藍兵
last update Last Updated: 2025-05-15 18:20:35

 突然、ふわりと柔らかな風が吹き抜けた。

 それに呼応するように、桜翁の枝々から無数の花びらが、一斉に舞い上がり、まるで彼女の存在を祝福するかのように、その周りで雅やかな渦を巻く。

 その光景を目の当たりにした瞬間──僕の胸の奥深くで、今まで感じたことのない何かが、確かに揺らいだ気がした。

 彼女が、ふと、こちらに気づく。吸い込まれそうなほど澄んだ茶色の瞳が、春の午後の柔らかな光を映して、優しく揺れていた。

 「……この桜、とても綺麗だよね」

 自分でも驚くほど自然に、僕は不意に、そんな言葉をかけていた。

 彼女は一瞬だけ小さく目を見開いたけれど、すぐに穏やかな微笑みを浮かべて応えてくれる。

 「はい。本当に……息をのむほど綺麗ですね」

 その声は、まるで春のそよ風のように軽やかで、それでいて、不思議と心が落ち着くような、澄んだ響きを持っていた。

 「私、月瀬 美琴つきせ みことと申します。この春から、こちらの高校の一年生になりました」

 「どうぞ、よろしくお願いいたします」

 そう言って、彼女は丁寧に、深々と頭を下げる。

 (この一年生……礼儀正しくて、しっかりした子だなぁ……)

 その佇まいに、僕は少しだけ気圧されながらも、彼女に倣って自己紹介をする。

 「僕は、二年の櫻井 悠斗さくらい ゆうと。こちらこそ、よろしくね」

 そう言葉を交わした瞬間、彼女の穏やかな笑顔が、まるで春の陽射しそのものみたいに柔らかくて。

 いつもなら気にも留めないはずの、ありふれた自己紹介の言葉一つ一つが、なんだか今日だけは、とても特別で、かけがえのないもののように感じられた。

 「ふふっ 先輩でいらっしゃいましたか」

 彼女が少しだけ驚いたように愛らしく目を丸くして、小さく悪戯いたずらっぽく笑う。

 その気取らない、自然な仕草や言葉遣いが、春らしい温かな空気を僕たちの間に運んできた。

 ふたたび、優しい風が吹く。桜の花びらが、祝福のライスシャワーのように、僕たちの肩にもはらりはらりと舞い落ちた。

 「本当は、この美しい桜の写真を撮ろうと思っていたんですけど……どうやら、スマートフォンを忘れてきてしまったみたいです……」

 そう言って、美琴はほんの少しだけ残念そうに肩を落とした。

 彼女が名残惜しそうに見上げる視線の先には、夕陽に照らされて、淡い薄紅色の花びらが、静かに、けれど誇らしげに咲き誇っている。

 その、どこか子供のような純粋な表情と仕草に、思わず僕は笑みをこぼした。

 「大丈夫だよ。きっと、明日でも十分に間に合うと思う。……ここの桜翁の桜はね、他の桜よりもずっと花持ちが良くて、散るのが遅いからさ」

 「そうなのですか? それなら…安心しました。明日こそ、この美しい桜の写真を撮りたいですね」

 そう──この桜翁の桜は、まるで何かを待ち続けるかのように、他のソメイヨシノよりもずっと長く、その美しい花を咲かせ続けることで知られている。

 まるで、過ぎ行く春との別れを惜むように。あるいは、この地に眠る誰かの、永い永い想いを受け止め続けているかのように。

 そんな不思議な桜の木の下で、僕たちは、ふと、言葉もなく同じ茜色の空を見上げていた。

 桜翁の花びらが、別れを惜むかのように、はかなく舞い散る。

 どこか切なくて、それでいて温かい、不思議な静寂せいじゃくが辺りを包み込み、僕の胸に、小さな、けれど確かな余韻を残していった。

 ***

 やがて、美琴がそっと口を開く。

 「短い時間でしたけれど、先輩に自己紹介できて、嬉しかったです。それに……話しかけてくださって、ありがとうございました」

 彼女が軽く手を振ると、その白い指先の優雅な仕草が、傾きかけた夕陽の光に柔らかく映える。

 「また、学校でお会いしましょうね、先輩」

 「うん、またね。気を付けて帰るんだよ」

 僕が言葉を言い終えると、彼女はもう一度、深々と、そして綺麗にぺこりと頭を下げて、桜並木さくらなみきの続く道を、静かに去っていった。

 (先輩 か…。不思議な雰囲気の女の子だったな。)

 僕は一人、夕闇が迫る桜翁の木の下に残り、その巨木をじっと見つめる。

 風が、花びらを運び去り、西の空が燃えるような茜色から、次第に深い藍色へと移り変わっていく。

 ふと、その風に混じって、すぐ近くに誰かがいるような……そんな、かすかな気配を感じた。

 僕は周囲を慌てて見回すけれど、そこにはもう誰もいない。ただ、桜の幹が、夕闇の中で黒ぐろとしたシルエットとなって佇んでいるだけだ。

 (……まただ。最近よく感じる、この桜翁からの、誰かの呼び声のような……。)

 けれど、それが悪い気がしないのが実に不思議だ。

 美琴の、春風のように澄んだ声が、まだ頭の中で優しく響いている。

 そして、あの短いけれど、かけがえのない出会いの瞬間が、僕の胸に深く、深く刻まれた。

 桜翁が、風に枝を揺らし、ざわざわと音を立てる。まるで、何かをささやいているかのように。

 春の夕暮れの囁きが、月瀬美琴という名前と共に、僕の心に、そっと、大切な思い出として残った。

 ──────────

 春の風に 名もなきえにしほどけて

 二つの影 まだ知らぬまま 交わりぬ

 大いなる厄災は 静かに目を覚まし

 記されし因果、誰が断ちきるものぞ

 されど 祈りは結ばれん

 ──琴音

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Comments (1)
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塚田空
詩が本格的ですね! なんか不穏な事書いてあるし…
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  • 【完結】縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜   縁語り其の百七十八:呪いからの解放

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