LOGINアレクシス・ノワールは、初めてレオン・ヴァルガスを見た瞬間のことを、今でも鮮明に覚えている。
三年前。
母の再婚式。
パリの小さな教会で。
アレクシスは、母の再婚に反対ではなかった。
むしろ、幸せそうな母を見て、嬉しく思っていた。
父を亡くしてから、母は長い間一人で頑張ってきた。
ようやく、新しい人生を始められる。
アレクシスは、そう思っていた。
だが――義理の兄になるレオンと初めて会った時。
アレクシスの世界は、一変した。
教会の扉が開き、レオンが入ってきた。
黒いスーツに身を包んだ、長身の男性。
彫刻のように整った顔立ち。
琥珀色の瞳。
完璧な――あまりにも完璧な男。
アレクシスは、息を呑んだ。
美しい。
「初めまして。レオンです」
差し出された手を、アレクシスは震えながら握った。
「……アレクシスです」
その時、アレクシスは女装していた。
長い黒髪。シルクのドレス。
中性的な容姿を活かした、アレクシスのスタイル。
レオンは、アレクシスを見て少し驚いた表情を見せたが、すぐに完璧な笑顔を浮かべた。
「よろしく、アレクシス」
その笑顔は、美しかった。
だが――どこか、空虚だった。
まるで、仮面のような。
式の間、アレクシスはずっとレオンを見ていた。
母と義父が誓いの言葉を交わす間も。
ゲストたちが祝福する間も。
アレクシスの目は、レオンを追っていた。
レオンは、完璧な義理の息子を演じていた。
完璧な笑顔。
完璧な態度。
完璧な――嘘。
アレクシスには、分
翌週、レオンは大手ファッション誌のインタビューを受けていた。 都内の高級ホテルのスイートルーム。 窓の外には東京タワーが見える。 インタビュアーは、業界で有名な女性ジャーナリストだった。「レオンさん、最近雰囲気が変わったと話題ですね」「そうですか?」 レオンは完璧な笑顔で応じた。「ええ。以前はクールで完璧なイメージでしたが、最近は柔らかい表情が増えたような」 彼女はペンを走らせながら続けた。「もしかして、恋人でも?」「プライベートな質問には、お答えできません」 レオンの返答は、プロフェッショナルで完璧だった。「そうですよね。でも、読者は知りたがってますよ。レオン・ヴァルガスの恋愛事情」 彼女は意味深な笑みを浮かべた。「特に、義理の弟さんとの仲がいいって噂ですが」 レオンの心臓が跳ねた。「……義理の弟?」「ええ、アレクシス・ノワールさん。最近、よく一緒にいるところを目撃されてるそうですね」「兄弟なんだから、当然だろう」 レオンは平静を装ったが、内心では動揺していた。「そうですよね。でも、ちょっと親密すぎるんじゃないかって声もあるんです」 彼女はタブレットを取り出し、何枚かの写真を見せた。 カフェで手を繋ぐレオンとアレクシス。 レストランで見つめ合う二人。 夜のマンションに一緒に入っていく姿。 すべて、ゴシップ記者に撮られた写真だった。「これらの写真について、コメントをいただけますか?」 レオンの顔から血の気が引いた。 だが、表情は崩さない。「兄弟が一緒に食事をしたり、会ったりするのは普通だ。それ以上でも以下でもない」「そうですか」 彼女は満足げに頷いた。「でも、世間は興味津々ですよ。完璧なレオン・ヴァルガスの、完璧じゃない一面にね
レオンとアレクシスの秘密の関係は、さらに深まっていった。 だが、レオンは気づいていた――自分が、完全に変わり始めていることに。 仕事中、ふとアレクシスのことを考えている自分。 彼の声を聞きたくて、休憩時間に電話をかける自分。 次に会える日を、何よりも楽しみにしている自分。 これは――恋、なのだろう。 認めたくなかった感情。 だが、もう否定できない。 レオンは、アレクシスに恋をしていた。 ある日の撮影現場で、レオンは共演者の女性モデルと話していた。「レオンさん、最近雰囲気変わりましたね」「そうか?」「ええ。以前はもっと近寄りがたい感じだったけど、今は優しい雰囲気があります。恋人でもできたんですか?」 レオンは、アレクシスの顔を思い浮かべた。「……さあな」「秘密なんですね。でも、羨ましいです。そんな風に表情が柔らかくなるって、よっぽど素敵な方なんでしょうね」 素敵な方――。 確かに、アレクシスは素敵だ。 美しくて、優しくて、情熱的で。 ただ、義理の弟で、男だという問題があるだけで。 撮影が終わり、控室に戻ると、携帯にメッセージが届いていた。 アレクシスからだった。『今夜、会えますか? 久しぶりに一緒にディナーでも』 レオンは微笑みながら返信した。『ああ、いいぞ。どこに行く?』『兄さんの好きな店で。予約しておきます』 こんな風に、恋人のようなやり取りをしている自分が、不思議だった。 以前のレオンなら、考えられないことだ。 その夜、レオンとアレクシスは銀座の高級レストランにいた。 個室で、二人きり。 窓の外には、東京の夜景が広がっている。「兄さん、今日の撮影はどうでした?」「順調だった。お前は?」
ある夜、レオンはSNSでアレクシスの投稿を見て、思わず携帯を握りしめた。 人気俳優とのツーショット。 親しげに肩を組み、笑顔を見せるアレクシス。 キャプションには『新しい友達。いい人です♪』と書かれていた。 写真の俳優は、業界で有名なプレイボーイだ。 レオンの胸の奥が、ざわざわした。 何だ、この感情は。 怒り? 不安? それとも――。 嫉妬。 そうだ。これは、嫉妬だ。 アレクシスが他の誰かと親しくしている。 それだけで、胸が締め付けられる。 レオンは電話をかけた。 三回のコール音の後、アレクシスが出た。「もしもし、兄さん? どうしました?」「今、どこだ」「え? 自宅ですけど」「今から行く」「え、でも――」 レオンは一方的に電話を切り、車に乗り込んだ。 エンジンをかけ、アクセルを踏む。 深夜の東京を、レオンの車が走り抜けていく。 三十分後、レオンはアレクシスのマンションに到着した。 乱暴にドアベルを鳴らす。 ドアが開き、アレクシスが顔を出した。「兄さん、どうしたんです? 突然」 レオンは、アレクシスを部屋の中に押し込んだ。「SNSの写真、見た」「ああ、撮影で一緒だった俳優さんです。何か?」「……何でもない」 だが、レオンの表情は険しかった。 アレクシスは、ゆっくりと笑みを浮かべた。「まさか……嫉妬してるんですか?」「してない」「嘘」 アレクシスはレオンに近づき、顔を覗き込んだ。「顔に書いてあります。兄さん、俺が他の誰かと親しくしてるのが、気に入らないんですね」「っ……」
それから、二人の関係は密かに続いた。 表向きは義理の兄弟。 だが、誰もいない場所では――恋人のように。 レオンの日常は、少しずつ変化していった。 仕事の合間にアレクシスのことを考えている自分。 彼からの連絡を待っている自分。 次に会える日を楽しみにしている自分。 以前のレオンなら考えられなかったことだ。 ある日、レオンとアレクシスは青山のカフェで会っていた。 ガラス張りの店内は明るく、若い客で賑わっている。「兄さん、次の仕事は?」「ミラノでのファッションショー。お前は?」「ソウルで撮影。残念、すれ違いですね」 二人は普通に会話をしている。 だが、テーブルの下では、足が絡み合っていた。 アレクシスの足が、レオンのふくらはぎを撫でる。 レオンは表情を変えずに、コーヒーを飲んだ。「……人前でそういうことをするな」「誰も気づきませんよ」 アレクシスは悪戯っぽく笑った。 レオンは呆れながらも、その笑顔に心が温かくなるのを感じた。 おかしい。 こんなの、おかしい。 でも――幸せだった。 この異常な関係が、レオンに初めて本当の幸福感を与えていた。 カフェを出て、二人は青山の街を歩いた。 並木道を歩きながら、アレクシスが突然立ち止まった。「兄さん、あれ見てください」 指差す先には、ショーウィンドウがあった。 高級ブランドの店で、ウィンドウには美しいスーツが飾られている。「似合いそうですね、兄さんに」「……そうか?」「ええ。今度、一緒に買い物に行きませんか?」 その提案に、レオンは少し驚いた。「買い物?」「ダメですか? 兄弟が一緒に買い物するのは、普通でしょう?」
撮影が終わり、レオンは自宅のマンションに戻った。 高層階の部屋からは、東京の夜景が一望できる。無数の光が煌めき、都会の喧騒が遠くから聞こえてくる。 だが、レオンの心は落ち着かなかった。 シャワーを浴びて、ベッドに倒れ込む。 眠ろうとしても、眠れない。 アレクシスの声が、頭の中で何度も響く。『兄さんの身体、もう俺を覚えてしまってる』 認めたくなかった。 義弟に、しかも男に、身体も心も支配されつつある自分を。 だが、身体は正直に疼いていた。 アレクシスを思い出すだけで、体温が上がっていく。 レオンは枕に顔を埋めた。 ダメだ。 こんなの、おかしい。 でも――欲しい。 もう一度、あの感覚を。 もう一度、アレクシスに――。 午前二時。 レオンは遂に屈した。 携帯を手に取り、アレクシスに電話をかける。 コール音が三回鳴った。「はい、どうしました? 兄さん」 落ち着いた声。まるで、この電話を待っていたかのような。「……来い」「どこにですか?」 分かっているくせに、とレオンは思った。「俺の部屋だ。今すぐ」 沈黙。 そして、アレクシスの低い笑い声が聞こえた。「やっと、素直になりましたね」「……余計なことは言うな」「分かりました。三十分で着きます」 電話が切れた。 レオンは携帯を放り投げ、顔を両手で覆った。 俺は……終わりだ。 完璧なトップモデル。誰もが憧れる男。 そんな虚像は、もう保てない。 だが、その絶望感よりも強いのは――アレクシスに会える期待だった。 三十分後、インターホンが鳴
撮影当日。 都内の高級スタジオには、朝から緊張した空気が漂っていた。 レオンは控室で、鏡の前に座っていた。メイクアップアーティストが丁寧に化粧を施しているが、レオンの表情は硬い。「レオンさん、大丈夫ですか? 顔が強張ってますよ」「……ああ、大丈夫だ」 嘘だった。 全然、大丈夫じゃない。 もうすぐ、アレクシスが来る。 あの夜以来、連絡は取っていない。何を話せばいいのか分からない。 そして、ゴシップ記者のことも頭から離れない。 三日間の猶予。 今日が二日目だ。 どうすればいい? 正直に話すべきか。 それとも、否定し続けるべきか。「レオン、準備できた?」 ドアが開き、佐藤が顔を出した。「アレクシスも到着したよ。すぐに撮影開始だ」 レオンは深呼吸をして立ち上がった。 スタジオに向かう廊下を歩きながら、心臓の鼓動が早くなっていくのを感じた。 スタジオのドアを開けると――。 アレクシスがそこにいた。 今日のアレクシスは、白いシャツと黒いスラックスという、シンプルだが洗練された装いだった。長い黒髪は緩く束ねられ、中性的な美しさが際立っている。 レオンと目が合うと、アレクシスは微笑んだ。 その笑みには、何の邪気もないように見えた。「おはようございます、兄さん」「……ああ」 レオンは短く応じた。 編集長が二人に近づいてきた。四十代くらいの、エネルギッシュな女性だ。「レオン、アレクシス! 二人とも揃ったわね。素晴らしいわ」 彼女は興奮した様子で続けた。「今日のテーマは『禁断の美』。義理の兄弟という関係性を、芸術的に表現したいの。エレガントで、でもどこか危険な雰囲気を出してほしいわ」 禁断の美、という言葉が、レオンの胸を刺