Mag-log in目を覚ましたレオンを襲ったのは、激しい頭痛と吐き気だった。
頭が割れるように痛い。口の中は乾ききっていて、全身が重い。どれだけ飲んだのか。
ゆっくりと目を開けると、見知らぬ天井が視界に入った。白いシーツ、高級そうなカーテン、広々とした部屋。
ここは……ホテル?
記憶を手繰り寄せる。パーティー。テラス。カード。地下のラウンジ。そして――。
黒髪の人物。
レオンの心臓が跳ねた。
隣を見る。そこには、誰かが眠っていた。
黒い髪が枕に広がり、白いシーツに包まれた華奢な身体。整った横顔が、朝日に照らされている。
昨夜の記憶が、断片的に蘇ってくる。
熱いキス。絡み合う肌。初めて感じた昂揚。声を上げた自分。相手の温もり。
そして――。
レオンの顔が蒼白になった。
シーツがはだけた相手の身体を見て、確信した。
胸元のライン。肩の形。首筋から鎖骨にかけての骨格。
どれも、女性のものではない。
「……嘘だろ」
震える手で、相手の肩に触れた。
その瞬間、黒髪の人物がゆっくりと目を開けた。
琥珀色の――いや、金色に近い瞳。
どこかで見たことがある。この瞳を、確かに知っている。
相手は微笑んだ。どこか悪戯っぽく、それでいて妖艶な笑み。
「おはようございます、
時が止まった。
兄さん、という言葉が、レオンの頭の中で何度も反響する。
「……アレクシス?」
「そうです。まさか、気づいてなかったんですか?」
アレクシス・ノワール。
レオンの母が三年前に再婚した相手の連れ子。義理の弟。
再婚式の時、一度だけ会った。その時も、アレクシスは女装していた。長い黒髪、中性的な顔立ち、どこか掴みどころのない雰囲気。挨拶を交わしただけで、それ以来ほとんど接触はなかった。
アレクシスはモデルとして活動していると聞いていた。だが、まさか――。
「お前……なぜ、こんなことを」
レオンの声は震えていた。
「なぜって?」
アレクシスは身を起こし、レオンの頬に指先を這わせた。
「昨夜、兄さん、すごく感じてましたよね。声も出してたし、ちゃんと勃ってましたよ?」
「っ!」
レオンは彼を突き飛ばし、シーツで自分の身体を隠した。顔が熱い。羞恥と怒りと混乱が渦巻いている。
「これは……事故だ。俺は、お前が男だと知らなかった」
「でも、事実は変わりません」
アレクシスは悪戯っぽく笑った。黒髪が肩から流れ、朝の光を受けて艶めいている。シーツを纏っただけの姿は、どこまでも妖艶だった。
「完璧なトップモデル、レオン・ヴァルガス。女は抱けないのに、男になら反応する――面白い秘密ですね」
「黙れ!」
レオンの怒鳴り声が、部屋に響いた。
アレクシスは一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐに元の余裕ある態度に戻った。
「怒らないでください。俺は、兄さんを責めてるわけじゃありません」
「じゃあ、何だ」
「むしろ、助けたいんです」
「……何?」
アレクシスはベッドから降り、レオンに近づいた。シーツを纏っただけの姿が、危険なほど魅惑的だ。
「兄さんの悩み、知っています。女性と関係が持てないこと。業界では有名な話ですよ」
「……」
「でも、昨夜証明されたじゃないですか」
アレクシスはレオンの耳元で、甘く囁いた。
「兄さんの身体は、壊れてなんかいない。ただ、
「俺は……
レオンは否定したが、声に力がなかった。
昨夜のことを思い出す。あの熱さ。あの昂揚。初めて感じた、生きているという実感。
すべて、男に抱かれたことで得たものだった。
「否定するのは自由です。でも」
アレクシスの指が、レオンの唇をなぞった。
「また、俺に抱かれたくなったら、いつでも言ってください。兄さんの秘密、守ってあげますから」
「……二度と、こんなことはない」
「ふふ、そうですか」
アレクシスは満足げに笑い、床に散らばった服を拾い始めた。
黒いドレスを身に纏う姿を、レオンは呆然と見つめていた。
昨夜は酔っていたから、よく見えなかった。だが今、改めて見ると――アレクシスは本当に美しかった。
男なのに。義弟なのに。
なぜ、こんなにも心が乱されるのか。
「じゃあ、またいつか」
アレクシスは部屋を出て行く前に、もう一度だけ振り返った。
「あ、そうだ。一つ忘れてました」
「……何だ」
「次に会う時は、もっと楽しませてくださいね、兄さん」
ウインクとともに、アレクシスは去っていった。
残されたレオンは、ベッドに倒れ込んだ。
何が起こったのか。
何をしてしまったのか。
義弟と。男と。
最悪だ。
だが――レオンは自分の身体が、まだ熱を持っていることに気づいていた。
アレクシスを思い出すだけで、身体が疼く。
「くそ……」
枕に顔を埋め、レオンは叫びたい衝動を抑えた。
自分が何者なのか。
何を求めているのか。
もう、分からなかった。
ただ一つ確かなのは――昨夜、確かに気持ちよかったということ。
そして、その相手が義理の弟だったという、残酷な真実だけだった。
一年後。 パリ。 レオンとアレクシスは、セーヌ川沿いのアパルトマンで暮らしていた。 朝の光が、窓から差し込んでくる。 レオンは、バルコニーでコーヒーを飲んでいた。 眼下には、セーヌ川が穏やかに流れている。 パリの街並みが、朝靄の中に浮かんでいる。「兄さん、コーヒー」 アレクシスが、もう一つのカップを持ってきた。「ありがとう」 二人は並んで座り、コーヒーを飲んだ。 静かな朝。 穏やかな時間。 かつて、レオンが夢見ていた日常が、今ここにある。「今日の撮影、楽しみですね」 アレクシスが言った。「ああ。久しぶりのパリのランウェイだ」 レオンとアレクシスは、再びモデルとして活動していた。 以前ほどのオファーはないが、それでも十分に仕事はあった。 特に、LGBTQフレンドリーなブランドからは、多くの依頼が来ていた。 二人は、カップルモデルとして、世界中で活躍していた。「兄さん、何考えてるんですか?」 アレクシスが、後ろから抱きしめてきた。「お前と出会えて、良かったって」「突然、どうしたんです?」「いや、本当に」 レオンは振り返り、アレクシスの唇に口づけた。「俺の人生で、お前と出会えたことが、一番の幸運だった」 アレクシスは嬉しそうに笑った。「俺もです。兄さんに出会えて、愛されて――これ以上の幸せはありません」 二人は抱き合い、朝日に照らされた。 かつて、レオンは完璧であろうとしていた。 完璧な容姿。 完璧なキャリア。 完璧な恋愛。 すべてが、虚像だった。 本当の自分は、不完全で、弱くて、男にしか反応できない欠陥品だった。 それでも――。 アレクシスは、そんなレ
撮影当日。 都内のスタジオには、前回とは違う雰囲気が漂っていた。 スタッフたちは、レオンとアレクシスを温かく迎えてくれた。「レオン、アレクシス、来てくれてありがとう」 編集長は、笑顔で二人を迎えた。「今日の撮影は、『愛の多様性』がテーマです。二人のありのままの姿を、美しく撮影したい」 レオンは、アレクシスと顔を見合わせた。 もう、隠す必要はない。 この関係を、恥じる必要もない。「よろしくお願いします」 二人は、揃って頭を下げた。 撮影が始まった。 最初のポーズは、二人が向かい合って立つもの。「もっと近づいて。そう、自然に」 カメラマンの指示に従い、レオンとアレクシスは距離を縮めた。「いい表情! 愛し合ってる二人の、自然な笑顔が素敵よ」 次のポーズは、抱き合うもの。 レオンはアレクシスを抱きしめた。 もう、ためらいはない。 これが、俺たちの関係だ。「完璧! 次は、キスシーンを撮りたいんだけど、いい?」 編集長の提案に、レオンは少し驚いた。 だが――。「ああ、構わない」 レオンは頷いた。 アレクシスも、嬉しそうに微笑んだ。「じゃあ、お願い。自然な感じで」 レオンは、アレクシスを見つめた。 琥珀色の瞳が、愛おしそうにレオンを見返している。 そして――レオンは、カメラの前で、アレクシスに口づけた。 優しく、愛情を込めて。 周囲からどよめきが起こる。 だが、レオンはもう気にしなかった。 これが、俺たちの愛だ。「素晴らしい! 完璧よ!」 編集長の興奮した声が響く。 撮影は続き、様々なポーズで二人の姿が撮影された。 手を繋ぐ姿。 見つめ合う姿。
数日後、週刊誌がスクープを掲載した。 『トップモデル・レオン、義弟と禁断の関係!』 大きな見出しとともに、レオンとアレクシスの写真が表紙を飾った。 記事は瞬く間に拡散され、SNSは炎上した。 「気持ち悪い」 「兄弟なのに、ありえない」 「モデルの仕事、全部キャンセルすべき」 批判、中傷、興味本位の視線――全てがレオンとアレクシスに向けられた。 レオンの事務所には、抗議の電話が殺到した。 いくつかのブランドは、契約解除を通告してきた。 ミラノのファッションショーも、出演をキャンセルされた。 レオンは、自宅に籠もっていた。 外に出れば、パパラッチが待ち構えている。 携帯には、知らない番号からの着信が続く。 すべて、ゴシップ記者だった。「くそ……」 レオンは、ソファに座り込んだ。 これが、代償なのか。 愛を選んだ、代償。 インターホンが鳴った。 レオンは警戒しながら、モニターを確認する。 アレクシスだった。 ドアを開けると、アレクシスが飛び込んできた。「兄さん、大丈夫ですか?」「……ああ。お前は?」「俺も、仕事がいくつかキャンセルになりました。でも」 アレクシスはレオンを抱きしめた。「兄さんが心配で」 レオンは、アレクシスを抱き返した。「すまない……俺のせいで」「違います」 アレクシスは顔を上げた。「これは、俺たちが選んだ道です。誰のせいでもない」「でも、お前の仕事まで――」「いいんです」 アレクシスは微笑んだ。「兄さんと一緒にいられるなら、何も怖くない」 その言葉に、レオンは胸が熱くなった。
母は、ソファに座り込んだ。 顔は蒼白で、手が震えている。「アレクシス……あなた、何を言ってるの?」「事実です」 アレクシスは母の前に立った。「俺は、兄さんのことが好きです。初めて会った時から、ずっと。この気持ちを抑えることなんてできなかった」「でも、二人は――」「血は繋がってません。法律的にも問題ない」 アレクシスの声は、静かだが力強かった。「それでも、ダメですか?」 母は言葉を失った。 レオンは、アレクシスの横に立った。「母さん、俺たちは本気だ」「レオン……」「最初は、俺も混乱した。義弟に惹かれるなんて、おかしいと思った」 レオンは母を見つめた。「でも、アレクシスは、俺の全てを受け入れてくれた。完璧じゃない俺も、弱い俺も、すべて」「……」「俺は、アレクシスを愛してる」 その言葉を聞いて、アレクシスの瞳が潤んだ。 母は、二人を交互に見つめた。「本気なの? 二人とも」「はい」 アレクシスが答えた。「でも、分かってるわよね? これが公になったら、二人とも大変なことになる」「覚悟はしてます」 レオンが言った。「仕事を失うかもしれない。世間から批判されるかもしれない。それでも」 レオンはアレクシスの手を握った。「俺は、この関係を守りたい」 母は深いため息をついた。「あなたたち、本当にバカね」 だが、その目には涙が浮かんでいた。「母として、賛成はできない。でも……あなたたちが本気で愛し合ってるなら、私が止める権利はないわ」「母さん……」 アレクシスは、母に近づいた。
翌週、レオンは大手ファッション誌のインタビューを受けていた。 都内の高級ホテルのスイートルーム。 窓の外には東京タワーが見える。 インタビュアーは、業界で有名な女性ジャーナリストだった。「レオンさん、最近雰囲気が変わったと話題ですね」「そうですか?」 レオンは完璧な笑顔で応じた。「ええ。以前はクールで完璧なイメージでしたが、最近は柔らかい表情が増えたような」 彼女はペンを走らせながら続けた。「もしかして、恋人でも?」「プライベートな質問には、お答えできません」 レオンの返答は、プロフェッショナルで完璧だった。「そうですよね。でも、読者は知りたがってますよ。レオン・ヴァルガスの恋愛事情」 彼女は意味深な笑みを浮かべた。「特に、義理の弟さんとの仲がいいって噂ですが」 レオンの心臓が跳ねた。「……義理の弟?」「ええ、アレクシス・ノワールさん。最近、よく一緒にいるところを目撃されてるそうですね」「兄弟なんだから、当然だろう」 レオンは平静を装ったが、内心では動揺していた。「そうですよね。でも、ちょっと親密すぎるんじゃないかって声もあるんです」 彼女はタブレットを取り出し、何枚かの写真を見せた。 カフェで手を繋ぐレオンとアレクシス。 レストランで見つめ合う二人。 夜のマンションに一緒に入っていく姿。 すべて、ゴシップ記者に撮られた写真だった。「これらの写真について、コメントをいただけますか?」 レオンの顔から血の気が引いた。 だが、表情は崩さない。「兄弟が一緒に食事をしたり、会ったりするのは普通だ。それ以上でも以下でもない」「そうですか」 彼女は満足げに頷いた。「でも、世間は興味津々ですよ。完璧なレオン・ヴァルガスの、完璧じゃない一面にね
レオンとアレクシスの秘密の関係は、さらに深まっていった。 だが、レオンは気づいていた――自分が、完全に変わり始めていることに。 仕事中、ふとアレクシスのことを考えている自分。 彼の声を聞きたくて、休憩時間に電話をかける自分。 次に会える日を、何よりも楽しみにしている自分。 これは――恋、なのだろう。 認めたくなかった感情。 だが、もう否定できない。 レオンは、アレクシスに恋をしていた。 ある日の撮影現場で、レオンは共演者の女性モデルと話していた。「レオンさん、最近雰囲気変わりましたね」「そうか?」「ええ。以前はもっと近寄りがたい感じだったけど、今は優しい雰囲気があります。恋人でもできたんですか?」 レオンは、アレクシスの顔を思い浮かべた。「……さあな」「秘密なんですね。でも、羨ましいです。そんな風に表情が柔らかくなるって、よっぽど素敵な方なんでしょうね」 素敵な方――。 確かに、アレクシスは素敵だ。 美しくて、優しくて、情熱的で。 ただ、義理の弟で、男だという問題があるだけで。 撮影が終わり、控室に戻ると、携帯にメッセージが届いていた。 アレクシスからだった。『今夜、会えますか? 久しぶりに一緒にディナーでも』 レオンは微笑みながら返信した。『ああ、いいぞ。どこに行く?』『兄さんの好きな店で。予約しておきます』 こんな風に、恋人のようなやり取りをしている自分が、不思議だった。 以前のレオンなら、考えられないことだ。 その夜、レオンとアレクシスは銀座の高級レストランにいた。 個室で、二人きり。 窓の外には、東京の夜景が広がっている。「兄さん、今日の撮影はどうでした?」「順調だった。お前は?」
撮影当日。 都内の高級スタジオには、朝から緊張した空気が漂っていた。 レオンは控室で、鏡の前に座っていた。メイクアップアーティストが丁寧に化粧を施しているが、レオンの表情は硬い。「レオンさん、大丈夫ですか? 顔が強張ってますよ」「……ああ、大丈夫だ」 嘘だった。 全然、大丈夫じゃない。 もうすぐ、アレクシスが来る。 あの夜以来、連絡は取っていない。何を話せばいいのか分からない。 そして、ゴシップ記者のことも頭から離れ
レオン・ヴァルガスが初めてカメラの前に立ったのは、二十歳の時だった。 それまでの彼は、ただの大学生だった。アルゼンチンからフランスに留学し、経済学を学んでいた平凡な若者。 だが、平凡でいられたのは、ほんの短い期間だけだった。 ある日、パリの街を歩いていたレオンは、スカウトされた。「君、モデルに興味ない?」 声をかけてきたのは、大手モデル事務所のスカウトマンだった。「モデル? 俺が?」「ああ。君の顔立ちは完璧だ。身長も申し分ない。業界で絶対に成功する」
アフターパーティーの会場は、セーヌ川沿いの歴史的な邸宅だった。シャンデリアの煌めき、弦楽四重奏の優雅な調べ、シャンパンの泡がグラスで弾ける音。パリの社交界が集う、華やかで排他的な空間。 レオンはマリアンヌの隣に座り、完璧な笑顔で会話を続けた。彼女は楽しそうに笑い、頻繁にレオンの腕に触れてくる。「ねえレオン、今度の週末、私の別荘に来ない? プロヴァンスよ。静かで素敵なところなの」「素晴らしい提案だね。でも残念ながら、週末は東京で撮影があるんだ」「あら、残念」 マリアンヌは少し不満げだったが、すぐに笑顔を取り戻した。 時計を見る。まだ十時だ。このペースだと、パーティーは深夜まで続く
パリの夜は、いつも眩しすぎた。 ランウェイに降り注ぐスポットライト。何千というフラッシュの奔流。熱狂する観客たちの視線が、まるで無数の針のようにレオン・ヴァルガスの肌を刺す。 足を踏み出すたび、シルクのシャツが身体に纏わりつく。計算され尽くした歩幅。完璧な角度で顎を引き、遠くを見つめる眼差し。すべてが、何年もかけて磨き上げた技術の結晶だ。 ランウェイの最前列には、ヴォーグやエルの編集長たちが座っている。彼女たちの満足げな表情が、レオンの市場価値を物語っていた。二十八歳。モデルとしては決して若くないが、レオンには「完璧」という付加価値があった。 百八十八センチの長身。彫刻のように整っ