分享

第5話

作者: 霜晨月
last update publish date: 2025-12-06 20:00:21

取調室の扉は、颯斗の一蹴りで轟音と共に吹き飛んだ。

「マジかよ……こんなのアリか?」

颯斗はなくなった扉の前に立ち尽くし、呆然としていた。

つい先刻までは傷だらけで、立ち上がるのがやっとだったというのに、今はまるで別人のように生命力がみなぎっている。いかにも堅牢そうな鉄の扉でさえ、かくも容易く蹴り破ってしまったのだ。

どうやら、練は冗談を言っていたわけではなかったらしい。あの「治療」とやらは、本物だったのだ。

「大騒ぎするな」身なりの整った練が、彼の背後から姿を現す。「お前の本当の実力はそんなものではない」

「俺の……本当の、実力?」

颯斗が振り返って問い質そうとしたその時、練はどこからともなくハイテクなサングラスを取り出し、ゆっくりと装着した。

「霧生先生、ここは刑務所だぜ?なんでサングラスなんか……」

練は答えず、伸ばした指でフレームを軽くタップする。

その瞬間、レンズは透き通るほど幽玄な青色に染まり、複雑な回路を思わせる光の筋が表面を高速で交錯し始めた。レンズの奥の両目が微かに震え、瞳孔の深淵で怪しい光が明滅する。

その姿は、まるで颯斗がSF映画で観たアンドロイドそのものだった。

「霧生先生?」

颯斗が目の前で手を振ってみるが、練はそこに佇んだまま、険しい表情を崩さない。

わけが分からず、好奇心に駆られてその顔を覗き込もうとした、まさにその時。練の表情が凍りついた。

「来たぞ!避けろ!」

颯斗が反応するより早く、練に突き飛ばされる。それと同時に、凄まじい轟音が頭上で炸裂した。

もうもうと舞い上がる粉塵にむせ返り、声も出ない。嵐のように瓦礫が降り注ぐ中、颯斗はどうにか目を開け、そして愕然とした。

天井には巨大な風穴が穿たれ、周囲は瓦礫の山と化している。

そして、先ほどまで自分が立っていた場所には、巨大な岩塊が深々と突き刺さっていた。もし練がとっさに突き飛ばしてくれなければ、今頃自分の頭は砕け散っていただろう。

だが、当の練は少し離れた場所に倒れ、目を固く閉じたまま微動だにしない。

「霧生先生!」

颯斗が駆け寄ろうとした刹那、太く長い黒い影が、風を切って横殴りに襲いかかってきた。

――危ない!

それが脳裏をよぎった瞬間、奇妙な現象が起きた。

時間の流れが、不意に粘性を帯びたかのように緩やかになる。まるでスローモーション映像のように、颯斗はその黒い影の動き、いや、その正体まではっきりと捉えることができた。

それは一本の触手だった。成人男性の腕ほどもある肥大したそれに、ぬめぬめとした粘液がまとわりつき、びっしりと並んだ吸盤が見る者の肌を粟立たせる。

考えるより早く、颯斗は反射的に首をすくめた。触手は頭上すれすれをかすめて空を切り、背後の壁に凄まじい鞭痕を刻みつけた。

「あっぶねえ!」

冷や汗を流しながら振り返った颯斗は、正気を削り取られそうな光景を目の当たりにした。

天井をぶち破ったその生物は、さながら深海獣のようだった。あまりに巨体なためか、天井の裂け目からはその半身しか覗いていない。

暗赤色の肥大した触手を不気味にうごめかせ、垂れ下がった片方の眼球が、地面の揺れに合わせてゆらり、ゆらりと揺蕩っている。

おぞましいと評すべきか、あるいは滑稽と評すべきか、判断に迷う姿だった。

「刑務所にタコだと?俺がイカれたのか、それともこの世界が狂っちまったのか?」

颯斗の思考が混乱に呑まれた、その時。周囲から突如として、下品な口笛が一斉に鳴り響いた。

ふとあたりを見渡した颯斗は、自分がいつの間にかリングの上に立たされていることに気づいた。周囲は金網に囲まれ、リングの上空には巨大なスクリーンが吊るされている。

観客席は闇に沈み、そこに何がいるのか判然としない。しかし、そこからは騒々しい喧騒が聞こえ、闇の奥からは、欲望に濡れた無数の目が赤黒く爛々と光っていた。

それらの視線は一様に、ただ一点へと注がれていた。颯斗がその先を見上げると、そこには触手に捕らわれ、宙吊りにされた練の姿があった。

「霧生先生!?」

颯斗は息を呑んだ。腕ほどの太さの触手が、ゆっくりと練の体に絡みついていく様を、ただなすすべもなく見つめているしかなかった。

最初は太腿、次に腰、そして首筋へ。見る間に練の衣服は乱れ、その肌はぬるりとした粘液にまみれていく。

しかもその一部始終は、あたかも生中継のように、リング上空のスクリーンに克明に映し出されていた。

練が何かを言おうと口を開いた、その刹那。隙を見計らったかのように触手が口内へと侵入し、蠢き始める。

太い触手を無理矢理咥えさせられた練は、喉の奥でくぐもった呻きを漏らすのみで、言葉を発することは叶わない。

颯斗はただ呆然とそれを見つめ、ごくりと生唾を呑み込む。

――いつまで見ているつもりだ。

冷ややかな声が、再び颯斗の脳裏に響いた。

颯斗はきょろきょろと辺りを見回し、最後に練へと視線を戻す。そして、茫然自失のまま自分を指差した。

「俺に言ってるのか?」

――他に誰がいる。ここには俺とお前しかおらんのだろうが。

「おおっ!霧生先生、本当にあんたが喋ってたのか!」颯斗はぱっと目を輝かせた。「って、あのでかいタコに吊るされちまってるじゃねえか、先生!」

――うるさい。目は見えている。貴様に言われるまでもない。

練は顔を真っ赤に染め、恨めしげな眼差しでしばらく呻くと、心底うんざりしたように白目を剥いた。

彼のサングラスが明滅を繰り返している。どうやら口を封じられた練が颯斗と会話する術は、それしかないらしい。

――いいか、よく聞け。此処はお前の潜在意識の世界だ。先の囚人も、目の前の怪物も、この監獄のすべてが、お前の潜在意識が生み出した幻影に過ぎん。

「このタコ野郎も、俺の潜在意識の産物だってのか?」颯斗は気まずげに頭を抱える。「嘘だろ……俺の心の中って、こんなに薄汚れてんのか?」

――いわゆる潜在意識とは、元より人の心における最も暗い日陰の部分。決して表に出ることのない領域だ。何らおかしなことはない。

「いやいやいや、十分おかしいだろ!俺の潜在意識が監獄で、おまけにこんな口にするのも憚られるような怪物が棲みついてるってのか?

それに先生、あんた落ち着き払いすぎじゃねえか?なんでちっとも怖がってねえんだよ?」

――怖がっていては、ソウル・エージェントなど務まらん。

「ソウル……ジャケット?」颯斗はぽかんと口を開けた。

――ソウル・エージェントだ……ッ!

会話の最中にも、練の制服はとうに引き裂かれ、ずたずたになっている。触手は剥き出しの肉体に絡みつき、蠢く吸盤が胸にある二つの突起を執拗に弄んでいた。

闇に潜む観客どもは、あるいは歓声を上げ、あるいは卑猥な笑いを漏らしている。

しかし颯斗の身体からは急速に血の気が引き、背筋をただ冷たい汗が伝うだけだった。

目の前で繰り広げられるこの荒唐無稽な光景のすべてが、己の欲望の現れだというのか――。

在 APP 繼續免費閱讀本書
掃碼下載 APP

最新章節

  • 美人上司に甘やかされる毎日が、残業よりつらい   第238話

    彼女の名前は芳川千尋。この研究所の研究員だ。仕事に真面目に取り組む責任感の強い女性で、明るく人当たりもよく、誰とでもすぐに打ち解けられる。そのため、哲から練の担当を任され、週に一度の定期健診を通じて、練の健康状態に異常がないかを確認する役割を担っていた。練が研究所に来てから、すでに一ヶ月以上が経っていた。本来なら、千尋との会話にもとっくに慣れているはずだった。しかし、長年にわたって外界から隔離された生活を送ってきたせいで、人と接する際にはどうしても表情や話し方に硬さが残ってしまう。練は背筋を伸ばし、服を着ながら言った。その態度は、依然としてどこかよそよそしい。「ありがとう、芳川さん」「芳川さんなんて堅苦しい呼び方はやめてよ。みんなと同じように、ちーちゃんって呼んでね」千尋も、練がわざと距離を置いているわけではないと分かっていた。練が他人と円滑にコミュニケーションを取れるよう支えることも、哲から任された仕事の一つだった。だから千尋はまったく気にする様子もなく、笑顔で印刷した健診結果を練に手渡した。練は結果を受け取ると、尋ねた。「ちーちゃん。健診結果に何か問題はあったか?」千尋は答えた。「今のところ、体の状態はすべて良好よ。自分ではどう? 最近、どこか具合が悪いと感じることはない? 例えば、イライラするとか、眠れないとか」そう尋ねられると、練の表情は次第に暗く沈んでいった。「眠れないわけじゃない。ただ……」練の困惑した表情を見て、千尋は少し考え込んだあと、軽く身を乗り出した。「ただ、何なの? もしかして、所長さんのこと?」練は下唇を

  • 美人上司に甘やかされる毎日が、残業よりつらい   第237話

    哲は室内を見回して言った。「そうか? それならよかった。 大きな屋敷に住み慣れている君が、急にこんな狭い場所に移って、戸惑うんじゃないかと心配していたんだ。何しろ、突然の一人暮らしだ。勝手が分からなくて当然だろう」練は顔を上げて哲を見た。「あんたは? 俺と一緒には住まないのか?」哲はソファの肘掛けにゆったりと腰を下ろした。「俺は普段、ここには住んでいない。 だが、仕事の都合上、毎日最低でも十時間はここにいるし、夜を明かすこともある。だから、ここが俺の半分の家だと言っても差し支えないな」練は唇を噛み締めながら哲を見つめ、何か言いたげにしていたが、結局口を開くことはなかった。一晩だけでもいいから、ここに残ってほしい。そう頼み込みたかった。しかし、今日一日だけでも十分にわがままを言った自覚がある。これ以上、哲の厚意に甘えて図に乗り、多くを望むわけにはいかなかった。「そんな顔をして、俺に言葉一つかけないところを見ると、よほど疲れ切っているようだな」哲は笑いながら手を伸ばし、練の頬を指先で軽く撫でた。それから立ち上がり、練の肩を抱いて寝室へと向かった。哲は床から天井まであるクローゼットの前に立ち、スライド式の扉を開けた。「ベッドはもう整えてある。布団が薄いと感じたら、いつでも言ってくれ。ああ、そういえば着替えを持ってきていなかったな?」中には衣類がずらりと掛けられていた。どれも練の年齢や身長にぴったり合うサイズだった。哲はしゃがみ込み、クローゼットに並んだ服の中から探し始めた。「君のサイズに合わせて、あらかじめ仕立てておい

  • 美人上司に甘やかされる毎日が、残業よりつらい   第236話

    颯斗が答える間も与えず、哲は悪びれる様子もなく笑い出した。「まあいい、そんなに険しい顔をするな。君とちょっと議論してみたかっただけで、他意はない。君たちみたいに真面目くさって、法律や道徳を口にする人間を見ると、ついからかってみたくなる性質でね」「俺たち?」哲は颯斗の胸元を指差し、笑みを浮かべた。「ああ。君と、それに練だ。君たちがずっと信じて疑わない価値観を解体してみて、一体どんな面白い反応を見せるのか、試してみたかっただけさ」「悪趣味だな。あんた、酔ってるだろ」そう言うと、哲はようやく立ち上がり、壁に掛かっていた上着を手に取って、腕時計を見ながら言った。「酔っているかどうかは関係ない。俺の生来の性質だ。さて、雑談はここまでにしておこう。時間が惜しい。人命救助が先決だ。君も早く準備しろ。三十分後に出発する」颯斗は不思議そうに尋ねた。「出発? 具体的な場所が分かったのか?」哲は振り返り、自信に満ちた微笑を向けてきた。「言っただろう、よく馴染みのある場所だってな。あそこは以前、研究所だった。所有者は、俺だ」---しとしと、しとしと……なんだろう?……雨の音?それに混じって、聞き覚えのある声が、ずっと耳元で優しく響いている。練は重い瞼をゆっくりと開け

  • 美人上司に甘やかされる毎日が、残業よりつらい   第235話

    「練が唯一の被害者ってわけじゃないんだろ?」「もちろんだ。良介は、練が退学した後、また別の者に矛先を向けたのさ」「そんなのありかよ? 大人は誰もあいつを止めようとしなかったのか?」哲は振り返り、口元に皮肉めいた冷笑を浮かべた。「以前はいたそうだが、後に学校を解雇されたらしい。これが、俺と練の世界だ。君のようにずっと陽の当たる場所で、両親の愛情を受けて育ってきた人間には、到底理解できないだろうな」颯斗は心が重くなったが、返す言葉も見つからず、ただ黙り込むしかなかった。哲は仰け反るようにしてグラスに残っていた酒を飲み干すと、低く吐き捨てた。「公平など、端から存在しない。力こそが、すべてだ」颯斗はふと立ち止まり、顔を上げた。「じゃあ、あんたが練のために殺した相手って、あいつのことか?」哲も振り返り、平然と視線を合わせた。「正確に言えば、永遠に目を覚まさない状態にしたんだ。君が監視カメラの映像で見た通りにな」山下良介。颯斗はスマホを取り出し、検索エンジンにその名前を打ち込んだ。案の定、あいつに関する情報はほとんどなく、見つかったものはごくわずかだった。唯一見つかったのは、睡眠中に突如脳の病気を発症し、植物状態になったというニュースだけだ。日付を見ると、実に二十年も前のものだった。ざっと計算すると、当時の良介は高校生だったはずだ。そして、あいつの家族もこの件に関して何の異議も唱えなかったらしい。

  • 美人上司に甘やかされる毎日が、残業よりつらい   第234話

    哲は俯いたまま、長いこと沈黙していた。「あの男は、山下良介というんだ」やがて、哲はゆっくりと口を開いた。「練の、小学校の同級生だ」「小学校……?」颯斗は一瞬呆然とし、次の瞬間、脳裏に雷が落ちたような衝撃に襲われた。まさか、幼い頃の練を追い詰めた、あの学校のことか?哲は何も答えなかった。無言のまま立ち上がってリビングへ行き、再び書斎に戻ってきた時、彼の手にはウイスキーのボトルとグラスが二つ握られていた。哲はグラスに酒を半分ほど注ぐと、一つを颯斗に差し出し、もう一つを自分の前に置いた。酒は人の口を軽くすると言われるが、その言葉に嘘はなかった。二、三杯グラスを空けた後、重苦しかった空気がようやく少し和らぎ、ずっと押し黙っていた哲も、酔いに任せて重い口を開き始めた。それは、練が八歳になり、小学二年生に上がったばかりの頃のことだった。練は幼い頃から賢く、他の子供たちのように遊び回ることはせず、成績も常にトップクラスだった。そのため、教師たちの目には、常に品行方正で優秀な優等生として映っていた。当時、高学年に悪ガキとして名高い劣等生がいた。それが、良介だった。良介の父親、つまり貴久は不動産業を営む実業家で、表向きはまともな商売をしているように見えたが、その実、裏社会にも顔が利く男だった。親の背を見て子は育つと言うが、子供は日頃から大人の振る舞いを目にしており、自然と大人の悪い習慣を身につけてしまうものだ。良介たちは徒党を組み、弱い者いじめを繰り返していたのだ。中でも良介が最も気に入らなかったのが、教師の言うことをよく聞く、大人しい優等生たちだった。そうして、練は当然のように良介に目をつけられ、彼らの標的となってしまったのである。

  • 美人上司に甘やかされる毎日が、残業よりつらい   第233話

    「山下社長、準備はすべて整いました。いつでも実験を開始できます」白衣を着た医師が貴久の前に歩み寄り、そう報告した。「よし」貴久は顔色一つ変えずに振り返ったが、その鷹のように鋭い眼差しには、待ちきれないと言わんばかりの興奮が浮かんでいた。「実験、開始」貴久の号令が下ると同時に、大型機材の前に座っていたオペレーターがスイッチのボタンを押した。手術室内のすべての機材が、稼働時特有の低く鈍い音を立て始め、縦横に張り巡らされた管が、まるで何かのデータを転送しているかのように青い光を点滅させ続ける。誰もが固唾を呑み、緊張した面持ちで手術台の中央に横たわる二人の姿を見つめた。しかし、ほどなくして異変が起きた。手術台の中央に横たわっている練の顔が、どういうわけか青ざめ、激しい苦痛に満ちた表情に変わった。瞬く間に額には汗の粒がびっしりと浮かび上がったのだ。それに続くように、機材の一つの画面に不規則な波形が現れ始めた。曲線の高低差は次第に大きくなり、波形の振幅もますます激しくなっていった。「実験体の脳波に激しい変動が見られます。これは……拒絶反応です!」「かまわん、同調レベルを上げろ!」貴久は歯を食いしばり、頑として譲らなかった。その時、貴久のそばにいたもう一人の医師が、険しい顔つきで制止に入った。「山下社長、あえて申し上げます。このままでは実験が失敗に終わるどころか、実験体が脳死に陥る可能性が極めて高いです!もし本当に命を落とすようなことになれば、我々が刑務所行きになるのは確実ですし、社長ご自身にとっても、息子さんが目覚めるための最後の一縷の望み

更多章節
探索並免費閱讀 優質小說
GoodNovel APP 免費暢讀海量優秀小說,下載喜歡的書籍,隨時隨地閱讀。
在 APP 免費閱讀書籍
掃碼在 APP 閱讀
DMCA.com Protection Status