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第6話

作者: 霜晨月
last update publish date: 2025-12-07 20:00:09

第6話

颯斗には、これまで彼女がいた経験がなかった。

中学の頃、恋に目覚めた級友たちがこぞって女子の周りをうろついていた時分も、颯斗だけは授業が終わるや否や、物理教師を質問攻めにしていた。

その教師は背の高い中年男性で、色白の知的な顔立ちに金縁の眼鏡をかけ、眉宇には理系男子特有の孤高と冷徹さが漂っていた。

彼に近づきたい一心で、もともと物理が得意ではなかった颯斗は夜を徹して猛勉強に励み、ついにはクラスの最下位争いから首席の座にまで上り詰めたのだった。

高校に上がった頃、颯斗が好んでいた男性アイドルがカミングアウトを宣言した。

巷ではそのアイドルのゴシップで持ちきりとなり、そこには猟奇的な憶測や悪意ある歪曲も少なからず含まれていた。

そうした流言飛語は否応なく颯斗の耳にも届き、彼の内面に強烈な拒絶反応を引き起こした。

その時から、彼は無意識のうちにそうした雑音を遮断し、自らの心を固く閉ざすようになったのだ。

自分の潜在意識は監獄なのだろうか。

考えてみれば、確かに似ているところが少なくない。

そして目の前の怪物は、おそらくは己の欲望の化身なのだろう。どれだけ心の扉を固く閉ざそうとも、この恐ろしい触手は足枷を突き破り、牙を剝いて本能を曝け出してしまう。

外野からの心ない噂話は、暗がりに潜むこの野次馬たちそのものだ。赤裸々な冷やかしと嘲笑に、颯斗は居ても立ってもいられないほどの羞恥に駆られた。

その時すでに、触手は図に乗って練の下半身に絡みついていた。

練は必死に抵抗し身を捩ったが、結局その太い触手の怪力には敵わず、両の長い脚を大きく開かされてしまう。

野次馬たちのどよめきも、その瞬間、最高潮に達した。

しかし、蛸のような怪物はまだ満足していないようだった。宙に浮いたあの目玉は、まるで相手を視姦するカメラのように、ゆっくりと練の全身をくまなく舐め回し、最も秘められた場所さえも見逃すことなく、すべてを大画面にありありと映し出した。

練はもはや抵抗する術もなく、ただ荒い息を吐くだけで、その瞳は次第に焦点を失っていった。

「やめろ!」

颯斗が、ついに大声で叫んだ。その言葉が放たれた瞬間、怪物の目玉はまるで呪文にかかったかのように、ぴたりと動きを止めた。

かつて、あの巨漢に打ちのめされていた時、練はこう教えてくれた。「抵抗したければ、心で念じていることを口に出せ」と。

自分こそがこの潜在意識の主――つまり、この世界のすべては己の言葉で操ることができるのだ。あの囚人も、そして目の前のこの怪物もまた然りである。

「何を見てやがる。それ以上見たら握り潰すぞ!」

もはや忍耐は限界だった。これ以上、我慢する必要などない。

颯斗はどこからともなく湧き出た怪力を発揮し、蛸怪物の触手を踏み台にして高く跳躍すると、その巨大な目玉をむんずと鷲掴みにした。

怪物が張り裂けんばかりの絶叫を上げる中、颯斗は情け容赦なくそれを引きちぎり、地面に叩きつけると、力任せに踏みつけて粉々に砕いた。

その瞬間、目の前で強烈な光が炸裂し、周囲のすべてが一瞬にして塵と化し、跡形もなく消え去った。

「霧生先生っ!?」

颯斗は大音声に叫び、びっしょりと冷や汗をかいて目を覚ました。

白い光が散り、ぼやけていた視界が徐々に焦点を結ぶと、目前には練の端正な顔があった。あまりの近さに颯斗は呆然とし、しばしの間、二人は至近距離で見つめ合う。

やがて、練が彼を見つめたまま、低く笑った。

「お帰り」

颯斗は汗で濡れた短髪をかきむしり、周囲を見渡した。そこは取調室でも、リングの上でもない。ありふれているが、どこか見覚えのある会議室だった。

ここは……診療所か?

「俺の目に狂いはなかったな」練は颯斗の肩から手を離して立ち上がった。「お前、なかなかやるじゃないか。勘もいいし、頭の回転も速い。それに貴重なコントロール系ときた」

突然褒められ、颯斗はどう反応していいか分からず戸惑った。

「ちょっと待ってください、霧生先生――」

「霧生練だ。練でいい」練は臆面もなく手を差し出した。「合格だ。おめでとう」

練の上半身は、シンプルな白シャツに深青色のベストを合わせ、袖口を無造作に肘までたくし上げている。下半身は折り目のついたスラックスで、簡素ながらも洗練された着こなしだ。

「いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ」

颯斗はその手を握り返さず、勢いよく立ち上がると、足元に置いてあったリュックをひっつかんだ。

「こんな忘れ難い、刺激的な人生経験をさせてくれて感謝しますよ。でもはっきり言わせてもらいますけど、俺、この仕事には絶望的に向いてないと思うんで!」

そう言い捨てると、颯斗は踵を返し、会議室から飛び出した。

「なぜだ?うちの面接に合格する人間なんて滅多にいないんだぞ。半年以上探して、ようやく一人見つけたっていうのに」

練は彼の背後にぴったりとついてくる。

「地球上には七十億以上の人間がいるんですよ。根気よく探せば、俺より適任な奴なんていくらでも見つかるでしょう」

「お前より相応しい人間はいない。鳴瀬颯斗、お前は生まれながらにしてソウルエージェントになる素質があるんだ」

「そのソウルなんちゃらは知りませんし、なりたくもありません。俺はただ、普通の人生を送りたいだけなんです!」

颯斗はこの怪しげな診療所に一刻たりとも留まりたくなかった。話しながらも、すでに風のように廊下を駆け抜け、エレベーターホールにたどり着く。

練の診療所はこのビルの九階にあった。

引き留める隙を与えまいと、颯斗はエレベーターに乗り込むや否や一階のボタンを連打した。

「お前が必要なんだ」

練はバァンと片手でエレベーターのドアを押さえつけて閉まるのを阻むと、声を潜めて言った。

「俺のSAになってくれ、鳴瀬くん」

颯斗は頭を抱えて両手を合わせた。「霧生さん、頼むから他を当たってくれませんか?俺、小心者なんです。あんな体験、マジで一回でお腹いっぱいです。二度と御免ですよ」

練は無言で颯斗を見つめたまま、しばし口を開かず、ドアを押さえる手も離そうとしない。

「あのー、その高貴なお手をどけていただけないでしょうか?」

練はなおも沈黙していたが、向かい側から誰かが談笑しながら歩いてくるのを見て、聞こえないほど小さく舌打ちすると、不承不承といった体で手を離した。

「お前は必ず戻ってくる。気長に待つさ」

練はズボンのポケットに手を突っ込み、獲物を狙う獣のような深く鋭い瞳で颯斗を見据えた。

颯斗の背筋を冷や汗が伝う。

目の前でゆっくりとエレベーターのドアが閉まるまで、彼は顔を上げて練と視線を合わせる勇気がなかった。

一階に着くと、彼は大急ぎでビルの正面玄関を飛び出し、まるで脱兎のごとく一度も振り返ることなく逃げ去った。

霧生練と、あの診療所を、はるか彼方へと置き去りにして。

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