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第6話

Author: 林檎
「奥様。今、炎真様が対応している問題は……かなりややこしくて。もしかしたら、数日どころか、半月は戻ってこないかもしれません」

柚希は少し考えた。

どうやら、直接話すことは難しそうだ。

ラインで伝えるなんて、失礼だとはわかっているが、それ以外に方法がない。

柚希は携帯を取り出し、炎真にメッセージを打つ。【忙しい?少しだけでいいから時間作れないかな?話したいことがあるの】

送信ボタンを押した。

一向に変化がない、トーク画面。

そこに表示されているのは、自分が送った緑色のメッセージだけ。ぽつんと取り残されたように画面に残っている。

おかしい。

仕事のできる炎真は、返信が驚くほど早いことで知られているはずなのに……柚希の口角が自嘲気味にくっと上がった。

まあ、当然と言えば当然か。

炎真が自分と結婚したのも、ただ柊馬を牽制するため。それに、自分個人に対しては……おそらく昔と変わらず、距離を置き、もしかすると嫌悪感すら抱いているのだろうから。

自分がいようといまいと、彼には関係のないことなのだろう。

柚希は静かに携帯をしまい、部屋に戻った。

サイドテーブルに無造作に指輪を置く。落ち着いたら買い取りに出して、莉奈のせいで無くなった4000万のインセンティブの代わりにしようと思った。

「奥様。安眠効果のあるお香をご用意しました。ゆっくりおやすみください」

メイドがお香に火をつけると、部屋にはとてもいい香りが漂った。

柚希が深い眠りについた頃……

夜の静寂に包まれた部屋、ドアが静かに押し開かれる。

すらっとした人影がベッドのそばへ近づき、サイドテーブルに置かれた指輪を見下ろした。

長く伸びた指が指輪を摘み上げ、掌の奥へと力任せに握り込む。

指の関節が白くなるほど、手のひらが強く握り締められた。それはまるで、指輪を粉砕しようとするかのようで、すーっと、男の指の間から血が一筋滴った。

その痛みが、怒りでどうにかなりそうな男の衝動を少しだけ鎮める。

男はふっと自嘲の笑みを漏らすと、その血で染まった指輪をゴミ箱へと投げ捨てた。

まるでガラス細工でも扱うかのように、男は血で濡れた指で、眠る柚希の頬を優しく撫でた。暗闇の中、執着にまみれた眼差しが彼女に絡みつく。

「柚希……俺から離れられると思うなよ」

――

海外に飛ぶのは来月のことだが、この期間も無駄にしたくなかった柚希は、データの整理を始めることにした。

今手掛けているアプリや、プロジェクトに不可欠なデータは、すべて会社にある個人的に購入したノートパソコンの中に入っている。

まずはこれを取りに行かなければならない。

そうして、柚希はFSグループへ向かった。

柚希がビルに入った途端、そのことについて、すぐさま柊馬にも秘書から連絡が入る。

「桐生社長、柚希さんがいらっしゃいました」

それを聞いた柊馬は、目を通していた書類を置き、満足げな笑みを浮かべた。「ようやく謝りにきたか」

引き出しから高級なベルベットのケースを取り出す。「これを柚希に渡してくれ。先日競り落としたピンクダイヤモンドのネックレスだ。それと、今夜のディナーも予約して、一緒に食事をする……」

そこで言い淀み、思い直す。「いや、自分で持って行く」

プロジェクト部。

入った途端、何やら妙な空気を感じた。

自分の秘書をしてくれていた藤村雅美(ふじむら まさみ)が、必死に目線で何かを伝えようとしてくる。

案の定、自分の席に向かうと、そこには当たり前のように莉奈が座っていた。

彼女はデスクチェアに深く腰掛け、挑発するような視線を向けてくる。

「あれ、柚希ちゃんじゃない。もうクビになったんじゃなかったの?それなのに、よく平気で顔出せるわね。プライドが邪魔してそんなことはできないと思ってたけど……」

莉奈は露骨な軽蔑を滲ませ、椅子にふんぞり返ったまま微動だにしない。「まあ、帰ってきたところで、ここはもう私のデスクなの。それに、私はあなたの上司なんだから、一番良い席は当然、私のものでしょ?」

そして、窓のそばの不用品が積まれた、物置のようなデスクを指差す。「あなたの席は、あそこ」

物置同然のデスクへ追いやられるなんて、明らかな侮辱だ。

柚希は莉奈の歪んだ笑みを浮かべている顔を見て、心底呆れた。もう自分には、こんなオフィスは必要ないのに。それに、執着するほどの職場でもないし、崩壊寸前のプロジェクト部などには未練の欠片もない。

だから、柚希は淡々と言った。「私のパソコンは?」

「パソコン?」莉奈は汚らわしいものでも見るように、ゴミ箱の方へと視線を向ける。「あんな汚くて古いパソコン、まだ必要だったの?ボロボロになるまで使って、なんかケチくさいのね。まあ、どうしても欲しければ拾えば?」

莉奈の視線の方を見てみれば、自分の仕事道具一式と共に、ノートパソコンがゴミ箱へ投げ込まれていた。

パン屑やコーヒーの汚れがこびりついている。

柚希の顔が暗くなった。

「柚希ちゃん」

莉奈が大きく膨らんだお腹を支えて立ち上がり、ゆっくりと柚希に歩み寄ってくる。そして、誰にも見えない位置までくると、醜く顔を歪ませた。

「いなくなるなら、早くどっかに消えてくれないかな?なんで、戻ってきたわけ?私の旦那は死んで、今は柊馬くんが私の子供の父親なの。私には柊馬しかいない。なのに、なんでずっとしつこく私から柊馬を奪おうとするの?

少しは空気を読んで、おとなしく柊馬くんを私にくれないかな?」

柚希はあまりの理不尽さに、怒りを通り越して思わず笑ってしまった。その理屈ときたら、強盗ですら頭を下げるレベルだろう。

「ねえ、柚希ちゃん。知ってる?私と柊馬くんは、最初から体外受精なんかじゃなかったの。私たちは何度も何度も夜を共にしてきた。

一番初めの頃は、彼もまだ罪悪感があったみたいで、目を覆ったまま私を抱き、あなたの名前を呼んでいたわ。でもそのうち、彼は鏡の前で私を抱きしめながら、荒い息を漏らすようになったんだから……

柊馬くんは私のもの。桐生家に、もうあなたの居場所なんてどこにもないのよ?」

次の瞬間、莉奈は柚希の手を掴むと、勢いよく彼女自身の頬を叩いた。

そしてそのまま床へ倒れ込む。

「きゃっ」

悲鳴を上げ、倒れ込みながらか弱いウサギのような泣き顔を作る莉奈。

「柚希!」

オフィスに怒鳴り声が飛んだ。

柊馬が勢いよく飛び込んでくる。駆け寄ってきて、莉奈を抱きかかえる際、柚希を強く突き飛ばした。「莉奈は妊婦なんだぞ!それに、俺の子を身ごもっているって言うのに、何てことを……」

かなり強い力で突き飛ばされた柚希は、腰をデスクの角にぶつけ、骨が折れたかと思うほどの激痛に襲われた。

顔は青ざめ、汗が吹き出してくる。

しかし莉奈のことしか頭にない柊馬は、鬼の形相で柚希を睨んだ。「謝れ!今すぐ莉奈に謝るんだ!」

莉奈は柊馬の胸にしなだれかかるも、その瞳には勝ち誇ったような喜びが浮かんでいた。だが、そんなことはおくびにも出さず、声だけは健気で物分かりのいい恋人を演じる。

「柊馬くん……柚希ちゃんを責めないであげて……私は大丈夫だから……

柚希ちゃんが怒るのも当然……だって、全部私が悪いんだもん。桐生家の跡継ぎのためじゃなければ……あなたの子を授かることもなかったんだから……柚希ちゃん、気が済むなら何発でも叩いて。あなたの怒りが少しでも収まるなら、それでいい……」

柊馬は涙を浮かべる莉奈と、冷たい目つきで立っている柚希を交互に見つめた。その瞬間、柊馬の中で柚希に対する憎しみが湧き上がってきた。

柚希を見つめる柊馬の視線が、すっと冷たいものに変わる。

自分の目の前で抱きしめ合う柊馬と莉奈。そんな二人を見つめていると、柚希は腰の痛みなど忘れるぐらいの強烈な吐き気に襲われた。

「何発でも叩いていいって言った?」

そう冷たく繰り返した後、柚希は容赦なく腕を振り上げる——

パンッという乾いた音が二発響き渡った。

「こんな物好き、初めて見たよ。自分からビンタをねだるなんてさ。この二発で満足?足りないなら遠慮なく言ってね。追加料金なしでやってあげるから」

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