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花紋者という異物

Author: 吟色
last update Last Updated: 2025-07-27 16:44:18

夜の森を駆け抜ける足音だけが、静寂を切り裂いていた。

ユウリは息を殺し、草をかき分け、ただ前へと走っていた。胸にはあの魔導書。誰にも渡さない、それだけは決めていた。

背後からは複数の足音。規則的な隊列、魔力の気配、まちがいなく“追ってくる者たち”のものだった。

「非登録花紋者、確認。対象は十五歳程度の少年。詩による雷系魔法を所持」

森に響くのは、冷たく訓練された声だった。

行政魔術監視隊──国家が花紋者を管理・登録するための部隊。咲いたばかりのユウリの力は、彼らにとって“未申告の危険魔法”に他ならなかった。

「待ってくれ、俺は……!」

木立の中で振り返り、声を上げる。けれど返事はなかった。代わりに飛んできたのは、拘束結界の詩。

「《停止命句・五連鎖》!」

魔法が編まれる音と共に、青白い鎖がユウリの足元に巻きついた。詩を読む暇もない。感情が暴れた。

「やめろっ……!」

反射的に魔導書が開く。ページが光り、言葉にならない言葉が弾けた。

咲いたのは、不安定な雷の花。形を保てずに軌道が逸れ、周囲の木々を焼き払った。

「制御が……できないっ……!」

ユウリは自分の手に怯えながら、それでも逃げ続けた。

誰かを助けるために咲いたはずの花が、今は誰かを傷つけかけている。

「これが……花紋者ってやつかよ……」

そのときだった。

森の奥から、まったく別の魔力の気配が広がった。やわらかく、けれど澄んだ感触。次の瞬間、淡い光が放たれ、追跡隊の足元に結界の花が咲く。

「……ここから先は、通さないわ」

静かな声が、闇を貫いた。

光が咲いた。

それは攻撃でも防御でもなく、ただ“拒む”ための魔法だった。

追跡部隊の足元に展開された半透明の結界が、静かにその場の動きを止める。

「詩結界……これは、正式な構文……?」

隊の一人が驚きに息を呑む。彼らが使う術式とはまるで系統が違う、上位詩文だった。

「退いて。これ以上は許可されていない追撃行為になるわよ」

声がした方を振り返る。

そこには、白衣のような上着を羽織った少女が立っていた。銀髪が月明かりに照らされ、瞳は淡い青。

その胸元には、はっきりと花紋が浮かんでいた。

「あなた……花紋者……?」

「国家登録済の、医療補助任務担当よ。コードは西部第七区所属、セリア=ノルン。ちゃんと名乗ったわよね?」

隊員たちは顔を見合わせると、無言で退いた。

国家登録の花紋者に干渉することは、たとえ監視隊でも簡単にはできない。

その場に残されたのは、ユウリとセリアだけだった。

ユウリは肩で息をしながら、距離を保ちつつ言葉を探した。

「……助けてくれたのか?」

「ええ。でもその前に、あなた……暴走しかけてたわよ。雷の詩が崩れてた。無理して読んだでしょう?」

「……そうかもしれない」

ユウリはうつむきながら魔導書を見た。

ページの端が焦げていた。詩が読みきれなかったのだ。

「怖かった。でも、逃げたくなかった……」

セリアは小さくうなずくと、手を差し出した。

彼女の指先には、光の花が咲いていた。それは傷を癒す、小さな百合の形をしていた。

「落ち着いたら、ちゃんと話してくれる? ここから少し離れたところに、私の結界シェルターがあるの」

ユウリは迷った。けれど、咲いたばかりの自分の花では、この先一人で何かを咲かせる力はまだなかった。

「……わかった」

その手を取った瞬間、彼は“花紋者同士”の旅の始まりを選んだ。

森の奥、岩壁の裏に隠された結界シェルター。

まるで空間そのものを折りたたんだような静けさが広がっていた。

暖かな光に包まれた室内は簡素だが整っていて、風も魔力のざわめきも感じなかった。

ユウリは魔導書を抱いたまま、用意された椅子に腰を下ろしていた。

隣ではセリアが小鍋に湯を沸かしている。湯気が柔らかく立ち昇る。

不思議だった。さっきまで自分を捕まえようとしていた人間たちとは、まるで違う。

「さっきの詩、雷の花だったわね」

静かな問いに、ユウリは小さくうなずいた。

「……でも、全然制御できなかった。咲いたのは、初めてだったから」

「それでも、あれは本物だった。あの詩は、ちゃんとあなたの中に咲いていたわ」

セリアは湯を注ぎながら言う。

彼女の言葉は、責めるのでも、慰めるのでもなく、ただ事実として語られていた。

「……俺、自分の言葉に自信がないんだ。どれが正しいかも、どう読めば魔法になるかも、わからなくて」

ユウリの声が、少しだけ震えた。

口に出して初めて気づく。自分が、どれだけ“咲かないこと”を恐れていたか。

セリアはそれを遮らず、ただ優しく答えた。

「魔導書には、花を咲かせる“種”だけがあるの。水を与えるのは、読む人の感情と経験よ」

「……水?」

「そう。読み方、感じ方、そしてその言葉を“どう伝えたいか”……それが、魔法になるの」

ユウリは黙って魔導書を見つめた。

焦げたページ、ちぎれた端。失われた言葉ばかりの本。

でも、それでも——咲いたのだ。あの時。

「あなたの本、優しいのね」

ふいに、セリアが笑った。

「ちゃんと、誰かを守ろうとする言葉に、応えてくれた」

ユウリは返事ができなかった。

けれどその言葉が、胸の奥に静かにしみていくのを感じていた。

警告音のような魔力のざわめきが、静寂を裂いた。

シェルターの外に、再び気配が近づいてくる。先ほど退いた監視隊の一部が、諦めずに追ってきたらしい。

セリアが立ち上がる。目は静かに鋭くなっていた。

「早いわね……ここを見つけるなんて、ちょっと勘が良すぎる」

「どうする?」

「やるしかないわ。防衛ラインを破られたら、あとは私たちしかいないもの」

セリアは魔導書を開いた。ページが風にめくれ、淡く光る詩文が浮かび上がる。

「《白詠詩篇・第六句──癒光の拒絶》」

その声とともに、結界の外に白百合の花が咲いた。

だが、複数の詩文が同時に読み上げられ、白の防壁がたちまち削られていく。

「数が多い……っ、ユウリ!」

セリアの声に呼ばれて、ユウリも魔導書を開いた。

恐怖はある。咲いたばかりの花紋はまだ頼りない。けれど、あの時の感覚は、今も指先に残っている。

「……もう、誰かを巻き込むのは嫌なんだ」

ユウリは震える声で詩を綴る。

「《還雷の詩・第二節──光花散雷》!」

雷の花が咲いた。先ほどよりも穏やかに、けれど確かな強さを持って。

そして──

その雷が、セリアの癒光と触れ合った瞬間。

二つの魔法が、ふわりと溶け合い、空中に淡い花弁が咲いた。白と金。光と雷。

それはまるで、ひとつの言葉を二人で読んだかのような“共鳴”だった。

敵は驚き、後退した。二人の詩が混じり合うことなど、想定されていなかったのだ。

しばしの沈黙の後、セリアが微笑む。

「……今の、見えた?」

「花……が咲いた、よな」

「ええ。あなたの言葉と、わたしの言葉が、たぶん同じ方向を向いてたから」

ユウリは、初めて“読めた”気がした。誰かと共に、詩を綴ったという実感。

「図書館を探してるんでしょう?」

セリアが静かに言う。ユウリは息を呑んだ。

「“死をほどく魔法”……あっても、なくても、確かめたいんだ」

「じゃあ、一緒に行こうか。咲かせるために。まだ読めてない言葉を」

ユウリは迷いなく頷いた。

二つの魔導書が、静かに重なった。

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