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第二話

作者: 久遠遼
last update publish date: 2026-06-02 13:40:52

息ができない。

視界が滲む。

潰れた車体と瓦礫の隙間から、かろうじて外の光だけが見えていた。

遠くで、誰かの声がする。

「香澄! 大丈夫か!?」

切迫した玲司の声で、意識が引き戻された。

私は必死に顔を上げる。

けれど、玲司が真っ先に駆け寄ったのは、私ではなかった。

助手席側にいた香澄だった。

「やだ……っ、痛い……!」

「大丈夫だ。今助けるからな!」

香澄は泣いていた。

腕から血を流していたけれど、意識ははっきりしている。身体も動いている。

それなのに玲司は、瓦礫に押し潰された私ではなく、真っ先に彼女の方へ駆け寄った。

私は……?

声を出そうとしても、喉が震えるだけだった。

足が動かない。

お腹が熱い。

嫌な感覚が、ゆっくりと身体の中を流れていく。

「れい……じ……」

掠れた声は、届かなかった。

玲司は、一度もこちらを見なかった。

意識が沈んでいき暗くなる視界の中、最後に見えたのは――香澄を抱きしめる玲司の姿だった。

次に目を覚ました時、私は真っ白な病室のベッドの上にいた。

消毒液の匂い。

規則正しく鳴る機械音。

ぼやけた視界の中で、私はゆっくりと自分のお腹へ手を伸ばした。

そこにあるはずの膨らみは――もう、なかった。

「……あ」

嫌な予感がした。

その瞬間、病室へ入ってきた医師が、重たい表情で口を開く。

「久我さん。非常に残念ですが……お腹のお子さんは、助かりませんでした」

その瞬間、私の世界は、あの土砂崩れに見舞われた時のように崩れていった。

その時だった。私を悪夢から呼び戻したのは、スマホの着信だった。

画面に表示された名前を見て、私ははっと息を呑む。

『青葉ケアセンター』

母が入所している療養施設だ。

震えがひどくなる指でスマホを操作し、かすれた声で電話に出る。

「……はい」

『久我さんですか!? お母様が、急に息苦しさを訴えられて……血圧もかなり下がっていて……! 今、救急車で紫苑医科大学病院へ搬送されています!』

「え……?」

一瞬、意味が理解できなかった。

『詳しいことは病院で説明があると思います。できるだけ早く来てください!』

通話が切れたあとも、私はその場で立ち尽くしていた。

現実に引き戻された私の前を、真っ黒な絶望が支配しようとする。

母がどうして急に?

「っ……!」

我に返り、慌てて道路へ飛び出すようにしてタクシーを止めた。

「紫苑医科大学病院までお願いします!」

後部座席へ滑り込みながら、私はすぐに玲司へ電話をかけようとけど脳裏に、あのSNSの光景が再び浮かび一瞬戸惑う。

香澄の息子の誕生日を祝う玲司。

まるで本当の家族みたいに笑っていた、あの写真。

けれど、すぐに今はそんなことを考えている場合じゃないと気づき、私はそれを必死に振り払った。

こんな時、私には他に頼れる相手なんていない。

コール音。

一回。二回。三回。

出ない。

もう一度かける。

それでも、出ない。

「お願い……出てよ……」

指先から体温が抜けていくように、力が入らなくなっていく。

スマホが、今までにないほど重く感じた。

それでも落とさないように、私は両手で必死に支える。

何度か掛け直したあと、ようやくコール音が途切れた。

「もしもし、玲司!」

嵐の荒波に身一つで投げ出された絶望の中、小さな木の板にしがみつくことができたような気分だった。

『はい、千景様。どう致しましたか?』

だけど、ようやく繋がった電話の向こうにいたのは、玲司本人ではなく彼の秘書――藤崎依織(ふじさきいおり)さんだった。

「主人に繋いでください」

『専務はただいまお取り込み中です。ご用件は私が伺います』

「大事な話なんです。主人に急いで繋いでください」

『千景様……』

藤崎さんの声が、わずかに低くなった。

沈黙の向こうで、彼女が言葉を選んでいるのが分かった。

『申し訳ございません。専務は現在、お電話に出られる状況ではございません』

「お願いします。少しだけでいいんです。母のことで……どうしても……」

自分の声が、情けないほど震えていた。

電話口の向こうで、藤崎さんが息を呑む気配がした。

長い沈黙のあと、彼女は小さく息を吐いた。

『……承知しました。確認いたします。少々お待ちください』

しばらくして、聞き慣れた夫の声が聞こえてきた。

『なんだ?』

その声に、焦りも心配もなかった。

「お母さんが倒れて……! 今、紫苑医科大学病院に運ばれて——」

『だから? 今は忙しい。後にしろ』

被せるように返された言葉に、息が詰まる。

「忙しいって……!」

その時だった。

『玲司さぁん、まだぁ?』

甘えるような女の声が、電話越しに聞こえた。

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