Mag-log in「お前も、そうしてくれるからだ。無防備な体を、互いに預け合っている感じだ」
だからこうして目を閉じていても、安心していられる。こう思った瞬間、和彦の中をある感覚が駆け抜けた。反射的に目を開くと、千尋に顔を覗き込まれていた。「先生?」「……なんでもない」 千尋の頭を抱き寄せて、和彦はもう一度目を閉じる。それが合図のように、千尋がゆっくりと律動を始める。「あっ、あっ、あぁっ――」 千尋にきつくしがみつき、しなやかな体の感触だけでなく、内奥を行き来する熱い欲望の感触も堪能する。これ以上なくしっかりと繋がっているのだという感覚が、たまらなく気持ちいい。 そう実感すればするほど、さきほどの感覚が無視できないほど存在感を増していく。 身震いしたくなるような強い疼きが、背筋を這い上がっていた。内奥に押し入る欲望を強く締め付け、千尋を呻かせる。 耳元で繰り返される激しい息遣いを聞きながら、和彦はあの夜のことを――守光の自宅に泊まったときに起こった出来事を思い返す「個人的な問題が起こっている最中で、今は気持ちに余裕がないんだ。そこに、これ以上厄介なことを抱えると、さすがに限界だ」「気分転換なら、いつでもおつき合いしますよ」 力なく笑った和彦だが、何げなく視線を周囲に向ける。学生らしいグループや、会社帰りと思しきスーツやワイシャツ姿の一団、女性たちだけで盛り上がっているテーブルもあり、とにかくにぎやかだ。そんな客たちの姿を眺めながら、自分や中嶋も、この場に上手く溶け込めているのだろうかと考えていた。 自分たちの存在が特別なのだというつもりはない。ただ、異質なのだ。いつの間にか異質であることを受け入れ、馴染んでいることに、いまさらながら不安のようなものを感じていた。「先生?」 中嶋に呼ばれ、我に返った和彦は慌てて箸を動かす。「たまには、こういう店で飲むのもいいなと思ってただけだ。普段は、一緒にいる男たちの安全を考えて、人の出入りが多い店を避けがちになるから」「そのうち、先生を気軽に連れ回すことができなくなるかもしれませんね」 どういう意味かと問いかけようとしたとき、店の自動ドアが開き、二人の男性客が入ってきた光景を視界の隅に捉えていた。男性客が店員と短く言葉を交わしてから、こちらに歩み寄ってくる。ここで和彦はやっと、その男性客が見知った男たちであることに気づいた。長嶺組の組員たちだ。「どうして――……」「南郷さんが、長嶺組のほうに連絡を入れたんだと思います。騙す形で先生を連れ出して、そのうえ怒らせてしまったのに、何事もなかった顔はできなかったんじゃないでしょうか。……この店に長嶺組の方が来たということは、もしかして俺たち、隊の人間にしっかり尾行されていたみたいですね」 さらりとそんなことを言われ、和彦は思わず中嶋を睨みつける。口ぶりからして、中嶋は尾行に気づいていたと察したからだ。中嶋はペコリと頭を下げた。「すみません。だけど、こちらの都合で先生を振り回して、不愉快な思いまでさせた挙げ句、危険な目には絶対遭わせるわけにはいきません。もし先生の身に何かあったとき、第二遊撃隊全体の責任問題になります」「そこまでのリスク
頬の熱さを誤魔化すようにてのひらで擦ってから、そっと中嶋をうかがい見る。グラスに口をつけている中嶋は、普通のハンサムな青年だ。表情によってはドキリとするような色気もあり、こういってはなんだが、ホストは天職だったのではないかとすら思える。 こんな青年が、南郷の下で物騒な仕事をこなしているのだ。そんなことをふっと考えた瞬間、和彦の口を突いて出たのは、自分でも驚くような質問だった。「――……南郷さんから、性的な嫌がらせをされたことはないか?」 さすがの中嶋も驚いたらしく、不自然に動きを止めたあと、ぎこちなくグラスを置いて、テーブルに身を乗り出してきた。「やっぱり何かあったんですか」「ぼくが質問をしているんだ。ぼくが何かされたと言っているわけじゃない」 我ながら苦しい言い訳を、当然中嶋は信用していない。苦笑に近い表情を見せたあと、急に澄ました顔で語り始めた。「前に確か、先生に話したことがありますよね。南郷さんは、長嶺会長に付き従っていることが多くて、あの人の動きを追えば、長嶺会長の動きもだいたい把握することができると。ところが最近は、ちょっと様子が変わってきていると、総和会の中でもっぱらの噂なんですよ。南郷さんと長嶺会長が別行動を取ることが増えてきた、と。第二遊撃隊をいよいよ大きくして、実行委員の一人として名を連ねるつもりじゃないかとも。総和会の人事について、先生はピンとこないでしょうが、これが実現したら、かなりすごいことなんですよ」「……ぼくの質問と、君のその話と、どう繋がるんだ……?」「隊にいるからこそ、感じることもあるんです。最近の南郷さんは、先生を追うために動いているんじゃないか――」 柔らかだが、ときおり怜悧さも覗く中嶋の視線を向けられ、なんとなく息苦しさを覚えた和彦は、焼きおにぎりをほぐしながら食べ始める。「ぼくにはよくわからない。ただ、顔を合わせる機会は増えたかもしれない。……今夜は、完全に騙された。患者の治療をするつもりだったのに、連れて来られたのがカラオケボックスで、南郷さんがいた」「それで、性的
カラオケボックスに来て、他にすることがあるとも思えないが、あえて和彦は素っ気なく応じる。勘の鋭い中嶋には、それだけで十分伝わったはずだ。 参ったな、と小さく洩らした中嶋は、乱雑に髪を掻き上げた。「先生に関することは、すべて俺にも知らせてほしいと言ってはあるんですけど。――どうも、たびたび伝達に不備が起こるようで」 中嶋は苛立ちを込めた視線を若者に向ける。当の若者のほうは、こちらの会話に聞き耳を立てているような素振りも見せず、注意深く辺りを見回している。その様子は、よく訓練された犬のようだ。 客として出入りしている同年代の若者たちとの違いに、いまさらながら瞠目している和彦に、中嶋がそっと耳打ちをしてくる。「彼に、何か失礼はありませんでしたか?」 若者を見つめる視線を、中嶋は勘違いしたらしい。和彦は慌てて首を横に振る。「それはないんだっ。むしろ失礼だったのは――」 南郷のほうだ。そう言いたかったが、ぐっと言葉を呑み込む。迂闊なことを言って、若者から南郷に報告されても困る。こんなことで激怒する男だとも思えないが、何かあって中嶋の立場が悪くなるのは申し訳ない。 和彦は、遠慮がちに中嶋を見上げた。「……咄嗟に君の名を出したんだが、そのことで南郷さんから叱責されるようなことはないか?」「俺は一応、総和会での先生の世話係を任されている立場ですよ。先生が困って、俺を呼びつけるのは、行動として正しい。ここで長嶺組の方を呼ばれると、そちらのほうが面倒なことになったと思います」 ひとまず、その言葉に安堵しておく。「そうか。よかった……。頭に血がのぼっていて、君に電話したあとで、急に不安になったんだ」「先生に、そんな顔で心配されるのは、なかなか気分がいいですね。急いで駆けつけた甲斐がありますよ」 ここでやっと和彦は、小さく笑みを浮かべることができた。 中嶋に促されてビルを出ると、人の流れに乗るようにして歩き始める。和彦は念のため背後を振り返ろうとしたが、すかさず中嶋に言われた。「うちの人間はついてきていません。ここからは、先生
いくらでもコピーができる動画が目の前で消去されたところで、確認することに意味はない。そう考えたことが顔に出たのだろう。南郷はこう続けた。「まあ、俺を信用してくれとしか言えない。それに――長嶺組長のオンナに悪さをした証拠を、いつまでも手元に残しておいたところで、俺に益があると思うか?」 和彦はスマートフォンを南郷に返す。「……二度と、こんなことをしないでください」「騙して呼び出したことか。それとも、あんたの特別な場所に触れたことか――」 前触れもなく南郷に肩を抱き寄せられ、耳元に獣の息遣いがかかる。続いて、耳朶に鈍い痛みが走った。食われる、と本能的な怯えを感じた和彦は短く悲鳴を上げ、身を捩って南郷の腕の中から逃れた。 全身の血が沸騰しているようで、心臓が痛いほど強く鼓動を打っている。南郷の様子をうかがいながら慎重に立ち上がった和彦だが、眩暈に襲われて足元がふらついていた。「大丈夫か、先生。顔が真っ青だ」「こんなぼくを見られて、満足しましたか……?」 和彦が睨みつけると、悪びれたふうもなく南郷は大仰に肩をすくめる。「必死に虚勢を張っているあんたの姿は、なかなかいい。こういうところでも、育ちが出るんだろうな。感情的になっていても、品がある」「そんな……いいものじゃないです。怖いんです。この世界の男を怒らせるのは」「オンナらしい配慮だ。何をされても、相手を怒らせないよう気遣わないといけねーなんて。つまり今晩のことも、長嶺組長には〈告げ口〉しないということか」 南郷が向けてきた冷笑を、和彦は見ないふりをする。挑発しようとしている意図が、露骨に透けて見えるのだ。和彦のささやかな反撃を、きっとこの男は、楽しげに受け流すはずだ。 なんとか大きく息を吐き出すと、ドアに向かおうとする。本当は駆け出したいところを、ぐっと気持ちを堪えて。「――俺は、あんたのことが知りたかった」 ドアを開けようとしたところで、背後からそんな言葉が投げつけられる。動きを止めた時点で、和彦の負けだ。聞こえなかったふりもできず、仕方な
その和彦にのしかかり、布の上から唇を貪っている荒々しい獣のような男は――南郷だ。 「――長嶺組長のやり方に倣ってみた」 怒りで全身が熱くなっていくのに、胸の内は凍りつきそうなほど冷たくなっていく。頭は混乱しながらも、南郷に対する表現しがたい嫌悪感や拒否感だけは認識できた。 払い除けるようにしてスマートフォンを南郷に押し返す。視線を逸らす和彦を多少は気遣うつもりがあるのか、南郷はすぐに動画の再生を停めた。 「長嶺組長とメシを食いながら話していてわかったが、あんたは肝心なことを、長嶺組長に打ち明けてないんだな」 「肝心なことって……」 「自分に悪さをした相手が、総和会の南郷――俺だということを。顔は見ていなくても、あんたならわかっていたはずだ。あんなことをしでかすのは、俺しかいないということは。あんたと長嶺組長の間でも、あえて言葉にしないまま、互いにそれを汲み取ったわけだ」 「……ぼくはあのとき、相手の顔を見ることはできませんでしたから、迂闊なことは言えません」 「できた〈オンナ〉だ」 皮肉っぽい口調で洩らした南郷が、ふいに立ち上がる。驚いた和彦は反射的に体を強張らせたが、それ以上の反応ができないうちに、隣に南郷が座った。荒々しい威圧感に頬を撫でられた気がして、体が竦む。 「自分が原因で、総和会と長嶺組に波風が立つのを避けたかったんだな」 自惚れるなと、南郷に鼻先で笑われるのが嫌で、和彦は返事を避けた。しかし南郷は一人で納得した様子で頷く。 「さすが、オヤジさんが見込んだだけはある。――どの男にもいい顔をして、揉め事は避ける。この世界での、あんたの処世術だ」 南郷の声に侮蔑の響きを感じ取り、それが何より我慢ならなくて和彦は立ち上がろうとする。すかさず大きな手に肩を掴まれ、腰を浮かせることすら叶わなかった。 「どうにも、生まじめに反応するあんたが新鮮で、つい煽るようなことを言っちまう。すまないな、先生」 「……離して、ください」 和彦は顔を強張らせ、肩にかかる南郷の手を押しのけようとする。だが手を退けるどころか、反対に力を込められた。 「そろそろ、聞いたらどうだ。――俺がなぜ、長嶺の男
短い問いかけが、鋭い刃となって喉元に突きつけられる。不安とも恐怖とも取れる感情に襲われ、鳥肌が立っていた。和彦は無意識のうちにジャケットの上から腕をさする。「心細そうだな、先生。目の前にいる今のあんたは、実に普通に見える。普通の、優しげで非力な色男だ。ヤクザの怖い男たちを何人も手玉に取って、骨抜きにしているとは、到底思えない。だが、力のある男の傍らにいるあんたを見ると、納得させられるんだ。妙に妖しさが引き立つ。男だからこその色気ってやつだな」「……そろそろ本題に入ってください」 ここで南郷が組んでいた足を解き、ソファに座り直した。「――この間、長嶺組長に呼ばれて、二人きりでメシを食った。ちょうど連休中で、あんたは総和会の別荘にいた頃だ」「賢……、組長と?」 危うく『賢吾』と口にしそうになった和彦に気づいたのだろう。南郷はちらりと視線を動かしたあと、何事もなかったように話を続ける。「俺と長嶺組長は、外野からはとかくあれこれと言われがちだ。俺が会長に可愛がられているということで、長嶺組長は、南郷の存在をおもしろくないと感じているんじゃないか、とかな。一方の俺も、会長の実子ということで、当然のように何もかもを持っている長嶺組長を妬んでいる――」 和彦は慎重に問いかけた。「本当のところは、どうなんですか」「ズバリと聞くなんて、肝が太いな、先生。俺にとっちゃ、デリケートな話題だというのに」「聞いてほしいから、言ったんじゃないんですか」 南郷の目がこのとき一瞬、鋭い光を宿したように見えたのは、決して気のせいではないだろう。怯みそうになった和彦だが、必死の虚勢で南郷の目を見つめ続ける。 南郷は、薄い笑みを唇の端に刻む。真意の掴めない表情だと和彦は思った。「俺は、長嶺組長にそんな生々しい感情は持っていない。あの人も、そこのところはよくわかっている。あえて言葉にしなくても、互いにそれを汲み取るぐらいはできる」 和彦は相槌すら打たず黙り込むが、南郷は勝手に和彦の心の内を読んでいた。和彦の顔を覗き込む仕草をして、こう言ったのだ。「そんな
「あっ、うぅっ……」 スラックスと下着をわずかに下ろされ外に引き出されたものを、賢吾のごつごつとした手に握られ、思わせぶりに上下に扱かれる。不動産屋を出て移動する車中で、和彦はずっとこうやって賢吾に弄ばれていた。 「実際にクリニックを切り盛りするのはお前だ。客層を考えたら、きれいな表通りで、とはいかないが、それでもいい場所を探してやる。クリニックそのものはこじんまりしているほうがいいな。だが、内装には金をかける。一応、普通の患者もやってくるんだからな」 リズミカルに動き続ける賢吾の手の中で、和彦のものはとっくに形を変え、先端には透明なしずくを滲ませていた
「見つけたら教えてくれ」 澤村らしい言葉に軽く手を上げて答えると、和彦は仕事を再開しようとしたが、すぐに気が変わって、デスクの引き出しを開ける。中に仕舞った携帯電話を手に取った。 あの日、拉致されて辱められてから解放されたあと、和彦は携帯電話の番号を替える手続きを取り、そのとき千尋に関するものをすべて削除した。千尋の父親の忠告に従い、関係を絶ったのだ。 あんな連中に歯向かってまで、千尋と情熱的な関係を続ける気はない。何より命が惜しいし、その次に、今の生活が大事だ。 「察してくれよ、千尋……」 口中で小さく呟いた和彦は携帯電話を再び
和彦の内奥を的確に指と道具で犯す男の背後に立ったのは、高そうなダブルのスーツをこれ以上なく見事に着こなした中年の男だった。四十代半ばぐらいだろうが、一目見て圧倒される存在感を持っていた。 全身から漂う空気は剣呑としており、それでいて威嚇するような攻撃的なものではなく、ただ静かな凄みを放っている。衰えを知らないような厚みのある体つきに相応しいといえた。何より、彫像のように表情が動かない顔は、冷徹そのものではあるが、端整だ。 だが、容貌はさほど重要ではない。男が持つ独特の鋭さや冷ややかさ、年齢を重ねているだけでは醸せない落ち着きが、男の存在自体を圧倒的なものにしてい
「お前、一体、これ……」 こんなものを見たうえで、それでもなお声をかけてくるのは澤村の優しさだろう。しかし今の和彦は、答えられなかった。答えたくなかった。自分が、ヤクザに拉致された挙げ句に辱められ、そのときの様子をビデオカメラで撮影されたなど。 この場で頭を抱えてうずくまりたいところをなんとか踏みとどまる。これ以上の醜態を晒せるわけがなかった。 「――……悪い、今日のぼくの手術は、全部キャンセルにしてくれ……。いや、この先の手術も、全部……」 「おいっ、佐伯、大丈夫かっ?」 澤村の制止を振りきった和彦は、ふらつく足取りで医局を出る。