Se connecterゴルフに偏見はないが、そこにヤクザという単語が加わると、組員たちに見守られてコースを回る光景を想像してしまう。それでなくても、賢吾と出歩くときは警護が厳重なのだ。のんびりとゴルフを楽しむ姿が、和彦には思いつかない。
「……体を動かすだけなら、ジムで十分だ」「そうは言うけど、そのうち先生も、接待ゴルフに招待されたりするから」 どこかおもしろがるような口調で千尋が言う。そんな千尋を、和彦はやや呆れた顔で見つめる。「お前、なんだか楽しそうだな……」「だって、先生と一緒にコースを回るところを想像したら、けっこういいなと思ってさー。本気で考えてよ。ゴルフ始めるの。それで暖かくなったら、俺とコース回ろう」 一人で騒いでまとわりつく千尋を相手しつつ、駐車場で待機している車に戻る。今日は最初から、千尋の買い物につき合ったあとは、自宅に戻ってゆっくり過ごすつもりだった。さすがに元気に出歩くには、寒すぎる。 しっかり暖められた車内に入った和彦は、ブルッと体を震わゴルフに偏見はないが、そこにヤクザという単語が加わると、組員たちに見守られてコースを回る光景を想像してしまう。それでなくても、賢吾と出歩くときは警護が厳重なのだ。のんびりとゴルフを楽しむ姿が、和彦には思いつかない。「……体を動かすだけなら、ジムで十分だ」「そうは言うけど、そのうち先生も、接待ゴルフに招待されたりするから」 どこかおもしろがるような口調で千尋が言う。そんな千尋を、和彦はやや呆れた顔で見つめる。「お前、なんだか楽しそうだな……」「だって、先生と一緒にコースを回るところを想像したら、けっこういいなと思ってさー。本気で考えてよ。ゴルフ始めるの。それで暖かくなったら、俺とコース回ろう」 一人で騒いでまとわりつく千尋を相手しつつ、駐車場で待機している車に戻る。今日は最初から、千尋の買い物につき合ったあとは、自宅に戻ってゆっくり過ごすつもりだった。さすがに元気に出歩くには、寒すぎる。 しっかり暖められた車内に入った和彦は、ブルッと体を震わせる。そんな和彦を見て、隣に座った千尋が笑う。「寒いなら、抱き締めてあげるけど」 子供のような笑顔とは裏腹に、邪なことを言った千尋の頬を、遠慮なくつねり上げてやった。 車が走り出してすぐに、千尋が和彦の手に触れてくる。羨ましいことに、どんなに寒くても千尋の手は温かい。冷たくなっている和彦の手に、じんわりと千尋の体温が沁み込んでいく。「――先生、もうすぐ誕生日だよね」 自分の誕生日の話題が出た途端、和彦はつい身構えてしまう。澤村からの電話や、南郷からプレゼントを渡されたこともあり、どうしても愉快な気分にはなれないのだ。「そうだが……、どうして知ってるんだ?」「俺がカフェでバイトしてるとき、先生の歳聞いたら、ついでに教えてくれたんだ。俺、人の誕生日なんて興味ないんだけど、先生のだけはしっかり覚えてる」 こう言ってくれる千尋には申し訳ないが、正直、和彦の記憶は曖昧だ。千尋とは、世間話や他愛ないことまで、とにかくいろんなことを話しはしたが、そういった会話の内容を、覚えてお
**** きょろきょろと売り場を見回していた千尋に、突然手首を掴まれた和彦は、何事かと思って目を丸くした。 日曜日だけあって、広い売り場を持つスポーツ用品店の店内は、さまざまな年齢層の客たちで混雑している。だからといって、手を掴んでいないと迷子になるというほどではない。「おい、千尋――」 ふざけているのかと思い、きつい声を発しかけた和彦だが、手首を掴んだままズンズンと先を歩く千尋を見ていると、なんとなく、元気のいい犬を散歩させているような錯覚を覚え、結局、抗議の声を上げるタイミングを失ってしまった。 ジョギング用のスニーカーを見たいという千尋につき合い、さまざまなメーカーのスニーカーを一緒に見ている最中だったので、気になる商品を見つけたのだろうと、そう和彦は考えた。 だが、千尋が足を止めたコーナーは、少々意外だった。「……テニスシューズ?」 天井から吊るされたパネルを読み、和彦は首を傾げる。思わず、陳列されたテニスシューズと千尋を交互に見てしまった。「なんで、テニスシューズなんだ……」「先生、テニスはやらないの?」「高校生のとき、少しやったぐらいだな。お前は?」「実は、中学のテニス部で部長経験あり」 へえ、と声を洩らした和彦は、千尋と並んで陳列棚を眺める。ここで会話が一旦途切れたが、どうしてテニスなのか、その理由がさっぱりわからない。「で、テニスがどうしたんだ」「じいちゃんの家のテニスコートでさ、今度テニスやろうよ。道具一式揃えて」「……はあ?」 突拍子もない千尋の言葉に、和彦は露骨に身構える。そんな和彦の反応を見て、千尋は意味ありげな流し目を寄越してきた。その目つきが、食えない父親にそっくりだ。「せっかく先生も出入りできるようになったんだしさ、楽しもうよ。ジムで体力作りはできても、テニスはできないだろ?」「そういう問題じゃなくて、なんで、総和会の本部――」 千尋に詰め寄ろうとしたが、すぐ側
** 寿司屋を出ると、コートの襟を直す秦に向けて和彦は、頭を下げる。「忙しいだろうが、今日頼んだ件、よろしく頼む」 澤村と会う日時は、仕事帰りに気安く友人と会うという演出のために、二月四日の夕方を考えている。その日は火曜日だが、それ自体に意味はなく、仕事が休みで時間がある土日に、じっくりと腰を据えて話し合う状況を避けたかったのだ。「先生から頼み事ごとをされて喜んでいるんですから、頭なんて下げないでください」 和彦は頭を上げると、そっと微笑みながら今度は礼を言う。「今晩は、ありがとう。美味しかった」「先生には、わたしの店選びを信用してもらっているようなので、気合いが入ります」 一瞬、そんなことを秦に話したことがあっただろうかと考えたが、次の瞬間には、ああ、と声を洩らす。和彦が中嶋に話した内容が、秦に伝わったのだ。「中嶋が先生の部屋にお邪魔して、もてなしてもらったそうなので、今晩の食事はそのお礼です」「……もてなしてもらったのは、むしろぼくのほうだと思うが……。しかし、中嶋くんの保護者みたいな口ぶりだ」 和彦が指摘すると、秦が微苦笑を浮かべる。その表情を見て漠然と、秦と中嶋は、本人たちなりのやり方で歩み寄り、確実に距離を縮めているのだと感じた。 頼みごとを引き受けてくれ、食事まで奢ってもらったうえに、最後にいいものを見られたかもしれない。抱えた厄介事が片付いたわけではないのだが、二人の仲の進展具合を感じて、和彦の気持ちは少しだけ柔らかくなっていた。 秦と並んで歩き出す。護衛の組員は先に店を出て、すでに車で待機している。 寿司を食べつつたっぷり話はしたので、いまさらもう、車までの短い距離を歩きながら話すことはない。 そもそも今日は少し話しすぎたと、和彦は顔を背けて小さく咳き込む。なんとなく、喉が痛かった。気遣いのできる男が、すかさず声をかけてくる。「おや、風邪ですか?」「いや、外の空気が乾燥しているから……」「気をつけてください。誕生日だけでなく、バレ
「わたしが円満に、先生を連れ帰りますよ。先生が今現在、どんな環境で、どんな人間に囲まれて生活しているか、一切うかがわせずに」「そうだ。いざというとき、ぼくを守ってくれるだけでいいなら、長嶺組の組員に護衛してもらえばいいんだ。だけど、ぼくが長嶺組の身内になっていると知られるわけにはいかない」 それでなくても、澤村には千尋と、英俊には三田村と一緒にいるところを見られている。その点、秦は表向きは青年実業家という肩書きを持ち、仮に素性を調べられたところで、裏での組やその関係者との繋がりの多さが、かえって長嶺組の存在を隠してくれる。 この計画で大丈夫だろうかと、頭の中でめまぐるしく自問を繰り返す和彦に、秦は芝居がかったように明るい声をかけてきた。「そうだ、先生、中嶋も連れて行っていいですか? あいつこそ、見た目は普通の勤め人に見えて都合がいい」 何を企んでいるのかと、和彦が胡乱な目つきとなると、秦はヌケヌケとこう言った。「先生の用心棒をしつつ、デート気分を味わおうかと思いまして」「……正体不明の怪しい男には似合わない、爽やかな言葉だな」「わたしだって、手探り状態なんですよ、中嶋との関係は。即物的な繋がりを求めている反面、それだけじゃいけないとも思っている。だからこそ、先生のしたたかでしなやかな存在感に、刺激を受けるんです。いい緩衝材であり、接着剤ですよ、先生は」 中嶋の首の付け根についていた赤い痕を思い出し、なぜか和彦のほうが気恥ずかしい気分になってくる。秦と中嶋の関係に、緩衝材や接着剤という言葉はともかく、和彦は搦め捕られ、惹かれている。純粋に、性的な興味を覚えているといってもいい。こういう経験は初めてで、手探り状態なのは和彦も同じだ。「せっかくなので、わたしと中嶋で、先生へのプレゼントを用意しますよ」 秦の申し出に、和彦は苦笑しつつ首を横に振る。「正直、誕生日を祝われるのは慣れてないから、いつもと同じように接してもらったほうがありがたい。……昔から、おめでとうと言われても、どういう顔をすればいいのかわからないんだ」 わずかに目を細めた秦は、寿司を口に運んだあ
『先生のためなら、わたしはなんでもしますよ。なんといっても、命の恩人であり、わたしと中嶋の仲を取り持ってくれた人でもありますから』「仲を取り持ったというより、ダシに使われたんじゃないのか、ぼくは」 秦から返ってきたのは、意味ありげな笑い声だった。だがそれもわずかな間で、すぐにまじめな声が告げた。『せっかくですから、夕食を一緒にどうですか。わたしが今いる店の近くに、美味い寿司屋があるんです。ごちそうしますよ』「これから、すぐ行く……」 さっそく和彦は行き先の変更を組員に頼み、向かってもらう。 三十分後に、ある雑居ビルの前に到着すると、黒のロングコートを羽織った秦がすでに待っていた。すでに日が落ち、代わって周囲を照らす繁華街の明かりは、秦を舞台に立つ役者のように引き立てている。本人も、他人からどう見られているかよくわかっているのだろう。 こちらの存在に気づいた秦が艶やかな笑みを浮かべる。長い足でガードレールを跨いだかと思うと、颯爽とした足取りで車に近づいてきた。「店は、そこです。歩いて行きましょう」 ウィンドーを下ろすなり秦に言われ、和彦は多少面食らいながらも、車を降りる準備をする。その間に秦は、護衛兼運転手の組員にも声をかけた。「この先にコインパーキングがあるので、車を止めたら運転手さんも寿司屋に来てください。席を取ってあるので」 寒い中、自分を護衛してくれている人間を車に残し、自分たちだけ美味しいものを食べるのは気が引ける。和彦は、ぜひそうしてくれと組員に声をかけて、車を降りた。 秦が連れて行ってくれた寿司屋は、黒を基調とした落ち着いた内装でまとめられており、雰囲気としてはバーに近い。ただ、長いカウンター席や、魚の並ぶネタケースは、やはり寿司屋のものだ。 抜け目ない秦は席を予約しておいてくれたらしく、店員に名乗ると、奥まったテーブル席に案内され、少し遅れてやってきた組員は、その隣のテーブルについた。「――それで、わたしに相談したいことというのは?」 食べきれるのかと不安になるほど、量がたっぷりのにぎり盛りが運ばれてくると、箸を手にした秦が口火を切る。
「ぼくは、患者の肌に触れる仕事をしています。それだけじゃなく、危険な手術道具や、機械を扱いもします。だから気が散らないよう、アクセサリーはつけないんです」「だが、受け取ることはできるだろ。それに一日中、患者に触れて、メスを握っているわけじゃないはずだ。プレゼントを突き返すには、もう一捻り欲しい言い訳だ」 そういうつもりはないと、口中で控えめに抗議した和彦だが、南郷の冷たく冴えた眼差しの前では、はっきりと声を上げるのはためらわれる。それに、守光から贈られたものなら、受け取る以外に選択肢はなかった。「――……わかりました」 和彦の返事を受け、南郷は一旦は化粧ケースを閉めようとしたが、思い直したように言った。「せめて今、俺の前でつけて見せてくれないか、先生」「どうしてですか?」 率直に問いかけると、南郷は答えないまま、ただ口元に笑みを浮かべた。何かを企んでいるような、あまり性質のよくない笑みだ。「プレゼントをもらったら、愛想の一つでもほしいもんだな」 素っ気なく化粧ケースを投げて寄越され、和彦は反射的に両手で受け止める。つい、南郷にきつい眼差しを向けていた。「だったら、総和会第二遊撃隊隊長の権限で、ぼくに笑えと命令したらどうです」 このときの和彦は、本当に機嫌が悪かった。顔見知りの人間に見られるかもしれない場所で、いかにも筋者だとわかる大男と相対しているのだ。ひっそりとしたクリニック経営を望む和彦には、あまりに危険が大きい。「……どうやら、長嶺組長の〈オンナ〉を怒らせたようだ」 わざと和彦の神経を逆撫でるように、聞こえよがしに呟いた南郷がふらりと立ち上がる。和彦は意地でも、もう南郷に視線を向けなかった。何事もなかったように食事を再開する。 しかし実際は、心臓の鼓動が速くなり、背筋を冷たいものが駆け抜けていた。凶暴さを秘めた南郷を相手に虚勢を張るのは、限界がある。 幸運にも、冷や汗が流れ落ちる前に南郷は黙って立ち去った。その場に、物騒な空気の余韻だけを残して。 慎重に辺りを見回してから和彦は、手元に視線を落とす。自覚がないま