LOGIN護衛と聞いて、まず和彦が思い浮かべた男の存在を、賢吾は察したのかもしれない。
「今の先生の表情を見て思い出した。――そろそろ、俺への隠し事を話す気になったか?」 大蛇の化身のような男の追及を、これ以上避けることはできない。いつかは、打ち明けなければならなかったのだ。 それにしても朝から重い話題だと、そっとため息をついた和彦は、慎重に言葉を選んで打ち明ける。「……この間、総和会からの仕事で治療に行って、患者が目を離せない状態だったから、詰め所のような部屋で一泊したんだ」「ああ、そんなことがあったな。報告は受けている」「その部屋で休んでいて……、誰かに、体を触られた」「『誰か』、か?」 冷然とした賢吾の声に、和彦は体を強張らせる。危うく、ある男の名を口にしそうになったが、寸前のところで堪える。賢吾の、静かな――静かすぎる反応を間近で感じていると、とてもではないが言えない。 獲物に狙いを定めた大蛇が、身を潜める光景が脳裏を過護衛と聞いて、まず和彦が思い浮かべた男の存在を、賢吾は察したのかもしれない。「今の先生の表情を見て思い出した。――そろそろ、俺への隠し事を話す気になったか?」 大蛇の化身のような男の追及を、これ以上避けることはできない。いつかは、打ち明けなければならなかったのだ。 それにしても朝から重い話題だと、そっとため息をついた和彦は、慎重に言葉を選んで打ち明ける。「……この間、総和会からの仕事で治療に行って、患者が目を離せない状態だったから、詰め所のような部屋で一泊したんだ」「ああ、そんなことがあったな。報告は受けている」「その部屋で休んでいて……、誰かに、体を触られた」「『誰か』、か?」 冷然とした賢吾の声に、和彦は体を強張らせる。危うく、ある男の名を口にしそうになったが、寸前のところで堪える。賢吾の、静かな――静かすぎる反応を間近で感じていると、とてもではないが言えない。 獲物に狙いを定めた大蛇が、身を潜める光景が脳裏を過ったからだ。一度身を起こしてしまうと、獲物の四肢を引き千切る残酷さと、容赦のなさを発揮する。「顔は、見ていない……。触られただけだから、騒ぎにしたくなかったんだ」「長嶺の男たちが大事にしているオンナに手を出すなんざ、ずいぶん度胸のある男だな。単なるバカの命知らずか、それとも、長嶺を……俺を恐れないだけの後ろ盾を持っているのか――」 まるで独り言のように話しながら、賢吾の手に頬をくすぐられる。その感触が優しいからこそ、和彦はあることを本気で危惧し、たまらず忠告していた。「……ぼくのことで、誰かと揉めたりしないでくれ。前に聞いたことがあるんだ。ぼくと会長のことで、長嶺組と総和会の関係が微妙になっていると。それが事実かどうかはわからない。だけど、今回のことが原因で、本当に総和会との関係がこじれたら……」「他の奴が言ったなら、自惚れるなと鼻先で笑う台詞だが、先生が言うと、シャレにならねーな。一年ちょっと前なら、長嶺組の世間知
普段から組員が出入りし、何かと世話を焼いてくれているため、自分が知らないところで他人が部屋に入ることに抵抗はない。ただ和彦が驚いたのは、賢吾の周到さだ。つい数日前に食事をしたときは、何も言っていなかったし、匂わせもしていなかった。「それはかまわないが……、どれぐらい時間がかかるんだ? 夕方ぐらいまでなら、ぼくは外で適当に時間を潰しているが」「残念だな。ガラスやドアをひょいっと入れ替えるだけじゃねーんだ。バルコニーに面した窓には特殊ガラスを入れるが、これが、厚みがあってな。今のサッシにハマらないそうなんだ。だから、サッシそのものを替える。ちょっとした改装工事だな」「……つまり、一日じゃ終わらないということか」 肯定するように賢吾の息遣いが笑った。 賢吾が決めたのなら、和彦は文句を言うつもりはない。和彦の身の安全のためだというなら、なおさらだ。ここまでしなければならない状況というのは怖くもあるが、逃げられないのなら、受け入れるしかない。 連休が始まったばかりだというのに慌ただしいなと、そっとため息をつこうとしたとき、さらに賢吾が驚くべき発言をした。「工事の間、本宅に泊まればいいと言いたいところだが、せっかくの連休中、いつもと変わり映えのしない過ごし方もつまらんだろう。だから、オヤジに話をつけて、別荘を押さえた。冬に一度、先生も行ったことがある別荘だ。今は気候もいいから、のんびりと過ごせるぞ」 和彦は目を丸くして、まじまじと賢吾の顔を見つめる。やや呆れつつ、こう言っていた。「人の貴重な休みを、なんだと思ってるんだ。なんでもかんでも、ぼくに相談もなく勝手に決めて……」「気に食わんか?」「忙しいあんたが、ぼくのためにあれこれ気を回してくれることは、ありがたいと思う。だけど、少しぐらいはこっちの都合を考えてもいいだろ」「生憎、俺は仕事があって、動けん。だからこそ先生の都合を考えて、三田村を護衛につけるんだが、それも嫌か?」 あっ、と声を洩らした和彦は、次の瞬間には顔をしかめる。「――……喜ぶ顔も
そう皮肉を言い置いて、鷹津がリビングを出ていく。他人のことは言えないだろうと思いながら、鷹津の背を見送った和彦だが、ふと、あることを思い出して、慌ててあとを追いかける。しかし、鷹津の姿は玄関のドアの向こうに消えるところだった。 靴を履いて追うべきだろうかと逡巡している間に、すっかりタイミングを失う。和彦は軽く息を吐き出すと、くしゃくしゃと自分の髪を掻き乱す。 思い出したのは、実に些細なことなのだ。 何日か前に、賢吾と一緒に夕方の街を歩いているとき、和彦は鷹津を見かけた気がした。鷹津も、こちらを見ていたように感じ、ただそのことを確認したかっただけだ。見間違いかもしれないし、仮に鷹津がいたとしても、何か問題があるわけではない。 次に会ったとき、覚えていれば聞けばいい。その程度のことだ。 忘れている確率のほうが遥かに高いだろうが、と心の中で呟いて、和彦はキッチンに向かう。 南郷は苦手だが、だからといって花に罪はない。可憐な花に相応しい花瓶で活けてやろうと思いながら、ワイシャツの袖を捲くり上げた。**** 寝返りを打った拍子に、指先に硬い感触が触れた。和彦は夢うつつの状態で、これは一体なんだろうかと、緩慢に思考を働かせる。 いよいよ連休に突入するということで、夜更かしをする気満々だった和彦は、ハードカバーのミステリー小説をベッドに持ち込んだのだ。眠くてたまらなくなったにもかかわらず、続きが気になって仕方なく、目を擦りながら読んでいたのだが、本を閉じた記憶がない。 指先に触れる感触は、その読みかけの本だと見当をつけ、安心したところで再び意識を手放そうとする。が、叶わなかった。 前触れもなく、まばゆい光が瞼を通して目に突き刺さる。和彦は低く呻き声を洩らすと、もぞりと身じろいで布団に頭まで潜り込む。一体何事かと、目を閉じたまま考えたが、心当たりは限られる。 睡眠を中断された不満を小声で洩らし、渋々布団から顔を出す。薄暗かった室内は、すべてのカーテンを開けられたおかげで、清々しい陽射しが満ちていた。「――連休初日にふさわしく、今日は天気がいいぞ、先生。五月晴れという
玄関のドアが閉まる音を聞いて、一気に緊張が緩む。和彦は安堵の吐息を洩らすと、次に鷹津を睨みつけた。「南郷を挑発してどうするんだ」「俺が相手をしなかったら、あいつはネチネチとお前に絡み続けたぞ」「だからといって――……」 鷹津と長嶺組は、反目しつつも利用し合うという関係を築いているが、だからといって同じ手法が他の組織に通じるとは限らない。特に、手駒が多いであろう総和会には。南郷のあの余裕は、たかが一介の刑事など恐れていないという自信の表れだ。だからこそ、その南郷を挑発したあとのことを考えると、和彦は空恐ろしくなるのだ。 和彦の側にやってきた鷹津が顔を覗き込んでくる。揶揄するようにこう声をかけてきた。「なんだ。俺の心配をしてくれてるのか?」「……あんたを狂犬だと、よく言ったものだと感心していたんだ。誰彼かまわず噛みつく」 鷹津が左手で頬に触れてこようとしたので、その手を邪険に振り払う。すかさずその手を握り締められた。「――やけにあの男と会話が弾んでいたな」 思いがけない鷹津の発言に、和彦は眼差し同様、刺々しい声を発する。「それは、皮肉で言っているのか?」「いや、本気で言っている。俺の知らないところで、南郷と何かあったみたいだな。傍で聞いていて、ムカついた」 南郷との間に、『何か』は確かにあった。だが、口には出せない。理由の一つは単純で、盗聴器を通して、長嶺組の男たちに知られるからだ。その男たちは、賢吾に隠し事は絶対にしない。すべて、報告される。 そして今、和彦の目の前にいるのは、蛇蝎の片割れである、鷹津だ。 すでに複数の男たちと同時に関係を持っている身でありながら、いまさら体に触れられたぐらい、と鷹津に言われたくなかった。事実ではあるが、きっと自分は屈辱感に苛まれると、和彦には予測できる。 さらに、鷹津が南郷への敵意を募らせる状況を恐れてもいた。 揉め事を恐れて二人を部屋に上げたのだが、予想以上に険悪さが増した状況に、和彦は後悔を噛み締める。南郷が気を悪くしようが、迂闊に花束など受け取るべきではなかったのだ
ふっとそんなことを考えた和彦は、患者の治療をしたあと、仮眠室で一泊したときの出来事を思い返す。あのとき、守光の行動に倣うように顔に薄布をかけられ、それだけで和彦は抵抗を封じられたのだ。「――俺のわからない話を、いつまで続けるつもりだ」 唐突に鷹津が、不機嫌そうな声を発する。我に返った和彦は、このときばかりは鷹津に感謝していた。南郷のペースに巻き込まれる寸前だった。「番犬は、おとなしく飼い主の足元に身を伏せているもんだろ。会話に割って入るのは、無作法だぜ、鷹津さん」「佐伯がイライラしているのがわかったから、その番犬としては知らん顔はできないんだ。あとで、気が利かないと叱られたくない」 鷹津の言葉に納得したように南郷は頷き、意味ありげに和彦を一瞥した。「俺はすっかり、先生に嫌われているようだからな」「ほお。つまり、それだけのことをしたということか?」「先生に聞いてみたらどうだ」 南郷の発言に動揺しかけた和彦を救ったのは、電話の呼出し音だった。反射的に立ち上がった和彦はリビングを出ると、ダイニングで電話に出る。『先生、大丈夫ですか?』 切迫した声の主は、いつも和彦の護衛についている長嶺組の組員だ。ついさきほどまでマンションの前で、第二遊撃隊の男たちと睨み合っていた。和彦がマンションに入ったからといって、彼らの仕事はまだ終わっていないのだ。 和彦はリビングの気配をうかがいつつ、小声で尋ねた。「鷹津がいるから、ぼくのほうは心配いらない。それより、まだマンションの前に?」『遊撃隊の連中は、車で待機しています。こちらは、マンションから少し離れた場所に車を移動させました。何かあれば、すぐにでも部屋に駆けつけられます』「いや……、何もないだろう。向こうはあくまで、見舞いだと言っているんだ。今晩はもう、護衛の仕事はいい」 仮に何かあったとしても、盗聴器を通して危険は伝わる――とは、さすがに口には出せない。とにかく和彦は、心配されるような事態にはならないと確信があった。「何があったか、組長に報告だけはしておいてくれ」 そう頼んで電話を切った
「俺が凄んだところで、屁でもないだろ。総和会第二遊撃隊を率いる、南郷ともあろう男が」「……長嶺組長だけでなく、うちのオヤジさんにとっても大事な先生を、警察の人間が守っているんだ。何事かと気にもなるってもんだ」「そういうお前は、どうしてこいつにつきまとう。大事な『オヤジさん』の側についていなくていいのか?」 口元に笑みを湛えたまま、南郷は凄むように鷹津に視線を定める。傍で見ていて息を詰めてしまうほど、冷たく鋭い目だった。 二人の男のただならぬ雰囲気が伝わったのか、それとも、そんな男たちの間で戸惑っている和彦の様子から何か感じたのか、南郷の護衛についている男たちだけではなく、和彦の護衛として、鷹津の車の背後からついてきていた長嶺組の男たちが、互いに威嚇し合うように静かに距離を縮めていた。 友好的とは言いがたい空気を無視できなくなった和彦は、ため息交じりに南郷に提案する。「――まだ話したいなら、場所を移動してもらえませんか。ここで立ち話をされると、迷惑になります」「だったら、先生の部屋に。前にも言ったが、長嶺組長がオンナを住まわせている部屋を見てみたい」 こういう流れになるのは予測していた。和彦がそっと目配せすると、心得たように鷹津も応じた。「コーヒーぐらい出せよ」** ソファに腰掛けた二人の前にコーヒーを出した和彦は、少し迷ってから、鷹津との間に一人分のスペースを空けて隣に腰掛ける。 足を組んだ南郷は、ソファの背もたれに腕をかけ、賢吾の好みで統一されたリビングを見回す。一方の鷹津は、そんな南郷を不躾なほど観察していた。刑事としての習性なのかもしれない。「思った通り、長嶺組長は先生にいい暮らしをさせている。――金をかける価値のあるオンナ、ということだな」 この部屋に入れた時点で、事情を知る男たちが何を思うか、和彦は容易に想像できるし、覚悟もしている。明け透けすぎる南郷の言葉に、眉一つ動かさずにこう答えた。「堅気としてのぼくの人生を、めちゃくちゃにした対価だと思うようにしています。どれだけ金をかけるかは、あの人の自由です」 この
**** あの男は、優しいのか残酷なのか、よくわからないと、いまさらながら実感していた。 そもそも、あの男の中では、その二つは区別する必要がないのかもしれない。緩く溶け合い、一つの感情として存在していたとしても、不思議ではない。 一時間ほど前にかかってきた賢吾からの電話の内容を、和彦は頭の中で反芻する。『狂犬の対処で頭を悩ませているようだな、先生。俺としては、あんな物騒なものはいらない、という返事もありかと思っていたが、それすらないってことは、先生なりに、雑に扱える番犬の必要性を少しは感じ
あからさまに疑わしいが、組と怪しい男が絡む事情など、ロクなことではない。深入りしたところで、和彦が清々しい気持ちになることはないだろう。それでなくても今は、自分自身が心配事を抱えているのだ。「先生?」 何も聞かなかったことにして、黙々と靴を履く和彦を、秦が気遣うようにうかがってくる。「……ぼくに教える必要があると考えれば、組長から何か言ってくるだろ。わざわざ、君から聞かなくてもいい」「素っ気ないですね。一応、組長公認の、先生の遊び相手なんですから」 顔をしかめた和彦は、組員に靴べらを手渡してから玄関
不穏な空気を感じ取り、和彦は無意識に一歩だけ後退ったが、二歩目はなかった。男の手が肩にかかって動けなかったからだ。寸前までにこやかな表情を浮かべていた男は、今は無表情で和彦を見つめていた。「ちょうどいい。今日の披露宴には、君のお父さんに世話になっている人間が、何人か来ているんだ。せっかくだから紹介しよう」「いえ、ぼくはこれで失礼します」「時間は取らせないから。びっくりするだろうな。兄弟そっくりだと言って。君のお兄さんも、省内じゃ、かなりの有名人だから――」 そう言いながら男に腕を掴まれそうになり、鳥肌が立つような危機感を覚えた和彦は、反射
内奥深くを小刻みに突き上げながら、ふいに賢吾がそんなことを言う。和彦は賢吾の逞しい腰に両足を絡ませながら、頭上の枕を握り締めて嬌声を堪える。大きく呼吸を繰り返してやっと、言葉を紡ぐことができた。「どういう、意味だ……」「心底嫌いな男に感じさせられて、悔しい反面、ひどく興奮しているんじゃないのか。脅されて言うことを聞かされたはずなのに、体はしっかり、その嫌な男から与えられた快感で悦ぶ。淫奔な体と、下手なヤクザより肝が据わって、したたかな性質を持った先生らしい色気だ」 賢吾には当然、レストルームの個室で鷹津に何をされたのかすら