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第30話(17)

Auteur: 北川とも
last update Date de publication: 2026-05-15 20:00:29

「あいつは番犬どころか、今じゃ先生の騎士気取りかもな。自分が犬であることを忘れたんだ。それもこれも先生が、鷹津を甘やかすからだ。躾もせず、ちょっとしたお使い仕事をこなすだけで、美味い餌をたっぷり与えて……。甘やかすだけじゃ狂犬は、単なる駄犬になる」

 賢吾の口調が暗い凄みを帯びる。その迫力に圧された和彦は、知らず知らずのうちに体を後ろに引きそうになったが、賢吾に強く指を掴まれて、首を竦める。

「痛っ」

「――そろそろ鷹津を、適度に距離を置いて飼う時期になったのかもな。刑事であるあいつ自身にとっても、それがいいと思わないか?」

 底冷えするような冷徹な眼差しを向けられて、和彦は返事ができなかった。迂闊な返事をしてしまえば、賢吾が鷹津をどうにかしてしまいそうな、そんな危機感が芽生えていた。

 和彦が顔を強張らせると、賢吾は苦笑を浮かべて手の力を抜く。和彦は素早く指を抜き取ると、急いで立ち上がる。

「少し、中庭で風に当たってくる」

 賢吾の顔も見ないでそう言い置き、部屋を出ようとすると、冗
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  • 血と束縛と   第47話(45)

    ** 伊勢崎父子のことを聞かされてからずっと、不自然な鼓動の乱れ治まらなかった。父子、と言いながら、やはり強く思ってしまうのは、玲のことだ。 大学受験が上手くいったのなら、もうとっくに新たな生活の準備は整えているだろう。一緒に行動したのはほんの数日のことだったが、彼はいろいろなことを話してくれた。大学生活を送るにあたり、父親から離れて一人暮らしをしたいのだと語っていたが、果たして希望は叶ったのだろうか。 龍造が、〈こちら〉で商売を始めようとしていることは、御堂や賢吾がちらりと話していたので知っている。龍造本人が出向いてくるなら、玲が安穏とした大学生活を送れる光景は残念ながら思い浮かばないが、他人である和彦が心配するのはおこがましいだろう。 夜も更け、本宅は詰め所を除いてひっそりと静まり返っている。入浴を終えた和彦はいつもなら客間で一人寛いでいる時間だが、今夜はなんとなく落ち着かなくて、こうして中庭に下りていた。 庭園灯のぼんやりとした明かりが、白く小さな花をつけた庭木を照らしている。賢吾も千尋も中庭の植物になど興味がなさそうなのに、気がつけば種類が入れ替わっていたりして、こまめに手入れが行われている。なんの花なのか、組員に聞いてみようかと思っていると、ふいに背後でぞろりと何かが蠢く気配がした。 総毛立ったのは一瞬で、すぐに肩から力を抜く。「――身が燃えるか」 揶揄するように話しかけられ、和彦は短く息を吐き出した。「意地の悪い中年男は嫌われると千尋が言ってたぞ」「どのあたりが意地悪なんだ」「……そういうところ」 隣に賢吾が立ち、和彦の肩に羽織をかけてくる。雨が近いのか、今夜は風が生ぬるくて暖かいぐらいなのだが、厚意はありがたく受け取っておく。「秋慈はまだ何か隠しているぞ。伊勢崎組……というより、伊勢崎龍造に関して」「気づいてて、聞かなかったのか?」「聞いたが、まだ探っている最中だと、すげなくあしらわれた。大事な一人息子を骨抜きにした相手が気になって、とんでもない行動に出るなんて、どこぞの誰かとよく似てるじゃない

  • 血と束縛と   第47話(44)

    「そういう心配するの、和彦ぐらいだよ、きっと。うちなんて厄介事の巣窟みたいなところなのに」「お前……、実家だろ。そういう言い方……」「実家だからよくわかるんだって。だから、和彦が心配しなくていいよ。多少のことなら、ここにいる大蛇がぱくっと呑み込むから」 もっとも、と賢吾が言葉を引き継ぎ、両目に剣呑とした光を宿す。「それらしい理由をつけて、お前が俺たちから距離を置きたいというなら、話は別だがな」「……だったら最初から、戻ってこない」 和彦がじっと見つめ返すと、賢吾はすぐに降参した。「悪かったな。お前がいじらしいから、つい意地悪を言っちまったな」「意地が悪い中年男は嫌われるからな」 千尋の発言に対して、賢吾は澄まし顔でグラスに口をつける。 家族会議と言いながら、こんなことを話していていいのだろうかと疑問に感じたところで、賢吾がふいにタブレット端末を取り上げ操作してから、和彦に差し出してきた。「秋慈が送ってきた画像データだ。お前も見たほうが手っ取り早い」 意外な名が出て和彦は目を丸くする。御堂秋慈の灰色がかった髪と秀麗な顔立ちが鮮明に脳裏に浮かび上がった。 最後に御堂と会ったのは昨年末の総和会の本部だったが、知らず知らずのうちに顔が熱くなってくる。御堂は元オンナとして、傷ついて脆くなっていた和彦を抱き締めて、慰めてくれたのだ。そのとき一度だけ唇を重ねた。二人だけの秘密で、賢吾にも言ってはいけないという御堂の忠告を、和彦はしっかりと守っていた。「あいつも食えない奴だからな。クラゲのような細くて長い毒を持つ触手を、いろんなところに伸ばしている。これぞという餌や敵に刺して毒を流し込むんだ。俺は一応身内だと判定されているようだから今は平気だが、そうじゃない相手には――。あいつが優しいのは、オンナに対してだけだろうな」 そう言う賢吾の口ぶりと眼差しから、薄々とながら和彦と御堂の間に何かあったことを察しているようではあるが、嫉妬や怒りといったものを感じない。賢吾にとっても御堂は、大蛇が牙を向けない身内に含まれているよう

  • 血と束縛と   第47話(43)

     危機感が足りないと言いたげに賢吾が微苦笑を浮かべる。和彦は慌てて言い募った。「心配してくれているのはわかってるんだ。でも、決定的なことが起こったわけじゃない。見られてただけで――」「お前がいくら色男でも、あとをつけるような奴はまともじゃねーんだ。お前も薄々、相手の種類は察してるんだろ」 賢吾に示され、和彦はやっと正面に腰を下ろす。いつの間にか部屋の外で待機していたらしく、一声かけて笠野が障子を開ける。和彦の前にお茶の入ったカップを置くと、すぐに部屋を出て行く。 数秒待ってから和彦は口を開いた。「たぶん、今日の男たちは堅気じゃなかった」「それで?」「意地が悪いな。ぼくにわかるのは、それぐらいだ」 軽く鼻を鳴らした賢吾は、たけのこの和え物を口に運ぶ、小気味いい咀嚼音を聞きながら、和彦は座卓の隅に置かれたタブレット端末に気づく。「――舐めたまねをしやがる」 ふいに地を這うような低い声がした。ゾクリと身震いをして反射的に賢吾を見る。忌々しいほど魅力的なバリトンの本来の使い方を、唐突に教えられた。この男の声は、物騒な武器でもあるのだ。 硬直する和彦に対して、賢吾は安心させるようにふっと笑いかけてくる。「おっとりしたお前はともかく、周囲がどれだけ警戒しているか、探りたかったのかもな。しばらく行方をくらませていた人間が、突然またふらふらし始めたら、まあ、気になる連中はいるだろう」 ここで障子が開き、今度は千尋がするりと部屋に入り込んでくる。手には缶ビールを持っており、何食わぬ顔で当然のように和彦の隣に座った。 一旦会話が止まったのをきっかけに、三人はそれぞれ飲み物に口をつける。笠野が淹れてくれたのはほうじ茶で、香ばしい香りにほっと息が洩れる。賢吾のグラスは焼酎のお湯割りだそうだ。飲むかと問われたが、遠慮しておいた。「……しばらく、ぼくは本宅に近づかないほうがいいかもしれない」 ぽつりと和彦が呟くと、千尋が大仰に目を剥く。「何言ってんのっ」「いや、いままではぼくが一番弱い立場だったから、当然のようにここで庇護されてたわけだけど、近いう

  • 血と束縛と   第47話(42)

    ** 帰宅した賢吾は、見るからに機嫌が悪かった。一足先に帰宅した千尋は気色ばんで和彦に駆け寄ってきたので、この辺りの反応の違いは、潜り抜けてきた修羅場の違いによるものかもしれない。 誰かが大蛇の尾を踏んだせいだと、和彦は苦々しく思いながら、ロールケーキを一口食べる。春の期間限定ということで、生地も生クリームもほんのりとピンク色で、桜の風味が口内に広がる。組員の奥さんが差し入れてくれたものだそうで、食後のデザートにと笠野が勧めてくれたのだ。紅茶との組み合わせは最適だったと、自分の飲み物の選択に満足していた最中だった。 和彦が寛いでいるように見えたのだろう。ダイニングにやってきた賢吾はほんのわずかに目元を和らげた。「――美味いか?」「ご飯も喉を通らないという状態じゃなくて申し訳ないが、美味しい」「お前にやつれられると、あちこちから俺が責められるからな。それでいい」 そう言って賢吾の手が、さりげなく髪を撫でてくる。「よく似合ってる」 礼を言うのも照れ臭くて、いつもと同じ髪型だともごもごと応じていると、ちょうど風呂から上がってきた千尋もダイニングにやってくる。ふらふらと和彦に近づいてくると、背後から抱きついてきて甘えるように肩に額をすり寄せる。 いきなり長嶺の男二人に絡まれて、和彦としては苦笑するしかない。とりあえず、心配されていたことはよく伝わってくる。 賢吾はあごに手をやり、何か考える素振りを見せたあと、こう宣言した。「よし、一時間後に俺の部屋で家族会議を開くぞ」「家族会議って……」「もちろん、お前も同席しろ。今日のことで話を聞きたい」 風呂の前に野暮用を片付けると言って、ジャケットを脱いで組員に預けた賢吾がどっかとイスに腰掛ける。心得たもので組員が、手帳を開いて仕事の打ち合わせを始める。この様子だと、いろいろと用事を放り出して帰宅したようだ。和彦を心配して――。 千尋は、髪を乾かしてくると言い置いて自分の部屋に戻り、和彦としては、この状況で優雅にデザートを味わうのは気をつかう。せっかくのロールケーキを気忙しく紅茶で流し込むと、

  • 血と束縛と   第47話(41)

     前回の診察時に橘には、実家に里帰りをすることは告げていたため、和彦はそれから何があったのか大まかに説明した。母方の実家にまで出向き、母親の墓の前でフラッシュバックを起こした結果、幼少時に欠落した記憶が戻ったことも。 しばらく人を避け、山奥でひっそり療養していたと告げたとき、橘はなんとも複雑そうな表情となり、ボールペンの尻で頭を掻いていたのが印象的だった。 長い期間記憶を失っていたことがPTSDに起因したものだとしたら、正常に戻った現在は、すでに快癒したといえるのではないかという和彦の質問に、あっさりと橘は首を振った。むしろ、記憶が戻ったことによって新たな症状が起こるかもしれないと指摘され、咄嗟に頭に浮かんだのは、綾香と対面したときの光景だった。〈母親〉という存在に怖さを感じていると吐露していた。思わず出た言葉だったが、口にして和彦は、正直な気持ちであると認めた。ぼんやりとした思慕の一方で抱えてしまった、後ろ暗い気持ちだ。 橘から、フラッシュバックを起こしたときの呼吸法やリラックス方法を教えられた。不安感を和らげる薬はこれまでと同じものを処方して、様子を見るとも言われた。「時間をかけていくしかない。時間薬というやつだが、もし体の異変が現れるというなら、PTSDを専門にしている先生を紹介してやれる」「それはいい。今のところ、たまに不安感のせいで眠れなくなるぐらいだから。それに、橘さんだから、診てもらおうという気になるんだ。他の先生だったら、たぶん病院から足が遠のく」「あのなあ……」 呆れたように呟いた橘が、もう書くことはないとばかりにボールペンをデスクに置いた。「自分を追い込むような状況に身を置くなよ。なんの拍子で精神のバランスが崩れるかわからないし、それに体が耐えきれないということもありうる」「ぼくは楽なほうに流れる性質だから、そこまでマゾじゃないよ」「環境や状況にじわじわと慣れていって、気がついたときには取り返しがつかないことに――なんて、お前がそうならないよう、友人として願ってるよ」 別れる間際、今度来るときは家族のことをもっと話してくれと橘に言われ、和彦は困惑した。詳細な説明まではしな

  • 血と束縛と   第47話(40)

    **** 久しぶりに髪を切ったせいか、首筋を撫でていく風の感触が新鮮だった。施術中は、バサバサと落ちていく髪を惜しむ気持ちもあったが、美容室の外に出てしまえば現金なものだ。やはり切ってよかったと思える。 和彦はさっぱりとした後ろ髪を一撫でして、歩き出す。背後を振り返るまでもなく、長嶺組の護衛はついているのだが、傍からは同行者だとわからない程度に、距離は空けてもらっている。これは和彦から言い出したことではなく、賢吾の指示によるものだ。 和彦はまた、長嶺の本宅に滞在している。綾香と会って動揺したことで、ほんの少しだけ体調を崩したのだが、それを見逃す長嶺父子ではない。もっともらしい言葉で丸め込まれてしまった。どうせ塞ぎ込むなら、側に人がいたほうが安心だろうと言われては、逆らえるはずもない。 ただ自分でも意外だったのは、和彦が客間に閉じこもっていたのはわずか一日ほどで、その翌日には、気分転換がしたいと外出できたことだ。外出のために服を選び、馴染みの美容室に予約を入れ、あれこれと予定を立てる一方で、これから先の家族との向き合い方や距離感を思索していたが、その最中に自覚したのは、決して自分が苦悩しているわけではないということだ。 実家について多少俯瞰して見られるようになっていた。佐伯家は、自分の人生におけるすべてではないと薄々わかっていながら、俊哉に望まれるままに身を委ねて生きていくつもりだったが、いつの間にかその感覚は希薄になっている。まるで真水に晒されて、毒が抜けたように。それとも、より強い毒によって染められたのか。 無意識に苦々しい表情になっているのに気づき、ほっと息を吐く。答えの出ない自問に疲れたというのもあるが――。 和彦は頭上を見上げて目を細める。今日は春というより初夏めいて陽射しが強く、気温が高い。この陽気で一気に桜は開花するだろう。自分の中にある硬い蕾めいた陰鬱も、花開いたあとに散ってくれないだろうかと益体もないことを思ってしまう。 もっと陽射しを浴びるためにふらふらと散歩したいところだが、次の行き先の予約時間が迫っている。コインパーキングで待機していた車に、護衛についていた組員と共に乗り込むと、さっそく出発す

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