Masuk肌に残る愛撫の痕跡を指先で辿りながら、賢吾がそんなことを呟く。和彦は、ここ数日の自分の浅ましい生活を思い返し、激しい羞恥から顔を背ける。実は今日も、まさか仕事で呼び出されるとは思っておらず、朝から三田村と、ベッドで睦み合っていたのだ。
「三田村は、お前を丹念に愛してやっているようだ」 腕の付け根についた鮮やかな鬱血の跡に、賢吾が唇を押し当ててくる。いきなり強く肌を吸い上げられて、和彦は痛みに声を洩らす。こんな愛撫を全身に施されては、せっかく回復した体力を吸い尽くされてしまうと本気で危惧したが、賢吾は自分がつけた跡を満足げに眺めたあと、まだ水気が残る和彦の肌を舌で舐め回し始めた。「うっ、あぁっ……」 首筋をベロリと舐め上げられて、熱い疼きが体の奥で湧き起こる。耳の穴まで丹念に舐められ心地よさに身震いしたあと、重なってきた逞しい体に両腕を回してすがりつく。和彦が何を欲しているかよくわかっている男は、もったいぶった手つきで自分が着ている浴衣を脱ぎ落とした。 喉を鳴らし、和彦は背の大蛇にてのひらを這わ里見の真意はわかっているつもりだ。生々しい話をするのに、俊哉の耳を気にしたくないということだ。和彦も同じ気持ちではあるが、逡巡する。 今晩は俊哉と二人で話をするために場が設けられたはずなのに、里見がいて、さらに部屋を抜け出そうというのだ。俊哉の反応も気になるが、それ以上に、南郷に知られたときが怖い。「佐伯さんには事前に相談して許可はもらったし、店にも協力を取り付けてある。ここは、いろんな立場の人間が密談で使っている店だ。抜け出してもバレないはずだ」 里見にここまで言われて、結局和彦は頷いていた。 取られた手を引かれるまま、里見が待機していた部屋から、来たときとは違う廊下へと出る。客同士が顔を合わせないよう、かなり配慮した造りになっているようだ。 廊下を通っていくと、狭い玄関へと出る。隣には板場があるらしく、威勢のいい声がときおり聞こえ、仲居も出入りしているが、客である和彦と里見の姿を見ても、驚くでもなく会釈をして通り過ぎていく。こっそりと客がここから出入りすることに、どうやら慣れているらしい。 並んで置かれたサンダルを履いて外に出ると、緩やかな勾配の坂があり、そこを下ると車がやっと通れるほどの道に出られる。辺りに人影はおろか、通りかかる車もなく、街中だというのに非常に静かだった。「――今なら、怖い連中に悟られることなく、君を連れ去ることができる」 坂の途中まで下りたところで、ふいに里見がそんなことを言い出す。和彦はピタリと足を止め、先を歩く里見の背を凝視した。 体つきが変わったことを、よりはっきりと感じられる後ろ姿だった。会わないままに流れた十三年という年月に思いを巡らせたが、あまり時間がないことを思い出す。 和彦は意を決して、同じ質問をもう一度里見にぶつけた。「ぼくたちのことを、父さんに話したんだね……?」 ゆっくりと振り返った里見は微苦笑を唇の端に刻み、首を縦に動かした。「話した。だけど、君のお父さんは――、佐伯さんは、全部知っていたよ」 思いがけない告白に、和彦は絶句する。そんな和彦の顔を、里見は気遣わしげに覗き込んでくる。「驚いたよね。わたしは、
襖を閉めた和彦は、涙が出そうになるのを堪えながら里見に詰め寄った。「どうして、里見さんがここにっ?」 感情の高ぶりのままに声を荒らげたが、すぐに、襖一枚を隔てた俊哉の耳を気にする。 突然の里見との再会に動揺する和彦とは対照的に、里見は落ち着き払っていた。こういう状況になることは織り込み済みだったのだろう。すべてを俊哉に打ち明けて、今晩のことも打ち合わせをしていたのだ。 南郷の迎えの件も含めて、和彦だけが何も知らされていなかった。 ふうっと深く息を吐き出した途端、足元が軽くふらつく。当然のように里見の手が肩にかかり、和彦の体を支えた。このとき互いの距離の近さを意識し、反射的に後ずさろうとしたが、里見にぐっと肩を掴まれた。 包容力と知性を兼ね備えた、年齢を重ねた分だけ深みが増した容貌は、抗い難いほどに和彦の視線を奪ってしまう。一度目が合えば、もう逸らせなかった。記憶にある優しげな眼差しは、今は燃えるような熱情を湛えている。 この男は、こんな目をする人だっただろうかと違和感を覚え、どうしてだろうかと疑問に感じたが、それも一瞬だ。 和彦はすでに、里見に甘やかされていた子供ではない。大人となり、里見以外の男たちと関係を持つという経験を経てきたのだ。昔と同じような目で見てほしいとは、口が裂けても言えない。 里見は、かつての和彦との関係を話した対価として、俊哉から一体どれだけの事情を聞かされたのだろうかと、自虐的に和彦は想像する。 軽蔑の眼差しを向け、罵ってもいいはずなのに、それでも里見は、会いたかったと言ってくれた。嬉しさよりも、ただ胸が苦しくなってくる。「……父さんから、全部聞いたんだろう? 里見さんを、これ以上巻き込みたくないんだ。すぐ近くに、ぼくの見張りが……、ヤクザがいるんだ。目をつけられたら、厄介なことになる」「気にしてないし、平気だ」「気にしてよっ」 再び声を荒らげてから、襖の向こうの俊哉を気にかける。「覚悟は決めている。――君のお父さんから、協力してほしいと言われたときから」 里見は慎重に言葉を選ぶよう
「お前に行ってもらう場所がある。どこに、とはまだ言えない。誰にも……、総和会や長嶺組だけでなく、家の者にも悟られたくない」「……家の者というのは、母さんや兄さんのことだよね」「そうだ。ある人物と約束した。絶対に和彦を行かせると。その約束を守るために、お前もなんとしても、長嶺の人間たちを説得しろ。もっとも、お前が逃げ出さないという保証のために、何を欲しがるやらわかったもんじゃないが。さすがに、体の一部を置いていけとまでは言わないだろう」 仮に言ったとしたら、それでも俊哉は、従えと命令するのだろうか。 我ながら悪辣ともいえる想像に、和彦はゾッとする。ゾッとするといえば、いまさら実家にどんな顔をして出向けばいいのかということだ。 和彦は、英俊や母親から投げつけられるであろう蔑みの眼差しを想像して、吐き気を催しそうになる。いや、どんな眼差しにしろ向けられるだけ、マシなのかもしれない。いないものとして扱われる可能性の高さを思えば。「――……父さん、数日だけでも、ぼくは家に帰るつもりはないよ……」「わたしが、帰って来いと言っている。拒否することは許さん」 予期した通りの答えに、震えを帯びた息を吐き出す。俊哉に対する、和彦なりの控えめな怒りの発露だった。「説得する気もなく、一方的に言って済ませるなら、電話でもよかったはずだ。こんな……、手のかかることをして」「お前が無事なのか、この目で確かめる必要がある。それに今回は――」 意味ありげに俊哉が視線を向けたのは、さきほど南郷も気にしていた部屋の奥にある襖だった。「どうしても、お前に会いたいという人間を連れてきた」「……誰?」「お前もきっと、また会いたかったはずの人間だ」 咄嗟に頭に浮かんだ男の名を、俊哉にぶつけることはできなかった。困惑する和彦に対して、俊哉は軽くあごをしゃくる。「どうせ、食欲はないんだろう。久しぶりの〈逢瀬〉を楽しんできたらどうだ」 にこやかな
「あれに言う必要がどこにある。――鷹津くんとの連絡役をさせたことがあるが、あとから、ずいぶん露骨に探りを入れられて、辟易したんだ。総和会と接触を持って、お前と会ったなどと知ったら、もっと面倒なことになる」 鷹津と英俊が接触していたと知り、不可解な感情が和彦の中で芽生えたが、それがなんであるか分析するには至らなかった。ただ、英俊は鷹津のような男は苦手だろうなと考え、ふっと苦笑が洩れる。かつての自分がまさに、鷹津を毛嫌いしていたことを思い出したのだ。 ここで和彦は、こちらをじっと見つめている俊哉と目が合った。途端に、怜悧な眼差しを意識することになる。 食欲はなかったが、自然に視線を逸らすために料理に手を伸ばす。胡麻豆腐に箸を入れようとして、隠し切れないほど手が震えた。「――何をそんなに緊張することがある。久しぶりの、父親との食事だろう。この間会ったときは、自分が囲われ者になっていることに対する後ろめたさ故かと思っていたが、それだけではないな」 俊哉はさらに声を潜め、探るように言った。「怖い夢でも見たか?」「……夢?」「お前がずいぶん小さい頃、よく夢を見てはうなされて、飛び起きてもいた。小学校に入ってしばらく経った頃には、忘れたようにそんなこともなくなったが。一度、どんな夢を見ているのか、お前に聞いたことがある。そのときお前は――」 父親と向き合って話していた実家の書斎の光景が蘇り、忌避感が和彦の口を動かす。「聞きたくない。……というより、思い出したくない。ううん。覚えてないんだ、ぼくは。父さんが言おうとしていることを」「そういうことにしたい、ということか。現状、それが最善の手だろう。もし、お前が何か重大な秘密を隠していると知ったら、お前の周囲にいる男たちは、鬼に変わるかもしれない。それこそ、お前に痛みを与えて、強引に口を割らせるかもな」 どうしてこんなことを言い出すのか、ひどく和彦は気になった。同時に、胸騒ぎを覚える。俊哉は何か、とんでもないことを言い出すのではないだろうか、と。 急に席を立ちたくなったが、実行に移す前に俊哉がこう続けた。「今、
「今ので、俺はますますあんたに怖がられたな。最初から嫌われてはいたが」 当て擦りのようなことを言いながら南郷は、明らかに和彦の反応を楽しんでいた。お守りどころか、南郷自身が、和彦の脅威となっているのだ。だからといって、車から降りるわけにもいかない。 早く目的地に着かないだろうかと一瞬願い、そんな自分に気づいてゾッとする。一方の南郷は、和彦を言葉で嬲って満足したのか、前列に座る男たちに短く指示を出したあと、ふうっと息を吐いてシートに身を預けた。 前回同様、車がどこに向かっているのか、和彦は知らない。南郷は何も言わないし、また聞こうとも思わない。 俊哉に関わることでは、どうしようもない無力感と諦観が、和彦を支配する。それでもなんとか自分を保ち、ささやかな抵抗ができるのは、情愛を注いでくれる男たちの存在のおかげだ。その熱さと甘さと狂おしさを知ってしまったら、失うことなど考えられなかった。 だから、今晩も抗うのだ――。 和彦は、膝の上に置いた手を、硬く握り締めた。** 人目のない場所で、二人きりで語り合いたいと伝えられた時点で、会える場所は限られてくる。互いに仕事を終えてからという時間も考えれば、喉を通るかはともかく食事をしないわけにもいかない。 あれこれと想定はしていたため、南郷の案内によって、裏路地にひっそりと佇む料亭に連れて来られても、驚きはなかった。 玄関へと続く露地を歩いていると、きれいに剪定された南天の木が目に入る。樹木に詳しくない和彦だが、印象的な実ぐらいは知っている。すっかり日が落ち、屋外灯の明かりがぼんやりと辺りを照らす中、南天の実の赤さはハッとするほど鮮やかだった。つい目を奪われ、歩調を緩めかけると、気配を察したように南郷が振り返った。「――先生」 南郷は、建物の外で待っているのかと思ったが、和彦と一緒に暖簾をくぐって玄関に入り、しかも靴まで脱ぎ始めた。物言いたげ――というより非難の眼差しを向ける和彦に対し、南郷はふざけたように軽く肩を竦める。「あいにくだが、部屋の近くで待機していろと、オヤジさんから言われている。どんな輩が駆け込んでくるかわからないからな。いざとなれば俺
会話する気はないという拒絶を明確に態度に示したが、かまわず南郷は話しかけてくる。「俺が近くにいると、あんたはいつだって毛を逆立てた猫みたいな感じだが、今日は特にピリピリしているな。そんなに、自分の父親に会うのが怖いか?」 努めて冷やかな視線を向けると、南郷は唇の端に笑みを浮かべていた。まるで嘲笑されているようだと感じ、それでなくても憂鬱な気分に拍車がかかる。「教えてくれ、先生。前に話したが、俺は〈父親〉という存在を知らない。それが高級官僚の肩書きを持つ父親ともなると、想像も及ばないんだ」「――……少し、黙っていてください」 堪らず和彦が窘めると、一気に車内の空気が凍りつく。そのことに気づかないふりをして、再び外の景色に目を向けようとしたとき、聞き覚えのない携帯電話の着信音が車内に鳴り響いた。次の瞬間、和彦の隣で荒々しい気配が動いた。 いきなり南郷が片足を上げ、助手席のシートを後ろから蹴りつけると同時に、怒鳴った。「今回の任務についたら、終わるまで携帯の電源は切っておけと言っただろうがっ」 まるで、獣の咆哮だった。シートの上で飛び上がらんばかりに驚いた和彦だが、すぐに今度は身を竦めて怯えていた。 自分の前では、皮肉屋ではあるものの、慇懃なほど紳士的に振る舞っていた南郷が突然〈キレた〉ことに、衝撃を受ける。隣で聞いた怒声の凄まじい迫力は、まさに雷で打たれたようだと錯覚するほどだ。暴力にも大声にもあまり免疫がないだけに、体が極端な反応を示す。 反射的にシートベルトを強く掴んでいた。心臓は痛いほど早打ち、呼吸が止まりそうになる。和彦は目を見開いたまま、南郷の横顔から視線を離せなくなっていた。目を合わせたくないと、本能が訴えているにもかかわらず。 和彦の様子に気づいたのか、姿勢を直した南郷が何事もなかったように、また唇の端に笑みを浮かべた。「すまなかった、先生。今みたいな姿は見せたくなかったんだが、ふとした拍子に、地金ってもんが出ちまう」 返事もできず、顔を強張らせていると、途端に南郷の目に残酷な喜悦の色が浮かぶ。本人いわく、地金が出たということだろう。大仰に感心したように言われた。
外から男二人のにぎやかな話し声が聞こえてくる状況で、求められるまま、やむをえず舌を絡め合い、唾液を交わす。引き出された舌を痛いほど吸われると、たまらず和彦は鷹津の肩にすがりついていた。 ますます鷹津の腕の力が強くなり、和彦の中で奇妙な変化が起こっていた。鷹津のことがどうしようもなく嫌いで、嫌悪しているのに、そんな男にねじ伏せられるように口づけを交わしていると、高揚感に襲われ、体の奥深くから強引に官能を引き出される。 官能に形を借りた、サソリの毒かもしれないと、ふとそんな考えが脳裏を過る。鷹津の毒を注入され、体も心も侵されていくのだ。 思わず身じろごう
さすがの賢吾も、和彦の心を煩わせるものすべてを見通すことは不可能らしい。「……最初にぼくを狙って、あんなことをした人間が、どんな顔をして、そんなことを言うんだ」「俺はいい。俺は、許されるんだ」 さすがに図々しい発言だと思って和彦が顔を上げると、待っていたようなタイミングで唇を軽く吸われた。「先生を狙って自分のものにして――見事に、骨抜きにされたんだ。そんな哀れなヤクザを、愛情深い先生なら、たっぷり甘やかしてくれるだろ?」 本当に図々しいと思いながらも、和彦はつい笑みをこぼしてしまう。 自
「不愉快どころか、やけに楽しそうでしたよ、秦さん。いい店を先生に紹介しないと、と張り切ってもいましたし」「ならいいんだ。あの人、職業柄なのか知らないけど、よく気をつかってくれるから。ぼくみたいな人間につき合って、迷惑をかけても悪いしな」 和彦が、長嶺父子のオンナであることは、すでに知られている事実だ。いまさら千尋と甘い会話とキスを交わしていたからといって、他人に喜んで報告するような悪趣味なまねを、秦がする必要もない。 和彦が心配していたのは、そんなことではなく、純粋に今言った通りのことだった。 大きく息を吐き出しながら、中島がマシンをゆっく
「――先生」 呼ばれて、おずおずと振り返ると、そこに真剣な賢吾の顔がある。何か言われたわけでもないのに、和彦は小さく喘いでから賢吾の唇にそっと自分の唇を重ねた。すると、賢吾のもう片方の手に、和彦の柔らかな膨らみは包み込まれる。 「ひっ、あぁっ」 泡で滑る手に柔らかく揉みしだかれ、たまらず和彦は、ビクッ、ビクッと腰を震わせ、背をしならせる。下肢が、甘く溶けてしまいそうだった。 「あとでたっぷり、ここを揉んで悦ばせてやる。最近、弄られるのがよくなってきたみたいだからな。今は、洗うだけだ」 賢吾の的確に動く指は貪欲に、和彦の官能を刺激する