LOGIN「千尋、もういいから……」
なんとか千尋の頭を上げさせようと、茶色の髪を梳いてやる。しかし千尋は確信を得たように、硬くした舌先で先端をくすぐってくる。ときおり歯が掠め、そのたびにヒヤリとする恐怖に襲われるが、同時に、先日の賢吾との淫靡な行為が蘇る。「あっ、それ、嫌だ、千尋。怖い……」「ウソ。いっぱい、濡れてきた」 わざと和彦に聞かせるように、千尋がピチャピチャと濡れた音を立てて、欲望の先端を舐めてくる。さらには爪の先でも弄られて、和彦は鼻にかかった甘い呻き声を洩らしていた。 まさか賢吾は千尋に話したのだろうかと、つい脳裏を過りはするものの、本人に確かめるわけにもいかない。「ああっ――」 先端から尽きることなく滲み出る透明なしずくを吸われ、さらに出せといわんばかりに舌先でくすぐられる。和彦は甲高い声を上げ、身悶えていた。 汗と、それ以外のものによって湿りを帯びた内奥の入り口を、千尋の指先が掠める。押さえつけるようにして刺激され、とき** 総和会本部の〈寮〉で庭ができあがっていく過程を眺めているうちに、自分の手でやりたくなったのだと、ホームセンターで庭木の苗木や園芸用品を選びながら南郷は言った。 異常に悪目立ちする南郷の後ろをついて回るうちに和彦は既視感に襲われたが、いつだったか御堂について、ホームセンターでの買い物につき合ったことを思い出した。 水と油のような性質の二人でも、緑を育てたいという同じ目的に至るのだなと妙な感慨を覚えたが、しかし、南郷には立派に打算があったようだ。「庭が手入れされた家を、人はあまり警戒しない。少なくとも荒れたままにしておくのはよくないな。俺は日曜大工の知識はそれなりにあるが、花木についてはほぼ素人だ。今の時期なら、ホームセンターに並んでる苗木を適当に植えても育つだろう。もちろん、肥料と水を与えて」「……南郷さん自らやるんですか?」「これでも俺は几帳面で、何をどこに植えるかぐらいはやっておきたい。なんといっても、俺の隠れ家のことだ」 後部座席のシートを倒して購入したものを運び入れたところだった。しっかり手伝わされた和彦は、露骨に顔をしかめて南郷を見る。「それって――」「一度あんたを連れて行ったことがある場所だ」 そして再び、和彦を連れて行くつもりらしい。車に乗るよう言われて躊躇するが、助手席のドアを開けて促されると逆らえない。なんとか平然と話している和彦だが、内心では相変わらず南郷は怖いのだ。 移動の最中も気を張り詰め、うっかりウトウトすることもできない。和彦はじっと外の景色に目を向け続けていて、ふと気がつく。いつの間にか護衛の車が見えなくなっていた。南郷が気づかないはずもないが、何も言わないし、焦った様子もない。先行させたのか、あえて見えない位置まで距離を空けたのか。 首を傾げ続けているうちに、目的地が見えてきた。 前回は、夜間であっても見ることができた四角くて黄色い建物は、外壁を塗り替えたらしくありふれたクリーム色となっていた。当然、元保育所だとわかりやすく示していた可愛い動物の絵もなくなっている。変わったのはそれだけではない。重々しい鉄門扉と鎖のセットは相
訝しんだ和彦は眉をひそめて隣を見遣る。居心地悪そうに顔をしかめた加藤は、場繋ぎのつもりなのか物騒なことを話し始めた。「――拳銃が使われかけたようです」「はあ?」「さっき佐伯先生が診た患者のことです。相手が拳銃を出したそうで、それで取っ組み合いとなってガラスに……。拳銃はこちらで確保しています」 それを聞いた瞬間、ゾッとして鳥肌が立った。相手は、総和会の人間を本気で殺すつもりだったのだ。「はっきりとした目的があってのことか、たまたまそうなったのかは、これから調べるそうです。ただ、外にいる人間に対して、注意するようにと連絡が回っています」「……あー、だから今さっき、小野寺くんに嫌味っぽく言われたのか」「あいつはいつでも、あんな話し方です」 加藤は大まじめな顔で言い切った。「ということで、念のため護衛シフトを変更させてもらいます。そう、指示があったので」 表に出ていた小野寺が、こちらに向かって大きく手を動かす。行きましょうと加藤に言われて素直に従う。エントランスを出たところで、見覚えのある4WDが目の前に停まった。ここですべてを察した和彦は本能的に後退ったが、逃げ出すまでには至らない。運転席のウィンドーが下ろされ、ほんの数日前に会ったばかりの南郷が姿を見せる。「先生、車に乗ってくれ」 もちろん助手席に。いそいそと小野寺が助手席のドアを開けたので、否も応もなく和彦は乗らざるをえなかった。「これは……、どういうことですか……」 ドアのほうに体を寄せながら和彦はきつい視線を向ける。一方の南郷はハンドルを握りながら、今にも鼻歌を歌い出しそうな様子だ。 突然のことに軽く頭が混乱しているが、それでも和彦は一つ一つ状況を整理する。その間にも、どこに向かっているのか車は走り続けている。背後からぴったりとついてくる車は、南郷の護衛だろう。「これ?」「月に一度、本部に顔を出すという決まり事のことです。ぼくは五月一日に出向きましたよね。次は来月に――」「本部の外で
**** 今現在まで連休らしいことを何一つできていないなと、テレビの画面から流れる行楽地の様子を眺めながら、そんなことを思う。未練がましい気持ちからではなく、純然たる事実だ。和彦は濡らしたタオルで顔や首筋に浮いた汗を拭い、ふうっと大きく息を吐きだす。 連休らしいことどころか、労働を一つ終えたところだった。 クリニック再開に向けて手抜かりはないはずだが、何か見落としているのではないかと、早朝から目が覚めてベッドの中でゴロゴロしていたのだ。そこに、総和会から仕事の呼び出しがかかった。祖父の葬儀から戻ってきたばかりという和彦の事情を慮り、別の医者に回そうとはしてくれたらしいが、見事に皆、都合がつかなかったという。何も手につかないほど落ち込んでいるわけではないと、苦笑を浮かべて説明しておいたが、どうにも過剰に気遣われている。総和会の中で和彦は、総和会会長のオンナで、統括参謀などという大層な響きの肩書きを手に入れた男が後見人に就いているため、仕方がないともいえる。 そうして速やかに連れてこられたのは、これまで何度か治療のため利用したことがある雑居ビルの一室だった。 外国人グループとの〈ささやかな〉トラブルから暴力沙汰になったという男二人を並べて、まとめて治療にあたった。一人は刃物傷だが、もう一人は取っ組み合いの最中にガラスに突っ込んだというだけあって、なかなか派手な傷となっていた。ガラス片は探すのが手間なのだと、虫眼鏡で傷口を覗きながら和彦はぼやかずにはいられなかったが、幸いにも二人とも太い血管や神経は傷ついてはいなかった。相手のグループはどうなったのかと縫合の最中になんとなく尋ねてみると、大した問題にはなりませんよと、どう受け止めていいのか図りかねる答えが返ってきた。 怪我を負った二人の男は総和会直参の構成員だと、連絡をもらったときに告げられている。最初は直参の意味がわからなかったが、移動の車中で教えてもらったところによると、会長なり幹部会からの推薦によって総和会の一員になったということを示すのだという。推薦とは、盃を交わしたとも言い換えられ、総和会の中ではエリートの扱いとなる。 そんな男たちがトラブルに巻き込まれたのだ。事態の処理に
「ありがたいけど、お前が若いうちにできる経験を奪ってるんじゃないかと、申し訳なくもなってくる……。言っておくが、今のぼくはとても後ろ向きになってるからな。あれこれといろんなことが心配になって、不安なんだ。それで眠れなくて寝酒しようとしてたところに、お前が忍び込んできた。鬱陶しくてもつき合えよ」「三十過ぎてもそんな感じの和彦が、可愛いくてたまんない」 腕にしがみついてくる千尋に、ただ苦笑が洩れる。半日前まで沈鬱な気持ちに支配されていたというのに、今はこうして能天気な会話を交わしているのだ。日々を生きていくというとはこういうことだろうなと、妙に感慨深い。「――和彦が考え込む前に言っておくけど、俺、稜人が本宅に住むようになっても、和彦とはいままで通りつき合うから」「それはいいけど、大事なのは稜人に対する配慮だからな? 一般的な価値観とか道徳とか、そういうのがしっかりしてくるまでは、あまり刺激が強いのは……」「ヤクザの組長の自宅で暮らすのに、刺激云々は無茶じゃない?」「日常的に抗争してたり、血まみれの組員が出入りしてるわけじゃないだろっ。……ぼくはたまに本宅で接待を受けてる、よくわからない人扱いでいいよ。稜人が大きくなるまでは」 必死に考えながら話しているというのに、なぜか千尋の手が和彦の体を這い回る。「おい」「今のところ、一般的じゃない家庭で育った男が三世代揃っているから、稜人のことは任せて」「そういえばそうだったな。いや、でも、その三世代を見ているからこそ、不安なんだが」 話している間にも千尋の手は、パジャマ代わりのTシャツの下に入り込んでくる。軽く睨みつけると、あざとい上目遣いで見つめ返された。「心配してくれてる和彦が可愛くて……」「お前、そう言えばぼくを丸め込めると思ってるだろ」 悪びれもせず頷かれた。和彦がふっと息を吐いて力を抜くと、さっそく千尋にTシャツを脱がされた。千尋は最初から上半身裸だ。 ぐいっと頭を引き寄せられ、抱き締められる。本当に体温が高いなと思いながら和彦
** ぐふふ、とやや気持ちの悪い笑い声が、隣から聞こえてくる。一緒のベッドに入っただけで何が嬉しいのか、さきほどから千尋はこの調子だ。照明を完全に消そうとして止められたので、千尋は夜更かしする気満々なのかもしれない。「……お前、明日仕事があるんじゃないのか。早く寝ろよ」「気にしないでよ。仕事は昼からだから。和彦のほうはどうなの?」「ぼくは……どうだろ。クリニックのことで、打ち合わせの予定を組み直さないと。組で上手くやってくれているだろうけど」「うんうん。和彦はドンとかまえていればいいよ」 それはそれで、肩書きだけとはいえ経営者としてどうだろうと思わなくもない。 さきほどは一人で見上げていた寝室の天井を、今は千尋と二人並んで見上げている。肩先から、子供の体温に近い千尋のぬくもりがじんわりと伝わってくる。「――和彦のお母さんの実家って、どんなところか聞いていい?」 自然な口調で千尋が問いかけてくる。これは何かを探ろうとしているのだろうかと一瞬身構えた和彦だが、守光はとっくに知っているだろうし、賢吾は調べているはずだ。一方の千尋は、無邪気な口調からして本当に何も知らされていないようだ。そこで差し障りのないことを話す。「大きい屋敷だ。それと土地が広くて、塀に囲まれてるんだけど、その塀の内側に畑や、いくつも蔵や建物があるんだ。昔、すごい農家だったらしくて、その名残りみたいだな。それで――」「それで?」「猫をたくさん飼ってる」 意外なことに、千尋の興味を惹いたようだ。ガバッと起き上がり、顔を近づけてきた。「何匹っ?」「お前が気になるのはそこか……。何匹かな。ぼくも全員と顔を合わせられたわけじゃないと思う。確か、白猫二匹にトラ猫と黒猫、あと灰色の猫がいて、三毛猫の子猫もいたな。屋敷のあちこちで、ちらちらと尻尾が見えてたから、ぼくから逃げ回ってる他の猫もいたはずだ」「すっげー、楽しそう――っと、ごめん」 気を使いすぎだと、肘で軽く千尋の腕を小突く。「人懐こい子に
** 悪夢を見そうだからという理由で安定剤を飲まなかったことを、半分覚醒した頭で和彦は後悔していた。疲れきった状態ならすぐに熟睡できるだろうと考えていたのだが、一度寝入ってすぐに目が覚めた。そこからウトウトしては意識が引き戻されるということを繰り返している。 和泉の屋敷では気を張っていたせいか、眠りが浅くてもさほど問題なかったが、緊張から解き放たれた今は、どうも具合が悪い。 暗い天井をぼんやりと見上げる。今頃、総子や綾香も眠れない夜を過ごしているのだろうかと、ふと考える。正時の思い出を語り合っているとも思えず、誰か緩衝材的な存在がいればいいのだがと、都合のいい願いを抱く。 ここで、九鬼にも連絡しておいたほうがよかっただろうかと、突如気になった。トラブルなく帰着したことは総子の口から伝わっているだろうと安易に考えていたのだが、何かと世話になり、気にもかけてくれている男にそれは少々礼を欠いていたかもしれない。 和彦は寝返りを打った拍子に大きくため息をつく。あらゆることが気になり、不安になってくるこの状態には身に覚えがある。ログハウスでの静かな暮らしから一転、短期間であまりにいろいろありすぎたせいだろうなと見当をつけ、安眠を諦めて起き上がる。少し寝酒をしたくなった。 賢吾が持ち込んだ高価な洋酒を舐める程度に――。よたよたとした足取りで薄暗いキッチンに向かった和彦は、食器棚からグラスを取り出す。さらに、並んだ酒瓶の中からどれにしようかと選んでいると、前触れもなくダイニングで物音がした。ハッと視線を向けた先で、人影が動く。 短く声を上げた瞬間に、手からグラスが滑り落ちた。床の上で派手な音がしたが、和彦がもう一度上げた声に重なるように、傍らで慌てた声が上がった。「うわーっ、和彦、ストップっ。動かないでっ」 千尋の声だ。状況が呑み込めないまま和彦が動けないでいる間に、キッチンの電気がつけられる。別れたときと同じ服装をした千尋が、必死の形相でこちらにてのひらを向けてくる。「動かないでよっ。今、掃除機持ってくるから」 ぎこちなく足元に視線を向ければ、グラスが割れて砕けている。スリッパを履いていなければ、破片が当たっていたかもしれ







