登入白いワイシャツは、南郷の体つきを生々しいほど浮かび上がらせており、肩から腕にかけての逞しさや、背の筋肉の盛り上がりを目の当たりにする。この体を使って平気で暴力を振るうのだとしたら、この男は災厄そのものだ。もちろん、和彦にとって。
次の瞬間、頭で考えるより先に体が動いていた。転がるようにしてベッドと壁の隙間に落ちると、慌てて立ち上がる。走り出そうとしたが、一緒に床に落ちた毛布に足を取られ、転んでしまった。「大丈夫か、先生」 和彦は床に倒れ込んだまま、ベッドを回り込んでこちらに近づいてくる南郷の足元を見ていた。こんなことが、確か前にもあったはずだと思ったとき、その答えを南郷が口にした。「落ち着いているようで、妙なところで間が抜けてるな。前にも……、暑くなり始めの頃だったか。あんたが自分の兄貴と会ったあと、総和会の隠れ家に身を潜めていたときにも、こんなことがあった。散歩に連れ出した俺から逃げ出して、やっぱりそうやって転んで、動けなくなっていた。あのときはひどかったな、泥だらけで。だが、あの姿は正直、ゾクゾクす声を上げようとして再び唇を塞がれた挙げ句、引き結んだ歯列を舌先でこじ開けられる。恐慌状態に陥った和彦は、本気で南郷の舌に歯を立てようとしたが、その気配を察したように後ろ髪を乱暴に掴まれ、さらに両目を覗き込まれる。 凄んではいない。それどころか、和彦の反応を楽しんでいるような、余裕すら湛えた南郷の眼差しに、心底震え上がる。「寒いなら、まずはキスで暖めてやるよ、先生。嫌いじゃないだろ。俺とのキスは」 強張った唇を柔らかく啄みながら、南郷が囁きかけてくる。顔を背けたい和彦だが、後ろ髪を掴まれたままのうえに、腰に回された鋼のような腕の感触に怖気づく。無意識のうちに南郷の肩に手をかけていたが、押し退けるどころか、小刻みに震えていた。「そう、怯えなくてもいいだろ、先生。俺はこれまで、手荒なことはしていないつもりだ。長嶺の男たちにとって宝物みたいな存在を、俺ごときが傷つけるはずがない。……少しばかり、意地の悪いことはしたが」 ここでまた、南郷にしっかりと唇を塞がれる。口腔に舌を押し込まれ、堪らず和彦は、南郷の顔を押し退けようとしたが、上唇に軽く噛みつかれる。頑丈そうな歯は、いつでも自分の唇を食い千切る凶器となりうる。和彦に一度も手荒なことはしていないという南郷の発言はウソではないが、今この瞬間もそうだとは限らない。そう思わせるものが、この男にはあるのだ。 ふいに唇を離した南郷が苦笑めいた表情を浮かべ、呟く。「……今思い出した。今晩、俺の前に、あんたにキスした男がいたんだったな」 和彦は激しく動揺し、そして強い怒りに支配される。自分でも意外な力を発揮して南郷に体当たりをすると、後ろ髪を掴んでいた手が離れる。しかし、腰に回された腕の力が緩むことはなく、南郷は、和彦の反撃をおもしろがるように目を細めた。「艶やかだな。あんたの怒りの表情は。どうして今怒ったのか理由はわからないが、聞いたところで教えてはくれないだろうな」 残念だ、と洩らした南郷がベッドに片手を伸ばし、枕代わりに使っていた毛布を掴む。一体何をするのかと思って見ていると、乱雑に床の上に広げた。 あっという間だった。前触れもなく足元を払
白いワイシャツは、南郷の体つきを生々しいほど浮かび上がらせており、肩から腕にかけての逞しさや、背の筋肉の盛り上がりを目の当たりにする。この体を使って平気で暴力を振るうのだとしたら、この男は災厄そのものだ。もちろん、和彦にとって。 次の瞬間、頭で考えるより先に体が動いていた。転がるようにしてベッドと壁の隙間に落ちると、慌てて立ち上がる。走り出そうとしたが、一緒に床に落ちた毛布に足を取られ、転んでしまった。「大丈夫か、先生」 和彦は床に倒れ込んだまま、ベッドを回り込んでこちらに近づいてくる南郷の足元を見ていた。こんなことが、確か前にもあったはずだと思ったとき、その答えを南郷が口にした。「落ち着いているようで、妙なところで間が抜けてるな。前にも……、暑くなり始めの頃だったか。あんたが自分の兄貴と会ったあと、総和会の隠れ家に身を潜めていたときにも、こんなことがあった。散歩に連れ出した俺から逃げ出して、やっぱりそうやって転んで、動けなくなっていた。あのときはひどかったな、泥だらけで。だが、あの姿は正直、ゾクゾクするほどそそられた」 目の前に手を差し出され、仕方なく和彦は顔を上げる。逃げ道を塞がれて、どうしようもなかった。おずおずと片手を伸ばそうとすると、強い力で手首を掴まれ、引っ張られる。 なんとか立ち上がりはしたものの、南郷との距離が近い。和彦は視線を逸らしただけでは足りず、顔を背けようとしたが、すかさずあごを掴み上げられた。南郷の顔が近づいてきて、獣じみた荒い息遣いが頬に触れる。 喰われる、という本能的な恐怖から、呻き声を洩らしていた。 南郷は、和彦に喰らいついたりはしなかった。代わりに、涙の滲んだ目元を、ベロリと舐めてきた。「なあ、先生、泣いている姿を、誰に見せたことがある? これまで寝てきた男全員に見せてきたのか? それとも、特別な男だけ――、長嶺組長は? 可愛らしい跡目もいるな。あんたがご執心の三田村さんに……、クソ忌々しい刑事とか。気になるといえば、さっきあんたが泣いていた理由だ。実家が恋しくなって泣いていたんだとしたら、今後はあんたが逃げ出さないよう、いろいろ策を講じないといけないしな」
かつて自分が受けていた里見からの優しい囁きと、情熱的な愛撫を、今は英俊が受けている。それがどんな光景であるか、思い描くのは容易だった。 大事なものを奪われた。 そう、和彦自身が認めたとき、胸を切り裂かれ、血が噴き出したような痛みと喪失感を覚えた。その感触があまりにリアルなのは、意識が夢の中を漂っているからだ。悪い夢の中を。 急に息苦しさに襲われて無我夢中でもがくが、もどかしいほどに手足は動かず、声すら上げられない。その間にも、和彦の中で競り上がってくる感情の塊があった。 それは、憎悪や嫉妬という名を持つかもしれない。噴き出した血の代わりに体を満たし、開いた胸を塞いでいくそれらに、自分が支配されてしまいそうな予感があった。「い、やだっ」 叫びが、声となって口を突いて出る。それがきっかけとなって目が覚めていた。 和彦は思い切り息を吸い込み、瞬きもせずに明るい天井を見上げる。じわじわと手足に感覚が戻っていき、全身から汗が噴き出す。初めての場所で、慣れない硬いベッドで横になっていたせいか、体が強張り、節々が痛い。眠りながらも、緊張が解けていなかったのかもしれない。 明かりの眩しさに目を瞬かせながら、ぎこちなく息を吐き出す。今日起こった出来事の何もかもが夢であればよかったのにと、子供じみたことを願った次の瞬間、嗚咽が漏れた。夢の中で号泣した余韻を引きずっており、高ぶった感情を制御できなかった。「ふっ……」 ぐっと喉を締め付けられたようになり、行き場を失ったものが、一気に両目から溢れ出してきた。こめかみを伝い落ちる熱い液体の感触に、和彦はそっと指先を這わせる。泣いているという自覚はなかったが、確かに涙は出ていた。 涙の理由は、いくつもあるだろう。悲しさと悔しさ、もどかしさと切なさ。怒りも含まれているかもしれない。感情の区別はつくが、それが誰に向けられているものか、考えたくはなかった。 和彦は震えを帯びた息を吐き出し、その拍子に小さくしゃくり上げる。それがひどく子供っぽく感じられ、一人恥じ入る。 そう、部屋には自分一人しかいないと思っていたのだ。「――あんたは、泣かない人間なのか
和彦は重苦しいため息を一つつくと、懐中電灯を手に部屋を出て、一階へと下りる。すでに廊下の電気は消されており、懐中電灯で辺りを照らす。さすがにシャワーを浴びる気分ではなく、ひとまず、南郷が言っていた〈給食室〉を探し当て、中に入ってみた。 予想はついていたが、ようは炊事場で、ここで子供たちの食事を作っていたらしい。電気をつけると、広い作業台がまっさきに視界に入る。二階の部屋とは違い、こちらは片付いているようだった。小型冷蔵庫と電気ポットがあるぐらいで、調理器具や食器は見当たらない。 作業台の上にスーパーの袋が置いてあり、カップラーメンの他に、割り箸や使い捨て容器が入っている。そこで和彦は、自分が俊哉との食事で、料理にほとんど箸をつけられなかったことを思い出す。もっとも、空腹感はなかった。 足元から這い上がってくる寒さに、大きく体を震わせる。水を取ってくるだけのつもりだったが、気が変わった。ペットボトルの水を電気ポットに注ぐと、湯が沸くまでの間に、シャワー室で顔を洗ってくる。 本当はカップがあればよかったのだが、いくら探しても見つけることはできず、仕方なく紙コップに白湯を注いで二階に戻る。子供用の小さなイスをベッドの傍らに置き、それをテーブル代わりにした。 ベッドに腰掛けた途端、まるで鉛でも背負わされたように体が重くなる。同時に、部屋の明かりが急に眩しく感じられ、忘れかけていた頭痛がぶり返す。せめて頭上の明かりだけでも消そうと思ったが、立ち上がれなかった。 肉体的にも精神的にも、とうに限界を迎えていたことを、ようやく和彦は悟る。そうなると、何もかもどうでもよくなってきた。自分を取り巻く環境への、尽きることのない憂慮も、男たちへの配慮も。何も、考えたくなかった。 今は――、と声に出すことなく呟き、和彦は紙コップを取り上げる。息を吹きかけながら少しずつ白湯を口に含む。部屋は暖まってきたというのに、体の内側がひどく冷えているようだった。 紙コップを空にすると、もそもそと毛布を広げてベッドに横になる。強い眩暈に襲われて、きつく目を閉じる。 まったく眠気は感じていなかったが、現実から逃れるように意識が急速に遠退いた。**
「いつ寝首を掻かれてもおかしくないことを、さんざんしてきた――というより、している最中だからな。そんな自覚があるからこそ、他人に住み家を知られるのが嫌なんだ。もっとも、多かれ少なかれ、極道ってのは、そういうもんだが。慎重な分、長生きできる確率が上がる。臆病だと誹られようがな」 いつだったか、賢吾も似たようなことを言っていたなと、ふと思い出した。 賢吾の顔が脳裏に浮かんだ途端、ギシギシと音を立てて和彦の胸は軋む。罪悪感のせいだけではなく、痛切に今、賢吾に会いたいと思ってしまったためだ。そんな和彦に追い打ちをかけるように、南郷が言った。「――長嶺組長も同じタイプだ。むしろ、俺よりも慎重なぐらいだ。……ああ、最近は少しばかり、様子が変わったみたいだな。前までなら、護衛をつけずに出歩く人じゃなかった。しかも、オンナのためという理由で」 嘲りを含んだ言葉の響きに、和彦は伏せていた視線を上げる。南郷に、おそろしく冷やかな眼差しで見つめられていた。 南郷がなんのことを言っているのか、すぐにわかった。一瞬うろたえた和彦だが、次の瞬間には、ゾッとした。護衛もつけずに賢吾と二人だけで出かけたことを、当然のように南郷が把握していたからだ。 このときまで、自分のことばかりに気を取られていたが、鈍くなった頭でようやく和彦は思い出す。 今晩起こった予定外の出来事に対して、南郷は怒っているのだ。秘密裏に行われるはずだった俊哉との対面に、里見という未知の存在が割り込み、一人になりたいと和彦がワガママを言い出し――。 さらにどんな容赦ない言葉を投げつけられるのかと、身を硬くする。しかし南郷は、何事もなかったように話題を変えた。「トイレは二階にもあるが、シャワーを浴びたかったら、一階に下りてくれ。さっき俺が入った部屋の隣が、狭いがシャワー室になっていて、バスタオルなんかも揃っている。それと、〈給食室〉という名札がかかった部屋があるから、腹が減っているなら、そこにあるポットで湯を沸かしてカップ麺でも食ってくれ。冷蔵庫に水が入っている。あとは何を言っておけばいいんだ――、ああ、懐中電灯は、そこのテーブルの上だ。必要なら使ってくれ」「&helli
「見てわかるだろうが、ここは元は保育所だった。無認可保育所っていうのか。……よくわからんが。――経営者が借金で首が回らなくなって、いろいろあって手放すことになったようだ。買い手がつきそうなら、とっとと更地にでもして売りに出すんだが、そうはいかない事情があって、何年もこのままだ」 南郷はこちらの反応など求めていないだろうと判断して、和彦は返事をしなかった。それどころではなかったというのもある。 踊り場で何げなく顔を上げて、ハッと息を詰める。正面の壁に大きな鏡があり、そこに和彦自身の姿が映っていたのだ。 今は、自分の顔は見たくなかった。視線を逸らし、その拍子に、いつの間にか立ち止まっていた南郷の背にぶつかる。またよろめくことになった和彦に、振り返った南郷は表情も変えない。何事もなかったように二人はまた階段を上がる。「倉庫代わりに使うだけなのももったいないから、一時期は、若い連中を住まわせるかという話も出たが、この辺りは、昔から住んでいる人間が多くて、新参者は目立ちすぎる。だから、荷物を運び込むのも気を使う」 二階に着いたところで、さらに上に続く階段に気づく。屋上には何があるのだろうかと思いはしたが、わざわざ南郷に問うほどのことではない。 和彦は、手招きされるまま、三部屋並んだうちの一部屋に足を踏み入れた。 本当に保育所だったのだなと、室内を見回して改めて納得する。 オルガンやロッカー、子供サイズのテーブルやイスが壁際へとまとめて押しやられ、部屋の半分ほどを占めているが、それでも窮屈だとは感じない広さがあった。適当に片付けられた雑多さはあるが、同時に、なんともいえない物寂しさも感じる。 精神的に弱っているせいか、やけに感傷的になる和彦とは対照的に、南郷は暖房を入れて効きを確かめると、すぐに部屋を出ていく。足音からして、どうやら隣の部屋に向かったらしい。 和彦は所在なく立ち尽くしていたが、やはり外の様子が気になって、窓に近づく。分厚いカーテンの隙間から外を見ると、テラスに出られるようになっていた。南郷が出て行った扉のほうにちらりと目を向けてから、テラスへと出る。 非常時の避難路なのか、二階から庭へと下りられるよ
外から男二人のにぎやかな話し声が聞こえてくる状況で、求められるまま、やむをえず舌を絡め合い、唾液を交わす。引き出された舌を痛いほど吸われると、たまらず和彦は鷹津の肩にすがりついていた。 ますます鷹津の腕の力が強くなり、和彦の中で奇妙な変化が起こっていた。鷹津のことがどうしようもなく嫌いで、嫌悪しているのに、そんな男にねじ伏せられるように口づけを交わしていると、高揚感に襲われ、体の奥深くから強引に官能を引き出される。 官能に形を借りた、サソリの毒かもしれないと、ふとそんな考えが脳裏を過る。鷹津の毒を注入され、体も心も侵されていくのだ。 思わず身じろごう
さすがの賢吾も、和彦の心を煩わせるものすべてを見通すことは不可能らしい。「……最初にぼくを狙って、あんなことをした人間が、どんな顔をして、そんなことを言うんだ」「俺はいい。俺は、許されるんだ」 さすがに図々しい発言だと思って和彦が顔を上げると、待っていたようなタイミングで唇を軽く吸われた。「先生を狙って自分のものにして――見事に、骨抜きにされたんだ。そんな哀れなヤクザを、愛情深い先生なら、たっぷり甘やかしてくれるだろ?」 本当に図々しいと思いながらも、和彦はつい笑みをこぼしてしまう。 自
「不愉快どころか、やけに楽しそうでしたよ、秦さん。いい店を先生に紹介しないと、と張り切ってもいましたし」「ならいいんだ。あの人、職業柄なのか知らないけど、よく気をつかってくれるから。ぼくみたいな人間につき合って、迷惑をかけても悪いしな」 和彦が、長嶺父子のオンナであることは、すでに知られている事実だ。いまさら千尋と甘い会話とキスを交わしていたからといって、他人に喜んで報告するような悪趣味なまねを、秦がする必要もない。 和彦が心配していたのは、そんなことではなく、純粋に今言った通りのことだった。 大きく息を吐き出しながら、中島がマシンをゆっく
「――先生」 呼ばれて、おずおずと振り返ると、そこに真剣な賢吾の顔がある。何か言われたわけでもないのに、和彦は小さく喘いでから賢吾の唇にそっと自分の唇を重ねた。すると、賢吾のもう片方の手に、和彦の柔らかな膨らみは包み込まれる。 「ひっ、あぁっ」 泡で滑る手に柔らかく揉みしだかれ、たまらず和彦は、ビクッ、ビクッと腰を震わせ、背をしならせる。下肢が、甘く溶けてしまいそうだった。 「あとでたっぷり、ここを揉んで悦ばせてやる。最近、弄られるのがよくなってきたみたいだからな。今は、洗うだけだ」 賢吾の的確に動く指は貪欲に、和彦の官能を刺激する