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第49話(5)

Author: 北川とも
last update publish date: 2026-10-05 11:00:40

 俊哉からの一報を受けて、和彦は自然と湧き出そうになる涙を奥歯を噛み締めて堪えると、なんとか南郷に手短に事情を説明した。そこからあとは早かった。和彦が相談するより先に、南郷は帰宅のための車を手配してくれたのだ。

 自宅マンションに帰りつくと、ぼんやりする間も惜しんで賢吾に連絡をする。電話は繋がらなかったため、ひとまずメッセージを送っておいた。

 俊哉からは、通夜と葬儀に参列するよう言われている。俊哉や綾香は今日はまだ仕事があり、それを片付けてからの移動になるという。英俊については何も言われなかったため、和彦から問うことはできなかった。

 部屋を行き来しながら、通夜と葬儀に参列するために必要なものをテーブルの上に並べていく。当然、和泉家に宿泊する準備も。

「ああ……」

 総子に連絡したほうがいいだろうかと、咄嗟にスマートフォンを手にしたものの、悲しみに暮れながら正時を送り出す準備をしている祖母の姿を想像すると、今は自分などに時間と気を使ってほしくないと思った。和彦はスマートフォンを置くと、クローゼットからガーメントバッグと喪服一式を
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  • 血と束縛と   第49話(6)

     マンション近くまで来たらもう一度連絡してほしいと告げて電話を切ると、数分も経たないうちにまた電話がかかってくる。今度は賢吾からだ。やはり香典を持っていけという用件で、守光から受け取るのとはわけが違うため返事に困る。すると、和彦がためらう理由を汲み取ったのか、賢吾はこんなことを言った。『昔、お前の父親を通して和泉家の厄介事の処理にあたったのは、〈長嶺組〉の人間だった長嶺守光だ。そこで結ばれた縁なんだから、長嶺組組長からの香典を持っていけ。新幹線を使うなら、駅までうちの車で送っていくし、乗車するまで付き添うようにする』「……会長と、そういうことで話がついたのか?」『お前の祖父君だ。知らん顔はできん。できることなら、和泉の家まで直接送り届けたいが、さすがにこんなときにヤクザがうろつくのは迷惑がかかる』 おおっぴらに名を出すことはできない父子からの香典だが、総子に渡せば適切に対応してくれるだろう。承諾した和彦は、さきほど南郷に告げたのと同じ内容を告げて電話を切る。 そして――。和彦が作業を再開したところで、電話がかかってきた。** 自宅マンションのエントランスのやや奥まった場所には、来客用のロビーがある。和彦は共用スペースに置かれたソファに腰掛けてぼんやりしていた。ここで暮らし始めて二年ほどになるが、ロビーを使うのは初めてかもしれない。 和彦はガラスの向こうのアプローチに目を向けながら、さきほど部屋で詰め込んだボストンバッグの中身を一つ一つ思い返していく。ふと、筆ペンが必要なことに気づき、あとで買うのを忘れないようスマートフォンのメモに打ち込んでから、メッセージアプリに触れる。祖父が亡くなったため、数日ほど連絡が取りにくくなることを誰かに伝えておくべきかと思ったのだが、すぐにその必要はないなと思い直す。今和彦とつき合いのある人間の大半は長嶺組か総和会と繋がっている。心配するまでもなく誰かが事情を説明してくれるだろう。 さきほど立て続けにかかってきた三本の電話のおかげで、和彦の当初の予定は吹っ飛んだ。自分はいつでも男たちの都合で振り回されるのだと、自嘲と皮肉と、否定できない感謝の気持ちから、微苦笑を浮かべていた

  • 血と束縛と   第49話(5)

     俊哉からの一報を受けて、和彦は自然と湧き出そうになる涙を奥歯を噛み締めて堪えると、なんとか南郷に手短に事情を説明した。そこからあとは早かった。和彦が相談するより先に、南郷は帰宅のための車を手配してくれたのだ。  自宅マンションに帰りつくと、ぼんやりする間も惜しんで賢吾に連絡をする。電話は繋がらなかったため、ひとまずメッセージを送っておいた。  俊哉からは、通夜と葬儀に参列するよう言われている。俊哉や綾香は今日はまだ仕事があり、それを片付けてからの移動になるという。英俊については何も言われなかったため、和彦から問うことはできなかった。  部屋を行き来しながら、通夜と葬儀に参列するために必要なものをテーブルの上に並べていく。当然、和泉家に宿泊する準備も。 「ああ……」  総子に連絡したほうがいいだろうかと、咄嗟にスマートフォンを手にしたものの、悲しみに暮れながら正時を送り出す準備をしている祖母の姿を想像すると、今は自分などに時間と気を使ってほしくないと思った。和彦はスマートフォンを置くと、クローゼットからガーメントバッグと喪服一式を出してくる。  ボストンバッグに荷物を詰め込みながら、袱紗はあるものの、肝心の香典袋の買い置きがないことに気づいた。どうしようかとその場でうろうろしてから、一旦イスに腰掛ける。和泉家に向かう道中で買えばいいのだが、では移動をどうするかだ。いっそのこと両親に同行するという手もあるが、あまり気は進まない。  新幹線がもっとも早いのは確かで、在来線との乗り換えに合わせて時間を決めなければならない。駅構内で現金を下ろして、ついでに必要なものも買うことにした。  現実的で事務的な準備をしながら、ふとした瞬間に、最後に正時と会ったときの光景が蘇る。途端に嗚咽が洩れた。  総子の話では、幼い頃の和彦をずいぶん可愛がってくれたそうだが、そのときの記憶はほぼ残っていない。和彦にとっての正時は、年明けにベッドの上で酸素マスクをつけて横たわっている姿がすべてと言ってもいい。それでも、自分でも不思議なほど悲しかった。交流を持たなかった空白の時間を痛切に悔やんでいた。  ぐすぐすと鼻を啜っていると、スマートフォンが鳴る。相手は南郷からで、出ないでおこうかと逡巡し

  • 血と束縛と   第49話(4)

    「感覚が麻痺してるな、先生。世間じゃ、〈うち〉もそれなりに怖いところなんだが」 そうでしたとぼそぼそと小声で応じた和彦は、誤魔化すようにファイルに視線を戻す。南郷の説明を受けながらファイルに最後まで目を通したところで、ずばりと問いかけた。「――それで、本当はぼくに何を伝えたいんですか?」 南郷が手を出してきたので、読み終わったばかりのファイルを返す。自らもファイルを開きながら南郷は、世間話でもするような口調で言った。「はっきりとした証拠があるわけじゃないが、おそらく、北辰連合会は中で揉めている。顧問二人が、残りの一人の追い落としを狙っている――」 意味ありげな南郷の視線と物言いで、さすがに和彦も察する。「残りの一人というのが、伊勢崎組長なんですね」「こっちで商売をやるだなんだと言っているようだが、それは北辰連合会に向けた理由で、本当のところは、自分の身と息子の安全を考えてのことじゃないかと俺は考える。こっちで大物と縁を結べれば尚いい。御堂がいるからな。あいつの伸ばしている触手で誰かは手繰り寄せられる」 大物と接触するのにちょうどいい駒が、和彦だったということか。当然賢吾も、御堂の動きから何かしら察していたはずだ。あるいは、すでに情報提供を受けている可能性もある。「オンナとして、かつての情人に対する義理か、いまだに深い情があるのか、御堂は伊勢崎を切れなかった。……いや、そんなタマじゃないな。厄介事を呼び込むとわかっていて、あえて、か? 総和会を揺さぶるには、伊勢崎龍造と北辰連合会のいざこざが使えると考えているのかもな。こっちに北辰連合会が出張ってくる可能性もあるだろうしな」「……御堂さんを警戒して、どうにかするとかは考えないんですか?」「先生は、御堂をどうにかしてほしいのか?」「違いますっ。ただ……、ぼくが知るこの世界の人たちは、寛容だとか懐が深いとかはまったく思わないですけど、険悪なようでいて、その相手を切り捨てたり、遠ざけないのが不思議で」 その姿勢が一番顕著なのが守光だ。御堂だけでなく、自分に反感を持っている節がある組で

  • 血と束縛と   第49話(3)

    「伊勢崎組がこちらへの進出を図っていると、最初はそんな報告だったんだ。総和会のデータベースに伊勢崎組が載っていたのは、たまたまだ。御堂絡みでな」 南郷の口調がわずかに下卑た響きを帯びる。和彦をまだしっかりと見つめているので、わざとだろう。「ちょっとした商売に乗り出したいという程度なら、御堂の顔を立てて見過ごすこともやぶさかじゃなかったんだがな……。さすがに、北の大物ヤクザが動くには、それなりの理由があったようだ」「何か、わかったんですか……?」「伊勢崎龍造という男が何を考えているかはわからん。表向きは、本当にこちらで商売をやりたがっているようだからな。だが、釈然としない。俺だけじゃなく、オヤジさんや長嶺組長も同じはずだ」 そこで、龍造が顧問を務める北辰連合会について調べたのだという。わざわざ北辰連合会の本拠地がある東北にまで人を遣ったということで、総和会の本気ぶりは伝わってくる。「棲み分けができているんだ。総和会と北辰連合会は。境界線を守って、友好的とは言わないが、揉め事は極力避けてきた。そういう関係を保つために肝要なのは、境界線の向こうにいる相手を見て見ないふりをすること。それが一番トラブルを起こさない。――さて、ここで伊勢崎龍造の存在だ」 そこまで言って南郷は一度ソファから立ち上がり、薄いファイルを手に戻ってくる。差し出されて一応受け取りはしたものの、これをどうすればいいのかと、和彦は困惑する。「中に目を通してくれ。北辰連合会についてあんた用にまとめたものだ。あまり深入りさせるのもどうかと思うが、何も知らないままあんたをふらふらさせるほうがリスクがでかい」 情報を得るのは、力を持つ男たちはともかく、個人ではまったく無力の和彦にとっては喜ばしいことではない。男たちに庇護される前提で、裏の世界の深みにますますはまり込むのだ。いまさらではあるが。 顔を強張らせる和彦に対して、南郷は意地悪く唇の端に笑みを刻む。「無理に読めとは言わないが。怖いことは書いてない」 南郷を睨みつけてからファイルを開く。いきなり龍造の顔写真が目に入った。そして経歴と。見慣れない組の名などが書

  • 血と束縛と   第49話(2)

    「それはブルーベリーの木だそうだ。それなりに育ってるものを地植えしたから、意外に早く実がつくかもな。そして、こっちはヤマモモだ。他にも何か植えたと言っていたが、名前は忘れた」 なぜ美味しそうな実が生る木ばかり。そんな疑問を口にする前に、南郷が答えた。「実が生ると、それを啄みに鳥がやってくるらしい」「そういうものなんですか」「そして、鳥に誘われてあんたがやってくる」 なんと応じていいかわからず黙り込むと、鼻先で笑った南郷に促されて寮に入る。スリッパに履き替えていると、今日は南郷が言うところの〈若い連中〉がいるらしく、微かに人の話し声が聞こえてくる。小野寺もいるのだろうかと気にはなりつつ、廊下を左に進む。 南郷の自室に向かう途中にある白い回廊の壁には、前回はなかった写真パネル三枚が間隔を空けて飾られていた。青空の下で陽射しを反射してきらめく明るい海と、夕日でオレンジ色に照らされる海。そして、夜の闇に沈む暗い海だ。「この写真は……」「ここに飾るのはなんでもよかった。たまたま安かったから、三枚まとめて買った。――長嶺組長とあんたの連名で贈られたものは、部屋のほうに飾ってある」 実は和彦は、その連名で贈ることになったものについてまったく把握していない。いつの間にか賢吾は画廊で選んだようで、届けさせたと事後報告があっただけなのだ。 賢吾は何を贈ったのかと、ドキドキしながら部屋に入る。さすがに段ボールはすべて片付いており、書棚にはぎっしりの本が詰め込まれ、オーディオセットの配線も済ませてある。きちんと生活感があった。 開け放っている窓から心地よい風が吹き込んでくる。すっかり様変わりした外の景色に目を細めたのは、庭の様子に心惹かれるものがあったからだ。これは確かに、庭に植えた草木を眺めて過ごすのは楽しそうだ。「先生、紅茶でいいか? ティーバッグだが」「あっ、はい」 客用のイスは相変わらずないようなので、和彦は自分でエグゼクティブチェアを移動させて腰掛ける。そこでぎょっとした。ちょうど座った場所の正面の壁に、こちらを睨むように見据えている純白の狼がいた。最初は写真かと思ったが、よく目を

  • 血と束縛と   第49話(1)

     この組織の実行力を舐めていたかもしれないと、和彦はやや呆れてため息を洩らす。総和会本部内の寮の土が剥き出しになっていた場所は、短期間で様変わりしていた。 前はなかった飛び石の一つの上に立ち、辺りを見回す。庭ができていた。青々とした苗木が何本も植えられ、陶器製の大きな植木鉢には春らしい花の寄せ植えが。もちろん一つや二つではない。さらには、和彦の身長ほどの高さの木も贅沢に植えられている。庭の中央部分には敷石がきれいに敷き詰められており、テーブルセットを置くことを考慮しているようだ。「あんたの要望は『野鳥の水飲み場がほしい』だったから、ひとまず水を張った洗面器を置いてある」 和彦の側に立っている南郷がそう言って指さした先には、敷石の上に洗面器が置いてある。 とんでもないことになっていると、和彦は一人うろたえていた。自分が口にした要望はしっかり覚えている。野鳥の水飲み場になりそうな器を置いて、止まり木になりそうなものをちょっと植えてもらえばいいと考えていたことも。しかし今、目の前にある光景は、和彦の想定を何倍も上回って立派だ。 賢吾から、植物園みたいなものを造るかもしれないと言われたときは、冗談としか受け止めなかったが――。 黙り込んでいる和彦の反応をどう捉えたのか、南郷は言い訳するようにこう続けた。「本部の造園を手掛けている業者に、見目よく、だが多少は野趣を感じさせる庭にしてくれと伝えて、こうなったんだが……。何か足りないものがあるか、先生? 今、山野草の苗も集めさせているから、もっとにぎやかになるはずだ。鳥も、この辺りをちょろちょろ飛んでるのを見かけるから心配するな」「……ぼく、庭まで欲しいとは言ってないですよ」「どうせ部屋の窓から見るなら、庭があったほうがいいと俺が思ったんだ。植えた木や草がどんどん成長していくのを見守るのもいい。まあ、そんな余裕があるかどうかはわからんが。土が剥き出しの殺風景な場所に、鳥がやってきても様にならんだろうしな」 はあ、と気の抜けた返事をした和彦は、ちらりと南郷に視線を遣る。きっちりとスーツを着込んでいる和彦とは対照的に、今日の南郷は寛いでいる最中だったのか半

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