Masuk「仲良くしてもらってますけど、けっこう謎が多いんですよ、秦さんは。だからいまだに、秦静馬が本名なのかどうかすら知らない。俺は、実は秦さんが妻子持ちだったとしても、驚きませんね。本当のところ、いろんな組とのつき合いも、どこまで深いものなのか、よくわからない」
「……物腰は柔らかで紳士だが、実際はヤクザそのものみたいな男でも驚かない、か?」「まあ、見た目通りの人だったら、したたかに組と渡り合うなんてできないでしょう。だけどその面を、秦さんは他人に見せない。ちょっと怖いですよね。そう考えると」「でも、慕っているんだろ」 和彦の言葉に、真剣な顔で中嶋は頷く。 中嶋と秦と飲んだとき、二人はあくまで仲のいい先輩・後輩、もしくは友人同士に見えたのだが、中嶋の話を聞いて、表情を見ていると、そう単純なものでないことがわかる。崇拝という言葉が頭を過りもするが、それよりむしろ、シンパというほうがより近いかもしれない。 中嶋は、秦という男に何か共鳴するものを感じ、それを守ろうとしているのだとしたら、献身的と「ただ、わたし自身、君に会いたかったというのもある。大人になった君に、わたしはもう必要とされていないという意識もあったから、どんな理由であれ、会える口実ができたことを素直に喜んでいた」 ここで和彦はメッセージカードを取り出し、里見の前に置く。里見は照れたように笑った。「佐伯審議官から、君と接触を持ってほしいと頼まれたんだ。君の友人は、佐伯家のほうに不信感を持ち始めて、そろそろ協力的ではなくなったからと。その点、わたしはうってつけだ。佐伯家とのつき合いは長いし、かつての君の家庭教師であり、佐伯審議官からの命令に逆らえない立場だからね。――君の誕生日プレゼントにこのカードをつけたのは、わたしの独断だ。自分で選んだプレゼントだから、ちょっとした細工をするのは簡単だった。……君がこの場に来なければ、わたしでは連絡役は務まらないと報告するつもりだった」「つまりぼくは、里見さんの目論見にまんまと釣られたわけだ」「君の気持ちを試した。大人は、ズルいんだよ」「ぼくはもうとっくに、そのズルい大人だよ、里見さん」 和彦の言葉に何かを刺激されたのか、里見が強い眼差しを向けてくる。穏やかで優しいだけではない里見の性質が、わずかに透けて見えたようだ。 綺麗事だけで官僚の世界を生きてきたわけではなく、アクの強い父親の忠実な部下でいるには、それなりのしたたかさや狡猾さが必要なのだ。里見は、子供であった和彦にもそういったことを隠さず教えてくれ、だからこそ和彦は、里見を信頼していた。「佐伯審議官からは、君に実家に顔を出すよう促してくれと頼まれた。いろいろと相談したいことがあるそうだ。それと、君が今どこで暮らし、働いているかを聞き出してくること。どんなトラブルに巻き込まれているかも知りたいそうだ」 かつての家庭教師ぶりを思い出す、歯切れよい里見の話に、和彦は苦笑を浮かべる。まさか、ここまではっきり言うとは思っていなかったのだ。「里見さんとしては、ぼくが実家に顔を出すことをどう考えている?」「早く顔を見せて、家族を安心させたほうがいい――と言うつもりはない。佐伯家は今、英俊くんの国政出馬のことでピリピリしている。その状況で、これまで放任して
目の前に里見がいるということが、いまだに信じられなかった。 和彦の記憶の中にある里見は、活力に溢れた二十代の青年で、当時から人好きのする魅力的な外見の持ち主だった。今は、年齢を重ねた分、包容力と知性がさらに増したように見える。まさに、紳士という表現がしっくりくる。 優しげな眼差しで和彦を見つめる癖がまったく変わっていないことに、安堵する反面、気恥ずかしいものを感じ、和彦はカップを覗き込むように顔を伏せる。「――なんだか不思議だ」 里見の言葉に、ハッとした和彦はすぐに顔を上げる。目が合うと、里見特有の優しい雰囲気に搦め捕られたようになっていた。「何、が……?」「君が、先生と呼ばれる職業に就いているなんて。わたしが知っている君は、高校の制服を着ている姿までだからな。そしてわたしは、そんな君に勉強を教えている〈先生〉だった」「里見さんのおかげだよ。ぼくが優等生でいられたのは」 昔のことを思い出したのか、里見は短く声を洩らして笑う。その拍子に前髪が額にかかり、自然な仕草で掻き上げた里見の左手を、さりげなく和彦はチェックしていた。あって当然だと思っていた結婚指輪は、薬指にはない。 妙なことに気づいた自分に居心地の悪さを覚え、和彦は思わず視線をさまよわせる。「まじめな家庭教師だったのは、君が中学生のときまでだ。あとはもう息抜きと称して、君を連れ回していた」「……やっぱり、里見さんのおかげだよ。ぼくが人並みの子供らしく、外の世界に触れられたのは。そうじゃなかったら、ぼくは陰気な子供のままだった」 和彦が佐伯家のことを口にした途端、里見は表情を曇らせる。こんな表情まで、渋くて魅力的だと思うと、里見がいい形で年齢を重ねてくれたことに、和彦は内心で感謝せずにはいられない。 危機感を持つべき状況だと頭ではわかっているのだが、このときの和彦は、里見に会ったことで舞い上がっていた。里見が少しでも、家庭的なものを匂わせたり、仕事疲れによる陰鬱なものをまとっていればまた違ったのかもしれないが、幸か不幸か、和彦を失望させるものを里見は何も持っていない。「――相変わらず、
一年近く組長のオンナとして、組に協力する医者として、従順に過ごしてきて積み上げてきた信頼を、こんな形で利用することになるとは、和彦自身、思ってもいなかった。 賢吾の恐ろしさを知っているからこそ隠し事はしたくないが、今から和彦が取る行動は、決して賢吾を――関係を持っている男たちを裏切るためのものではない。 そう自分に言い聞かせながら、和彦はもう一度、今度は慎重に背後を観察してからタクシーを停める。 行き先を告げてタクシーが発進すると、プツリと緊張の糸が切れた。奇妙な解放感すら味わいながら、微かな震えを帯びた息を吐き出す。 和彦はコートのポケットをまさぐり、財布に触れる。これは前から使っているもので、誕生日プレゼントとして佐伯家から贈られた財布は、相変わらず書斎のデスクの中だ。ただ、今日はメッセージカードだけは外に持ち出し、財布のカードポケットに納まっている。 二人きりで会いたいと書かれているメッセージカード一枚で、無謀にも護衛をつけず、それどころか行き先すら誰にも告げないまま出向くことの危険性を、和彦はよく理解している。それでも行動を起こしたのは――。 タクシーは、見覚えのあるホテルの前で停まる。昨年、澤村とランチを食べたのが、このホテル内にある中華料理店だった。メッセージカードに書かれた待ち合わせ場所は、同じホテルのガーデンラウンジだ。 和彦がどこで生活し、仕事をしているのか不明なうえ、都合を尋ねることもできないため、無難にこのホテルを選択したのだろう。その配慮のおかげで、こうして仕事の合間に足を運べた。 正面玄関からロビーに足を踏み入れると、和彦は周囲を見回し、露骨に警戒する。トラウマになっているのか、兄の英俊が姿を現しそうで怖かったのだ。もちろん、そんなことはありえないだろう。メッセージカードを書いた人物は、和彦を騙すようなまねはしない。そう信じているのだ。 大きな池と日本庭園を眺められるガーデンラウンジは、眺めのよさや、昼時ということもあってか、けっこうなにぎわいを見せていた。 案内のスタッフに待ち合わせであることを告げて、ホールを見回す。そして、窓際のテーブルにつく、それらしい人物の姿を見出した。仕立てのいい明るいグレーのスーツを見
「先生の誕生日前後に二、三日まとめて休みを取りたかったが、無理だった」「誕生日当日、とは言ってくれないのか?」「俺には、そんな大事な日に先生を独占できる権利はない」 こうして触れ合ってはいても、和彦と三田村の関係は恋人同士ではない。和彦がいくら三田村を、自分の〈オトコ〉だと言っても、それが通じるのは二人の間だけだ。組にとって三田村は、若頭補佐であり、組長のオンナの〈犬〉なのだ。 三田村は、そんな自分の立場をわきまえている。そうであるよう、心身に叩き込んでいるのだろう。 この男らしいと思いながら和彦は、小さくあくびを洩らす。現金なもので、人恋しさを満たしてしまうと、今度は緩やかな眠気が押し寄せてくる。三田村の側だと、いくらでも無防備になれるのだ。「朝、仕事に間に合うよう起こすから、安心して休んでくれ」 三田村の優しい声に頷いたとき、すでに和彦は目を閉じていた。その状態で会話を続ける。「……気をつかってもらうほど、ぼくの誕生日なんて大したものじゃないんだけどな」「だったらせめて、ケーキを買っておこうか?」 三田村のその言葉が冗談か本気か、まったく読めない。和彦は薄く目を開くと、じっと返事を待っている三田村の表情を確認する。どうやら本気で言ったらしい。「誕生日プレゼントは、もういらない。あんたからはもらった。こうしてぼくに会いに来てくれて、それだけで十分だ。記憶にもしっかり残ったしな」「誕生日、誕生日と騒ぎ続けたら、本気で先生に嫌われそうだな……」「ああ、嫌ってやる」 笑いを含んだ柔らかな声で答えた和彦は、ごそごそと身じろいでから、三田村の胸に顔を寄せる。 背に獰猛な動物を背負いながらも、誰よりも優しい男の体温を感じながら考えるのは、誕生日までに自分がすべきことだった。 今いる世界の男たちは、猛々しくて狡猾で、ときには残酷ですらある。必要があれば、何を使ってでも和彦を雁字搦めにして、逃がしはしないだろう。だが、そういった男たちの執着が、和彦には息苦しくある一方で、心地よく、愛しい。 今手放してしまえば、もう二度
「こういうところに来て、いいと思えるのは、浴槽が広いことだな」 和彦の言葉に、三田村が生まじめな顔で応じる。「大胆な発言だ」「――大胆っていうのは、こういうことを言うんだ、三田村」 和彦は、三田村の両足の間に顔を伏せると、すでに熱くなっている欲望に唇を押し当てた。「先生っ……」 三田村が驚いたような声を上げ、遠慮がちに頭に手をかけてきたが、かまわず和彦は行為を続ける。 片手で三田村のものを扱き上げながら、先端を優しく吸い、舌を這わせる。三田村はいつも、和彦がこの行為に及ぶとき、最初は遠慮がちで、申し訳なさそうな反応すら見せる。和彦は、そんな三田村を唇と舌で変化させていくのが好きだった。 何度も大きく息を吐き出す三田村の反応をうかがいながら、逞しさを増していく欲望を丹念に舐め上げ、唇で締め付けるようにして扱き、口腔の粘膜でしっとりと包み込む。 行為の間も湯は溜まり続け、伏せた顔が浸かるまでそう時間は残っていない。和彦の口淫が熱を帯びようとしたとき、思いがけない三田村の言葉が降ってきた。「――先生、顔が見たい」 三田村の掠れた囁きに、和彦は羞恥で全身を熱くしながら、小さく首を横に振る。すると、三田村の手があごにかかった。「見たいんだ。俺を感じさせてくれている先生の顔が」 そうせがまれ、三田村の欲望を口腔で愛撫しながら、顔をわずかに上向かせる。三田村が唇に笑みを湛えているのを見て、このまま消えたくすらなったが、狂おしいほどの欲望の前に羞恥心は呆気なく消えてしまう。 和彦は、三田村を見上げながら、愛撫を続けていた。 この男には、自分のあさましい部分を見る権利があると思った。和彦にとって、ただ一人の〈オトコ〉だからだ。 三田村が苦しげな表情を浮かべた次の瞬間、口腔深くまで呑み込んだ欲望が爆ぜ、熱い精を迸らせる。和彦はすべて受け止めて、嚥下していた。 顔が湯に浸かるギリギリの瞬間まで、まだ硬さを失わない欲望に愛撫を施し、三田村に引き起こされる。和彦の体はバスタブに押し付けられ、背後から三田村に挑まれた。「三田、村っ…&
問いかけてきた三田村が、次の瞬間には苦々しい表情となる。「と、俺が先生に言えた義理じゃないな。ヤクザと関わった先生に、最初につらいことを強要したのは、この俺だ」「その分、今はあんたに支えてもらっている」 手を握り合っているだけでは我慢できなくなり、和彦は三田村にしがみつく。三田村はしっかりと抱き締めてくれた。「……つらいとか嫌とか、そう感じることをやらされているつもりはないんだ。相変わらずこの世界の男たちは、ぼくを大事にしてくれる。それこそ、大事にされたいがために、ぼくはどんなことも受け入れているぐらいだ」 自嘲ではなく、事実だった。守光の部屋での出来事は、まさにそれだろう。「そんな自分を自覚しているつもりだったのに、急に我に返って、不安になったんだ。いろいろと、考えることがあって……」 澤村と会っても平気だったのに、メッセージカードの字を見てからずっと、和彦の気持ちは揺れている。あの字を書いた相手は、和彦に大きな影響を与えた人物であり、今いる世界の男たちのように、和彦を大事にしてくれた。「ぼくは、このままでいいのか?」 自問するように呟くと、和彦の背を撫でながら、三田村が思いがけず激しい言葉で応じた。「――先生が嫌だと言っても、俺は、先生をこの世界から逃す気はない。組長のためでも、千尋さんのためでも、長嶺組や総和会のためですらない。俺は俺のために、先生を捕まえておく。先生が泣き叫ぼうが、衰弱しようが、俺は先生の足を掴んで放さない」 覚悟しておいてくれと、鼓膜に刻み付けるように囁かれ、和彦は三田村の腕の中で体を震わせる。三田村の言葉に感じてしまったのだ。「絶対……、苦労するからな」「先生といると、いままで経験したことがないぐらい、俺は楽しい。味わう苦労なんて、それに比べたらささやかなもんだ」 和彦が顔を上げると、荒々しい感情をぶつけてくるように三田村に唇を塞がれる。同じ激しさで和彦は口づけに応えた。** 互いの体をソープで丁寧に洗いながら、目が合うたびに照れを含ん







