“――眼を閉じて浮かぶのは オマエを描いた空の色
ほどけとけゆく想いの色
眼を閉じて浮かぶは オマエをなくした茜色
ながれとけいく愛の色――”
スピーカーから結構な音量で流れている歌声に、俺は心底うんざりしているものの、それを流しているのが俺の意思ではないため、黙って曲と作業が終わるのを待っている。
「はー……やっぱ、最高だなぁ……」
今日何度目になるかしれない溜め息交じりの賛辞の言葉に、俺は違う意味の溜め息をこっそりつく。こっそりと言いつつも、相手には聞こえるように。
溜め息が聞こえたらしい相手は手にしていた絵筆を置いて、困ったような顔をして俺を抱き寄せてわざとらしく額に口付けてきてこう囁く。
「ごめん、唯人。もうあと三十分くらいだからさ」
「……さっきも|朋拓《ともひろ》そう言ってたし、一昨日逢った時もそうだったけど?」
俺の言葉に朋拓はバツが悪そうに口をつぐむも、すぐにルームスピーカーから聞こえ始めた歌声に顔をあげて絵筆を取り作業を――ヤンチャさのうかがえる彼の姿からは、想像もできないほど繊細で、綿密な絵画を描く作業を――再開させる。全然さっきのごめんの言葉が意味を成していないのにお構いなしだ。
いま俺の恋人である朋拓、こと|宇多川朋拓《うたがわともひろ》が俺をほったらかしにして不機嫌にしているのも構わずにルームオーディオから流している音楽とスクリーン代わりの白い壁に映し出している映像は、世界的な覆面バーチャルシンガー・ディーヴァの最新ライブの様子だ。
ディーヴァは数年前突如ネット界から火がついた覆面歌手で、その姿は文字通り覆面をつけたバーチャルキャラクターな姿な上に中性的なスタイルのせいで年齢はおろか性別も国籍すら不祥――と言うことになっている謎多きアーティストネット上の歌姫で、そのディーヴァに彼は夢中なのだ。
その張本人がここにいると言うのに。
覆面バーチャルシンガー・ディーヴァ。二〇××年夏、突如大手レコード会社・プラチナムの公式動画チャンネルから配信された『ティア』という曲が瞬く間にネット界隈で話題になり、覆面のままメジャーデビューを飾る。
以降ディーヴァがリリースする楽曲には必ず大企業のタイアップが付き、配信楽曲のダウンロード件数、MV再生回数も、連作世界有数の数字を叩き出す記録は数えきれないほど保持する。しかも性別も国籍も年齢も不明の謎多きアーティスト――という形を貫いて活動を続けてきてそろそろ四年目になろうかと言う頃だ。
「よーし、これでいいかなぁ」
ようやく作業がひと段落したらしく、朋拓が手にしていた道具を置き、伸びをする。
作業の間繰り返し流されていた自分の歌声や映像にうんざりしていた俺は、のん気にエンドロールの端から端まで眺めている朋拓に座っていたクッションを投げつけてやった。
「ってぇ、なにすんだよ、唯人」
「俺いつも言ってるよね、俺がいる時はディーヴァの映像とか音楽聴くのやめろって」
「そうは言うけどさぁ、いつ見ても唯人のディーヴァは最高なんだもの。さすが世界の|歌姫《ディーヴァ》!」
「だからって本人の目の前でライブのアーカイブ何回も見せられるとか羞恥プレイもいいとこだよ! 褒めたってダメだからね!」
イライラしながら俺が返すと、朋拓は不満げに口をとがらせている。それには、「折角褒めてるのにそんなこと言わなくてもいいだろう」という文句も含まれているのだろう。
「手前みそになっちゃうけどさ、今回のライブは特に良かったし、アーカイブ視聴も過去最高だったって言ってなかった?」
「そうだけどさぁ……」
じゃあいいじゃん、と言いながら朋拓は絵の具の付いた道具を片付けに部屋を出ていく。
それはそうだけれども……とその背中に言いかけたその時、さっきまでライブ映像を映し出していた、白い壁に広告が映し出される。
『様々な事情で我が子を諦めかけていたあなたも、コウノトリプロジェクトで愛しい我が子をその腕に抱けるチャンスがあるかもしれません』
それはいわゆる政府からのCMのようなものだった。
コウノトリプロジェクトと呼ばれる生殖関係の治療を受けると、男性同士、つまりゲイでも我が子を得られるという話だ。
(クローン技術の応用で試験管ベビーもできるって話なのに、自分のお腹にわざわざ宿すってこと?)
ふと気にかかったCMではただゲイやレズビアンと言った同性同士のカップルでも我が子を作ることができることとそのための医療保障の充実化を謳っているだけで詳細がわからなかった。
だけど、何かが俺の中でひっかかり、スマホ――従来型ではなく手のひらに操作パネルを表示するタイプ――を取り出してコウノトリプロジェクトについて軽く調べてみた。
「え、試験管ベビーっていまできなくなってんだ……」
二〇三〇年代頃には、細胞を培養させて人工的に卵子と精子を作り出し、ある程度育成させてから人工子宮に入れて産み出す、いわゆる試験管ベビーの技術は確立していたらしい。
だけどそれを実用化しようとしたあたりから急激に地球環境が悪化し、特に水環境の悪化はかなり深刻だったという。そして同時に地球の人口も急激に減り始める。
「“そのため、試験管ベビーの実用化が急がれたが、実現には純度の高い水が大量に必要なため……”ああ、だからいまはできないって言うのか……」
二〇××年である現在は労働力の半分はアンドロイドでまかなっているとは言え、その管理などは人間が担わなくてはならないので労働力に余力がないとは聞いていた。だから、将来的労働力増やし、社会を維持していくためにも人口増員が大きな課題になっている。
「その解決策が、これなのか……」
中空に映し出したホログラム画面によれば、その解決策として打ち出されたのがコウノトリプロジェクトなるものらしい。
「……これに登録とか参加とかしたら、俺も子どもが持てるかもってことなのかな……」
コウノトリプロジェクトの詳細をさらに調べようとしたら、その内に片付けを終えた朋拓が戻ってきて、画面から遮るように俺に抱き着いてくる。
「ゆーいと。何してんの?」
「んー、ちょっとね……」
「まだ怒ってる?」
俺が嫌がるのに、結局最後までライブ映像を流していたことを言っているのだろう。
コウノトリプロジェクトが気にかかって調べていて少し忘れかけていたけれど、朋拓はさっき俺を少し不機嫌にしたのだった。
ここでもう機嫌よく愛想を振りまくのが何となく癪な気がして、スマホの表示を消しながらソファにうつ伏せて顔をうずめる。その背中を、朋拓は包むように抱き着いてくる。
「ねえ、こっち向いてよ、唯人」
「やーだ。俺が今日来るの知ってて、しかもいま横にもいるのに、ああいうの見てる朋拓がどうかしてる」
「だってさぁ、昨日も見たかったけど仕事忙しくてアーカイブ見れてなかったんだから仕方ないじゃん~」
普段、俺に見せたり聞かせたりしている態度と声色より、緩く甘い雰囲気のそれが忘れかけていた苛立たしさを思い出させる。そうだった、朋拓は俺の恋人でありながらも、ディーヴァのガチ勢だった、と。
イライラと背後を振り返りながら「本番も関係者席で見てたって言ってたじゃん。バカなの?」と、言うと、「恋人の最高な姿褒めてるのにバカ呼ばわりってひどくない?」と朋拓は言い返してくる。その顔に反省の色はない。
だから余計に腹が立って、俺は払うように手を振り上げる。
「うるさい! バカはバカだ!」
ああ、本当に腹立たしい。なにが悲しくて自分がバーチャルで作り上げたものに負けなきゃなんだろう。朋拓はリアルな俺に惚れて付き合っているんじゃなかったの? そう怒鳴りつけたいけれど、そうしてしまうとあまりにみじめでみっともないのは流石にわかるので、ただ顔を背けるしかない。そこまで俺だって恥知らずじゃないつもりだから。
でも、朋拓には俺がディーヴァ絡みで不機嫌になるのは見透かされているし、あえてそれを利用して俺が拗ねるのを楽しんでいる節すら彼にはある気がして――だから、余計に俺は彼にディーヴァに夢中なられるのが腹立つんだ。そのままの俺だけを見て、触って、抱いてほしいのに。
「ゆーいと」
リビングのスクリーンを消し、甘い声で俺の名を呼びながら、朋拓が俺の濃紺の長い襟足に触れてくる。きっとそのあとには、彼より痩せっぽちで頼りない肩を抱くつもりなんだろう。
ソファに身を沈めるように顔を背けている俺に、朋拓は頬ずりするように身を寄せてくる。
「ごめん、いいライブだとすっごい作業がはかどるんだよね」
「……作業がはかどるんだったら、俺はほったらかしでもいいわけ? 恋人の俺が大事なんじゃないの?」
「それは……ごめん、唯人」
「…………」
「そんな怒んないでよ……ねえ、どうやったらこっち向いてくれる?」
許しを請いながらも、ちゃっかり朋拓は俺の肩に触れている。耳元まで近づいて囁いてきた言葉の混じった吐息が俺の聴覚を震わせて過敏に反応するのを、朋拓は知っているのだ。
小さな音を立てて朋拓が俺のうなじに口付ける。そこから許しを請うと言う名の甘い誘いを注ぎ込むようにしながら、刻むように。
「ん……っんぅ」
「ねえ唯人、ちゃんとキスしたいから、こっち向いてよ」
「……っや、だ」
「頑固だなぁ……こうしたら、いい?」
「ッあ、ん!」
絶対に振り向くものかと思っていたのに、肩に触れていた手がするするとシャワーを浴びたあとルームウェアのパンツだけ身に着けていた背中に触れながら下へ降りていき、その中へと滑り込む。そっちだって期待していたんだろう? と言いたげな指先にまさぐられ溜め息しか出ない。
大きくて骨っぽい朋拓の指がまるで拗ねた幼子をあやすように甘くまさぐりながら丁寧に俺の下腹部に触れてソファへと押し倒してくる。
そうしてもう一つの手は何も身に着けていない曝け出されたままの胸元を摘まむ。
「っや、んぅ!」
「唯人の白い肌が赤ぁくなってきてる……きれいだね……細くて|華奢《きゃしゃ》だからいつも抱くのドキドキするよ。壊しちゃいそうで」
「……よ、く言うよ……このあと、めちゃくちゃ、に、突っ込んでくるくせ、に……ッあぁ!」
「ホントだよ。唯人は俺なんかよりうんと細くて小さくて、そこら辺の女の子なんかよりきれいでかわいい」
きれいとかわいいが共存するもんか、と言いたいのに、口からこぼれるのは彼から与えられた快感にあえぐ声ばかり。本当はそんなことが言いたいわけじゃないのは自分でもわかりきっているので、ただされるがままになってしまう。
「一八〇の身長、じゃ……一六〇なんてかわいい、も、ンなん、で、しょ……ッあ、ん」
身長とか筋肉量とか体格の差でそう見えるんじゃないかと主張する俺を黙らせるように、朋拓がキスを繰り返す。
下腹部に触れられて扱かれていく内に朋拓の腕の中に納まってしまい、その内にぐずぐずとそちらへ向かされてまたキスをされていた。舌を挿し込みなぶってくる、容赦のないキスだ。
「ン、ンぅ……っは、あ」
「唯人、ごめんね。ディーヴァな唯人ばっかり観ちゃうけど、リアルの唯人が誰よりも好きだから」
「……信じて、いいの?」
乱された息を弾ませながら、それでも強気を崩さないで問うと、朋拓はさっきのバツの悪そうな顔とは違った真剣な顔をして、力強くうなずいて正面からまた触れるだけのキスをしてきた。
「――信じて、唯人。俺が唯人をちゃんと愛してること」
真剣で射貫くような眼差し。人懐っこいタレ気味な目許は笑うと線になってなくなってしまうのに、こういう時だけ何よりも鋭く見開かれる。
この眼差しがあるから彼に抱かれたくなるし、もっと愛されたくなる。そして出来ることなら……彼との子どもが欲しいと思い、願う。叶うはずのない願いを、今日も愛しい彼の腕の中でしてしまう。
「誓って言える?」
「誓って言えるよ」
あまりに真剣な表情過ぎて、頑なに拗ねているのが馬鹿らしくなってくる。だから誓うのかと問いながらも俺の声は笑い含みだ。それが、俺が朋拓を許した合図でもある。
「じゃあ、今日は信じてあげる」
「今日だけ? 明日からは?」
「どうしようかなぁ」
こうなってくると、もう朋拓も射貫くような眼差しから、じゃれつくような懐っこさをまとうようになっている。下腹部や胸元に触れる指先にもその甘さがにじみ、先ほどまでとは違った快感を与えてくるのだ。
覆い被さりながら下腹部の手はそのままさらに奥の秘所へと向かい、胸元の指はさらに激しくまさぐる。
「ん、ッは、あぁ、ん」
「ねえ、どうすんの、唯人……教えてよ」
「あ、ンぅ……信じ、るぅ! ッはぁう! 信じるからぁ!」
だから、このまま俺に朋拓の精液をたっぷりと注いでよ……たとえ、この身に命が宿らないとわかりきっていても――
言えない言葉を口伝えするように、俺から朋拓に抱き着いてキスをする。唯一お互いを愛している証明として存在する手段として、刷り込むように、強く激しく。
そうして今夜も、俺は本当のことをなに一つ愛しい彼に言わないまま抱かれるのだった。
“――おねむりよい子 あまいミルクに つつまれて おねむりよい子 あったか毛布に くるまれて よいゆめを よいあすを おねむり おねむり――” 陽だまりのにおいのするブランケットに包まれた小さなぬくもりが曇りのない瞳で唄う姿を見つめている。いつか見たかもしれない記憶のどこかに眠る景色に俺は目を細めて眺めてしまう。 やさしい歌声が繰り返し口ずさむ子守唄に、小さな瞳は無邪気な笑みを返してくる。「もーう、ご機嫌なのはわかるけど、お昼寝してくれよ、カナデぇ」 かれこれ一時間近く子守唄を唄ったり寝たふりで誘導したりしても、ちっとも眠る気配のない小さなカナデと呼びかけられた赤ん坊に、朋拓がとうとう|音《ね》を上げた。当のカナデはケタケタと機嫌よく笑っている。 すっかり我が子におちょくられている朋拓の姿がおかしくて思わず俺が笑うと、子どものように拗ねた顔をした朋拓か助けを求められた。「唯人ぉ、笑ってないで助けてよ~。カナデ、俺が唄うと笑って寝ないんだもん」「朋拓の声は寝かしつけるって言うより元気になる歌声だから」 俺がそう言いながらベビーベッドを覗き込むように立っている朋拓の隣に立って中を覗き込むと、カナデは嬉しそうに声をあげる。手を差し出すとしっかりと力強く小さな手で握りしめてくる。そのぬくもりと力強さに、俺はいつも胸がきゅっとしてしまう。 ほんの半年前、カナデは俺がこの世に産み出した正真正銘の血を分けた俺と朋拓の娘だ。目許は俺にそっくりで、口元は朋拓によく似ている。笑うとますます朋拓に似ていて、寝ている姿は俺にそっくりだと朋拓は言う。 長く決して平坦と言えなかったコウノトリプロジェクトの治療とそれによる妊娠期間を経て授かったカナデは、生誕時こそ小さめであったけれど、いまはすくすくとミルクを飲み、そろそろ離乳食を始めようかという頃だ。 朋拓に
それから俺は朦朧とした意識のまま酸素マスクを宛がわれて手術室へと運ばれていった。「独島さーん、わかりますか? いまから麻酔して、赤ちゃん誕生させますからねぇ」「唯人! 唯人!! 先生、唯人をお願いします!!」 病院と思われるところに到着してからはただ目許に明るいものと冷たい感覚がある事しかわからず、朋拓の顔も有本さんの顔もわからないままだ。ただずっと、手術室に入りきってしまうまでずっと誰かが手を握っていてくれたのが嬉しくてホッとしていた。「唯人、大丈夫、俺、待ってるからね」 意識が途切れていく直前、耳元に届いた声に俺は小さくうなずけた気がしたけれど、本当のところはわからない。ひとつ、ふたつ、みっつ……ゆっくりとまぶたに移る光の数を数えていたらゆっくりと意識が深いところへ落ちていく感覚がして、やがて何も見えなくなった。 それから俺は、気付けばやわらかであたたかなところを小さな手に繋がれてどこまでも歩いていた。(これは夢? 現実……にしては、俺の姿は妊娠前の姿なんだけれど……?) あたりは薄っすら明るいけれどぼやけていて、あたたかいけれど少し蒸し暑い。知らない場所のはずなのに、どこか懐かしく思える。 遠く、潮のにおいとさざ波の音が聞こえる……そう、感じた時には俺はあたたかな砂浜の上を歩いていた。降り注ぐ陽射しは熱いくらいに眩しく、俺は目をこらす。 隣には、俺の手を牽く小さな光の塊のような誰かがいる。『こっち、こっち』 俺の手を牽く小さな手のそれはそう言って俺を引っ張っていく。熱いほど温かなその手は、小さいのにしっかりと俺の手を握りしめている。まるで、手術室に入るまで俺の手を
それから朋拓が窓口になって例のメールの相手の連絡先を探り、コンタクトを取ってくれた。 相手は四十代の女性で、俺の父親にあたる人はいまは傍にいないと言う。「シングルマザーだったんだ……だから捨てられたのかな」「そうだったとしても、もう少し早く会いに来るべきじゃなかったのかな」 朋拓を介して数回やり取りをし、今日いまからふたりで会いに行くことになっている。 蒼介から借りた車に乗り、待ち合わせの指定場所――それはあの江の島の海のそばの公園だった――を目指す。「指定された場所もなんだかなぁ……もっと人目があるとこならわかるんだけど」 俺の母親と言う人に会うことが決まってから、朋拓はずっと機嫌が悪い。普段が機嫌が好すぎるくらいなのでかえって不機嫌さのすごみが増す。 だからなのか、俺は余計なことばかりひとりで喋ってしまう。俺の好きな海のそばだなんてすごい偶然だな、海が好きな人なのかな、とか、これからも会えたりするかな、とかはしゃいで喋る一方で、俺が子ども産むことを嫌がったりしないかな、と不安になる気持ちも同じくらい胸によぎる。「唯人、落ち着いて。お腹の子に響くよ」「……ごめん」 いつになく静かな朋拓の口調に、冷や水をかけられたように気持ちがしぼんでいく。朋拓はそんな俺の様子を居た堪れない様子で横目で見ているのだけれど、いつものように慰めてくれない。それが、ちょっとショックだった。 確かに、俺が捨てられたことを許せるかと言われると、わからない。でも、パートナーもいない経済的に苦しい状況だったとしたら、もっと何か事情があるのなら……俺は、棄てられたことを責めるべきなんだろうか?「……ねえ、朋拓。俺、ママを責めた方がいいのかな?」
帝王切開での出産を迎える俺の予定日は十月二十四日。偶然にもその日は俺と朋拓が初めてメタバースのSUGAR内で出会った日だった。 きちんと俺が憶えていたわけではなく、朋拓に予定日を告げたらそう教えてくれたのだ。「え、そうだったっけ?」「そうだよー。まあ、唯人はそういうのこだわらないのは知ってるけどさ。俺はすっげぇテンション上がったんだよ、運命だー! って」「でもそう言われると確かに運命的な気がしてくるね」 俺が大きく丸くなったお腹をさすりながら言うと、その手に朋拓も重ねてくる。お腹の中の子はこの八カ月ちょっとの間、大きなトラブルに見舞われることなく順調に育ってきているらしく、とても元気がいい。現にいまも俺らに存在を誇示するように胎動している。「っはは、元気だなぁ。自分が話題の中心だからかな」「主張が激しい子みたいだね」「いいじゃん、自己主張は大事だよ、唯人」 苦笑する俺に朋拓が嬉しそうに笑い、俺もそうだねとうなずく。 手術にあたっては、数日前から準備のために俺は入院して、朋拓は前日の今日から付き添いで明日の手術まで泊まり込んでくれることになっている。 大きな手術はコウノトリプロジェクトを含めて全くの初めてで、手術は万一に備えて全身麻酔で行われることになっているんだけれど、不安が全くないと言えば嘘になる。 いまこうして朋拓と笑い合っているけれど、あと一ヶ月ほどあともそうしていられるかわからなくて、ふとした時に考え込んで口をつぐんでしまう。「唯人?」「あ、ごめ……なんだっけ?」「疲れた? もう休もうか」 朋拓が心配そうに優しく顔を覗き込んでくる。それに微笑んで返そうとしたけれど、なんだかうまく笑えない。震えそうになる指先を、朋拓がそっと握りしめてくれる。「唯人、怖い?」
ボーナストラックのレコーディングの三日後に俺は病院からの連絡を受け、無事受精で来た卵子を腹腔に入れてもらった。 通常体外受精をしたあとは特に行動に規制なく日常生活を送れるというのだけれど、俺の場合は無事着床が確認できるまでは絶対安静を言い渡されているので、そのまま入院して様子見となる。 今回は絶対安静なので部屋の中であっても動き回ることは制限されていて、基本ベッドに寝ているしかない。勿論歌うなんてとんでもないので絶対禁止だ。「大声で笑うのも禁止だって言うからさぁ、お笑い番組も見るのためらっちゃうよ」『そっかぁ、それは退屈すぎるね』 ホログラム表示のおかげで寝ころんだままでも難なく対面しているように通話はできるけれど、着床が確認できるまでは家族であっても面会ができない。それくらいの安静なのだ。『起き上がるのってご飯の時くらい?』「うん、そう。あとはずーっと寝てる」『本とか読む?』「飽きちゃったよ。面白くても笑っていいかわかんないし」『少しくらいならいいんじゃない?』「そうかなぁ……なんかさ、物心ついてからずーっと唄ってたから、こうやって唄えない毎日ってすごく変な感じ。まるで自分の一部が使えなくなってるみたい」 唄うことは俺にとって生きていく|術《すべ》でありながら表現であり、意思表示でもあったから、それを制限されるとどうしていいのかわからなくなる。物足りないというよりも何かが欠けている気がしてしまう。 そして同時に、こんな日々が永遠に続いたらどうしようという不安も漠然とある。「俺、またディーヴァになれるのかな。唄い方とか忘れないかな」 自嘲するようにそう呟くと、朋拓が『忘れないよ、絶対』と強い口調で返してきた。 問うように見つめると、朋拓は真剣な顔をしてこう続ける。「唯人は
妊娠前最後になるだろうという事からかなりいつもより激しめにセックスをしたことで俺は意識を飛ばしてしまい、病院からの連絡に気付くのが遅れてしまった。 病院からの連絡とは昼間採取して提出した精子の状態の報告であり、更に先日先に作成していた俺の卵子と受精するかどうかという話だ。「病院、何だって?」 伝言メモの音声を聞き終えた俺に朋拓がそわそわした様子で訊ねてくる。コウノトリプロジェクトで妊娠を希望していても、相手の精子が弱かったりなかったりして、不妊であることが発覚するケースが少なくはないと病院で聞いているので、朋拓がそわそわして病院からの話を気にするのも当然だろう。「精子、良好だって。だからすぐにでも受精させるって」 俺がそう言って朋拓の方を見ると、朋拓は心底ほっとしたように息を吐いてくたっとしなだれかかるように俺の隣に寝ころんだ。「良かった~……ちゃんとした精子なんだ~」「精子の健康状態なんてこういう機会でもないと知ることもないだろうしねぇ。卵子も良好みたいだから、たぶん大丈夫だよ」「うん、そうだね……唯人、今度いつ病院行くの?」「んー、病院から連絡きてからなんだけど、たぶん一週間以内に来てくれって言われると思う」「そっか……そしたらいよいよ、なんだね」 卵子に精を受精させるのはその日のうちに行われるらしいけれど、胎内(俺の場合は腹腔だけど)に戻すまでには数日程を要するらしく、着床させるのは更にその後になるという。 着床して、さらに胎児の心音が確認できれば無事妊娠したと認められるのだけれど、そこまでの道のりは険しいし、そのあとも妊娠を維持させる努力をしなくてはいけない。「んまあ、そうだけど、それまでにあれをやっちゃわないと」 受精卵を入れ