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last update Last Updated: 2025-06-15 17:00:08

「ディーヴァの覆面歌手というコンセプトが大当たりしたからね。色んなものが出回っているいまの時代、確実に売れているって言えるものが滅多に出てこないからこそ、社長たちもあんたが本当に貴重だと思ってるのよ。だから唯人が多少の無理を言いだしても聞いてくれるんだろうね。期待に応えなきゃね」

 アーティスト本人が作品も宣伝も配信できて、場合によってはプライベートを切り売りするような真似をしている奴だっていなくはない中、正体を何もかも隠してここまでのし上がってきた例はそうそうない。

 それは俺にも自覚があるから、期待には応えていきたいし、俺なら応えられると思っている。それがディーヴァである所以なのだから。

 たとえ、未知な治療を始めて体調に波があろうとも、俺がしなくてはいけないのは唄うこと。

 だから、今日も俺は歌を唄うのだ。

“――なくして消える |景色《いろ》はモノクローム

 もう二度とキミには逢えない

それでいい それがいい 選んだ路は 進むべき未来

サヨナラ さよなら 遠く儚いあかるい明日――”

 先日具合が悪くてリスケした数日後、半年後に出す新曲の仮歌唄う。声はいつもと変わりなくのびやかにつむがれていく。

 唄いながら、この曲が世に出る頃自分の身体がどうなっているのかを想像する。見た目にもわかるくらいの変化が起きているんだろうか? それとも、全く変わらない……ことはさすがにないのかな……

 このまま女性ホルモンを投与し続ける身体の中はどうなんだろう。卵子を作り出し、受精卵を作って胎内とする腹腔へ着床させ妊娠をし、出産を迎えるというのはどういう身体の変化を迎えるんだろう――

 時間をかけて取り組まないといけない、と主治医の蓮本先生には聞いていたから、もう少しゆったり気長に治療していくものだとばかり思っていたけど、現実は思っていたよりも忙しない。

 平川さんが言うように、ディーヴァの人気は衰えるところを知らない。出す曲は必ず売れるし、タイアップがつくのもほぼ当然になっている。

 出始めの頃こそ、売り上げをしかけるために、事務所が俺の知らない間にあれこれ画策していたとか聞いていたけれど、いまはかなり熱狂的なファンが多くついていることもあったり、リスナー自体が以前と比べられないほど多くなったせいか、リリースすればすぐにランキング一位を飾るのが常だ。

 顔も出していないし、インタビューだってほとんど受けたことがない謎のシンガー。それが余計に憶測を呼んで人気を炊きつけるんだろう。何もかもがちょっと調べれば明らかになってしまう時代に、逆行するように秘密主義なことが、人の好奇心を上手くくすぐったというのか知らないけれど、大成功した鍵なのかもしれない。

 何にしても、段々と微妙なだるさを帯びるのが日常になっていた体を抱えていようとも唄わないことには何も始まらない。

「さっきの話だけどさ、唄えるだけ唄わされて、期待に応えられなくなったり唄えなくなったりしたら棄てられるってことないよね? 子ども産んだら俺の居場所がない、とか」

 プリプロの合間の休憩中、差し入れられたドリンクを飲みながら俺が平川さんの言葉に冗談交じりに返すと、彼女は大きく首を振って真顔で応える。

「そんなことにはならないし、させない。あんたは世界の歌姫で、宝なの。大丈夫、唄えなくなることなんてない。たとえこれから命がけの大きな仕事を抱えているとしても、きっと甦ることができる。唯人にはその力があるのをみんな知ってるから」

 四年前のある日、突然届いたメッセージに、半信半疑で返信をしたことから始まった俺と平川さんとの縁は、俺が思っている以上に彼女の中では強いものらしい。どこにでもいるような覆面歌手だった俺に、ここまで思い入れをして押し上げてくれた平川さんには、頭が上がらない。

「でもそもそも平川さんが見つけてくれなかったら、俺、歌を続けられなかったと思う」

「そう? きっと唯人なら世間に見つかるのは時間の問題だったよ」

「だけど、こんな風にディーヴァとして大売れしたかはわかんないじゃん。歌は続けていたとしても」

 そう言うと、平川さんは苦笑してそんなことないよ、と言う。

 でも、もし俺がディーヴァにならなかったら、命を懸けてまで子どもを欲しいなんて思わなかったかもしれない。ディーヴァじゃなかったら、俺は生きている意味を見出せていたかはわからないのも事実だから。

 親も兄弟も、誰も血の繋がりのある存在がいないただ一人の俺が遺せるものがディーヴァとしての歌声であるならば、俺が誰かから引き継いだ命を、この先人間の器としても引き継いでいってくれる存在がいたなら、と、ディーヴァとして活動していく内に強く思うようになったことも、子どもを欲しいと思う大きな理由だ。

結局、人間は命繋いでいくだけの器ではあるのだろうけれど、自分がそうであることを、朋拓との出会いで強く意識するようになったんだと思う。ディーヴァとして生きてきたという証しと、唯人としての証しの両方遺したい、と望むようになったことにも繋がっている。

「そういえば、ちゃんとパートナーに話してる? えーっと誰だっけ、とも……」

「朋拓?」

「そう、朋拓くん。付き合ってどれくらいなの? 一緒に住む話とか進んでる?」

「付き合ってそろそろ一年半くらいかな。向こうも仕事があるから、いつ言えばいいかなとは思ってるけど」

「まだ言ってないの? 治療始めてるのに? パートナーなんでしょう?」

「……近々言おうとは思ってるよ、必ず」

「そりゃそうよ。呆れた……この前のことがあったからちゃんと話合ってるのかとばっかり思ってたのに」

「話はしたよ……一応。いま交渉中なんだよ」

「一応、って。唯人、あんたね……」

 平川さんが質問攻めし始めると同時に作業が再開されるとアナウンスが入り、ブースから平川さんが渋々の顔で出て行く。その表情には、「ちゃんと話合いしなさいよ!」と書いてある。

 俺はそれに気付いていないふりをしながらヘッドホンを着け、アレンジャーからの指示を待っていた。

 その日は結局深夜近くまでプリプロ作業が行われてすごく疲れてしまったので、送ってもらっている車の中で眠っていて平川さんと話をすることができなかった。平川さんは話したそうにしていたけれど、俺が頑なに寝たふりをしていたからだ。

 帰り着くと、玄関横の宅配ボックスに何かが届いているという。開けてみると見慣れたエコバックが一つパンパンな状態で鎮座している。

 中を見てみると、簡易メモのテキストホログラムが一つ。

『近くまで来たから寄ってみたんだけど、留守だから置いてくよ。無理するなよ。 トモヒロ』

 ざっと見た感じ、エコバックの中身は食材みたいで、部屋に帰ってから改めて確認すると有機栽培マークの入ったリンゴやらバナナやらのカットフルーツの詰め合わせや、スポドリ、レトルトのスープ、何故かのど飴まで入っている。有機野菜マークのものは安価じゃないのに、体に気を遣ってくれているんだろう。でも具合悪そうにしていたからの発想での果物なんだろうとも思えたので、有難くもらっておくことにした。

 さっそくカットフルーツのリンゴのひとつを摘まんで口に放り込むと、爽やかないい香りが鼻先に抜けていった。やっぱり有機栽培のものは高いだけあって美味い。

『差し入れありがとう。仕事で遅くなったから助かった』

 風呂上がりにお礼のテキストだけのメッセージを送ると、思いのほか早く返事が届いて驚く。いまは日付が変わろうかという頃なのに。

 まだ起きていたのか、と送ると、声が聞けたらいいなと返って来た。ホログラムで通話しなくても声だけでも通話はできるからそれを言っているのだろう。

 声が聞きたい、か……たしかにこの前どさくさに紛れて家にあげてしまって以来ちゃんと声を交わしていない。あんな状態以降声が聞けていないどころか顔も見ていないのだから、朋拓も心配しているかもしれない。だからこそ今日こうしてわざわざ差し入れをくれたのだろうから。そこまで考えてこちらからホログラム通話をしてみた。

『わあ、びっくりした』

「なんだよ、声が聞きたいって言ったの朋拓じゃん。ついでだから顔も見せようと思ったのに」

『声だけのつもりだったから。まさか唯人からかけてくるなんて』

「……じゃあ、やめるよ」

『なんでそうなんだよぉ……唯人ってツンデレだよねぇ』

「ヒトを猫みたいに言わないで。切るよ?」

『ああ、ごめんごめん。唯人からってのが嬉しくって』

 くすくす笑っている朋拓の目許は少しクマができていて疲れているようだ。心なしか髪もぼさぼさで、話をしている場所も俺が普段逢っているリビングではない気がする。

 もしかして、仕事していたんだろうか? そう思いながらいつもよりくたびれた感じの朋拓を見つめていると、ホログラム表示の朋拓がふわりと笑って、良かった、と呟く。

「なにが?」

『んー、唯人この前より元気そうだから。つっても、やっぱり疲れてるっぽいねぇ。さすが多忙なディーヴァだね』

「それは朋拓もじゃない? 目の下のクマとかすごいよ」

 バレたか、と朋拓は苦笑し、『ちょっと案件抱えててね』と言う。

「案件? 面倒な仕事ってこと?」

『面倒って言うか、いつもよりちょっと大きなとことやらせてもらうことになるかもなんだ』

「へー、すごいじゃん。オーディションみたいなのがあるの?」

『うん、まあそんな感じ。いいとこまで行ったら唯人に一番に見せるからさ、意見聴かせてよ』

「オーディションあるのに?」

『唯人がいいって言うやつはいつも外れないから』

 そう朋拓は言うけれど、俺が意見を言うまでもなく彼の作品は出会った頃から変わらず妥協したところもなく繊細できれいで美しい。見たこともない海や空を本物のように描き上げて、見る者を|虜《とりこ》にしていく。俺はそれにただ最後の一押しをするだけだ。

「へーえ、じゃあ辛口評価してあげる」

『うわ、お手柔らかに頼むよ~』

そう、朋拓は苦笑していたけれど、俺がそんなことをしないのを見透かしているのか嬉しそうに笑っている。

 その笑顔を見つめながら、本当に俺が望んでいることやそのためにやりたいことを、反対しているかもしれない彼に包み隠さずに話せるんだろうかと思っては胸が苦しくなるのだった。

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