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last update Last Updated: 2025-06-14 17:00:03

 コウノトリプロジェクトの治療を始めたとはいえ、やっていることは薬を飲むことだけなので、いまのところ生活にも体調にも大きな変化はない。毎食後に投薬すること以外、俺の生活にも取り巻く景色にも変わったところは見当たらない。

 基本的に、自宅で歌の録音をしたり曲作りをしたりしている日々なので、人に会わないとなるととことん会わない生活だ。ちょうど朋拓の仕事も繁忙期に入ったとかで連絡がメッセージアプリ経由ばかりだ。

 なんだ、思っていたよりはたいしたことないな――そう、思い始めて五回目の診察日を控えた前日の夜だった。

「……ごめん、ちょっと、今日無理かも」

 久々に、いつものように朋拓の部屋に遊びに行って、デリバリーの食事をとって映画を見ながらじゃれ始めたのだけれど、妙に胸やけがして気持ちが悪くて、俺はキスをしてくる朋拓をそっと押しとどめる。

 吐きそうだけれど、そこまで込み上げていない中途半端な気持ち悪さで、とてもセックスできそうになく、俺は押し倒されて横たわったまま寝返りを打つ。

 朋拓は心配そうに俺の額を撫でていて、「大丈夫? 救急とか行く?」と、スマホを手のひらに起動させておろおろしている。

「大丈夫、そこまでないから……」

「顔色悪いな……水分取った方がいいんじゃない?」

「じゃあ、水ちょうだい」

 オッケー、と言いながら朋拓がいそいそとキッチンの方に向かった隙に、俺は服のポケットからいつもの薬を取り出し、口に含む。おそらくこれのせいで具合が悪い気がして、やっぱり治療のことを言えないと思った。

 朋拓が水入りのグラスと何かを持って戻ってきて差し出してくる。

「なにこれ?」

「痛み止め。頭とか痛かったら飲んだらどうかなって思って」

「頭は痛くない。平気だよ」

 そう言ってひったくるようにグラスを受け取り、一気に半分ほど飲み干す。ごくりと喉を薬が通っていくのを確認できると、俺はホッとする。

 そうして気遣いのお礼の意味を込めて朋拓の頬に口付けてやると、朋拓は子どもみたいに嬉しそうに笑った。

 だけど、それ以外にも仕事の合間を縫って投薬することは、思っていたよりも面倒であることにすぐに気付かされる。自宅での作業のときはいいのだけれど、ごくまれにリアルにスタジオに入ってバンドと合わせてレコーディングだ、リハだ、ってなると、なかなかひとりきりになれる時間がないからだ。

 現場で俺は正体を隠すために他のメンバーとは別室扱いなんだけれど、それでも一部のスタッフがうろうろしている時もあるから、見計らって投薬している感じだ。

「唯人、もう一か所ね」

 ディーヴァとして、レコーディングとライブのリハーサルが重なる日が時たまある。三ヶ月連続リリースなんてしているいまは、特にほぼ毎日がレコーディングとリハーサルで、朝から晩まで唄っているようなもんだ。

 そして今日は、そのダブルブッキングの中でも一番神経を使う現場が重なっている。一緒に仕事をするアレンジャーがなかなかのクセものなのだ。

「……うん。でもちょっと休憩したい」

「いいけど、もう三十分押してるから、車の中で寝てくれる?」

 悪いけど、と平川さんから言われながら急かされるように立ち上がらせられ、よろよろと俺はマスクとサングラスとニット帽を身に着け、スタジオを出て行く。窓のない閉鎖的な建物の外は、いつのもの変わらない陽射しが降り注いでいる。

「平川さん、いまって昼?」

「正確には午後の四時。ほら行くよ、アレンジャーさん達お待ちかねらしいから」

 車に押し込められるように乗り込み、ついでにコンビニのパンとジュースを渡されて食事をいま取れと言われたけれど、なんだか食欲がない。

 食欲がないというか、こんな安くてパサパサの人工栽培もののパンと甘いだけのジュースより、もっとさっぱりしたものが食べたい。アイス……シャーベットの様なようなひんやりしてすぅっとするものがいいな、と俺は思いつつとりあえずジュースを飲む。

 移動の車の中で食事と休憩と睡眠、そして、パンと一緒に渡された楽譜の映し出されたタブレットを見ながら、リハの予習もする。勿論イヤホンでは音源も同時再生をし、唄いもする。

 普段ならどうってことのないスケジュールで、俺はそのすべてをこなせる。それなのに……今日は何故か手許の楽譜を見るだけで目が回ってしまう。

「なんかね、二曲目をバラードのあれにしようって言ってるんだけど、どうする?」

「……ちょ、っと待って……なんか、気持ち悪い……」

「そんなに? ……唯人? 大丈夫? 顔真っ青だけど」

 俺は口元を抑えて首を横に振り、どうにか腹の中をぶちまけないように堪えることしかできない。

 平川さんは手際よく車を路肩に停めて俺を外に連れ出し、すぐそばの植え込みの陰に連れて行ってくれた。連れていかれた途端、限界だった口の中が地面にぶちまけられ、手や服が汚れていく。

 車からウェットティッシュとかを持ってきてくれた平川さんに、口許や汚れた服を拭ってもらいながらも、俺はその場から立ち上がることができなかった。|目眩《めまい》がしていたのだ。

「唯人、病院行こう。帝都大なら近くだから」

「大丈夫、吐いたらすっきりしたから」

本当に気分はすっきりしていたし、喉も痛くなかったのだけれど、「現場に行ける」という俺を制し、そのまま平川さんに車で家まで連れ帰られることになり、その日の仕事は急きょキャンセルされた。

家に帰り着いたら無意識に体に入れていた力が抜けたのか、急激にふらついてしまい自分の認識の甘さを思い知る。

だから自分からも現場にお詫びの連絡を入れ、平川さんにスケジュール調整を任せて今日は休むことにした。

「着替えはここね、まだ吐く?」

「いや、もう大丈夫……気持ち悪いけど……」

「水分をいっぱい取って。何か食べたい物とかある?」

「ない……さっぱりしたもんがいい……」

「オッケー、じゃあ寝といてね」

 部屋に担ぎ込まれるように連れ帰られてベッドに寝かされて、慌ただしく水分と着替えを枕元に置かれたかと思うと、平川さんはそのまま行くはずだった現場に改めて頭を下げに行った。いくらリモートでの関わりが増えたとはいえ、足を運んでの謝罪は誠意が見えるので今の世の中でも良く行われるらしい。

 ディーヴァとしては初めてのリスケになってしまった。常に万全で臨んでいたのに、少しホルモン治療が進んだだけでこんなになってしまったのが自分でもショックだったし情けなく思えた。心身の状態に関わらず唄えなければディーヴァと名乗ることは出来ないと思っているから。

 平川さんからすぐに連絡が入り、現場は多少困惑していたけれど、数日後にスケジュールを取り付けられたという話を聞いてひと安心した。

「ごめんなさい、平川さん……イヤなこと言われてない?」

「大丈夫。これがマネージャーの仕事だからね。唯人は兎に角今日は休んで、体調を戻して」

 そう話をしているさなかに朋拓から連絡が入った。先日会った時に薬を飲んでいるところを見たからか、体調が心配なんだという。

『いま近くいるんだけど家行こうか? 大丈夫?』

「え、なんで?」

『なんでって……なんか唯人、いま具合悪そうな感じだし』

 うっかりアバターでなく、ホログラム表示で通話に出てしまったので、相手の顔が鮮明に映し出される状態では顔色などの様子を誤魔化しようがなく、朋拓にそう心配されても仕方がない。

 なんか買ってくものあるなら買っていくけど? とまで当然のように言ってくる朋拓の親切心が普通なら有難いのだろうけれど……いまの俺の頭には、マネージャーの平川さんと鉢合わせして余計な話を――例えばコウノトリプロジェクトの話なんかを――勝手にされないかが気がかりになって朋拓の申し出を素直に受けていいか迷ってしまう。

 だから、大したことないから大丈夫、とでも言って通話を切ればよかったんだと思う。何時頃になるかはわからないけれど平川さんがまた帰ってきて何か買ってきてくれるかもしれないし。

 それなのに、その時の俺は滅多にない具合の悪さと、朋拓に隠し事をしている後ろめたさがあったからだろうか、つい、こう口をついていた。

「……ごめん、朋拓、来て」

 口走ってしまってからヤバい、と思ったけれどその時には既に朋拓が今から行くからと言いだしていたから後に引けない状態で、しかたなくそのまま来てもらう羽目になった。

 それから五分くらいしてインターホンが鳴り、這うような思いで応答すると平川さんよりも早く朋拓が到着する。どっちが先の方がいいだろうかと思ったけれど、いまはもはや具合が悪すぎてもうどうでもいい気もしていた。

「唯人、真っ青じゃん! 大丈夫……じゃないか。寝ときなよ」

「あーうん……」

「やっぱこの前から具合悪かったんだな……あれもやっぱサプリじゃなくて薬なんだろ?」

 朋拓は買ってきてくれたらしいスポーツドリンクやゼリー飲料、温めなくても食べられるレトルトのお粥やカップの麺類なんかをエコバックから取り出しながらそう訊ねてくるのだけれど、俺はどう答えるべきか迷って口をつぐんでしまう。それを朋拓は具合の悪さだと思っているのか、答えも聞かないで俺を寝室へと追い立てていく。

 俺をベッドに寝かせて、手際よく熱さましのジェルシートを貼り付けたりしながらさり気なく熱がないかを確認してくる。

「……手際いいんだね」

「まあねぇ。親が仕事でいないこと多かったからさ、弟や妹が熱出すと俺が面倒見てたんだよ。シッターロイドより上手くスープくらい作れるけど、食べる?」

「うん、食べたい」

 普段ならそんなこと言わないはずなのに、一人具合が悪くなって心細かったのかついそんな返事をしていた。

 朋拓も俺の返事が思いがけなかったのかびっくりしていたけれど、すぐに嬉しそうにうなずいて立ち上がり、「ちょっと待ってて!」と言ってスープ作りに取り掛かり始めた。

 やっぱりいまここで平川さんと鉢合わせしたら色々面倒になるかもな……と思ったので、メッセージアプリで平川さんに正直に朋拓が来てくれたことを告げてウチに寄らなくてもいいと言った。

 返事はすぐに来て、平川さんは怒ってはいなかった。むしろ、「いい機会だからちゃんと色々話をしたらいいんじゃない?」とまで言われ、かえって具合が悪くなりそうになりつつも、とりあえず朋拓が平川さんと鉢合わせして俺的に軽く気まずくなることは避けられたので、ゆっくりと俺はベッドに身を沈めることにした。

「唯人、スープ出来たけど食べられそ?」

 どれくらい寝ていたんだろう。さっきより気分がだいぶすっきりした頃、朋拓が顔を覗き込んで声をかけてきた。それと同時に鼻先にはあたたかでやわらかい良いにおい。

 俺は人が作ってくれた手料理なんて小さい頃に施設にいた時に少しだけ食べたことがあるくらいで、あとはほとんど出来合いのパックの食事とか、昔ならコンビニとかの残り物をもらってきていたような生活だったから、本当の手料理の良いにおいなんて随分久しぶりに嗅いだ。

「……いいにおい」

「有機野菜買えなかったけど、美味そうなのできたからさ、一緒に食べよう」

 そう言って朋拓はリビングのソファまで俺を連れて行き、出来立てのスープを運んできてくれた。それはカフェボウルにいっぱいの鶏肉や野菜が盛り付けられた具沢山のスープで、透き通る液体がふわふわと湯気と立てている。

「俺の実家ではね、具合悪い時はこの鶏肉のスープなんだよ。消化にも良いから、ゆっくり食べなよ」

 促されるままにひと掬い口に運ぶと、やさしくて体の中がホカホカとあたたかく明るくなっていくような味がした。

 こんなにやさしくてあたたかで美味しいものを食べた記憶なんてほとんどないのに、何故かすごく懐かしくて、俺はうっかり泣きそうになっていた。

「……おいし」

「マジで? やったー。俺も食おう」

「うん、美味いねぇ」満面の笑みでそう言いながら豪快にスープをかっ込んでいく朋拓の姿が、泣きそうになっている俺の胸に沁みていく。

 こうして彼と、彼と俺の血を受け継いだ小さな存在と、一緒に何かを分かち合っていきたい――あたたかなスープをひと掬いずつ飲み下しながら、俺はその想いを強くしていった。

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