ログイン東湊市に名を轟かせる御曹司、瀬戸颯介(せと そうすけ)には、ある有名な「一ヶ月ルール」があった。 どんなに気に入った女でも、付き合うのは一ヶ月が限界。 それでも、彼にすがりつこうとする女は後を絶たなかった。 気に入られれば別れ際に別荘一軒。気に入らなくても、十分な「お仕置き金」が貰えるんだから。 私が森野瑠奈(もりの るな)。颯介の妻である。 周りの人間はみんな、陰で笑ってる。世界一の、形だけの「奥様」だって。 誰もが思ってた。私は一生、じっと耐え忍ぶんだろうって。 ――彼が、鈴木奈緒(すずき なお)という女子大生を、初めてこの家に連れ込むまでは。 どこにでもいそうな、ごく普通の顔。なのに、彼はその子のためだけに、あの「一ヶ月ルール」を自ら壊した。 そして、颯介は私に言い渡した。 「選択肢二つある。選べ。 一つは、オープンな関係を受け入れて、奈緒と同等に妻としてやっていくこと。 もう一つは、離婚して資産の半分を持ってさっさと出て行くこと。それっきり、一切の縁を切る」 友人たちの視線が、肌に刺さる。 きっと、この女は金のためにまた我慢するんだろうな……そう読まれていた。 ……前世でも、確かに私は我慢した。耐え抜いた。 その果てに待っていたのは、奈緒の、とどまることを知らない要求だった。 彼女は颯介に、私に触れることすら許さなかった。 財産を分け与えることなんて、もってのほか。 年を重ねて、私はただぼんやりと、奈緒が子や孫に囲まれて笑っているのを見ていた。 颯介が死んだ時でさえ。遺言書には、私の名前の一片すら、なかった。 全ては奈緒のもの。 「瀬戸家の夫人」の地位だけを必死に抱きしめて、私はただ、孤独に朽ちていくだけの人生を送った。 人生をやり直した今、やっとわかった。 さっさと金をもらって、すっぱり縁を切ろう。 これからの人生、彼とはもう二度と関わらない。
もっと見る徹は慌てて説明し始めた。「違うんだ!過去のことを盾にするつもりはない……気にしないでくれ。もし俺のこと好きじゃないんだったら、支援した過去なんか気にしなくていいから……!」徹の気まずそうでどこかかわいらしい様子に、私の心にあったモヤモヤが一気に晴れた。思わず、ふっと笑い声が漏れた。「そんなこと、ないわ」口調を柔らげ、徹の手首を握ったまま、離さなかった。「ただ……あなたと、ちゃんと食事がしたいと思って」徹の瞳をまっすぐ見つめ、改めて真剣に尋ねた。「だから……私と、夕食を共にしてくれる?」私のまっすぐな視線を受け、徹の頬がだんだんと赤く染まっていった。そして、そっと、うなずいた。瀬戸グループの海外プロジェクトに、いくつか厄介ごとを仕込んだ。颯介を忙しくさせ、私に構っている余裕をなくすためだ。瀬戸グループは、既に基盤から蝕まれていた。私の小さな仕掛けは、最初の一枚のドミノを倒したに過ぎない。瀬戸グループの株価は、何の前触れもなく急落した。進行中の大型案件は次々と問題を露呈し、取引先は相次いで撤退。資金繰りはたちまち行き詰まる。銀行からの督促状は山積みになり、瀬戸家の邸宅前では連日、債権者が押しかけた。かつて颯介に盲従していた奈緒は、瀬戸グループが破綻寸前と知るや、すぐに離婚調停を申し立て、颯介の財産分割を要求した。二人の醜い争いは、街中の噂となった。かつての仲睦まじい夫婦は、今や法廷で争い、互いに噛みつきあう醜態を晒す。東湊市中が颯介の失態を嘲笑った。目がなかったと、あの場違いな女を妻にしたと。徹とデートしている最中、スマホに流れてくる速報で、私はこれらのニュースを知った。ちらりと目を通すだけで、すぐに画面を消した。――古い話は、もう終わった。私が気にかけるのは、目の前に座る徹のことだけだった。二人の関係は、食事、映画、美術館巡りを重ねるうちに、ゆっくりと温まっていく。クリスマスの日、東湊市に冬初めての雪が降った。私はスカイレストランを貸し切った。巨大な窓ガラス越しに、街全体のきらめく灯りを見下ろせる。徹はオーダーメイドのスーツを身にまとい、私の正面に静かに座っていた。窓外の雪明かりが柔らかく彼の横顔を照らし、ひときわ輝いて見えた。優雅なヴァ
颯介の顔色が一変した。「黒崎……なぜここにいる?」徹は冷ややかに笑った。「俺がいなかったら、お前が俺の名をかたって、瑠奈を脅迫するなんて、知らずに済んだんだからな」颯介は虚勢を張って叫んだ。「で、でたらめを言うな!黙れ!瑠奈を援助したのは、紛れもなく俺だ!」徹はスマホを取り出し、数回スクロールさせて私の目の前に掲げた。「そうか?これは俺が当時、匿名の慈善団体を通して、瑠奈の高校から大学までの口座に送金した全記録だ。瑠奈を支援してきたのは、ずっと俺だ」私の頭が真っ白になった。画面には、一通一通の送金記録がはっきりと表示されていた。日付、金額、どれもが当時私が受け取った支援金と寸分違わない。受取するのは私の口座。ずっと、助けてくれたのは颯介だと思っていた。大学一年の時、颯介が自ら近づいてきて、匿名の支援者は自分だと告げた。その「恩義」に感激し、卒業後は迷わず颯介の会社に入った。その「感謝」が、颯介への好意へと変わった。颯介が幾度となく私の尊厳を踏みにじった時でさえ、我慢していた。――これが私の負い目だと思っていた。……最初から、全て嘘だったんだ。颯介はなおも頑なに強情を張って、反論した。「俺が大学四年間もお前につき添い、励ましてやったことは、精神的支援じゃないのか!」そして、再び感情的な口調に変えた。「たとえ最初の支援が俺じゃなくても……俺たちは十年も夫婦だったんだ!その情けだけで、一度ぐらい助けてくれないのか?お前のあの不倫のことは水に流す。だからお前も、俺を一度許してくれ。これからは、まっとうに暮らそう……いいだろ?」私は冷笑した。まだ自分の論理で私を縛ろうとしているのか。「いつまで私を馬鹿だと思い続けるつもり?」私の声は大きくはなかったが、応接室の空気全体を凍りつかせた。「あの夜……私が酔いから覚めた時、ベッドにいた男、あなたが仕組んだんでしょ?私が飲んだ、薬を入れられたあの水さえ……あなたが準備したのよね?」颯介の顔が、瞬時に青ざめた。私は落胆したように首を振った。心に最後まで残っていた未練も、それで消え去った。「人生で一番後悔していることは、あなたのような嘘つきの男と一緒になったことです」この一言が、颯介を決定
眉をひそめた。「もしただ颯介を苛立たせるためなら、私に時間を費やす必要はないよ」徹の目がきらりと輝き、少し子供っぽい得意げな表情を浮かべた。「俺、そんなにつまんない人間じゃないよ!本当に、君のことが好きなんだ」その視線が熱すぎて、思わず後ずさりしようとしたが、彼がさっと私の袖を掴んだ。徹の指は長く、温かな感触があった。そっと袖を掴み、軽く揺らしながら、声を柔らかく甘えた口調で言った。「一緒に食事しようよ。頼むから」ウインクをして、声を潜めて言った。「颯介の秘密、教えてあげるからさ」私はなぜか、徹の誘いにうなずいてしまった。「……いいわよ」――ドン!鈍い衝撃音が響き、二人ともはっとした。受付の社員が慌てて後を追いかけていた。「社長、すみません!この方が無理矢理に……止められなくて」私は手を挙げ、まずは下がるよう合図した。視線は、入り口にたむろする集団に向けられた。先頭にいるのは車椅子の男――颯介だった。ほんの数日会わないうちに、颯介は全ての活気を奪われたかのように、顔色は土気色で、目は落ち窪んでいた。「瑠奈……迎えに来た。家に帰ろう」彼を見つめても、私の心に一片の揺らぎもなかった。ただ、仕事を邪魔されたという不快感だけ。手を伸ばし、内線電話のボタンを押した。「警備部、至急応接室に来てください。許可なく侵入してきた人を全員退去させて」颯介の身体がこわばった。私がここまで冷酷に対応するとは、思ってもみなかったのだろう。彼の目尻が一瞬で赤くなった。「よくも、俺にそんなふうにできるな。この数日でわかったんだ……やっぱりお前こそが一番ふさわしいって!奈緒とは、もう離婚するって話し合った。俺のところに戻ってくれ……頼む」もし前世の私なら、彼のこの弱々しい姿を見て、きっと心が揺らいだだろう。けれど今、私に感じるのは――ただの騒音。私の声は冷たい氷のようだった。「あなたが誰と結婚しようが、誰と離婚しようが、私とは関係ない。今後は、私の人生に干渉しないで」言葉に込めた断絶に、彼の顔には深く傷ついた表情が浮かんだ。「これだけ長く連れ添った夫婦の情け……全部、偽りだったって言うのか?俺に一度のやり直しの機会もくれないのか?」信じられない
「黙れ!」颯介の声は突然鋭く高まり、わずかにヒステリックな響きを帯びた。「君が会社をめちゃくちゃにしなければ、俺がそんなにまでして瑠奈に頭を下げに行く必要があったか?」「私だって……」奈緒がまだ反論しようとしたその時、病室のドアが開いた。松子が保温容器を手に入室し、散乱した破片と息子の青ざめた顔を見て、瞬時に怒りを露わにした。「本当に、ますます図に乗りすぎよ!」保温容器をテーブルに叩きつけると、奈緒を叱りつけた。「颯介の体調が悪いのが見えないの?こんなところで騒いで、みっともない!」松子は言えば言うほど気が立ってくる。「瑠奈がいた頃は、とっくに家で栄養食を作ってきていたよ。あなたみたいに、発狂するばかりじゃない!」奈緒は瞬間的に逆上し、冷ややかに鼻で笑った。「私は瑠奈とは違う!あんな下働きみたいな仕事、やりたくない!」腕を組み、頑なに首を突っ張って反抗する。「使用人はたくさんいるくせに、わざわざ私が手作りしろと?揚げ足を取って、私を貶めるために瑠奈を持ち出すんでしょ!」そして、お腹をさすりながら言い放った。「私は妊娠してるのよ!いらないって言うの?」松子は全身を震わせて怒った。「……よくも言うよ!あなた、颯介のために一体何をしたの?金を使うことと、問題を起こすこと以外に、何ができるっていうの!」「そんな言い方嫌よ!」颯介は体を起こし、ベッドサイドの枕を掴むと、全身の力を込めて二人に向かって投げつけた。「二人とも……出て行け!」病室は一瞬、水を打ったような静寂に包まれた。松子も奈緒も、ただ呆然とする。颯介は力尽きたようにベッドに倒れ込み、顔を布団に押し付けた。押し殺した嗚咽が、鈍く響く。――颯介は初めて、瑠奈と離婚したことに後悔の念を覚えた。瑠奈がいた頃、会社は決して失態を犯さず、家も常に整然としていた。……今は?奈緒が引き入れた無能な親戚たちのせいで、会社は失敗を繰り返している。いくつものプロジェクトが頓挫した。異変に気付いた時には、有能な幹部社員のほとんどが既に去っていた。かつて奈緒を褒めそやした両親でさえ、今では不満と愚痴ばかり口にする。生活は、まるで数年前――会社が倒産の危機に瀕していたあの頃に逆戻りした。ただ、あの時
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