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記憶を失った婚約者は、かつての想い人に恋をした

記憶を失った婚約者は、かつての想い人に恋をした

By:  ゆたかCompleted
Language: Japanese
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婚約パーティーまで、あと1週間。突然の交通事故が、私・森川美由希(もりかわ みゆき)の幸せな未来への夢を打ち砕いた。 藤崎遼平(ふじさき りょうへい)は頭にけがを負い、婚約者である私のことだけを忘れてしまった。 よろめきながら病室へ駆けつけると、彼はかつての想い人を抱き寄せたまま、ボディーガードに私を追い出すよう命じた。 「どこの目の見えない女だ?俺の婚約者をかたるなんて、いい度胸だな!」 目の見えない女? 彼が忘れたのは、愛していた相手が私だということだけじゃない。 その左目の角膜が……私のものだということまで、忘れてしまったのだ。

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Chapter 1

第1章

「森川美由希さんでいらっしゃいますか?藤崎遼平さんが交通事故に遭われました。緊急連絡先が森川さんになっているんですが、至急、病院へお越しください」

「はい、すぐ伺います」

私は震える手で電話を切り、気が気でないまま病院へ急いだ。

「ミユ?」

胸に喜びが広がった。私のこと、忘れていなかったんだ!

頭に巻かれた包帯を見ると胸が痛み、声が詰まった。急いでそばに寄り、抱きしめようとしたけれど、傷に触れてしまいそうでためらう。

「遼平、すごく心配したんだよ。痛かったでしょう」

ところが、彼は嫌悪をあらわにして私を避けた。

「失せろ!」

私はその場で固まった。

そのとき、病室のドアが再び開いた。

顔を上げた彼の表情から険しさが消え、隠しきれない喜びが浮かぶ。

「ミユ、来てくれたんだ!今すぐ人を呼んで、どこの誰だか知らないが、目の見えないこの女を追い出すから」

胸に針を刺されたようだった。

振り返ると、入り口に私とよく似た顔の女性が立っていた。私はさらに身をこわばらせた。

「その人、誰?」

薄々察しはついていた。それでも、聞かずにはいられなかった。

遼平は、まるで知らない人を見るような目を私に向けた。そこには、隠しようもない嫌悪があった。

「お前こそ誰だよ。彼女のことを聞く立場がないだろう?!3秒以内に出ていけ!」

そう言うと、私の後ろにいる女性へ優しく両腕を広げた。

「そんなひどい顔で、俺の大事な彼女を怖がらせるな」

彼女はその腕の中へ歩み寄り、遼平はそのまま抱き寄せた。

「相沢美優(あいざわ みゆ)です。あなたは?」

彼の胸に身を寄せたまま、美優は柔らかな声で尋ねた。けれど、その目は挑発的だった。

遼平が愛おしげに彼女の唇の端へキスを落とす。

「相手にするなよ。どうせ下心があって来た目の見えない女だ。ミユは俺だけ見てればいい」

「もう、遼平さんったら」

美優の目に喜びが浮かび、恥ずかしそうに顔をほころばせた。

2人がいちゃつく姿を見るのが、たまらなくつらかった。

何より耐えられないのは、本当の婚約者である私を忘れたのに、なぜ美優とはこんなにも親しいのかということだった。

ほんの数時間前まで、傘を忘れないよう気遣ってくれた人が、今は私によく似た別の女性を愛おしげに見つめている。どうしても受け入れられなかった。

それでも、頭の包帯を見て必死に深呼吸をした。問い詰めたい気持ちも、2人を引き離したい衝動も、どうにか押し込めた。

顔が似ていることも、彼女がここにいる理由も、考えないようにした。

「遼平、私はあなたの婚約者……」

ようやく気持ちを整え、落ち着いて事情を話そうとしたとき、ドアが勢いよく開いて、びくりと肩が跳ねた。

彼はやっと美優から目を離し、私を一瞥した。

「こいつをつまみ出せ!」

私は目を見開いた。

ボディーガードの2人は一瞬ためらったものの、私の手をつかんで外へ引きずり出そうとした。

必死に抵抗した。でも、大柄な2人にはまるでかなわず、ついに叫んだ。

「私はあなたの婚約者なの!」

遼平は眉をひそめ、一瞬ぼんやりした目をした。そして、2人に手を止めるよう合図した。

「お前が、俺の婚約者?」

希望が湧き、私は慌ててうなずいた。

「そう!あと1週間で婚約パーティーを開くでしょう」

美優が彼を抱きしめ、なだめるように声をかけた。

「遼平さん、どうしたの?また頭が痛む?」

彼の目に焦点が戻った。

次の瞬間、私は容赦なく放り出された。床に激しく体を打ちつけ、腕の皮膚が広く擦りむけて、焼けるように痛んだ。

ドアが閉まる直前、彼のせせら笑う声が聞こえた。

「婚約者だって?よく言えたもんだな。自分の顔を鏡で見たことないのか」

そして、声が甘く変わった。

「俺の婚約者はミユだけだよ。そうだろ?」

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第1章
「森川美由希さんでいらっしゃいますか?藤崎遼平さんが交通事故に遭われました。緊急連絡先が森川さんになっているんですが、至急、病院へお越しください」「はい、すぐ伺います」私は震える手で電話を切り、気が気でないまま病院へ急いだ。「ミユ?」胸に喜びが広がった。私のこと、忘れていなかったんだ!頭に巻かれた包帯を見ると胸が痛み、声が詰まった。急いでそばに寄り、抱きしめようとしたけれど、傷に触れてしまいそうでためらう。「遼平、すごく心配したんだよ。痛かったでしょう」ところが、彼は嫌悪をあらわにして私を避けた。「失せろ!」私はその場で固まった。そのとき、病室のドアが再び開いた。顔を上げた彼の表情から険しさが消え、隠しきれない喜びが浮かぶ。「ミユ、来てくれたんだ!今すぐ人を呼んで、どこの誰だか知らないが、目の見えないこの女を追い出すから」胸に針を刺されたようだった。振り返ると、入り口に私とよく似た顔の女性が立っていた。私はさらに身をこわばらせた。「その人、誰?」薄々察しはついていた。それでも、聞かずにはいられなかった。遼平は、まるで知らない人を見るような目を私に向けた。そこには、隠しようもない嫌悪があった。「お前こそ誰だよ。彼女のことを聞く立場がないだろう?!3秒以内に出ていけ!」そう言うと、私の後ろにいる女性へ優しく両腕を広げた。「そんなひどい顔で、俺の大事な彼女を怖がらせるな」彼女はその腕の中へ歩み寄り、遼平はそのまま抱き寄せた。「相沢美優(あいざわ みゆ)です。あなたは?」彼の胸に身を寄せたまま、美優は柔らかな声で尋ねた。けれど、その目は挑発的だった。遼平が愛おしげに彼女の唇の端へキスを落とす。「相手にするなよ。どうせ下心があって来た目の見えない女だ。ミユは俺だけ見てればいい」「もう、遼平さんったら」美優の目に喜びが浮かび、恥ずかしそうに顔をほころばせた。2人がいちゃつく姿を見るのが、たまらなくつらかった。何より耐えられないのは、本当の婚約者である私を忘れたのに、なぜ美優とはこんなにも親しいのかということだった。ほんの数時間前まで、傘を忘れないよう気遣ってくれた人が、今は私によく似た別の女性を愛おしげに見つめている。どうしても受け入れられなかった。それで
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第2章
本当に、私のことを覚えていないんだ……悔しさと悲しさを懸命にこらえて床から立ち上がると、慌ただしい足音が聞こえてきた。「ちょっと、美由希!何しに来たの!」腕を強くつかまれた。ちょうど、さっき擦りむいたところだった。「遼平は記憶を失って、あなたのことも忘れたって言ったでしょう!刺激を与えちゃいけないって先生もおっしゃってるのに、どうして来るの?あの子を苦しめたいわけ?」私はやっとの思いで、その手を振りほどいた。遼平の母親、藤崎恵子(ふじさき けいこ)だった。恵子は以前から私を嫌っていた。私が遼平に角膜を提供したあの日から、彼女の態度は軟化するどころか、むしろより一層冷酷になった。私のような身分の人間は息子にふさわしくないと、ますます邪険にするようになった。「おばさま、私はただ、遼平の様子を見たくて……」恵子は私の左目を嫌そうに見た。「来てもらわなくて結構よ。美優さんがいるから」「美優さんをご存じなんですか?」私ははっと顔を上げた。恵子の表情が一瞬ぎこちなくなった。だがすぐに、その目に鋭い警告の色を宿した。「美優さんが世話をしてくれたほうが、遼平だって喜ぶわ。高校時代から好きだった相手だもの。あんなことさえなければ……」胸がまたざわついた。けれど、恵子はそこで言葉を切った。「とにかく、あなたは必要ないの。早く帰って」返事をする間もなく、強く押しやられた。手術を受けてからずっと体調が優れない私は、数歩よろめき、危うく転びそうになった。結局、私はそれ以上何も言わなかった。……病院を出たあと、あてもなく街を歩いた。やりきれなさが波のように何度も胸へ押し寄せ、涙がこぼれた。左目に焼けるような痛みが走る。遼平とは大学で出会い、恋に落ちた。卒業後は一緒に事業を始めた。地下の部屋で寝泊まりし、1日3食、具のないおにぎりだけでしのいだこともある。仕事の付き合いで酒を飲み、胃から出血したこともあった……苦しかった。それでも、あの頃は幸せだった。努力が実り、事業は少しずつ軌道に乗り始めた。そんな矢先、遼平の左目に異常が見つかった。角膜を取り除くしかないという。すっかり気力を失った彼を見ると、胸を強く締めつけられるようだった。そんな姿を見ていられず、私は自分の左目の角膜を彼に提供した。
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第3章
医師によると、遼平のけがはそれほど重くないという。ただ、記憶が戻るとは言い切れないらしい。昔の出来事を少しずつ話してあげると、思い出す助けになるそうだ。だから私は、彼が以前大好きだった鯛のあら汁を作ってきた。病室の前にボディーガードの姿はなく、ほっと息をつく。けれど、ドアノブに手をかけた途端、中から妙な声が聞こえた。「もう、遼平さん、いじわる……」美優の声だった。頭が真っ白になり、勢いよくドアを開けた。「きゃっ!」「出ていけ!」――ガシャン!遼平が投げつけたグラスが私の足元で砕け、中の水が体に飛び散った。病室の中が目に入る。遼平の腕の中にいる美優は服が乱れ、唇が赤く腫れていた。ついさっきまで何をしていたのか、ひと目でわかった。胸が締めつけられ、手の震えが止まらなくなった。私は苦く笑った。「遼平、私はあなたの婚約者なんだよ!こんなことして、私を何だと思ってるの?」彼は美優を背にかばい、冷たい目を向けた。「お前が?」口の端をつり上げる。「そういえば、名前は何だっけ?」また胸が痛んだ。「森川美由希」「そうか、森川美由希な。はっきり言っておく。俺の婚約者になるのはミユだけだ。愛してるのも、ミユだけだ」彼は品定めするように私を見た。「鏡を見てみろよ。お前のどこを好きになれっていうんだ?」彼は鼻で笑った。「その見えない目か?荒れた手か?それとも、その日焼けした肌か?ああ、それと、もう白いワンピースを着るのはやめてくれないか」嫌悪をむき出しにする。「見てるだけで気持ち悪い。ミユの隣に立つなんて、彼女への侮辱だろ」胸の中が空っぽになり、思わず1歩後ずさった。この目が見えないのは、彼のため。手が荒れたのは、一緒に事業を立ち上げた頃の苦労のせい。肌が日に焼けたのも、彼の負担を少しでも減らしたくて、自分から顧客回りを引き受けたからだ。白いワンピース……心臓が激しく鳴り始めた。前は……私が白いワンピースを着るのを、あんなに喜んでいたのに……そのとき、服を整えた美優が彼の背後から出てきた。彼女が着ているのは、まさに白いワンピースだ。まるで私に危害を加えられそうだと言わんばかりに、遼平の服の裾をつかんでいる。「美由希さんって、お呼び
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第4章
「証拠ならある」考える間もなく、胸の痛みをこらえて彼を遮った。本当の婚約者は私なのに、どうして美優の前で必死に証明しなければならないのだろう。私は目を閉じ、感情を抑えた。記憶さえ戻れば大丈夫。2人で過ごした証を見れば、思い出してくれるかもしれない。「証拠があるんですね。よかった」美優は、本当に私のために喜んでいるように笑った。ゆっくりと近づいてくる。「見せていただけたら、遼平さんもきっと喜びますよ」遼平はずっと彼女を目で追い、不満そうなふりをして言った。「俺の婚約者はミユだけだって」胸は痛すぎて、もう感覚がなかった。美優の目には勝ち誇った色が浮かんでいた。遼平に背を向けて立っているので、彼には見えない。その場を離れようとした瞬間、美優が急に歩み寄り、わざと保温容器をひっくり返した。熱々の魚のスープが残らず私の手にかかり、たちまち水ぶくれができた。「あっ!」「ミユ!」手の激痛から立ち直る間もなく、私は強く突き飛ばされ、床に倒れた。遼平は美優をいたわるように抱きしめ、今にも怒りが噴き出しそうな目で私をにらんだ。「このクズ!ミユはお前を気遣ってるのに、けがをさせる気か!」体も心も痛かった。涙が目にたまり、視界がにじむ。「私じゃない!私は……」言い終わる前に、またボディーガードに乱暴に放り出された。痛みをこらえて涙を拭き、急いで家へ戻った。婚約者だと証明できるものを、一刻も早く見つけたかった。7年も一緒にいたのだから、証拠など簡単に見つかると思っていた。けれど、家中を探しても、見つかったのは2人で写った写真1枚だけだった。それも、卒業式の日に同級生がこっそり撮ってくれたものだ。もらったときは本当にうれしかった。わざわざ選んだ写真立てに入れ、毎朝目が覚めたら見られるよう、枕元に飾ったのを覚えている。あちこち探すうちに、手の水ぶくれがいくつも破れていた。痛みで震える指でメッセージの履歴をさかのぼる。彼からの返信はほとんどなかった。画面は私からの言葉で埋まり、何十件も送って、ようやく1件返ってくる程度だった。ほかに手はなく、私はその写真を持って病院へ急いだ。ところが病室は空っぽで、彼がすでに退院したと知った。もともと大したけがではない。本人が帰宅を望めば、無理に
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第5章
遼平は一瞬ぼんやりした表情になり、眉を寄せて、手元の書類を食い入るように見つめた。私の胸に、また希望が灯った。「遼平、私……」「遼平さん、これ、何?」美優が手を引くと、彼ははっと我に返った。目に浮かんでいた迷いが、たちまち怒りに変わる。「森川美由希。お前が俺に角膜を提供したとでも言いたいのか?」冷え切った表情に、胸がひやりとした。「はっ」彼はせせら笑った。声まで冷たかった。「あのときはミユが必死に探して、俺に合う角膜を見つけてくれたんだ。先に聞いてなかったら、お前にだまされるところだったよ」書類を顔に投げつけられた。紙の端で頬が切れ、血がにじんだ。「こんなことまででっち上げるなんて、本当に手段を選ばないな!」もう何を言えばいいのかわからず、私はぼう然と立ち尽くした。隙をついて、美優が私のバッグを奪った。「遼平さん、こんな書類まで偽造するんだから、まだ何か持ってるかもしれないわ。これ以上、人をだまさせちゃだめよ!」「私はだましてなんかいない!」バッグを取り返そうとしたけれど、遼平にまた強く突き飛ばされた。床に散ったガラスが体に刺さり、あちこちから血が流れた。美優は憤ったふりをしながら、目には得意げな色を浮かべ、バッグの中身を乱暴に床へぶちまけた。「この薬だって、きっと偽物よ」止める間もなく、目の治療薬をごみ箱にあけられた。力が抜けた。角膜の移植手術は、遼平のほうは順調だった。でも、私には後遺症が残った。目がよく乾いて痛むため、毎日薬を飲んで和らげなければならない。しかも、その薬はとても高い。手元に残っていた薬は、その1瓶だけだった。……写真を握りしめ、ふらつく足で家に帰った。私の左目が見えなくなったあと、遼平はひどく心を痛めていた。もう働かなくていいと言い、必死に稼いで、いちばんいい薬を買ってくれた。ソファに横になった。泣いたうえに薬もなく、目の痛みは耐えがたかった。薬を買うため、あちこちで仕事を探した。けれど、この目のせいで、雇ってくれるところはほとんどない。ようやく1週間後、レストランでピアノを弾く仕事が見つかった。その間にも、遼平の記憶が戻ったか知りたくて会いに行った。けれど、彼は警備員に私を出入り禁止にするよう指示していて、会うことすらできなかっ
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第6章
遼平は美優のために椅子を引いた。好みも覚えていて、ステーキまで自分の手で小さく切ってやる。何から何まで、いたれりつくせりだった。私が最後にあんなふうに気遣ってもらったのは、いつだっただろう。もう思い出せない。目をそらし、気づかれたくなくて、思わずうつむいた。けれど、願いはかなわなかった。美優に見つかってしまった。遼平がトイレに立つと、彼女が私の前にやってきた。得意げな笑みも、あざけりの色も隠そうとしない。「あら、美由希さんじゃないですか」彼女は笑った。「こんなところでピアノを弾くなんて、ずいぶん落ちぶれたんですね。その顔で、お客様を怖がらせたりしません?」無邪気そうな声に、悪意が詰まっていた。ようやく見つけた仕事だ。面倒を起こしたくなくて、相手にしなかった。でも、彼女は引き下がらない。段差を上がって隣に立つと、私の手を強くつかんだ。まだ治っていない傷に激痛が走り、反射的に振り払ってしまった。「ミユ!」いつの間にか戻ってきた遼平が、ちょうど私が手を振り払うところを見ていた。また同じ手だ。見え透いたやり方なのに、彼にはよく効くようだ。「遼平さん、全部私が悪いの。美由希さんに少し休んでもらおうと思っただけなのに……」彼女は彼の胸に顔をうずめ、肩を震わせた。ひどい仕打ちを受けたかのように。遼平は、隠しきれない敵意を私に向けた。「森川美由希。そんなにピアノが弾きたいのか?」彼は冷笑した。「証拠まで偽造する嘘つきが、ここで何を狙って弾いてるのか、言わなくてもわかるよな」私はその場に立ち尽くした。美優を抱き寄せ、肩を優しくたたいてなだめながら、彼は冷たく言った。「今すぐ全部のテーブルを回って謝ってこい。自分は薄汚い嘘つきだから、皆さんに演奏を聴かせる資格なんてないってな」私は目を見開き、信じられない思いで彼を見た。泣き声になりそうなのを必死にこらえる。「ただ仕事を見つけたかっただけなのに。どうして、そんなことまで命令されなきゃいけないの?」「藤崎社長」駆けつけた店長が、慌てて頭を下げた。「大変申し訳ございません。こちらの従業員が失礼いたしました。私からおわびいたしますので、どうかお許しいただけませんか」遼平は険しい顔のままだ。簡単に許すつもりなどないのが見て取れた。
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第7章
再び目を開けると、白い天井が見えた。親切な通りすがりの人が、病院へ運んでくれたらしい。目の状態が悪化していると聞かされた。さらに、思いもよらない知らせがあった。「おめでとうございます。妊娠していますよ」妊娠1か月ほどだという。どうしたらいいのかわからず、その場にぼんやり立ち尽くした。スマホが震えた。画面を開くと、遼平の親友、岡田航(おかだ わたる)からメッセージが届いていた。【もうすぐ結婚式が始まるぞ。まだ来ないのか?】胸がどきりとした。カレンダーを開いてみると、7月8日。今日は、私たちが結婚式を挙げるはずだった日だ。遼平の記憶が戻ったのだろうか。ずいぶん迷った末に、お腹をそっとなで、タクシーで式場へ向かった。ウェディングドレスを着て、大勢の人に囲まれている美優を見た瞬間、ようやく目が覚めた。これは、遼平と美優の結婚式だったのだ。「美由希さん、来てくれたんですね。私のドレス、きれいでしょう?」彼女は満面の笑みを浮かべ、楽しそうにくるりと回った。私は背を向け、足早にその場を離れた。「美由希さん、遼平さんがどうしてあなたをミユって呼ぶのか、わかります?」背後から得意げな笑い声が聞こえ、ぞっとした。本当は、何もかもわかりきっていた。私もミユ、彼女もミユ。顔立ちもよく似ている。最初から最後まで、私はただの身代わりだった。どうして遼平は私を忘れたのに、美優とはあんなに親しげだったのか。1年前、彼女が帰国してから、2人は私に隠れて付き合っていたのだ。あの日、証拠を探していたとき、彼の服のポケットから美優のイヤリングが片方だけ出てきた。……式場はにぎわっていた。遼平は、ドレス姿で幸せそうに微笑む美優を見つめている。けれど、思っていたほど嬉しくない。なぜか、胸が苦しかった。司会者の声も、列席者の笑顔も、目の前の花嫁も。突然、自分だけが見えない壁の向こうに隔てられたように感じた。彼は頭が割れそうに痛む。見覚えのある場面が、次々と脳裏をよぎった。「ミ、ミユ!」はっと我に返り、目の前の美優を見る。激しい不安に襲われた。慌てて列席者を見渡したが、よく知るあの顔はどこにもない。「新郎様。この美しい花嫁を妻とすることを誓いますか?」式は終わりに近づき、口元にマイクが差し出
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第8章
「莉奈?どうしてここに?」親友の高瀬莉奈(たかせ りな)の姿に少し驚いた。けれど、胸にはたちまち温かいものが広がった。莉奈は少し怒った顔で、隣に座った。「こんな大事なこと、どうして言ってくれなかったの?全部1人で抱え込むつもりだった?」口を開いたものの、何を言えばいいのかわからない。こらえていたつらさが、一気に込み上げてきた。莉奈が私を抱きしめた。「大丈夫。ずっとそばにいるから」……遼平はまだ式のスーツを着たまま、何度も私に電話をかけ、メッセージを送っていた。けれど、電話はつながらない。秘書に私の居場所を調べるよう急いで指示したものの、不安でたまらず、待ちきれなかった。駐車場へ駆け込み、猛スピードで車を走らせ、ほどなく私の家に着いた。ドアを何度もたたく。「ミユ、開けてくれ……ミユ。記憶が戻ったんだ、ミユ」いくら待っても、ドアは開かない。気持ちは沈んでいくばかりで、胸には言いようのない空しさが広がった。ふと、合鍵のことを思い出し、ほっとした。「ミユ、思い出したんだ。今までのことは、全部俺が悪かった」謝りながら、足早に寝室の入り口まで行った。私はいなかったが、机の上のエコー写真がすぐに目に入った。その場で立ち止まり、そっと写真を手に取った。書かれた文字を1字ずつ確かめる。その目には新鮮な驚きが浮かんでいた。喜びが全身に込み上げ、思わず口元がほころぶ。「俺、父親になるんだ!」スマホを取り出し、また私に電話をかけ、メッセージを送った。一刻も早く私を見つけたかった。スマホが震えた。式場を出てから、着信はひっきりなしだった。妊娠を知って気持ちが少し落ち着いた遼平は、電話に出た。「遼平さん、どこにいるの?どうして私を式場に置き去りにしたの?」美優は、電話がつながるなり泣いて訴えた。少し間を置くと、不満を隠し、心配そうに尋ねる。「もしかして、体の具合が悪いの?大丈夫よ。あなたの体が一番大事だもの。結婚式なら、また後でもできるから」口ではどこまでも理解のあるふりをして、置き去りにされたことも少しも恨んでいないかのようだった。けれど実際は、怒りのあまり、爪が手のひらに深く食い込んでいた。「俺が結婚するのは、『本当のミユ』なんだ!」遼平の冷たい声に、美優は嫌な予感を覚え、言葉を
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第9章
突然、病室のドアが開いた。入り口に立つ人を見るなり、莉奈は立ち上がり、警戒をあらわにした。「藤崎遼平」鋭くにらみつけ、冷たく言う。「今日の新郎さんじゃない。病院なんかに来てる暇があるの?」遼平は何も言わず、真っ赤になった目で私を見つめ、ほっと息をついた。「ミユ」「そう呼ばないで!」今はもう、その呼び名を聞くだけで吐き気がする。「気持ち悪いから、やめて!」彼を見た瞬間、記憶が戻ったのだとわかった。でも今の私には、戻ろうが戻るまいが、何も変わらない。遼平は慌てて謝った。「ミユ、ごめん。何もかも、全部俺が悪かった。怒らないでくれ。お腹に子どもがいるんだから」「子ども?」私は冷たく笑った。何かを察した彼は、目を見開いた。息をするのもためらうように、そっと声をかける。「ミユ、お前……」私は手術の書類を手に取り、彼の足元へ投げた。彼はかがんだが、手が震えて、何度やってもうまく拾えない。ようやく拾い上げた。書類を読んだ瞬間、雷に打たれたように固まった。我に返ると、興奮して問い詰めてきた。「どうしてだ!俺たちの子どもだぞ!どうして俺に言わなかった?俺はあの子の父親だ!なんで1人で勝手に決めたんだ!」「父親だなんて、よく言えるね」静かに言うと、彼は喉をつかまれたように、何も言えなくなった。自分が何をしてきたのか、思い出したらしい。「ミユ、ね。遼平、あなたがそう呼ぶたびに思い浮かべていたのは、私?それとも、相沢美優?」私の顔に浮かぶあざけりと失望を見て、彼はすっかりうろたえた。よろめきながらベッドのそばまで来て、私の手を取ろうとする。すぐに振り払うと、その顔はますます青ざめた。「ミユ、そう呼ばれるのが嫌なら、別の呼び方にするよ。だから、そんなふうにしないでくれ」私は深く息を吸い、気持ちを落ち着けた。「遼平。あのとき、美優は箔をつけるために、あなたを置いて海外へ行った。だから、あなたは私を彼女の代わりにしたんだよね。1年前、向こうでうまくいかなくなった美優が帰国して、2人は私に隠れて付き合い始めた。そうでしょう?」私は小さく笑った。「記憶を失っても覚えていた恋人は、彼女だったんだね」彼の唇が震え始め、体がこわばった。ベッドの縁をつかんだ手は、力を込めすぎて白
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第10章
それから遼平は、毎日病院に来るようになった。毎日違う花を持ち、バッグやネックレス、腕時計など、あれこれ贈り物をしてくる。もちろん、どれも行き先はゴミ箱だ。それでも、こんなに長く続くとは思わなかった。付き合い始めた頃よりも熱心で、辛抱強い。「ユキ。今日は、お前の大好きなジャスミンを持ってきた」「遼平」名前を呼ぶと、彼は思わず顔をほころばせた。「私たちは、もう終わったの。こんなことをしても意味はないよ」彼の目に涙がにじんだ。「ユキ、まだ怒ってるんだよな。もう、俺が悪かったってわかってる。約束する。これからは絶対に悲しませない」私はバッグから、たった1枚だけの2人の写真を取り出した。彼の目に、たちまち希望が宿った。「ユキ、これからは絶対に大切にする。ちゃんと愛するから。体が回復したら、挙げられなかった結婚式を挙げよう。な?」「嫌よ」私は静かに彼を見つめ、手の中の写真を少しずつ破っていった。彼は目を見開き、震える手で止めようとした。「だめだ!やめてくれ……」私は何の感情も込めず、口元だけで笑った。「今になって思い出したの?失って初めて大切さがわかるなんて。遼平、本当に最低ね」彼の顔が青ざめた。「私が心からあなたを愛していたとき、あなたは美優のことを考えてた。今は私が身を引いて、2人の邪魔をしないって決めたの。喜べばいいじゃない」彼は目を真っ赤にして、何度も首を振った。「ち、違うんだ、美由希。本当に反省してる。もう1度だけチャンスをくれないか?最初からやり直そう。7年も一緒にいたんだぞ。どうして、そんなに簡単に捨てられるんだ……」「あなたが教えてくれたんでしょう?」彼は唇を震わせながら、そっと花を花瓶に挿した。「お前は、あんなに俺を愛してくれてたじゃないか。雨の中、食事を届けてくれた。起業も支えてくれた。角膜まで、ためらわずにくれたんだ。これで終わりだなんて、信じられない!」遮られるのが怖いのか、早口で言葉を続けた。「ユキ、もう1度、俺を好きにさせてみせる!」私はその言葉を気にも留めず、ほどなく退院して家に戻った。もともと絵を描くのが好きだった。けれど、遼平の起業を手伝ううちに、少しずつ描かなくなっていた。最近また描き始め、たまたまネットに載せてみたら、思いがけ
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