LOGIN少年院の外を吹き抜ける風は、冷たく身を切るようだった。澪は駆にきつく抱きしめられていても、少しも温かさを感じなかった。温かくないどころか、指先はどんどん氷のように冷たくなっていった。駆はいくら待っても澪からの返事がなく、焦って言葉を続けた。「夏目さん、僕を選んでくれれば、僕は月子とは結婚しない。二人で一緒に綾川市を出て、どこへでも行こう……」「あなた……そんなことして、石川さんに無責任だと思わないの?」澪の言葉は決して声を荒らげたものではなかったが、冷や水を浴びせられたように駆の熱を芯から冷やした。「あなたが石川さんを愛しているかどうかは別として、結婚を承諾したのはあなたよ。招待状だって親戚や友人に配り終えているのに、この土壇場になって婚約破棄するつもり? 彼女の立場をどう考えているの?」澪は駆を突き放した。「僕は……」澪の正論に、駆は返す言葉がなかった。ただ一つ分かっているのは、自分が月子を好きではないということだ。最初から好きではなかった。ただ一族のため、会社のために、両親の取り決めに渋々従っただけだ。駆自身は、自分が月子にそこまで顔向けできないことをしているとは思っていなかった。なぜなら、月子も自分を愛してはいないと思っているからだ。月子は名門の令嬢であり、自分との結婚も一族と会社のためだ。愛というより、彼女は自分を征服し、支配し、所有したいだけなのだ。「夏目さん、愛は元々利己的なものだ……」「でも、私はあなたを愛していないわ」その一言を、澪はきっぱりと言い放った。駆の顔色が変わった。胸にナイフを突き立てられたような激痛が走った。「どうして?僕のどこがダメなんだ?どこが篠原に劣っているっていうんだ!?」両肩を強く掴まれ、澪は痛みに顔をしかめた。「ごめん、ごめん……わざとじゃないんだ……」駆は慌てて手を離し、何度も謝った。澪は少し疲労を感じた。本来なら、駆とはとても良い友人になれると思っていた。だが、駆がこうして想いをぶつけてくる以上、もう友人として付き合うことはできない。「送ってちょうだい。結婚式のジュエリーを石川さんに渡すのを忘れないでね」澪のあまりにも冷淡な態度に、駆の顔は苦痛に歪んだ。カラカラに乾いた唇を何度も開いたが、澪を引き留める言
「私、お母さんから十億円を受け取って、あなたと縁を切るって約束したのよ。だから、今のこの状況は明確な契約違反になるわ」自分の言葉に対する澪の冷淡な反応に、かつての友人である自分にもう関心がないのかと感じ、駆の心は傷ついた。「ここには誰もいないじゃないか……」このまま彼に従わなければ、駆が自分を送り届けてはくれないだろうと察し、澪は仕方なく彼と並んで少年院の方へ向かって歩き出した。最初は、駆はずっと沈黙していた。澪も無理に話題を探そうとはしなかった。駆の隣を静かに歩きながら、彼が口を開くのを待った。「夏目さんは……篠原とは、まだ離婚していないの?」ついに駆が口を開いたが、その話題は澪にとって意外なものだった。「もうすぐよ……あなたたちの結婚式に出席するためにM国へ行った時に、そのまま現地で離婚する予定なの」澪は駆に隠すことなく、正直に答えた。「じゃあ……離婚した後は、どうするつもりなんだ?」「え?」澪は首を傾げた。「離婚した後……自分のスタジオの経営を続けて、自分の人生を生きる!」「違う、そういうことじゃなくて」駆の口調が少し焦りを帯びた。突然、彼女の手が駆に握られた。澪は驚き、手を引き抜こうとしたが、駆の力が強すぎて振りほどけなかった。二人はちょうど、少年院の前に立っていた。少年院という背景は、男女が揉み合うにはあまりにも不釣り合いだった。しかし、澪を見つめる駆の瞳は真剣そのもので、燃え盛る炎のように輝いていた。「夏目さん、篠原と離婚すれば、自由になる。堂々と他の誰かを愛することができる……」澪は、駆の顔が真っ赤に染まっているのに気づいた。「僕……僕は、ずっと……夏目さんのことが好きだったんだ……」たどたどしい言葉で、駆はついに澪への想いを打ち明けた。彼は元々、両親の取り決めに従うつもりでいた。それは自分が生まれ持った宿命のようなものだと受け入れていた。しかし、月子と一緒にいればいるほど、澪の良さを思い出さずにはいられなかった。もし許されるなら、一生この少年院の見習い教師として働き、心理カウンセラーである澪と、平凡だが甘い恋愛をしたかった。「あの時、この少年院で夏目さんが僕を助けてくれた時から、ずっと惹かれてたんだ……」駆の告白を聞いて、澪の心
佐々木に漢方薬を渡した後、澪は車で「新越(しんえつ)不動産」へと向かった。月子と待ち合わせをし、結婚式で使うジュエリーを直接渡すことになっていたのだ。新越不動産には馴染みがなく、今回が初めての訪問だった。月子からのラインによれば、彼女自身は結婚式の準備で忙しくて取りに行けないため、アシスタントを向かわせるので、午後二時に第三号館に来てほしいとのことだった。澪は警備員に道を尋ね、案内板を頼りに第三号館を探して歩いていた。「夏目さん!」突然、背後から声をかけられた。澪が振り向くと、見開かれた彼女の瞳に駆の姿が映った。今日の駆は、いつもと少し違った。白いショート丈のダウンジャケットに、ライトブルーのジーンズ、頭には黒のニット帽を被っている。頭の先から爪先まで、大企業の御曹司というオーラは微塵もなく、世間知らずの平凡な大学生のように見えた。澪は愕然とした。目の前にいる駆のこの服装は、彼女が初めて彼に会った時の印象そのものだった。「どうしてここに?」駆は、まるで澪と偶然会ったかのように装った。実際には、ここで彼女を待ち伏せしていたのだ。「石川さんに、結婚式用のジュエリーを届けに来たの」澪は手に持った紙袋を軽く持ち上げて見せた。「アシスタントの人が第三号館で待ってるって言われたんだけど、まだ第三号館が見つからなくて」「大丈夫、僕に預けてよ。僕が彼女のところへ案内するから」「え?」澪が戸惑うと、駆は続けて言った。「ちょうど月子のところへ行く用事があったんだ。万が一、彼女がジュエリーを気に入らなかった時のために、夏目さんも一緒に行こう」「うーん……じゃあ、そうさせてもらうわ」澪は駆の隣を歩き、新越不動産の敷地を出た。二人の間には、人一人分の距離が空いていた。澪は気づいていた。駆と月子はもうすぐ結婚するというのに、駆は彼女の名前を呼ぶたび、その口調はなんだが親しくなく感じる。「まずは僕の車に乗って。すぐ近くに停めてあるから。終わったら僕が送っていくよ」駆がそう言い張るので、澪は仕方なくあの派手な赤い高級車の助手席に乗り込んだ。澪が車に乗ったのを確認し、駆は密かに安堵の息をついた。彼が今日着ているこの一見地味な服は、実は入念に選び抜かれたものだった。澪との「偶然の再会」を
佐々木は恐縮しきりだった。澪と洵の離婚は、もはや時間の問題であり確定事項だ。だが、まだ離婚が成立していない以上、澪は依然として社長の妻である。そんな彼女と二人きりで食事をするのは、佐々木にとって少なからず居心地が悪かった。しかし、電話での口ぶりから、澪が何か頼み事があって自分を呼び出したのだということは察していた。洵の最も有能なアシスタントとして、佐々木は他人から見れば洵の側近中の側近だ。これまでにも、洵から便宜を引き出す目的で、意図的に佐々木に近づき機嫌を取ろうとする人間は後を絶たなかった。だから普段、佐々木は他人の食事の誘いには簡単には応じない。しかし、澪は違った。他のことは断言できなくても、澪が私利私欲のために自分を利用するような人間ではないことだけは、佐々木にも確信できた。佐々木は二種類のカニ料理セットを注文した。一つは自分の直感で選び、もう一つは澪のおすすめにした。結果として、澪のおすすめの方がずっと美味しかった。篠原グループの周辺には美味しい店がないため、佐々木はこの食事に大層満足した。「食事も済んだことですし、そろそろご用件を伺えますか?」澪がなかなか本題に入らないため、佐々木の方から単刀直入に切り出した。すると、澪が一つの大きな紙袋を彼に手渡した。「これは……」「漢方薬よ」「漢方薬」という言葉を聞いた瞬間、佐々木は澪の意図をすべて悟った。この漢方薬は、間違いなく社長のために煎じられたものだ。佐々木は手元の紙袋に目を落とした。かなりの量が入っている。「毎日三回、一回一袋飲ませて。これは一週間分よ。M国へ行く時も、忘れずに持って行ってね」澪はそう念を押しながら、心の中で思った。一週間後には、自分と洵はM国で離婚届を出すはずだ、と。「洵にこの薬を飲ませる時……あなたが煎じたって言ってくれないかしら」佐々木はまぶたを上げた。澪がそう言うことは、彼の予想通りだった。「社長は信じないと思います」佐々木は真面目な顔でそう答えた。その答えもまた、澪の予想通りだった。彼女はため息をつき、言った。「じゃあ、千雪さんが煎じたことにして」今度は、佐々木が眉をひそめた。そして、「社長は信じない」とは言わなかった。佐々木は結婚どころか彼女すらお
今日、澪は病院で洵の姿を見た。洵は厳の退院手続きをしに来ていたのだ。厳の回復は予想以上に早く、医師からは明日退院しても良いと言われ、今日はその手続きだけを済ませに来たらしい。「ありがとう……」病室の外の廊下に立ち、洵は突然自分から澪に礼を言った。澪はまぶたを上げ、洵をじっと見つめた。二週間以上会っていなかったが、洵はずいぶんと痩せたように見えた。元々胃が弱い洵だ。セレスティ・メドとの共同開発プロジェクトが難航し、相当なプレッシャーを感じているのだろう。この数日間、まともに食事もとっていなかったに違いない。でなければ、これほどやつれるはずがない。「お礼なんていいわ。私たち二人の関係がどうあれ、私にとってお爺さんは永遠に本当の家族だから」澪は洵に誤解されたくなかった。彼女がこの数日病院に泊まり込み、厳のために食事を作り続けていたのは、決して洵の顔を立てるためではない。まだ離婚が成立していないからでもない。澪は本当に、厳を自分の実の祖父のように思っていた。そう、澪にも実の祖父はいた。だが、いない方がマシな存在だった。和やかで、親しみやすく、慈愛に満ちた善良な「お爺さん」がいるということがどういうことか、厳が彼女に教えてくれたのだ。洵がいようがいまいが、洵とどんな関係であろうが、厳が入院したとあれば、澪は喜んで看病に来る。ましてや今回は、自分の言葉が引き金となって厳が入院することになったのだから。「ああ」洵は頷くだけで、それ以上は何も言わなかった。退院手続きをしている間、澪は遠目から、洵が片手で自分の胃の辺りを押さえているのを見た。胃痛が再発したのだろうか。澪は小さくため息をついた。厳が退院した後、業は翠湖別荘で厳の快気祝いの宴を開いた。表向きは快気祝いだが、実際はこれを機に財界での影響力を拡大し、情報交換を行うのが真の目的だった。今回、業は澪を招待しなかった。当初は澪をかなり高く評価していた。最近、篠原グループの株が何度もストップ高を記録したのは、すべて澪の話題性のおかげだったからだ。澪を利用して好材料の情報を流したことで、敵対企業の空売り計画を頓挫させることにも成功した。だが、澪が今後子供を産めないと知ってからは、業は手のひらを返したように洵と澪の離婚に賛成した。
「もうすぐ、爺さんの孫嫁ではなくなるさ」千晃のその一言に、澪は思わず声を荒らげ、航も顔色を変えた。千晃は金縁眼鏡を押し上げ、澪と航を交互に見た。「どうした?俺は事実を言っただけだろ?」澪は口を開きかけたが、反論の言葉が見つからなかった。千晃の言う通り、それは事実だ。だが、いくら事実でも、厳の面前で言うべきことではない。澪に咎められても、千晃は悪びれる様子もなく肩をすくめた。「三木社長を責めるんじゃない。彼の言う通りだ。すべては洵の責任だ」厳の顔に怒りの色が差したのを見て、澪は彼が再び刺激を受けることを恐れた。空気を読んだ航が、さりげなく話題を変えた「そうだお爺さん、洵は?ここ数日姿を見ないけれど」「洵なら、我々三木グループと一緒に新規プロジェクトを進めているところだ」千晃の言葉に、航は目を丸くした。「そんな馬鹿な……洵がお前と?取っ組み合いの喧嘩になるぞ」「もうなったさ」千晃は目を細め、わざと澪の方をちらりと見た。澪には、千晃が先日の洵が薬を盛られた一件を指しているのだとすぐに分かった。「お前、お爺さんの前なんだから、少しはマシなことを言えないのか?」航はたまらず千晃に突っかかった。厳の前で、洵と澪の離婚を匂わせたり、洵が喧嘩したと吹聴したり。航は、千晃という男は本当に空気が読めないと思った。「俺は『マシなこと』を言ってるつもりだが?」千晃の顔に浮かぶふざけたような薄笑いからは、欠片ほどの誠意も感じられなかった。「あの喧嘩がなけりゃ、洵が北部郊外の土地を俺たちに譲ることもなかったからな」「なんだって!?」航は驚愕した。「あの土地をお前に譲ったのか?洵は、あれは千雪……」そこまで言って、航は慌てて自分の口を塞いだ。厳の前で千雪の名前を出すのは、まさに地雷を踏むようなものだ。自分は千晃のように空気が読めない人間ではない。「洵がどうしても俺に借りを返したいって言うからな。俺の出した条件を呑めない代わりに、その土地を差し出したってわけだ」「どんな条件を出したんだ?」航が興味津々に尋ねた。千晃は金縁眼鏡を押し上げ、視線を澪に向けた。航も千晃の視線を追って澪を見た。二人に一斉に見つめられ、澪は訳が分からなかった。病室にふっと静寂が降
「それは……」澪が言い淀んでいると、すかさず青子が野次を飛ばした。「そうよそうよ、呼んでよ!一人増えたって構わないでしょ」澪は困って視線を落とした。彼氏がいると言ったのは、社内の噂を消すためだったが、どうやら墓穴を掘ったらしい。「夏目さん、まさか彼氏なんていないんじゃ?」青子が吹き出した。「やっぱり噂通り、不倫専門だったりして?」数人が青子につられて笑った。澪は洵を一瞥したが、彼は何食わぬ顔でヒレカツの皿をテーブルに運び、まるで彼女が愛人呼ばわりされていることなど自分には無関係だと言わんばかりだった。「澪さん、実は……そんなに無理しなくてもいいのよ」
澪はピーターの車に乗り込んだ。乗るなり、彼女はまず礼を言い、次に謝った。ピーターを巻き込むつもりはなかったが、状況的に偽の彼氏が必要だったため、無理をさせてしまった。「そんなに気を使わなくていいよ」ピーターは笑って手を振った。「美人の彼氏役なんて、役得だったしね!」澪は思わず吹き出した。ピーターは車を発進させながら言った。「また必要ならいつでも呼んでくれ」「でも……」「タダでとは言わないよ。条件がある」ピーターが振り返ると、澪は困惑した顔をしていたが、警戒心はなさそうだった。「無理難題を言うとは思わないのかい?体で払えとか」澪はさらに笑った。
ベッドに横になり、睡眠不足を解消しようとした矢先、洵から返信が来た。【余計なお世話だ。明日から俺たちは赤の他人だ】行間から滲み出る棘と冷淡さに、眠気が一気に吹き飛んだ。澪は額の絆創膏に触れた。貼っているのに、なぜか傷口がさらに痛み出した気がした。篠原グループ、社長室。佐々木の報告を聞き終えた洵は、ようやく千雪が自分のスマホを持っていることに気づいた。「どうした?」「ううん、迷惑メッセージが来てたから消しておいたわ」千雪はスマホを返した。洵は見もせずにデスクに置いた。澪はぐっすり眠れると思っていたが、悪夢にうなされて何度も目を覚まし、翌朝は頭が割れるように
澪の家柄は篠原家に嫁げたのは、明らかに分不相応な玉の輿だった。澪が以前のように大人しく専業主婦として家を守っていれば、業も多くは言わなかっただろう。だが今の澪は変わってしまった。落ち着きがなく、あちこちでトラブルを起こす。業の考えは美恵子と近く、千雪の方を気に入っていた。千雪が主婦に向かない点については懸念もあったが、度々スキャンダルを起こす澪よりはマシだ。会社のイメージや株価、そして篠原家の体面のためにも、業は洵と澪を離婚させる決意を固めていた。洵も同意していた。ところがこの話がどこからか厳の耳に入り、厳はその場で心臓発作を起こした。篠原グループは厳が一代で築







