تسجيل الدخول「俺と彼女の話だ。お前が口を挟む筋合いはない」「彼女が今そこに横たわっている以上、私には口を挟む十分な筋合いがある」貴臣は激しく身体を揺さぶり、腕の筋肉を限界まで強張らせた。しかし二人のボディーガードは最初からそれを見越していたかのように、彼の身体を完全に制圧し、微塵の隙も与えない。貴臣はベッドの心愛へ顔を向け、怒りを押し殺した声で訴えた。「……心愛、言ってくれ。こいつらに俺を離すよう、お前から言ってくれ」心愛は彼を見つめたが、その指先はベッドカバーの上でかすかに震えていた。思考はまだぼんやりとしたままで、状況の変化があまりに急すぎて追いついていない。ただ、今の貴臣の状態が尋常ではなく、いつ爆発してもおかしくない危うさを孕んでいることだけは理解できた。さらに、医師の「これ以上の刺激は禁物だ」という言葉も耳に残っている。心愛は薄い唇を噛みしめ、弱々しい声で言った。「……あなたも、まずは落ち着いて」それはどちらにも肩入れしない言葉だった。だが貴臣の耳には、それが暁の行為を容認した言葉のように聞こえた。彼の全身から一瞬で力が抜けたように見えたが、すぐに口元がゆっくりと歪む。しかしその笑みは冷え切っていた。「……いいだろう」貴臣は暁を睨みつけ、一語一語を噛み殺すように吐き出した。「ずいぶんと大層なご身分になったものだな」暁はその挑発に乗らず、保鏢たちへ淡々と指示を出した。「桐生さんを外へ連れ出せ。頭を冷やしていただく」「頭を冷やす」という穏当な言い回しとは裏腹に、それが実質的な強制排除であることは誰の目にも明らかだった。病室には医療機器の電子音だけが虚しく響いている。貴臣は両腕を拘束されたままその場に立ち尽くし、鋭い視線で暁を射抜いたあと、最後にベッドの上の心愛へと目を向けた。そこにあったのは、先ほどまでのような全面的な依存の柔らかさではなく、どこか揺らいだ、不確かな色だった。その瞬間、貴臣の胸の奥に強い圧迫感が走る。それは先ほど暁の拳を受けた痛みよりも、はるかに重く、息苦しいものだった。病室は静まり返っていた。あまりに静かで、点滴のチューブを薬液が落ちる音さえ、やけに鮮明に響くほどだった。貴臣は拘束されたまま微動だにせず、ただ心愛を見つめ続けていた。その瞳の奥には怒りと
暁が顔を巡らせると、その輪郭にかすかに宿りかけていた柔らかさは、再び跡形もなく霧散した。「……お前は今、この状況でよくもまあそんな言葉が吐けたものだな」「ただの忠告さ。心愛の前で、あまり『熱演』しすぎるなと言っているだけだ」貴臣は彼を睨みつけたまま、手をベッドの縁に置いている。「彼女は今、体調を崩して意識も混濁している。お前がどれだけ『出来のいい兄』を演じたところで、彼女がすべてを正しく認識できているとは限らない」その言葉には、明らかな悪意が滲んでいた。心愛は眉間をわずかにひそめた。「……貴臣」それは強い制止ではなかった。だが、はっきりとした不快感と拒絶が含まれていた。貴臣の動きがぴたりと止まる。彼は心愛を見つめたが、胸の奥の鬱屈はさらに重く沈んでいく。心愛が、あろうことか暁を庇ったのだ。ただ自分の名を呼んだだけだとしても、今の貴臣にとっては十分すぎるほどの打撃だった。しかし暁は、すぐには言葉を返さなかった。ベッドの上の心愛を見つめ、その瞳の奥にごく淡い苦笑を浮かべる。その笑みには覇気がなく、むしろ深い疲弊がにじんでいた。「お前の言うことも、すべてが間違っているわけではない」極めて低い声でそう言う。「心愛は今、確かに多くのことを明確に判別できる状態にはない」貴臣は冷笑を漏らした。相手がようやく折れたとでも思ったのだろう。しかし次の瞬間、暁は再び心愛へと視線を戻した。「だから、無理に思い出そうとする必要はない。まずは体を休めることだけを考えなさい」彼は静かに続ける。「他人の言葉なんて、聞きたければ聞けばいいし、嫌なら聞き流せばいい。誰かがあなたを不快にさせるなら、その人間から距離を置きなさい。決して、自分をないがしろにしては駄目だ」心愛は彼を見つめ、胸の奥の温もりが再びじわりと広がっていくのを感じた。「……ええ、分かっているわ」「分かっていれば、それでいい」暁は小さく頷く。「今夜は随分と体力を消耗した。これ以上、言葉を費やす必要はない。医師も言っていたはずだ、休息が必要だと」そう言い終えると、暁は今度こそ本当に一歩退く気配を見せた。だがその時、病室の扉が再び何者かによって押し開けられた。入ってきたのは医師でも看護師でもない。漆黒のスーツに身を包んだ男たち
心愛は意識を取り戻したばかりで、まだ強い疲労が残っていた。先ほどまで貴臣に手を握られていたが、それが安心によるものなのか、自分でもはっきりとは分からない。ただ、頭の中はひどく混乱していた。そんな中で、今この瞬間に暁の姿を目にした途端、胸の奥がふっと、不思議なほど静かに解きほぐされていくのを感じた。覚えている。意識を失って倒れ込む直前、自分を腕でしっかりと受け止めてくれたのはこの人だった。雅子に容赦のない言葉を浴びせられたとき、真正面に立ちはだかって自分を守ってくれたのも、この人だ。失われた記憶の断片はまだ繋がらないままだが、身体の感覚と本能的な感情だけは正直だった。暁が近づいてくるのを見つめる彼女の瞳からは、出会った当初のような警戒心が、すでに大半消え去っていた。暁はベッドの脇に立つと、まず心愛の手の甲に刺さった点滴の針へと視線を落とし、それから彼女の顔色をじっと見つめた。その声は極めて低く、静かに気遣うような響きを帯びていた。「……まだ、苦しいか」心愛は小さく首を振った。「……だいぶ、よくなったわ」「頭は?」「まだ少し張るような感じはあるけれど、それほどひどくはないわ」「吐き気は?」「ない」「どこか痛むところは?」「ないわ」暁は「そうか」と短く答え、ようやく喉元まで張り詰めていた息をわずかに緩めた。彼は貴臣のように心愛に触れることはせず、ただそこに立ち尽くして静かに見つめていた。その視線は彼女の目元から青白い頬へと移り、さらにゆっくりと手元の点滴チューブへと落ちていく。容態が安定していることを確認してから、暁は低く、噛みしめるように言った。「……無事なら、それでいい」心愛は彼を見つめていたが、なぜか急に鼻の奥がつんと熱くなるのを感じた。今夜、雅子が突然怒鳴り込んできて、耳を塞ぎたくなるような罵声を浴びせられたこと。階段の縁で足元が宙に浮いた、あの瞬間。彼女の心臓は見えない手で掴まれたように激しく揺さぶられ続けていた。ずっと張り詰めた糸を一本で支えてきたが、この病室に横たわってようやく、押し殺していた感情が澱のように静かに浮かび上がってきていた。彼女は暁を見つめ、胸の奥に灯る確かな温もりに導かれるように、かすかに一言を唇からこぼした。「……兄さん」その声は決し
暁の表情は相変わらず冷え切ったままで、掴んだ腕の力も少しも緩めようとはしなかった。「中に入るのは構わん。だが、さっき医師が言ったことを忘れるな」貴臣は鋭く彼を睨みつけた。「手を離せ」「忘れられては困るからな」暁は真っ直ぐに彼を見据えた。「今日、彼女がここまで追い詰められた原因がどこにあるのか、お前自身が一番よく分かっているはずだ。中に入ったら余計なことは話すな。それから、お前の得意な甘い言葉で彼女を丸め込もうとするのもやめろ」最後の一言を聞いた瞬間、貴臣の瞳が険しく沈んだ。「……首を突っ込みすぎだ」「忠告しているだけだ」暁は指先にわずかに力を込め、声を低く落とした。「お前が今ここへ入れるのは、資格があるからじゃない。彼女の意識が戻ったばかりの今、搬送口の前でお前と不毛な押し問答を続ける気がないだけだ」貴臣は口元を歪めた。だが、その表情に笑みは欠片もなかった。「……まるで、自分には彼女の前に立つ資格があると言いたげだな」「少なくとも私は、心愛を再び危険に晒すような真似はしない」「俺が今夜のことを見て見ぬふりしたとでも言いたいのか」「望んでいたかどうかなど関係ない。結果がすべてだ」「加賀見」貴臣の声が低く沈む。「これ以上、お前と無駄な言い争いをしている暇はない。心愛の意識が戻ったんだ。俺は中へ入る。これ以上邪魔をするなら容赦しない」「お前が私に容赦したことなど、一度でもあったか?」暁は微動だにせず彼を見据えた。「だが、言うことは変わらん。中に入ったら、彼女の心をかき乱すような真似だけはするな」貴臣は冷えた目で彼を二秒ほど見つめた。そして次の瞬間、腕を荒々しく振り払う。その動きは鋭く、容赦がなかった。暁の手が離れた隙に、貴臣は彼を押しのけるようにして前へ進み、大股で病室へ向かった。バタン――病室の扉が勢いよく押し開かれる。室内は照明が落とされ、柔らかな光だけが静かに広がっていた。医療機器の電子音が規則正しく響き、ベッド脇の点滴スタンドには輸液ボトルが吊るされている。薬液が一滴、また一滴と静かに落ちていた。心愛の意識は、すでに戻っていた。ベッドの背にもたれるように上体を起こしているが、その顔色はまだ青白い。額には細かな汗が滲み、唇にも血の気が戻りきっていなかっ
貴臣の瞳の奥が、すっと深い闇に沈んだ。「……それで、お前はどうするつもりだ」「簡単な話だ」暁は真っ直ぐに彼を見据えた。「心愛の意識が戻ったら、私が連れて行く」「認めない。俺が許さない」「止められるものなら止めてみろ」暁は半歩踏み込んだ。「だが、その前によく考えろ。今夜の件のあとで、お前に彼女を引き留める資格がまだ残っているのかをな」二人は一歩も引かず、鋭く睨み合った。その時だった。検査室の扉が、不意に開いた。扉が開いた瞬間、廊下を覆っていた張り詰めた空気が、背後から一気に引き剥がされたかのように緩む。医師がマスクを外した途端、二人の男は同時に駆け寄っていた。つい先ほどまで殴り合い寸前だった二人だが、この瞬間だけは互いの存在など視界に入っていないようだった。「心愛は……どうなんだ」「彼女は無事なのか」二つの声が重なり合う。医師は顔を上げ、二人を一瞥した。中にいる患者がただならぬ立場の人物であることくらいは察しているのだろう。だが彼はもったいぶることなく、簡潔に告げた。「そんなに詰め寄らないでください。患者さんに命の別状はありません」その言葉が落ちた瞬間、その場にいた全員の表情がわずかに動いた。だが貴臣は、まだ本当の意味で安堵できずにいた。喉を強張らせたまま問い返す。「命に別状がないとは、どういう意味だ。彼女はさっき意識を失ったんだぞ」「強いストレスを受けたうえ、もともと頭部に古い外傷がありましたからね。感情の起伏が激しすぎて体が耐えきれず、一時的な脳貧血を起こしただけです」医師の口調は終始落ち着いていた。「必要な検査はすべて行いましたが、現時点で新たな重篤な損傷は確認されていません。バイタルサインも安定しています」暁は医師を見据えた。「頭の古傷が悪化している可能性は?」「今のところ、明確な悪化の兆候はありません。ただ――」医師は言葉を切った。「回復途中の脳というのは、何よりも繰り返される刺激を嫌うものです」そこまで言うと、彼は二人の顔を順に見回し、声音をわずかに重くした。「患者さんにとって今いちばん重要なのは、検査結果の数値ではありません。これ以上刺激を与えないことです」医師の視線は厳しかった。「彼女は記憶を失っており、精神状態も不安
紗夜は眉をひそめて半歩前へ出たが、すぐに止めに入ろうとはしなかった。なぜなら、今の一撃に関して言えば、貴臣は殴られても仕方のない振る舞いをしていたからだ。貴臣は半秒ほど衝撃に耐えたあと、手を上げて口元を拭った。指先にはべっとりと血が付着する。彼はゆっくりと顔を上げ、暁を睨み据えた。その瞳の奥の光は、一瞬で底知れぬ闇へと沈み込む。「……何の真似だ」「こっちのセリフだ」暁は彼を鋭く見据えた。乱れたネクタイが激しく揺れていたが、その声は異様なほど低く抑えられている。「桐生。私が彼女をお前に任せたのはな、目の前で罵倒され、突き飛ばされ、挙げ句の果てに病院へ運び込まれる姿を黙って見ていろという意味じゃない」「今夜のことは不測の事態だ」「もう一度言ってみろ」「不測の事態だと言っているんだ」貴臣のほうも完全に火がついていた。「俺が望んでこんな事態を引き起こしたとでも思っているのか」「お前が望んだかどうかなど関係ない。現実に起きたんだ」暁は一歩踏み込んだ。「彼女はお前の家で傷ついた。その責任は、すべてお前が負うべきだ」「何でもかんでも俺に押し付けるな。騒ぎを起こしたのは祖母だ。俺じゃない」「だが、その祖母が騒ぎを起こしたのは桐生家の敷地内だ」暁は一言一言、相手を押し潰すように叩きつける。「あの女が心愛を罵倒していたときも、お前は止められなかった。突き飛ばしたときも守れなかった。今こうして彼女が検査室に入っているというのに、よくも自分に落ち度はないなどと言えたものだな」貴臣の表情が険しく強張る。「俺はすぐに駆けつけた」「駆けつけて何になった」暁は冷たく言い放った。「もし私があの場に居合わせなければ、心愛は意識を失う程度では済まなかったはずだ」その言葉は鋭利な刃となって、貴臣の胸深くへ突き刺さった。暁の言葉が紛れもない事実であることを、誰よりも理解しているのは貴臣自身だったからだ。だが、理解しているからといって、このまま頭を押さえつけられて黙っているつもりもなかった。「殴るだけ殴って、言いたいことも言っただろう」貴臣は顔を上げた。「そこをどけ。俺は中にいる心愛の状態を知る必要がある」「お前にその資格はない」暁は一歩たりとも退かなかった。「彼女はお前の家で、







