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第6話

作者: 炭酸が抜けたコーラ
「二階の端にある物置部屋を使ってくれ。葵は体が弱くてね、医者から日当たりのいい部屋に住むよう言われている。うちの寝室は、もう彼女が使っているんだ」

背後から貴臣の声がした。

心愛は、階段を上っていた足をぴたりと止めた。

葵に向けるその気遣いと優しさ。それは、この三年間、彼が一度として自分に向けたことのないものだった。

言い争う気力すら湧かず、「分かった」とだけ答え、黙って物置部屋へ向かった。

物置部屋は埃にまみれていた。簡単に片づけを終えた頃には、すでに深夜になっていた。

押入れから布団を引っ張り出し、そのまま横になる。

体は鉛のように重いのに、心愛は窓から差し込む淡い光を見つめたまま、どうしても眠れなかった。

結婚してから、心愛は貴臣のために、いちばん好きだったデザインの仕事を手放した。家事に専念し、「良き妻」であることを学んできた。

だが今、「離婚」という考えがひとたび芽生えると、それは蔓のように際限なく伸び、心臓を絡め取って離さなかった。

もはや、貴臣への想いは完全に砕け散っている。

彼が自分と結婚した理由が、葵に似ていたから――ただの代替品だったということは、今や誰の目にも明らかだった。

それでも。

どうすれば、離婚できる?

桐生家は名雲市で絶大な権力を誇り、貴臣は骨の髄まで支配欲に染まった男だ。愛がなくとも、この結婚が「失敗」になることだけは決して許さないだろう。まして心愛の側から離婚を切り出すなど、到底受け入れられるはずがない。

弁護士を探したところで、すぐに圧力がかかり、断られるのが関の山だ。

心愛は寝返りを打ち、頭の中で思考が凄まじい速度で渦を巻く。

そのとき、ある名前が、記憶の底から浮かび上がった。

桐生清夏(きりゅう さかや)。

親友であり、桐生家傍系の婚外子。

心愛ははっきり覚えている。清夏は大学で法律を学び、全額奨学金で留学していたはずだ。

当時、深水家に問題が起きた頃、清夏はまだ海外にいた。その後帰国してから、何度も連絡をくれた。

だがその頃、心愛はすでに貴臣と結婚していた。清夏が桐生家で苦労していることも知っていた。

これ以上迷惑をかけたくなかった。自分のことで、ただでさえ厳しい彼女の立場を、これ以上悪くしたくなかった。

だから、連絡できずにいた。

今思えば、本当に愚かだ。

心愛は清夏の性格をよく知っている。姓は桐生でも、桐生家のやり方を誰よりも嫌悪していた。

彼女を頼ることこそ、唯一の道かもしれない。

心愛はもう迷わなかった。連絡先の一番下までスクロールし、三年間触れていなかった名前を見つけて、発信ボタンを押す。

「プープー」という呼び出し音が、張り詰めた神経を叩いた。

長い呼び出しのあと、ようやく繋がる。

「……誰よ。こんな時間に」

眠気を帯びた、不機嫌そうな女の声。

その瞬間、心愛の喉は締めつけられたように乾いた。

しばらくして、やっとのことで、かすれた声を絞り出す。

「清夏……」

電話の向こうが、ふっと静まり返る。

五秒ほど経った頃、清夏の声が跳ね上がった。眠気は消え失せ、怒りと興奮が滲んでいる。

「心愛!?あんた、まだ私の番号覚えてたわけ?三年間どこ行ってたのよ!私が帰国してから何度探したと思ってるの。インスタでは『元気だよ』の一言ばっかり……元気なわけないでしょ、馬鹿!」

機関銃のような勢いで浴びせられる言葉。だが心愛の胸には、久しぶりに温かいものが満ちてきた。

本気で心配してくれていたのだと、痛いほど伝わる。

「……ごめんね」自分でも気づいていなかった疲労が滲んだ声で、心愛は小さく答えた。

異変を察したのだろう、清夏の声色が一変する。「どうしたの。声、おかしいよ。何かあった?」

「私……」

言葉が詰まる。三年分の屈辱と苦痛は、絡まった糸のようで、どこからほどけばいいのか分からなかった。

心愛は深く息を吸い、いちばん単純な形で切り出した。「私、結婚したの」

「はあ!?」清夏の声が一気に跳ね上がる。「誰と?いつ?なんで私に言わないのよ!それでも友達!?」

苦笑するしかなかった。

説明も待たず、清夏の声はからかうように変わる。「はいはい、その話はあとで聞く。で、相手は誰?優しくしてくれてる?あんたってほんと隠し事うまいんだから」

電話口から伝わる純粋な期待に、心愛の胸が針で刺されたように痛んだ。

目を閉じ、静かに言葉を重ねる。「……今、離婚しようと思ってるの」

一瞬、向こうが静まり返った。

そして低い声が返ってくる。「心愛。本当のこと言って。旦那に、ひどいことされたでしょ」

清夏は心愛をよく知っている。弱そうで、誰よりも頑固。一度決めた相手は、たとえ傷だらけになっても手放さない。そこに、ほんのわずかでも光がある限り。

「……ええ」睫毛が震え、心愛は服の裾を強く握りしめて認めた。

その一言に、千の言葉が込められていた。

電話の向こうで、歯ぎしりする気配。

「やっぱりね……くそ。あんたの性格じゃ、限界まで追い込まれなきゃ言い出さない。で、誰なのよ。名前。私がぶっ飛ばす」

「いいの、清夏」心愛の声は、不思議なほど穏やかだった。「喧嘩したいんじゃない。ただ、ここから離れたいの」

「離れるって……相手、相当厄介ね?」

少しの沈黙のあと、心愛はゆっくり告げた。「貴臣」

「……は?」

「桐生貴臣」

沈黙が落ちた。

それは、怒りを孕んだ、重い沈黙だった。

まさか、親友を三年も苦しめてきた男が、自分の遠縁だなど、想像もしなかったのだろう。

「……ふざけんな!」ついに堪えきれず、清夏が吐き捨てる。「心愛、あんた正気!?なんであんな男と結婚したのよ!」

「話せば長くなる」

心愛は、あの過去に戻りたくなかった。

「清夏……今、あなたの助けが必要なの」

清夏はすぐに感情を抑え込み、声を整えた。「言って。私にできることなら、何でもする」

心愛はスマートフォンを強く握りしめ、指の関節が白くなる。

そして、一語一語、はっきりと告げた。「清夏、あなた弁護士でしょう。私の離婚協議書を作ってほしいの」

一呼吸おき、念を押す。「できるだけ早く。誰にも知られずに。特に――貴臣には、絶対に知られないように」

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