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2.初夜

last update publish date: 2026-09-11 18:19:01

湖畔に佇むガラス張りの皇宮のチャペル。

 

 湖に太陽の光が反射してバージンロードの先にいる若き皇帝を照らしていた。

 あまりの美しい光景にここが天国なのではないかと錯覚しそうになる。

 

 娼婦に落とされた女を天文学的な金額で買い取り、妻にすることに反対意見がなかった訳ではない。

 しかし、帝国民の圧倒的な支持を得る皇帝に直接抗議する者はいなかった。

 

 バージンロードをレイラと歩くのは、彼女を娼館送りにした男。

 

「お前は見目だけは良かったからな。女に興味がないと言われていたカイン皇帝まで落とすとは大したものだ」

 口の端をあげて笑うネオラン侯爵にレイラは冷ややかな視線を送った。

 

 ネオラン侯爵は自分が捨てた石ころが宝石になって戻ってきたと感動しているのだろう。

 皇后を輩出した家としてネオラン侯爵家はますます発展し中央で権力を持てるはずだ。

 

「侯爵、皇后になる私を『お前』呼ばわりですか?」

「⋯⋯私はお前の父親だ」

「血縁鑑定もするまでもなく、私を不義の子と扱い娼館に送りましたね」

 シリル・ネオラン侯爵はレイラの微笑みに息を呑んだ。

 

 彼は自分も浮気している分、妻の不貞には目を瞑っていた。

 でも、いざ目の前に現れた娘が明らかに自分の子でないと分かると腹が立った。

 尻軽な妻と浮気性なのに体裁を気にする自分が、敗戦国の元王女に利用されているとも知らずに夫婦は喧嘩を繰り返した。

 

 皇帝カイン・ヴェライユは非常に優秀で、他の皇位継承権を持つ兄弟を押しのけ五歳で立太子した。

 

 先皇陛下はカインが十六歳の時に早々譲位して、三年でカインは領土を元の二倍まで広げた。

 侵略した国の国民を奴隷化するルートル帝国の脅威をおそれ、ヴェライユ帝国の管理下になる国も少なくなかった。

 

 そんな中、カインが武力行使により手に入れた唯一の国があった。

 ーーそれがアルトメだ。

 

 一方的な侵略行為により、国際的な非難は避けられず、シリルは外務大臣として後処理に追われる日々にストレスを抱えていた。

 

 朝から晩まで、皇宮で働く日々。

 十分な待遇は受けていたが、カイン・ヴェライユに振り回される日常に疲弊していた。

 

 そして、シリルは悩みの種をもう一つ抱えていた。

 

 昼はお茶会や買い物に忙しくし、しばしば間男を連れ込んでいた妻が産んだ明らかに種違いの娘。

 不思議なことに彼の中でレイラの幼少期の記憶は曖昧だ。

 

 幼少期どころか、レイラを意識し出したのは彼女が十七歳になる少し前くらい。

 夜遅くに皇宮から帰った時に、バルコニーに佇む彼女の月の光を閉じ込めたような銀髪。

 心を奪われるような美しいアメジストの瞳。

 

 その姿に欲情した時に、彼は改めてレイラが自分の娘ではないと確信し彼女を娼館に売ることを決める。

 血が繋がってはないとはいえ、いつか自分が彼女に手を出してしまいそうで怖かったのだ。

 

 それ以前も娘のルイーゼからレイラを娼館に売ってしまうように唆されていたが、体裁が良くないと断っていた。

 娼館に売りに出してから一年ぶりに見る彼女の姿は、娼館での穢れを感じさせない女神のような清廉さだ。

 これから、自分の娘が皇后になる。

 

 今は外務大臣の座でくすぶっているが、娘が皇后となれば念願の宰相になれるかもしれない。

(ああ、お前は本当に女神だったんだな)

 

「我が娘、レイラよ。結果、帝国一、いや世界一の待遇を受けられる女になったではないか」

「⋯⋯その地位に見合う人間であるよう努めますわ」

 

 レイラの品の良い笑顔に侯爵はなぜか寒気がした。

 彼女が自分の覚悟について話していると文脈から分かるのに、まるで責められているような気になる。

 そして彼女から感じた事のない威圧感を感じ、何も言葉を返せない。

 

 パイプオルガンの重厚な音と共に一歩一歩皇帝に近づいて行き、気がつけばレイラは大帝国の皇帝の隣にいた。

 

「カイン・ヴェライユ。そなたは、レイラ・ネオランを妻とし、病める時も、健やかな時も、貧しい時も、豊かな時も、喜びあっても、悲しみあっても、死が2人を分つまで愛を誓い、妻を想い添うことを、神聖なる婚姻の契約の元に、誓いますか?」

「はい、誓います」

 いつになく穏やかな声で誓う皇帝を見て、周囲の貴族たちは息を呑んだ。

 愛しむような瞳でこの間まで娼婦だった女を見つめる男。

 

 幻影により彼女を抱いたと勘違いしている男たちは、そっとほくそ笑んだ。

 恐れを抱いていた帝国一の男が自分が買った女に溺れているように見えたのだ。

 

「レイラ・ネオラン。そなたはカイン・ヴェライユを夫とし、病める時も、健やかな時も、貧しい時も、豊かな時も、喜びあっても、悲しみあっても、死が2人を分つまで愛を誓い、妻を想い添うことを、神聖なる婚姻の契約の元に、誓いますか?」

 

 眩いくらいの美貌を持つ女だが、所詮は一度売女になった女。

 この女をどう利用してやろうかと周りの貴族たちが考えているのをレイラは見透かしていた。

 

 彼女の見せる幻影は常に不自然ではなく相手が望んだ形を作った。

 精度の高い幻影を見せる為に彼女が磨いたのは人の些細な表情の変化から心を読むこと。

 

『はい、誓います』

 殆どの貴族たちが聞いた事のない異国の言葉で誓いを言ったレイラ。

 周りはどよめきを隠せず思わず顔を見合わす。

 

 何人かの貴族は彼女がどこの国の言葉を使ったか気がついたようだ。

 

 そして、彼女の夫となる男もまた気付いていた。

 彼女が故郷アルトメの言葉で誓ったことを⋯⋯。

 

(元娼婦ではなく、元王女として扱えということか⋯⋯)

 

 今まで万能感を持って生きて来た男が、たった一人の女に翻弄されていくとはこの時は誰も思わなかった。

 

 帝国中を揺るがした結婚式も終わり、皇后の寝室に皇帝カインが入ってくる。

 金の燭台に灯る炎が、揺らめきながら大理石の床に淡い影を落としていた。

 

 静まり返った空気の中で、カインは対面する花嫁のかすかな震えを見逃さなかった。

 薄い紗をまとった彼女――レイラは純白の寝衣に包まれていながらも、まるで冷たい風の前に立たされたように肩を強張らせている。

 彼女の視線は床に落ち、皇帝を一度も見ようとしなかった。

 

「アルベラ、ワインでも飲むか?」

 

 サイドテーブルにある赤ワインをグラスに注ぎながら、カインは自分でも何故彼女を気遣っているのか分からなかった。

 

「元侯爵令嬢で娼婦に落ちたレイラと結婚したのではなかったのですか?」

「こんな時は本当の名前を呼ぶ者だろう。大丈夫か? ライオンに出会した子鹿のように震えてるぞ」

「ふふっ」

 

 美しく笑うアルベラにカインは思わず見入る。

 しかし、次に続く彼女の言葉で彼は固まるのだった。

 

「私を辱める時という事ですか? 子鹿の震えに気が付いた高貴なお方はどうするのかしら?」

「は、辱め? とにかくワインを飲め」

 

 アルトメという国は貞操観念が強く生涯一人の男性としか関係を持たない。

 だから、娼婦レイラの正体がアルベラだと気がついた時に幻影の異能を使っていると気がついたのだ。

(意中の騎士とは肉体関係があったのか?)

 

 カインは混乱していたが、悟られぬように赤ワインに口をつけようとする。

 彼女が皇后になった目的は世継ぎを作り、帝国を掌握しアルトメを間接的に支援する事だと思っていた。

 

 するとアルベラの白い指が彼の唇に触れた。

(どういうつもりだ?)

 

「ワインに毒が入ってます。ほんのり茶色みを帯びているでしょ。コルクに穴を開け毒を注入したときに酸化したようですね」

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