LOGINsideセオドア日に日にアイツの存在が僕の中で大きくなっていく。どこかでアイツを見つければ、何をしているのかと目で追ってしまい、ふとした瞬間にアイツのことが何故か気になってしまう。気に入らない、消えて欲しい、許せない。そんな感情が渦巻いて、アイツから目が離せなかった。許し難い存在として、僕の中でどんどんアイツが大きくなっていた。…そう思っていたのに。許せない憎しみの対象であるはずのアイツが、口から血を流して倒れた時、言いようのない不安に襲われた。アイツが死ぬと思うと、どうしようもなく恐怖が湧いた。だけどそんな感情はきっと気の迷いだ。姉のフリをする、姉のような存在が、目の前で死ぬ姿を見たくなかっただけだ。そう自分に何度も何度も言い聞かせた。ーーーけれど、やっぱりダメだった。使用人の真似事をさせられているアイツを見て、腹が立った。ヴァネッサに〝様〟と平気で付けて呼ぶその姿につい「お前は伯爵家の者なのに何故下の者に敬称を付ける?」と言いそうになった。僕の中で気がつけば、あんなニセモノが伯爵家の一員になってしまっていた。アイツの存在が日に日に僕の中で目障りなほど大きくなっていると思っていたが、許し難い存在として大きくなっていたわけではなかったのだ。そのことに気がついた時、最悪の気分になった。あんなにもアイツの存在を許せなかったのに、僕自身が姉の隙間へと入ってきたアイツを許してしまったのか。もうアイツの存在をこれ以上許すわけにはいかない。早く絶望させてこの家から出て行かせるんだ。だからアイツが勝手に使っている姉さんの部屋へ行き、一番大切そうに保管されていたあれを僕は握り潰した。だけど僕はアイツの存在を許してしまった。アイツの思いを知り、涙を見て、僕は絆されてしまったのだ。もう姉さんの隙間に入ってしまったアイツを追い出すことが、僕にはできなかった。「それでセオドア?もう一度先ほどのことを説明してくれるかな?」ここはお父様の執務室。執務室の一番奥の大きなテーブルの椅子に腰掛けるお父様の横に僕は冷たい表情で立っていた。お父様も同じく冷たい表情を浮かべ、僕と同じ人物のことをじっと見据えている。「姉さんが使用人の仕事をしていたのも、毒を盛られたのも全部コイツのせいだよ」僕たちの視線の先にいるのはヴァネッサだ。ヴァネッサは来客
セオドア様に少々邪魔されたが、何とか洗濯物を目標時間内に干し終えた私は、あと30分後に始まる授業に間に合うように、慌ててレイラ様の部屋へと移動していた。この調子でいけば、授業開始15分前にはレイラ様の部屋へ着き、授業準備もできるはずだ。15分もあれば、せめてテキストの内容を確認することもできる。内容を理解できるかどうかは別問題だが。そんなことを考えながらも、やっとの思いで辿り着いたレイラ様の部屋の扉に手をかける。それから扉を開けると、レイラ様の部屋に誰かがいた。「誰?」思わず反射でそこにいる誰かに声をかける。大きな窓の前で佇む人物。窓から射す、柔らかな太陽の光を浴びて、こちらに背を向ける人物に私は嫌な予感がした。艶やかな短すぎず、長すぎない黒髪。華奢な私と同じくらいの背丈の男の子。少し考えてそこにいる人物が誰なのかわかった。ーーーセオドア様だ。何でセオドア様がここに?先ほどの様子のおかしかったセオドア様のこともあり、不安になる。「…セ、セオドア様?」私がこの部屋に入ってきたことに気づいていないのか、未だにこちらに背を向けたままのセオドア様を恐る恐る呼んでみる。するとセオドア様はやっとこちらに振り向いた。「…っ」太陽の光を背に浴び、逆光になっているセオドア様のわずかに見えた暗い表情に思わず息を呑む。セオドア様の空色の瞳には光が一切ない。美しいが故にどこか虚なセオドア様はまるで人形のようだった。それから私は気がついた。そんな美しいセオドア様の手に私のロケットペンダントがあるということを。「…あっ」セオドア様の手にあるものに思わず声を上げる。あれは私、リリー・フローレスがリリーであると唯一証明できるものなのだ。リリー・フローレスはここへ来た時、死んだ。なので、私が私であると証明できるものはここへ来る前、全て処分された。それでも私はどうしてもリリー・フローレスとしての欠片を一つだけでも持っていたかった。だから私はお父様に懇願した。私が私である証を一つだけでも残して欲しい、と。そしてお父様はそんな私の願いを聞き入れ、あのロケットの所持を許してくれたのだ。あのロケットの中には私とお父様とお母様、3人の家族写真がある。あれだけが私がリリーであると証明できる唯一のものなのに。それが今セオドア様の手の中にあるだな
次に目を覚ました時、私は死んでいなかった。見覚えのある天井に自分が今、レイラ様の部屋にいるのだと把握する。何となく体を起こす前に誰かの気配を感じたので、横を見てみれば、そこには椅子に座り、ベッドにうつ伏せになって寝ているセオドア様の姿があった。何故、ここにセオドア様が?疑問に思いながらも体をゆっくりと起こす。すごく重たい感じはするが、それ以外に特に目立った異常は感じられない。毒を飲んだ割には至って正常だ。今までの毒の中でも強力なものだと思っていたのだが、そうではなかったのかもしれない。「…ん」私が起きた気配を感じたのか、セオドア様も目を覚まし、体を起こした。それから至って普通な私と目が合うとほっとした表情を浮かべた。え?セオドア様の表情の意味がわからず固まる。何でほっとしたような顔をしているのか。まるで私が大丈夫そうだから安心しているみたいではないか。だが、セオドア様のほんの少し柔らかかった表情は、すぐにいつもの冷たいものへと変わった。…あのほっとした表情は見間違いだったようだ。「「…」」私とセオドア様の間に気まずい沈黙が流れる。どちらも何も言わず、ただ互いに目を合わさない。セオドア様が一体何をしたくてここにいるのかわからず、私はつい聞いてしまった。「私の死ぬ様を見届けていたのですか?」そうとしか思えず、セオドア様をまっすぐと見つめる。するとセオドア様はその美しい顔を思いっきり歪めた。「違う!そもそも誰がお前に解毒薬を…」そこまで言ってセオドア様はハッとした表情になり、口を閉じた。セオドア様が私に解毒薬を飲ませたのか?あのセオドア様が?さすがに私を殺すとアルトワ夫妻に怒られるから生かしたのか?「…お前の紅茶を用意した者は拘束済みだ。もちろんこのことはお父様にも報告している。紅茶を用意した者は解雇され、罪を問われるのも時間の問題だろう」全く状況を理解できていない私にセオドア様が冷たい表情のまま淡々と状況を説明する。そしてそれだけ言うと、セオドア様はさっさとベッドから離れてこの部屋から出て行った。セオドア様の嫌がらせもここまでエスカレートするとは。セオドア様に命令されて紅茶に毒を盛った者に私は同情した。*****冬空の下、籠から一枚ずつ使用人の服を出し、伸ばしたり、振ったりしながらシワを伸ばす。シ
アルトワ伯爵家に来て早、1ヶ月。少しずつここでの生活にも慣れてきたのはいいのだが、セオドア様の私に対する嫌がらせは、現在も当然のように続いていた。相変わらず私のものはよく壊されるし、わざと物置や小さな部屋に閉じ込められる。さらには食べ物や飲み物に微量な毒まで入れられて、体調不良を起こすことも度々あった。嘔吐に腹痛に頭痛に熱まで。一通りの症状をここ数週間で全て経験した。しかし本当に微量の毒だったので、ちょっとした不調にしかならず、苦しんでも2日ほどだった。なので、私の体調不良をアルトワ夫妻は、環境が急に変わったストレスによるものだと思っているようだった。「あら、ちょうどいいところに」午後の授業を終え、伯爵邸内の廊下を移動していると、40代後半くらいの恰幅の良い女性に声をかけられた。セオドア様とレイラ様の乳母、ヴァネッサ様だ。ヴァネッサ様の周りには数人の若いメイドもいた。「まだ南棟の掃除が終わっていないのよね。だけどこれから私たちみんなでお茶会をしようと思ってて。誰かが残らないといけなかったのだけれど、その必要はなくなったわね」こちらを見て、ニヤリと笑うヴァネッサ様に何が言いたいのかわかってしまう。まだ授業を終えたばかりなので、内容を忘れぬうちに復習をしたかったのだが、それは無理そうだ。「それじゃあ、よろしくね。ニセモノさん」「…はい」ヴァネッサ様にそう言われて私は暗い表情のまま頷いた。そしてそんな私を見て、ヴァネッサ様をはじめ、メイドたちはクスクス笑いながらその場を後にした。*****南棟に移動した私はまだ掃除の終わっていなさそうな部屋へと入り、上等な布で隅々まで拭き始めた。今の私の敵はセオドア様だけではない。セオドア様の私への態度を見て、ヴァネッサ様をはじめ、主にヴァネッサ様の下にいる使用人たちも私に嫌がらせをしてくるようになったのだ。しかもセオドア様やアルトワ夫妻の見えないところで。ここ南棟で掃除をさせているのも、彼らに見つからず、私に嫌がらせをする為だった。アルトワ伯爵邸内には4つ棟があり、南棟は使用人のエリアなので、アルトワ一家がここに近づくことはまずないのだ。正直、嫌がらせを受けるたびに腹が立ったし、言い返してやりたい気持ちにもなった。しかし私は使用人たちに対してでさえ、逆らうことができず、従うしかなかった
気まずすぎる夕食を終えた後、私は私に与えられたレイラ様の部屋で、明日やる勉強の予習と今日の勉強の復習を行う為に、机へと向かっていた。 白色と星空のような深い青色の家具で統一されたレイラ様の部屋は、1週間経った今でもあまり落ち着かない。 男爵家にいた頃は必要最低限のごくごく普通の家具たちに囲まれて生活していた。 それが今ではこんなどれもとても高そうなものばかりに囲まれて生活しているのだ。 どこかふわふわして落ち着かないのも無理はない。 「…はぁ」 そんな落ち着かない部屋で私はじっとノートを睨みつけ、今日も深いため息をついた。 …わからない。わからないから頭に全く入ってこない。 ノートとテキストを交互に睨みながら、何となく必要そうなところをノートに書き写してみたり、テキストに違う色でマークを付けてみたりしてみる。 だが、それが頭にすんなり入ることはない。 私は貴族の娘とはいえ、没落寸前の男爵家の娘だ。 ほぼ平民と言っても過言ではない。 ごく一般的な貴族は6歳ごろから家庭教師をつけ、15歳になるまで家庭内で教育を受ける。 そして15歳から3年間、王立学院に進学する…らしい。 対する私たちのような没落寸前の貴族や平民は生活の中で生きる力を学び、同じく15歳から3年間、各地域運営の学校へ通うようになっている。 私たちと由緒正しい貴族では学び始める時期も、学ぶ量も学ぶことも全部が全部違うのだ。 一応記憶喪失、という設定があるので、6歳から学ぶことを順を追って学んでいる最中だが、それでも難しすぎる内容に私はいつも悩まされていた。 「…はぁ。頭入んない」 もう勉強なんてやめてしまいたい。 美しく広々とした机に並ぶノートとテキストを天高く放り投げてしまいたい。 けれどそんなことをする暇があるのならば勉強をしなければ。 完璧なレイラ様になる為には、勉強は必須なのだから。 「…お前、本気で今ここをやっているのか?」 「…っ」 突然、私の横でセオドア様がそう呟いたので、声にならない悲鳴を上げる。 慌てて声の方へと視線を向ければ、そこには信じられないものでも見るような目でセオドア様が私を見下ろしていた。 扉を叩く音は一切聞こえなかった。 つまり今ここにいるセオドア様は無断でこの部屋に入ってきたということだ。 「やっぱりお前は僕の姉さ
私、リリー・フローレスがレイラ・アルトワ様の代わりになって1週間が経った。 私は今日もレイラ様として、アルトワ伯爵邸内の広すぎる食堂で、アルトワ伯爵家の皆様と気が重すぎる夕食を共にしていた。 「レイラ。今日はレイラが好んでいた魚料理を用意させたのよ。どうかしら?美味しい?」 私がよく知る一般的なテーブルとは違い、何十人もの人が一斉に使えるであろう長く大きなテーブルの向こう側に優雅に腰掛ける30代前半くらいの見た目のグレーの綺麗な髪を後ろにまとめている美しい女性、アルトワ夫人がふわりと私に笑いかける。 私を優しく見つめる濃い青色の瞳は、明るい星空のように輝いており、その瞳に見つめられる度にホンモノのレイラ様の顔が頭をよぎった。 ここに来る前、初めてお父様に見せられた小さな肖像画のレイラ様も奥方様と同じ瞳をしていたからだ。 私とレイラ様の容姿は瓜二つだったが、瞳の色だけはほんの少し違った。雲一つない、晴天の空のような青色、それが私の瞳の色なのだ。 「…とても美味しいよ、お母様」 まだ奥方様のことを〝お母様〟と呼ぶことも、奥方様に対して砕けた口調で話すことも慣れておらず、どこか気持ちが悪いし、変な気分になる。 だが、それでも私はもうここのレイラ様なので、当然のようにこうするしかなかった。 「ふふ、やっぱりそうよね。レイラは魚料理が好きだったもの。気に入った魚料理を見つけては、この魚は何の魚なのかとよく聞いていたわよねぇ」 「そうだな。レイラはすぐいろいろなものに興味を持ち、常に答えを追い求める子だった」 私の答えに嬉しそうにしている奥方様に応えたのは、奥方様と同世代であろう黒髪の落ち着いた雰囲気のこれまた美しい男性、アルトワ伯爵様だ。 伯爵様の瞳の色はレイラ様や奥方様とは違い、明るい青色で、まさに私と同じ空のような瞳をしていた。 …レイラ様の弟君、セオドア様とも同じ色だ。 そんな伯爵様は一番奥の席に座り、奥方様と同じように嬉しそうに笑い、頷いていた。 「…あははは」 嬉しそうな2人に合わせて私も何となく笑ってみる。 だが、柔らかく微笑む彼らとは違い、私の表情は強張っていた。優しい2人の私の扱いが、どうしても不気味でどこか怖さを感じるからだ。 2人は私のことを行方不明だったこの半年間で記憶を失ったレイラ様だと思い、そう扱っている。







