冬の終わり、空気はまだ冷たいが、日差しが少しずつ春の気配を感じさせるようになっていた。
グランフォード領では、魔人たちと共に生活の基盤が少しずつ整いつつあった。
廃墟だった家々には煙が立ち、畑には芽が出始めている。
カイラムが設計し、リビアと魔人たちが建てた炊事棟では、毎日湯気が立ち昇っていた。
「うーん、いい匂い!今日もグルメ国家に近づいてる気がする!」
エリシアはパンの焼ける香ばしい匂いに鼻をひくつかせながら、完成間近の食堂を視察していた。
魔王の孫・カイラムは隣で冷めた目をしていたが、決して止めようとはしない。
そのとき、空を裂くような鋭い音が響いた。
「魔力反応!?誰か、空から来る!」
警戒の声に、即座にカイラムが魔法障壁を展開する。
エリシアも背後に跳び退いて構える。飛来してきたのは、一機の飛空艇。
その船体には王家の紋章――双頭の竜が描かれていた。
「まさか、王家が……もう動いたっていうの?」
飛空艇から降り立ったのは、数人の騎士。そして、その中心に立つ青年は見覚えのある顔だった。
「……レオニス・アルバレスト……!」
「やぁ、久しぶりだね、エリシア。」
金髪に碧眼、テンプレ王子――その張本人、第一王子レオニスが、笑顔のまま言った。
「君と、君の家族に“正式な王命”を届けに来たよ。君達、反逆者として処刑が決まった。」
その言葉に、グランフォード領の空気が凍り付く。
「処刑だって……!?おかしいでしょ、何もしてない!」
「王命だ。反論は許されない。君が“勝手に建国した”というだけで、十分反逆罪なんだ。」
「ふざけんなッ!!」
地を蹴って跳び出したのは、リビアだった。素早く詠唱し、魔炎の槍を空に放つ――が、その軌道を、王子の従者が淡々と振るった剣で断ち切る。
「……はっ、騎士団でも上位の使い手だね、こいつ。」
「当然だよ、君たちを殺すために、精鋭を連れてきたんだ。」
その瞬間、背後の森がざわついた。木々の間から現れたのは――
「魔物!?でも、魔王領の魔物は……!」
「さあ、討伐開始だ。」
王子の合図とともに、空から放たれる魔法、そして魔物たちの咆哮。
「……ッ、カイラム!住民の避難を!リビア、対抗魔法を展開して!」
「エリシア、君は!」
「私は……守るの!この領地と、ここで築いた仲間を!」
その眼には、もう転生前の“情けないOL”の影はなかった。覚悟を決めた勇者の末裔として、彼女は剣を取る。
戦場となった魔王領の丘には、吹雪の名残がまだ残っていた。
砕けた氷の破片が、火球の熱で蒸気となって空を這い、視界は霞んでいた。
「エリシア、お前が……お前がここまでとは……。」
剣を支えに立ち上がるレオニスの姿に、エリシアは無言で木刀を構えていた。
その切っ先は、もはやただの“元婚約者”には向けられていない。
「王子っていう肩書きだけで、誰かを処刑していいと思ってるの?」
「思ってないさ……だけど……僕には、僕の使命がある。王家を守る義務があるんだ!」
「なら聞くけど、あなたの“使命”って、私を切り捨てることだったの?」
「それは――」
レオニスの言葉が詰まる。だが、その間を縫うように、後方で戦っていたカイラムの声が響いた。
「エリシア!背後から来るぞ!」
反射的に飛び退いた直後、王家の騎士の放った斬撃が地面を抉る。
魔力によって強化されたそれは、並の魔物なら一撃で沈めるものだった。
だが、エリシアは止まらない。木刀を大きく振り、相手の剣を受け止める。そして、衝撃とともに叫ぶ。
「覚えてる!?あなた、私に言ったのよ。“君とは違って無邪気で可愛らしい子が好きだ”って!」
「……そんなこと……。」
「あるわよ!5歳の誕生日に振ってきた男の顔なんて、一生忘れないわ!」
一瞬、レオニスの瞳が揺れた。その隙を突くように、リビアが魔術を展開、周囲に霧の障壁を作り出す。
「今だ、撤退するぞ!」
「でも――。」
「いいから!」
カイラムの腕を引かれ、エリシアは霧の中に消える。その中で、レオニスは小さく呟いた。
「……あの時、俺は……お前を守りたかっただけなんだよ、エリシア。」
◆◆◆
「ふぅ……なんとか退けたけど……」
森の奥、仮設の拠点でエリシアは疲れ切った顔で座り込んだ。だが、心の中では別のことが渦巻いていた。
(レオニス……あなた、なぜあんな目をしていたの……?)
魔物の出現と王家の命令、そして元婚約者の“本心”のような揺らぎ――複雑な要素が交差し、事態はより混沌へと進み始めていた。
「エリシア様……これを……。」
差し出されたのは、王家の騎士が落としていった勲章だった。その裏には、ただ一言、こう刻まれていた。
――『グランフォード家に危害を加えるな。王命に背いても。』――
「……レオニス……。」
その言葉の意味を、彼女はまだ完全には理解できていなかった。
けれど、ただ一つ確信した。
(私たちの戦いは、まだ終わらない。真実を、見つけ出さなきゃ……!)
——〈次話〉“魔王の遺産と、建国の真の意味”
どうも、エリシアです。王都広場で「黒い王の影法師」を倒してから数日。でも私たちは全然安心できなかった。むしろ逆。「黒い囁きの本体は、まだ眠っている」リビアの言葉が、胸にずっと引っかかってる。——その夜。「王宮の地下に、封じられた“旋律の間”がある」そう言ったのはレオニスだった。「古くからの伝承で……王族さえ詳しくは知らない。ただ“音を封じた石室”と呼ばれている」「怪しいに決まってるじゃん!」私は即答。「そうだな」カイラムが渋い顔で腕を組む。「囁きの源泉があるならそこだ」ユスティアは地図を開きながら首をかしげる。「しかし記録には“旋律の間”の位置が抜け落ちている……意図的に消されたのかもしれません」「消された記録と囁きの契約……どっちも怪しさ満点」私はパンをかじりながら言った。——翌朝。私たちは王宮の一角、古い礼拝堂に足を踏み入れた。壁はひび割れ、長年使われていないせいで埃まみれ。「ここに地下への入口が……」セリオが壁を押すと、石板がずれて階段が現れた。「やっぱり隠してたんじゃん!」「うむ、腰に悪い階段だ」父が腰をさすりながらぼやく。地下に降りると、空気がひんやりしていて、かすかに音が響いていた。——いや、音じゃない。“耳の奥に届く気配”。「従え……差し出せ……」また来た!囁き!私は思わず叫ぶ。「パン食べろーっ!!」全員が慣れた様子でパンをかじる。……もうこれ儀式みたいになってきたな。奥へ進むと、大きな石の扉が立ちはだかった
どうも、エリシアです。王都の「仮面会議」で裏切り者を暴いたのはいいけど……全然終わってなかった。「黒い契約の“本体”が潜んでいる限り、囁きは広がり続ける」ユスティアの言葉に、みんな黙り込む。「……本体って、どこにいるの?」私の問いに、リビアが羽をばさり。「記録を追えば、囁きは王の近衛に紛れ込んでいると見て間違いない」「つまり……王のすぐそば?」「そうだ」カイラムが頷いた。 「だからこそ危険だ。王都中枢そのものが乗っ取られかねん」——その夜。城下の広場に妙な人だかりができていた。見れば、派手な衣装の道化師が舞台の上で踊っている。ピエロみたいな格好で、笛と鈴を鳴らしながら。「さあ、皆の者!耳を澄ませ!王の声を聞け! “従え……差し出せ……”」うわ、出た。道化師の演舞に混じって、囁きが観客に染み込んでいく。人々がふらふらと舞台に近寄り、懐から金や装飾品を差し出し始めた。「待って!それは囁きよ!」私の声はかき消される。「暴君、どうする!」カイラムが構える。「とりあえずパン投げる!」「またか」道化師は不気味に笑った。「ははは!パンで影を止めるか!だが私を止められるものか!」そう言うと、舞台の背後に黒い幕が開き、巨大な影の人形が現れた。王の冠を模した仮面をかぶった、影法師——。リビアが顔をしかめた。「……まさか。王を模した影を操り、囁きの王を作るつもりか!」ユスティアは記録帳を震える手で開く。「これが“王都の心臓”を乗っ取るための仕組み……!」
どうも、エリシアです。王都の玉座で黒い影を撃退してから数日。表向きは落ち着いたように見えるけど、裏ではかなりピリピリしてる。「仮面会議を開く」そう告げたのはレオニスだった。「仮面……?」と首をかしげたら、ユスティアが補足してくれた。「王都では、身分や立場に囚われず意見を出す“秘密会議”があるんです。仮面を被って互いの素性を隠すので、公平に話せると」「へぇ~面白そう! でも顔隠したらパン食べにくいじゃん!」「そこか」カイラムが呆れ声。——夜。仮面会議の会場に案内される。高い天井にランプが吊るされ、円卓の椅子には仮面の男や女がずらり。王都の有力者、貴族、騎士、学者……でも誰が誰なのかはわからない。「議題は黒い契約と王都の安全保障」進行役の仮面が告げると、ざわざわと声があがった。「囁きは恐ろしい。グランフォードのやり方に頼るのは危険だ」「しかし、あの国のパンには確かに効果があった」「いや、あれは一時的なものに過ぎない。本体を見つけなければ!」私は立ち上がって声を張った。「だからこそ一緒に探そうって言ってるの! 王都もグランフォードも、パンは分け合えば美味しいでしょ?」場が一瞬静まり……次の瞬間、どっと笑いが広がる。「妙な理屈だが、悪くない」「パンを分け合う……確かに心は和む」——しかし。会議の隅で、ひとりだけ動かない影がいた。仮面の奥から冷たい視線が突き刺さる。「……王都を導くのは血筋のみ。外の者が口を出すな」場が凍りついた。リビアが羽を広げる。「こやつ、囁きに染まっているぞ」仮面の下から、黒い煙が漏れ出した。「しまった…&hell
どうも、エリシアです。いよいよ——王都に向かうことになりました!「暴君、ついに王都潜入か」カイラムが腕を組んで険しい顔。「潜入って……観光みたいに言わないでよ」私は苦笑い。馬車に揺られ、王都の城壁が見えてきた時、胸が少しざわざわした。幼い頃に婚約を結ばされ、そして破棄された街。記憶は苦いけど、それでもどこか懐かしい。「王都の空気は重いな……」リビアが羽をすぼめる。「囁きが満ちてるんだ。民衆の不安がそのまま響いてる」ヴァルターが低く言った。——城門前。セリオが兵士に証文を見せると、すんなり通された。「王都は表向き平穏を装っています。しかし中では……」案内されたのは宮廷の一角。かつて私が一度だけ足を踏み入れた、豪奢な回廊だった。煌びやかなシャンデリア、広い赤絨毯。けれど空気はどこかひんやりしていて、壁に映る影が妙に長い。「……やだなぁ」私は小声でつぶやいた。「気を抜くな」カイラムが隣で囁く。そこへ、見慣れた姿が現れた。金髪碧眼、堂々とした微笑み——レオニス。「エリシア……よく来てくれた」一瞬だけ、胸がきゅっとなった。でもすぐに思い出す。私はもう、前に進んでる。「王都の現状、説明するわ」レオニスは真剣な顔に変わった。——玉座の間。王と貴族たちの前で、囁きが議論を乱していた。「誰かが裏切っている!」「いや、契約に従えば救われるのだ!」重厚な空間に、不安と恐怖の声が渦を巻く。私は深呼吸して叫んだ。「パンを食べろーっ!」貴族たちが一斉に振り返る。……シーン。「…&
どうも、エリシアです。黒い契約の笛吹きを倒した数日後。町はすっかり落ち着いて、帰還祭の余韻でまだ浮かれてる……はずだったんだけど。「エリシア様、急報です!」ユスティアが走ってきた。息を切らして手にしていたのは王都の封蝋で閉じられた書簡。「王都……?」「はい。今朝、王都で“黒い囁き”による混乱が発生しました」私は思わずパンを落としそうになった。「ちょっと!王都でも聞こえるの!?」「ええ。被害は小規模ですが、民衆が一時的に我を失い、広場で暴動寸前に……」カイラムが険しい表情で腕を組む。「やはり……あれは囁きの“試し撃ち”に過ぎなかったか」「本体が動き始めたということだな」リビアが羽を広げる。父は腰台に腰を下ろしながら、「腰は船底。沈む前に補強せねばならん」と真顔。母は「はいはい、まずは食べてから」とパンを配り始めた。……うちの家族は変わらない。——午後。王都から来た使者の話を聞くことになった。馬車から降り立ったのは、淡い紫の外套を纏った騎士だった。「お初にお目にかかります。私は王都直属の調査隊、セリオと申します」彼は礼儀正しく頭を下げ、真剣な眼差しで告げた。「王都は“影の契約者”に狙われています。あの笛吹きは前哨にすぎません。本体は……王都の中枢に潜んでいる可能性が高いのです」ざわつく一同。「つまり、内部に裏切り者が?」「はい。王族、あるいは高位貴族の中に……」エリシア=私の心臓がどきりと跳ねた。「……レオニスは大丈夫なの?」「第一王子殿下は健在です。むしろ“囁き”の被害を防ぐため、民の前に立たれました」
どうも、エリシアです。帰還祭はなんとか最後まで無事に終わったけど……胸の奥にずっと残ってるのよね、あの「囁き」の気配。パン食べても完全には消えない“ざわっ”とする感じ。嫌な予感は大体当たるんだよなぁ……。——翌朝。広場の隅にいた少年は、すっかり元気を取り戻していた。「ありがとう、エリシア様!本当に助けられました!」両手にパンを抱えてぺこぺこ。……元気すぎる。ユスティアはその少年から詳しい話を聞き取り中。「囁きが最初に聞こえたのは、王都から来た旅芸人を見た時……?」「はい。黒い外套をまとった笛吹きでした。曲に合わせて“従え”って声が頭に……」「音楽媒介型の契約か……」リビアが羽をばさり。「普通なら強い魔力が必要だが、笛の旋律で弱い心を捕まえる……厄介な手だ」カイラムは腕を組み、「ならば囁きは、すでに各地で広がっているかもしれない」と唸る。「……もしかして王都も?」と私。「その可能性が高い」ヴァルターが即答する。「だからこそ俺はここに来た。王都の中枢に巣食っている影を直接暴くことはできない。だが、君たちなら……」「またうちに丸投げ?」私は眉をひそめる。「いや……力を借りたいんだ」ヴァルターの声は真剣だった。父が横から登場。「腰は船底。抜いたら沈む。つまり、祭りの腰を守るのは家の役目だ」……要するに協力するってことね。分かりにくいなぁ。母はパン籠を差し出して、「まずは朝ご飯食べてから話しましょう」と笑顔。あいかわらず、この国の合言葉は“パンから”だ。