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都合のいい妻の終活、私の葬式へようこそ
都合のいい妻の終活、私の葬式へようこそ
Auteur: ちょうどいい

第1話

Auteur: ちょうどいい
結婚して10年。青木菖蒲(あおき あやめ)が青木克哉(あおき かつや)を愛して止まないということは、芸能界で誰もが知っていることだった。

それだけ、愛が深かったからこそ、彼女はたとえ、克哉が結婚しているにも関わらず数々の馬鹿げたスキャンダルを起こしても、何一つ嫌な顔をせず、後始末をしてきた。

例えば、克哉と小林綾(こばやし あや)がクラブでキスしているところを撮られた時、菖蒲はパパラッチのSNSの投稿を引用して、【克哉がキスしていた相手は私です】と投稿することで粉飾しようとした。

また、ある時、克哉と綾のいかがわしい写真が流出した時も、「プライベートな撮影をしていただけです」と菖蒲は記者に説明した。

さらに、克哉と綾が同じ部屋に3時間も二人きりでいた時は、「実はあの夜、私もその部屋にいました」と言ってのけた。

こうして、菖蒲は克哉が繰り返すスキャンダルの後始末をひたすら行ってきたのだった。

そして、世間から、最初は同情も買っていたが、いつしか「クズ男に尽くす追っかけなんて自業自得だ」と罵られるようになったのだ。

だが、こうした騒ぎが続く中、克哉と綾の話題が99回も世間を騒がせた時、いつもなら真っ先に夫をかばうはずの菖蒲が、何の反応も示さなかった。

そんな状況に、世間が驚いている矢先、菖蒲はSNSに一件の投稿をした。

【みなさん、こんにちは。私の命はもうまもなく底をつきます。よければ、7日後のお葬式にでも、ぜひお越しください】

……

その、投稿をし終えると、菖蒲はスマホをソファに放り投げた。

画面はまだ明るく、コメント欄は炎上していた。でも、彼女はそれを見る気にもならなかった。

その時、ドアが激しい音を立てて開けられた。

菖蒲がどうにか顔を上げて目線を向けると、入口に克哉がスマホを握りしめ、顔を怒りで歪ませながら立っているのだった。

そして、克哉は靴も脱がず、高価な手織りのウールカーペットの上を土足でずかずかと歩いてきた。

「菖蒲、また何かしようとしているのか?同情を引くためなら、そんなくだらない手まで使おうっていうのか?」

そう言われて、菖蒲はゆっくりと顔を上げ、克哉の怒りに満ちた視線を静かに受け止めた。

10年も愛してきたこの男の顔を見ていると、彼女はなんだか笑えてきた。

菖蒲と克哉は、古い団地で一緒に育った幼馴染だった。

内気でおとなしかった菖蒲は、よく他の子にいじめられていた。そんな時、いつも明るく朗らかな克哉が、ボロボロになりながらも菖蒲の前に立って守ってあげたのだ。

それから、16歳の時に菖蒲は両親が交通事故で亡くなったことで、彼女の世界が一変したのだった。

それは彼女にとって人生で一番つらい時期だった。そんな時、克哉は学校をサボって、葬儀場の隅でうずくまっていた菖蒲を見つけ出してあげると、彼は気の利いた慰めの言葉を言わず、ただ、手のぬくもりで少し溶けた飴を菖蒲の手に握らせた。そして言った。

「菖蒲、俺が大人になるまで待っててくれ。必ずお前を世界一幸せにするから」

その瞬間から、克哉は菖蒲の人生における、たった一筋の光となった。

それから、克哉は猛勉強の末、優秀な成績で、多くの名監督や俳優を輩出した業界でも名を轟かせていた大学に入学することができた。

こうして彼はただ地域だけで秀でていた学生から、芸能界のスターへと上り詰めたのだ。

そして、ついに主演男優賞を手にした日、克哉は2千万円の指輪を菖蒲に贈った。「菖蒲、お前を幸せにすると約束したよな。今日、やっとその約束が果たせる」

その時、嬉しさのあまり涙を流し、菖蒲は克哉から贈られた指輪をはめた。

自分は、この世界で一番幸せな人間なんだと思っていた。

しかし、結婚後に綾が現れてから、すべてが変わってしまった。

綾は、克哉が主演した大ヒットドラマのヒロインだった。落ち着いていて包容力のある菖蒲とは違い、綾は天真爛漫で、甘え上手だった。

それから克哉は菖蒲のことを「つまらない女」と言い、綾こそが「大切にすべき宝物」というようになったのだ。

綾といることで、克哉は菖蒲との間では感じられなかった情熱と新鮮さを味わった。

すると、味を占めた克哉は、夫としての一線を何度も越えた。

それでも菖蒲は、克哉はただの一時的な気の迷いだと思い、何度も彼を許してきた。

しかし、99回も克哉を許した末に、菖蒲は膵臓癌だと診断された。

それを知らされて、菖蒲もこの妥協することで成り立ってきた結婚生活に、うんざりするようになった。

「違うわ」そう言う菖蒲の声は、ため息のようにか弱かった。「本当に、もうすぐ死ぬの」

それを聞いて、克哉は、思わず言葉を詰まらせた。

そして、克哉は菖蒲の顔をじっと見つめた。すると、この10年で初めて気づいたかのように、彼女の左目の下にある小さな泣きぼくろが、真っ白な肌の上でやけに目立って見えた。

そう思っていると、克哉が持っていたスマホから、すすり泣く声が聞こえてきた。

「克哉さん、聞いてる?」

スピーカーから、綾の涙声が響く。「今、みんなが私を責めてる。『人の奥さんを追い詰めて殺そうとしてる』って。どうしたらいいの?新しいドラマがもうすぐ始まるのに、イメージが悪くなったら、違約金なんて払えないよ……」

その声は冷水のように、克哉の束の間の動揺を打ち消した。

克哉の表情は、再び硬いものに戻った。

「菖蒲、何を企んでいるか知らないが、今すぐ釈明しろ。昨日の夜、俺と一緒にいたのはお前で、お前が盛り上がって、窓際でやりたいと言い出したから撮られたんだと、そう言え」

その言葉を聞いて、菖蒲は力なく笑った。

「克哉、10年よ。あなたのスキャンダルを99回もみ消してきた。今回が百回目よ。もう、うんざりなの」

「お前っ!」克哉はカッとなって菖蒲の手首を掴んだ。しかし、その腕があまりに細く、力を入れたら折れてしまいそうなことに気づいて、ハッとした。

だが、彼はまたすぐにその考えを振り払った。「綾は悪くない。お前は彼女の人生をめちゃくちゃにする気か!」

「悪くない?」菖蒲は、まるでおかしな冗談でも聞いたかのようにその言葉を繰り返した。「じゃあ、私が着せられた濡れ衣は?誰が晴らしてくれるの?」

すると、電話の向こうで、綾の泣き声がさらに大きくなった。

「克哉さん、もういいの。菖蒲さんを困らせないで。私が悪いの、昨日の夜、克哉さんを引き留めたりしなければ……大丈夫、芸能界を引退するから。この街から出ていくから……」

「聞こえたか?」克哉は、歯ぎしりしながら言った。

「菖蒲、いつからそんなに根性の悪い女になったんだ?仮病で同情を買って、罪のない人間を巻き込むなんて」

菖蒲は、黙って克哉を見つめた。

かつては自分への愛で満ちていた克哉の瞳が、今では嫌悪と軽蔑の色しか宿していない。

「克哉、私たちの結婚記念日、覚えてる?」

そう言われて克哉は、その予想外の質問にぽかんとした。

「じゃあ、私の誕生日は?」菖蒲は続けた。

克哉は、やはり答えられなかった。

菖蒲は二、三度咳き込み、かすれた声で言った。「じゃあ質問を変えるわ。小林さんの誕生日はいつ?」

「4月18日だ」克哉は、ほとんど即答だった。

その答えを聞くと、菖蒲はただ黙って克哉を見つめるだけだった。

すると、克哉はなんだか追い詰められたようで急に苛立ちを募らせた。

「今さらそんなことを聞いて何になる?菖蒲、俺はもうお前を愛してないって言ったはずだ。いや、もしかしたら、最初から愛なんてなかったのかもしれない。確かに、俺たちは一緒に育った。でも、それが何だって言うんだ?

綾に出会って、俺は初めて、ときめくってことや、本当に人を好きになるってことが分かったんだ」

それを言われ、今度は、菖蒲が黙り込んだ。

片や克哉は菖蒲の前にずかずかと歩み寄り、彼女のスマホを奪い取った。

「お前が釈明しないなら、俺が代わりにしてやる」

克哉は慣れた手つきでロックを解除した。パスワードは、まだ二人の結婚記念日のままだった。どうやら頭では覚えていなくても、体では記憶しているようだった。

その事実に気づいたのか、克哉は一瞬手が止まったが、またすぐに操作を続けた。

菖蒲は止めなかった。いや、止める力もなかった。

数分後、克哉はスマホを菖蒲に投げ返し、冷たく言い放った。

「お前のアカウントで釈明しておいた。昨日の夜、窓際にいた女はお前だってな。それから、例の注目を集めるための投稿も消しておいたぞ」

菖蒲がスマホの画面に目を落とすと、案の定、自分の死を告げた投稿は消えていた。

代わりに投稿されていたのは、見慣れた釈明文だった。

【私には露出癖があります。だから、克哉に無理を言って、窓際であんなことをしてしまいました。私が悪いんです。どうか小林さんのことは誤解しないでください】

「露出癖」という三文字を見て、菖蒲の呼吸はだんだんと浅くなり、息が詰まるような感覚に襲われた。

「薬、克哉、薬を取って……」

克哉は顔色を変え、何の薬がどこにあるのかと聞こうとした。しかしその時、またスマホが鳴った。綾からのボイスメッセージだった。

「克哉さん、ありがとう。でも、まだすごく怖いの。会いに来てくれない?」

克哉はスマホと、苦しそうに息をする菖蒲の顔を交互に見たが、最終的には背を向けてドアに向かった。

「菖蒲、お前が演技が上手いのは知ってる。でも、そんな芝居はもうやめろ。くだらない」

彼はそう言って、ドアを乱暴に閉めた。

一方で残された、菖蒲はソファから転げ落ちた。荒い息をつきながら、必死に手を伸ばし、クッションの下からくしゃくしゃになった診断書を取り出す。そこに書かれた「膵臓癌、末期」という文字を見て、静かに笑った。

これでつまらない女といわれている自分も、もうすぐ克哉の視界から消えてなくなるのだ。
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