明くる朝、私は曇天のような心持ちを奮い立たせて身支度を整え、それを顔に出さないよう気をつけて朝餐を済ませた。
そしてマストレットとガネーシャを書庫に案内する。二人とも目を輝かせて多種多様な蔵書の棚を見回していた。 「こちらの棚は語学、その隣は経済学ですわ。あちらは古くから伝わるものから流行を捉えたものまで含む物語、それから──」 「ガネーシャ、あの扉は?」 私が書架ごとの説明をして回っていると、マストレットが書庫の奥に目をつけた。 扉の奥には二人に見られたくない書物がある。鍵がかけられているから、マストレットが好奇心でドアノブを捻っても開かない。 「マストレットお兄様、その扉の向こうには希少で特別な書物が収められた書架が並んでおりますの。入室出来るのは公爵家でも限られた者のみですわ」 「ガネーシャは入る事を許されているのか?」 「私は公爵家直系の娘ですので、お父様より鍵を与えられておりますわ」 「ガネーシャが鍵を与えられているのなら、その鍵を持ってきて開けてくれないか?」 ああ、マストレットの執着心が面倒くさい事。 「残念ですが、本日はそちらへの案内をお父様から許されてはおりませんので、致しかねますのよ」 あしらおうとしたら、マストレットは瞳を翳らせて、見るからに不満そうな顔になった。 「そうか、私達は公爵家に迎え入れられても、所詮はよそ者なんだな」 「考えすぎですわ、マストレットお兄様。まだ公爵家に来て日も浅いですもの、単にそれだけの理由でしてよ。それより先ほど紹介致しました語学と経済学の書物をご覧になって下さいませ。長男のマストレットお兄様には必須になりますわ」 内心ではうんざりしながら話題を変えようとしたものの、マストレットは諦めようとしなかった。 「ダリア、お前も同じ思いだろう?」 「ええ、お兄様。私達は公爵家から認められていない存在……招かれざる者なのですわ。今なお使用人さえ私達によそよそしいですし、こんな惨めな思いをさせられるだなんて」 言い募る二人は、すっかり悲劇の主人公気取りだった。本心でも何かを狙っているとしても、お父様から許しを得ていないのは事実だし、こんな事を私に言い募られても迷惑でしかない。 かと言って、冷たく突き放して私への悪意が増幅してしまうのも、後でお父様にどのような告げ口をされるかと思えば都合が悪いから、言葉は選ばないといけない。 「お二方とも、寂しい事を言わないで下さいませ。私達はもう家族ではありませんか。お父様もお二方が我が家に馴染めば、必ずお許しを下さいますわ。まずは公爵家の子として然るべき学びに励む事から始めて下さいませね」 落ち着かせようとすると、マストレットは目尻を吊り上げた。 「私に学びが足りないと言うのか?これでも父上から子爵家に居た頃から、様々な事を教わってきたんだ。それも知らずに侮るというのか?」 呆れたわ。デビュタントもまだの子供、それも少女に向かって感情的になって、鬱屈していたものを爆発させて声高にがなり立てるだなんて、どれだけ幼稚なのよ。 「私を責められても困りますわ……マストレットお兄様……私はただ、お父様のお言いつけを守って、お二方に書庫の内容を説明させて頂いておりますだけですのに……」 幼稚には幼稚な正論で返すわ。私はショックを受けた様子を作り、うつむいて指先で目もとを押さえた。さすがに涙までは上手く出てくれないわね。 それでも消沈している姿には見えたようだわ。マストレットが慌てだした。 「ガネーシャ、お前の言い分を歪曲して責めるつもりはなかったんだ。どうか泣かないでくれないか?確かに子爵家と公爵家では学ぶ内容も、深さや幅広さも違うだろう」 譲歩せざるを得ないわよね?告げ口が困るのは私だけではないわ。愛人の子として公爵家での立場がまだ確立されていない二人も足場が脆くなりかねないの。 「……マストレットお兄様……私の立場にご理解を下さいますの?私もご希望に沿えない事は心苦しくございますのよ」 「ああ、理解出来るとも。ダリア、お前も今はまだ致し方ないと、時が経てば父上も認めて下さると納得出来るだろう?」 「……ええ、お兄様。ガネーシャお姉様はお父様のご意向に添って、ご自身のお時間を割いてまで、私達を案内して下さっているのでしたわよね。申し訳ございませんでしたわ、ガネーシャお姉様」 なぜダリアは不機嫌も不満も、全てをあらわにして言葉を紡げるのかしらね。 その嫌味たらしい言い方は、マストレットも気づいているのではないかしら。どこか気まずそうにしているわ。 「ガネーシャ、私は公爵家の子息として、今許されている勉学と求められている勉学に励もうと思う。そうすれば父上に認められる為の近道にもなるだろう」 先ほどまでの高圧的な態度から、がらりと変えて出てきたわ。謙虚で前向きなようでいて、卑屈に見えるのよね。 やはり育ちのせいかしら。そこを蔑んでも誰の為にもならないから、敢えて口にも顔にも出さないけれど。 「マストレットお兄様、そのお言葉をお父様が耳にされましたら、どれだけお喜びになるでしょう。私も仲違いせずに済んで嬉しいですわ。兄妹ですものね」 マストレットはとりあえず押さえたわ。今日の言動から考えると、我慢は続かないでしょうけれど。それでも時間稼ぎは一日でも出来た方がいいもの。 ──問題はマストレットに応えた後に黙り込んだダリアね。どうにも何かを狙っているようにしか見えない。マストレットを陰でけしかけるかもしれないわ。 「ダリアはマストレットを上手く操ってるよ。恐らく鍵を手に入れる為に暗躍するだろうね」 不意にベリテが語りかけてきた。ダリアとマストレットの関係性を観察していたようね。これには私も同感だわ。 「まずは語学に関する書物を何冊か部屋でゆっくり読み込みたいが、それは許されるのか?」 「……あら、お兄様。それなら私は流行りの物語をお借りしたいですわ。ガネーシャお姉様、よろしいかしら……」 私は二人の本性をぶつけられたし、それは起きた事実で現実なのだから、今さら擦り寄ってみせても遅いわ。まあ、蒸し返せば私が意地の悪い人間扱いされるから耐えるけれど。 「マストレットお兄様、もちろん大丈夫です。むしろお父様も喜ばれますわ。この書架の書物は語学の基礎から応用まで学べますもの。ダリアも好きな物語を選んでね。今の流行といえば悲劇ね」 「ありがとう、ガネーシャ」 「ガネーシャお姉様、ありがとうございます」 「どういたしまして。では、お二方とも読みたい書物を選んだら出ましょうか。書庫に来てから、だいぶ時間が経ってしまったわ」 「ああ、分かった」 二人には昼餐に遅れないようにと言うつもりで勧めたけれど、正直げんなりしきってしまった私には、食欲なんて微塵もないわ。 部屋に戻ったら、メリナから厨房に私の分の食事は軽いものを中心にするように言ってもらう事にして、私は書物を漫然と選ぶマストレットとダリアを眺めた。 好奇心のあるふり、というのは分かりやすいものなのね。二人ともページを繰る手こそ止まらないものの、目が文字を滑っているのが、ひと目で分かるの。 本当にくだらない事に時間を使わされたわ。鍵のある書庫に入れない時点で、さっさと怒りに任せて出ていけば良かったのに。 下手に機嫌を伺う兄妹というのも面倒だと思うけれど、もっと面倒なのは企みを捨てない兄妹よ。 この場はやり過ごせたものの、問題はその後、表面上は平穏に済ませていたマストレットが、執念深く書庫の奥の鍵を狙っていた事から状況が動き出してしまう事だった。 ただ、それはまだ先の話。私への害意を表すのはダリアの方が早かった。 公爵家の娘として迎え入れてもらえたのに、それを内外問わず認められていない現状は、ダリアからすれば自尊心を傷つけられたらしい。 その矛先を向けるのが私というのも、前世の最期にダリアが告げた言葉を思い出せば、なるほどとは思うものの、──ダリアはまだ精神や思考が幼く、そこから起こす行動も幼かった。 幼さは無邪気でも時として毒になる。それが毒として意識しながら動く幼さならば、それはもう純粋な殺意に近いのよ。 ダリア本人は、それを自覚していたのかしら? 推察する事すら、前世で苦しめられた私の脳は拒否するけれど、ダリアは止まらないもの。 止められない動きには、対応してゆくしかないんだわ。 だって、前世とは違う新しい運命は、私という歯車を変えて回り始めているもの。 私はそれを狂わせないように、潤滑に回ってくれるように、慎重に丁寧に様子を見て、待ち受ける未来が回り切った歯車により、来たるべき時を確かに指し示す事を目指すのみよ。──これで、あとはダリアに王太子殿下との子が宿るのを待つだけね……。「あれだけ人目もはばからず逢瀬を重ねてるんだから、近い未来のことだろうね」王太子殿下もどうしようもない方だと言わざるを得ない。婚約者を差し置いて浮気相手にのぼせ上がるのはともかく、避妊もしないなんて。──まあ、構わないわ。それよりも、第三王子殿下は私が未来の聖女だと知っても、意外なことに驚かなかったのよね。「そこには、いかにも国を思う聖女らしい行動をしてきた、ガネーシャの実績があるからこそだよ」──そう言われると照れくさいわ。でも、汚染された水も安全な水にできることを知って、喜んでくれた……。「多くの民が救われるからね」──けれど、なぜ井戸水は汚染されたのかしら?これは素朴な疑問だった。工場汚染でもない、王都での汚染は普通に考えてありえない。それについて、ベリテが声を低めて答えてくれた。「──ダリアだよ。闇の精霊を使役するために、王都に瘴気を集めた結果だ」──あの、実の母を死に追いやった闇の精霊ね……そうまでして……民を苦しめてまで、己の利を求めるなんて……なんて、おぞましい子だこと……。だから、私という聖女も覚醒するのだと納得がいく。国難に面したときに現れる存在だから。「そうだね、──だから、もう終わらせないといけない」──ええ。終わらせるわ。必ずよ。そのためにも、私は貞淑で慈悲深い令嬢として振る舞い続け──王太子殿下に浮気された令嬢とか、妹に婚約者を寝盗られた令嬢だとか、そんな言われ方をする余地も与えなかった。もちろん、民のために活動することも怠らない。今や私が作らせる石鹸や洗髪粉は、香料などの配合具合によって貴族向けから庶民向けまで幅広い。貧民には、香料や保湿剤を使わないものを、無償で提供して使わせているのよ。おかげで衛生観念が広まり、不潔からくる病はなりを潜めた。皆が私の働きを称賛してくれる。──その一方……王太子殿下は、ダリアの誕生日パーティーでしでかした失態が水面下で広まり、このことは国王夫妻も頭を悩ませているとか……。「しかも、多額の血税を浮気相手へのプレゼントに使い込んだことを、第三王子が証拠も揃えて提出してあるから、もう崖っぷちだろうね」──そうね、もはや、王太子殿下は最後の一本の藁で崩れる荷馬と変わらないわ。私はベリテとやり取りして、
私が上級悪魔と契約している──そのやり取りを、白い世界で見ていたのよ。ダリアたちの勘違いには笑うしかないわ。それはともかく、不思議に思うことがある。白い世界に行くための砂糖菓子は、なくなることも減ることすらもない。「どうしてかしら?口にすれば、その分減るものでしょう」私の疑問に、ベリテが答えた。「それはね、ガネーシャが正しい道を歩んでいるから、その証だと思えばいい」──正しい道……。「私は復讐に心を滾らせて、ダリアと王太子殿下を地獄に落とそうとしている悪女なのに?」「彼らは絶対的悪だ。君が繰り返し火刑に処されたあと──聖女が出現しないがために、国は滅びの道を歩むしかなかったんだよ」──聖女は国難を救う導きの光……私が今生で覚醒したとして、具体的に何ができるかはまだ分からないけれど、国に必要なものが火あぶりにされていたことになるのよね。「とりあえず、今後について話そう。彼らの誤解をどう使うか」「……ダリアならば、メイドを脅して噂を流せと言うわね」「そうだろうね。──ただし、ガネーシャのように抱き込んで言いふらさせはしないだろうし、聞かなければ折檻でもする、屋敷から追放もする」「力で服従させようとするわけね。あさましいこと」私はミーナのことを思い出しながら、虫酸の走る思いになった。それに気づいてか、ベリテは気を取り直させるように言ってくる。「その点、ガネーシャは平民から支持を得ている今があり、貴族たちからも好感を持たれている事実がある。相手の悪意も上手く使えば好機にできる」「……ならば、好きにさせてみましょうか。国民感情とダリアの流す噂を衝突させるのよ」企みに本気のいたずらな笑みを浮かべた私へ、ベリテは興が乗った様子で笑みを返してきたわ。「いいね。悪評高いダリアと、支持されているガネーシャ。噂で一騎打ちさせたら、今までの根回しの効果も確かめられる」「ええ。ダリアがどれほど悪女として周知されているか……私を陥れることしか考えず、何も成してこなかった重みが彼女にのしかかるわ」想像しただけで黒々とした心も踊る。私は白い世界から戻り、心をときめかせながら眠りに就いた。そうして翌日になり、ダリアはさっそくメイドたちを脅し始めた。「ご容赦くださいませ……私ごときにはガネーシャお嬢様を貶める言葉など……」「お嬢様?──私も同じ公爵家の
ダリアと王太子殿下には好きにさせておくと決めると、週に一度のお茶の席の日には必ず王太子殿下が王城を抜け出し、ダリアと密会するようになった。ダリアが当て擦りと挑発のためにやっているのはお見通し、誰が乗ってやるものですか。もっとも、これも予想の範囲内よ。むしろ、王太子殿下の失態になるもの、好都合だわ。私は第三王子殿下と情報をやり取りして、表向きは妹に婚約者を寝盗られた令嬢を装いつつ、裏では二人を追い詰められるように事を進めていた。すると、ある夜の晩餐でダリアが卑屈なほど躊躇いがちに言い出したの。「……お父様、私も十六歳の誕生日を迎えますわ。当日は催しを何か出来たら嬉しく思うのですが……」すると、お父様の言葉も待たずにマストレットが口を挟んできた。「誕生日といえば、ガネーシャは湯水のように金を使って祝わせています。なのにダリアは……不公平かと思います」──何を言っているの?私は自分で稼いだお金で使用人たちに料理を振る舞っているだけだし、依頼する王都のレストランにも、潤うように報酬を支払っているわ。それは、お父様も似たようなことを考えたらしい。渋面で口を開いた。「ガネーシャは私財を投じて、高貴なるものの義務を果たしているだろう。ダリアにマストレット、お前たちにそれが可能となる才覚はあるか?尽力をしてきたか?」──これはお父様の言う通りよ。私は浪費をしてなどいないし、家門の名声を高める結果になるよう、考えを巡らせて動いているもの。「それに、ダリアもマストレットも、今現在ただのお荷物にしかなってないからね。役に立つ働きがないから賞賛もないのに、僻んで妬むのは一人前だ」──まったくよ。褒められたいなら真っ当な働きをするべきでしょうに。すると、マストレットは羞恥で顔を真っ赤にして黙り込み、ダリアは声を震わせて言い募った。「私にはお姉様のような才覚もございません……ですけれど、公爵家の娘として……どうか、ささやかなパーティーだけでも……そこで他家の令嬢方とも親しくなれましたら、私も貴族として活動できるようになりますもの」「ダリア、お前も私の娘だ。誕生日のパーティーくらいは開いてやる。──ただし、恥の上塗りにならぬようガネーシャに手伝わせる。いいな?」「……はい……ありがとうございます」恥の上塗り……お父様も言うものだわ。まあ、ダリアは王太子殿下と
ダリアをどう陥れようか、どんな落とし方にしようか、私なりに色々考えてみた。結論は、貴族も平民も合わせて、世論を使い続けること。まだ存在しない世論は、この手で作り出す。自己保身や自己満足、あるいは野次馬としての娯楽感覚で、他者を傷つけても罪悪感を抱かない人間なら、いつの世も必ずいるわ。私も繰り返してきた人生で散々苦しめられたもの。──だから、今生ではそれを利用する。皆に悪役となってもらおうじゃないの。見境なく、誰かしらに八つ当たりして鬱憤を晴らしたい人たちには、私の奏でる復讐の音で踊ってもらうわ。「それは、ダリアを人々の娯楽のタネにするって意味だね?」──そうよ。考えてもみて。誰も傷つけずに済むのは、人や他のものに牙を向けることのない、物言わぬ愛玩動物の生涯くらいのものでしょうけど……その点で、ダリアはあまりにも私に悪いの牙を向けすぎたわ。報いは受けさせる。「ガネーシャ自身は手を汚すことなしに、だよね?」──もちろん、そうでなければ。だから皆に踊ってもらうの。幸い、ダリアは禁忌を犯しているから、何の気兼ねもないでしょう?──そのためにも、何か決定的な事件が起こればいいのだけど……取り返しのつかないようなことを、ダリアと王太子殿下が仕出かしてくれれば。「二人の間に不義の子ができるとか?」──さすがに、それはないわよね?廃人状態でも一国の王太子殿下が、避妊もせず未婚の令嬢と……なんて。「まあ、普通はね……」ところが、ある日の晩餐で驚くべき事実が分かった。その晩餐は、いつになく豪華で──ダリアの好物ばかりが並んでいたの。当然、不思議に思った。ダリアの振る舞いで褒められるところなんて、ひとつもなかったもの。「今夜は随分豪勢なお料理が多いのですね?」慎重に言葉を選んで疑問を口にすると、ダリアがわざとらしく頬を染めながら答えてくれた。「お恥ずかしいですわ……実は、私、月のものが始まりましたの……」──え?今になって始まるだなんて遅いわね?元いた家は裕福ではなかっただろうけれど、日々の食事に困るほどではなかったでしょうに。──ベリテ、こういうのは個人差があるとは聞いていたけれど。「どうやら、ダリアは嘘をついているわけでもなさそうだよ」──ベリテは天使として長い時間を生きてきたから、人間も相当見てきたのよね……?「うん。だから、この
──『兄上には、想う方の生家の跡取りとなって頂き、幸福に添い遂げさせようと考えております。どの令嬢にも望む結末を迎えられますよう』ナプキンに隠されていた、第三王子殿下からの書簡には、そうしたためられていた。──つまり第三王子殿下は、廃太子に追い込む覚悟を決めたのね。加えて、王籍も剥奪する方向で動くようだわ。私は簡潔な返事をすることにした。携帯用のペンとインクならば用意があるので、書簡の隅に書いて再びナプキンにしのばせる。──『王宮の使用人たちを使ってくださいませ。あのものたちならば、わたくしが温室で受けている扱いを目にしております』これで、王太子殿下とダリアの件は一層二人の首を絞めるはず。私は一人、温室でのお茶をゆっくり頂いて帰宅した。すると、通りかかったダリアの部屋の前で、異様なかっこうをして雑巾がけをしているメイドを見かけたの。「──あなた、どうして服が全体的に湿っているの?」見過ごせなくて声をかけると、メイドは一瞬怯えた目をしたけれど、それから低く答えた。「ダリアお嬢様が……」「ダリアがあなたをずぶ濡れにしたの?」「いえ、あの……実は、ダリアお嬢様のお支度には、毎朝メイド三人がかりでコルセットを締めるのですが、その間ずっと怒鳴られ続けて……」「まあ……コルセットを締めるだけで、令嬢なのに怒鳴り声を……」「それだけでは済みません。お支度を終えると、手際の悪さを責められて……冷たい井戸水を桶で三回浴びてから仕事に戻るよう命じられるのです……」あまりにも残酷で、私は眉をひそめた。「……それは、いつから繰り返されてきたのかしら?」「はばかりながら、ガネーシャお嬢様が十五歳のお誕生日を迎えられましてから……毎日でございます」つまりは、私がダリアの振る舞うスープの邪魔をしてからなのね。なんという陰湿な執念なの。「私はもう十六歳よ?……それほど長く、メイドに虐待を……」「メイドたちは、もう耐えられません……ダリアお嬢様の暴言にも、腰周りの太さにも……」──太さ……メイドには悪いけれど、吹き出しそうになってしまったわ……。あの子、言われてみると、迎え入れられてから──毎食、卑しいほど肉料理を食べているものね。「まあ、笑いたい気持ちも分かるよ。ダリアって、鴨肉や豚肉の脂を特に好んでるよね。余計に太る原因を作ってるんじゃないかな?」
運命を決める十六歳を迎えて、私はベリテと話し合っていた。──聖女とは、そもそもどういったものなのかしら?「まず、魂に宿っている光属性の魔力が目覚めを迎える。この属性の魔力は、聖女や聖人しか持ちえないし、そうした人間が生まれることも稀だね」──光属性の魔力……魔力だなんて、おとぎ話のようだわ。人間が持ちうるものなの?「ごく稀にね。だからこそ、尊ばれる。……光あるところには影が出来る事には気づけないまま」──影?光属性の魔力には、何か裏があるというの?ベリテの言うことはもっとものようにも思えるけれど……影とは何かしら。「聖女は怪我や病を治癒出来るし、浄化の力で豊穣ももたらせる──それは知っているよね?でも、実はそれだけじゃない」──あら?そうなると、聖女に光と影が宿るということ?私は光の聖女に相反する影の存在が覚醒すると思ったのだけれど。「それはないよ。影になる闇の魔力は悪魔しか持たない。──聖女はね、怪我や病や大地の穢れ、そしてその苦しみを取り出して癒し、取り出したものは致死性のない毒薬として、小さな瓶詰めにして保管出来るんだ」──聖女が、毒を持てる?意外だけれど……そうね、持てたら使いようによっては……私の復讐に役立ってくれそうだわ。もちろん、ダリアを追いつめるために。心身ともに絶望させることを目的にね。──良いことを聞かせてもらったわ、ありがとう。お礼を言う私に、ベリテは改まって問いかけてきた。「王太子はベリタの力でダリアに魅了されて操られてる。それは本来なら本意ではないだろう?──ガネーシャには彼に同情する気持ちはある?」──いいえ、少しも。地位に慢心して驕れるものに、王としての器はないわ。王太子殿下は出逢ったときから、人を見下して傲慢に振る舞うことの間違いを省みようともしていなかったもの。「そう、それなら構わないよ。──前世での復讐を果たすのに、同情心は妨げになるから」──そうね……幸い、私にはない感情だけれど。……ねえ、ベリテ。思いついたことがあるわ。聞いてくれる?「ダリアを追いつめるための布石だね?協力者として聞かせてもらうよ」私はにこりと笑んで、ベリテに計画を話したわ。──そして数日後、お茶会を庭でひらいた。集まる令嬢達は流行りに敏いものだけを招待して。「本日はようこそお越し下さいました。……季節外れの暑さ