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3ー3

last update Last Updated: 2025-05-19 18:49:11

 三ヶ月くらい過ぎた頃だっただろうか。

 私は一枚のポストカードにありったけの気持ちを込めてイラストを描いたのだ。あの少年に届けたい。

 そしてお店に来てくれた彼に、私はカードをプレゼントした。すると少年の瞳がキラキラと輝き、満面の笑みを浮かべてくれたのだ。

『すごいね。僕はね、文字でなければ、人には気持ちが伝わらないものだって思ってたんだ。でもお姉さんのこの絵を見て、お姉さんの心の中に広がっている世界を見た気がして、感動したよ。僕のお父さんはすごい仕事をしていたんだね』

 饒舌に話す少年の姿を見て、絵の魅力が伝わったと思い嬉しくてにっこりと笑った。

 それから少年はお店に訪れることがなくなり、私は一年でアルバイトを辞めてしまった。

 だからそれっきり会えていない。

 全てを思い出した私は岩本君の顔をじっと見つめる。

「思い出してくれたようですね」

「……まさかあの時の少年だったなんて」

「あの後も会いに行きたかったんですけど、中学受験が控えていて自由に外出することができなかったんです」

「そうだったの……」

「受験に合格して会いに行ったら相野さんはアルバイトを辞めてしまっていました。連絡先を聞いていたらよかったなと後悔していて」

 岩本君に熱い眼差しを向けられた。

「僕の初恋だったんです。しっかりと話を聞いてくれて、そして悩みを解決しようと寄り添ってくれる素敵な女性だなと思いました」

 自分に対しての言葉だと理解すると急に耳が熱くなる。

「その後、僕もそれなりに恋愛をしましたけど、やっぱり相野さんのことが忘れられなかったんですよ。そうしたら会社にいらっしゃったんで驚きました。大人に成長した相野さんはもっと素敵な人になっていて、できることなら自分の恋人になってほしいと願っていたんです」

 愛の告白に私の心臓がドキドキと激しく鼓動を打ち始めた。

 こんなにまっすぐに想ってくれているなんてありがたくて、言葉にならなかった。

 でも、岩本君が幼い頃にしていた発言が気になる。

『僕のお父さんはデザインを手がけている会社の社長なんだ』と間違いなく言っていた。

……ということは岩本君は御曹司ということ? たしかに社長の名は岩本だ。

「岩本君って社長の息子さんだったのね」

「はい。僕が会社の跡取りだということを伝えてしまったら、いろいろな人にプレッシャーをあたえてしまうとのこと
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  • 隠れ御曹司の溺愛に身も心も包まれて   3ー6

     それでも気持ちを切り替えて仕事に励んでいると、社長室に呼び出しされた。 一体何が起きてしまったのかと不安になりながら訪れると、そこには岩本君の姿もある。 私と岩本君は並んで座り目の前に社長が腰をかけた。岩本君とそっくりで年齢を重ねるとこういう風になるのだろうと想像できる。ダンディで素敵な社長だ。 社長賞をもらったこともあり、何度か話をしたこともあるが、こうして呼び出しされたことはない。「相野さん、君は優秀な社員だということはわかっているんだが……」 含みを持たせた言い方だ。「うちの息子に手を出しているそうだな」「そ、そんなことありません」「家に転がり込んでいるという話を聞いた」「ですから先ほどから説明している通りで」 岩本君が必死で弁解しているが、社長は私に対しては厳しい視線を向けていた。「まだ息子は若いんだ。これからの将来だってある。たぶらかさないでくれ」「私はそんなこと」「父さん。今の僕があるのは相野さんのおかげなんだ。そうでなければこの会社を継ごうと思っていなかったんだから。相野さんは僕のことをどう思っているかわからないけれど、僕は彼女しかいないと思っている」 自分の父親の前でそんなにはっきり言う人を見たことがなかったので私は言葉を失ってしまった。 いつもどちらかというと冷静なのに、今はかなり必死で話をしている。それだけ私のことを思っていてくれるという証拠なのだ。「社長のおっしゃる通り、年上の私が家にいると知られたら心配で仕方がないと思いますが、健全なのでご安心ください。家も見つかっているので今週末にはに引っ越しするのでご安心ください」 私が言うと社長は顎を擦りながら何か考えているようだ。「圭介、お前も将来があるんだからしっかりと考えろ」「……」 岩本君は悔しそうに黙り込んでしまった。

  • 隠れ御曹司の溺愛に身も心も包まれて   3ー5

     しばらくして私と修一郎が課長から打ち合わせ室に呼び出しをされた。そこには部長まで座っていた。「田辺君、単刀直入に聞くが素直に答えてほしい。昨日出してくれて通った案は相野さんのアイディアたったと聞いたが?」 驚いたような顔をした修一郎だったが、首かしげている。「何の話ですか?」 しらばっくれるつもりでいるのだ。ここまで最低なことをする人とは思っていなかったので強い衝撃を受けてしまった。「ちょっと待ってください。自分が疑われてるってことですか?」 修一郎は納得できないというように発言したのだ。 部長と課長は目を合わせて言葉に詰まっているようだった。「どちらかが嘘をついていることになると思うが、問題のある作品であればクライアントに提出することはでない。急遽別案でいくことにする」「待ってください。何でですか?」「万が一のことがあったら困るからだよ。うちも大事なお客様の商品に傷をつけることができないからね」「……そうですね。了解しました」 修一郎は怒りを飲み込むような顔をしていた。 部長と課長との話し合いはあっという間に終わり、部署内に急遽通達がされた。すると修一郎が近づいてきて私のことを思いっきり睨みつける。「何か言いがかりでもあるのか?」 あえて周りに聞こえるかのような言い方だった。「俺のことを陥れたい目的でもあるのかって聞いてるんだよ」「違う、そんなわけないじゃない」「せっかく考えて作ったデザインなんだ。俺が盗んだとでも言いたいのか?」 まるで私が嘘の告げ口でもしたというような口ぶりだ。今のやり取りを聞いている人たちは、私が悪者だと信じてしまうだろう。 岩本君が立ち上がって修一郎を睨みつけた。「相野さんが悪者みたいな言い方をするのはいかがなものでしょうか?」「新入社員のくせに生意気だ。この女に惚れてるのか?」 周りにいる社員も立ち上がって、険悪なムードを止めようとしている。 岩本君が味方してくれたのは嬉しかったけれど、変な噂を立てられたら困る。彼は将来の社長候補の人間なのだ。「二人で休日も歩いているところを見たという人がいるんだぞ。好きな女を庇いたいのはわかるけど、罪をなすりつけるのはどうかと思う」「ここの会社は恋愛禁止ではないと思いますが。しかし、プライベートのことを話す必要はないです」「ったく、ふざけんな」

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     自分も素敵だと思っている人からの言葉で嬉しいが、身分差とか年の差とか考えるとリスクが多すぎる。バッドエンドの結末しか見えない。「答えはすぐにとは言いません。この問題が片付いた後に返事を聞かせてください」「……はい」 真剣な眼差しだったので私は素直に頷いてしまった。「僕がアメリカに行っても、もしよければここで住んでいてもいいですよ」「まさかそんなわけにいかない。これだけお世話になったし、きっと家も見つかるから大丈夫」「大丈夫じゃありません。お願いですから心配させないでください」「そうは言っても、家主がいないのにここにいるわけにはいかないの」「まぁ……そうですね」 少しだけ強い口調で言うと岩本君は残念そうにする。「いろいろと真剣に励ましてくれてありがとう。やる気が出てきた。盗まれたアイディアのもので提出することは厳しいと思うけど、もう一つ考えていたデザイン案があるから頑張って作業してみる」「応援してます」 見送られて私は部屋にこもった。『もっと自分を見てとアピールしてみてもいいと思いますよ。LOOK AT MEですね』 岩本君が言っていた言葉を思い出す。 商品が自分らしく、アピールする。他の商品のように奇抜な色を使ってとか、なんとか目立とうとしなくても、自分らしさを表現していくことができれば必ず人には伝わる。 私がアルバイトをしていた時、自分らしくデザインの楽しさを伝えることができたから少年時代の岩本君の胸に届いたのだ。 このテーマに大切に胸に抱いて、今後も制作していきたい。 結局、私は朝までデザインを詰めていたのだった。 ほとんど眠ることができなかったけど、朝食に岩本君の特製ハニートーストを作ってもらったのでエネルギーが湧いてきた。 家を出て会社に向かって歩いていた。 一生懸命考えたアイディアは自分の分身と同じだ。それを自分が考えたかのように扱う修一郎の行動は許すことはできない。 出勤すると課長に本当のことを話そうと深呼吸し、彼もとへ向かう。「おはようございます。課長にお話をしたいことがあるのですが、お時間いただけますか?」 不思議そうな顔をされたけど課長と私は打合せ室に入った。「昨日の会議室で通った案なんですが、私のアイデアが盗まれたんです。本当は本日締め切りのコンペに出そうと思っていたものでした」「何だって?

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  • 隠れ御曹司の溺愛に身も心も包まれて   3ー2

     岩本君の家に戻ると体の力が一気に抜ける。この家にあまり馴染んではいけないのに、岩本君が居心地のいい空間を作ってくれる。「まずは、ご飯を食べてください」 ささっと乾麺でうどんを作ってくれた。お出汁が美味しくて心がほっこりしてくる。「美味しい」「よかったです」 お腹がいっぱいになって少し休憩した後、私たちは向かい合って座った。「相野さん、コンペは予定通り提出されたほうがいいと思います」「私が彼のアイディアを真似したと思われたら困るから、諦める」「今回を逃すと次はいつチャンスが回ってくるかわかりません」 真剣に言ってくれるけれど、かなり心が疲弊していた。「退職を本気で考えてる」「今会社を辞めてしまうと、夢を叶えることができないと思うんです」「それはすごくわかるし途中で諦めるなんて悔しい。自分が考えた案を奪われることがこんなにも辛いなんて……。修一郎は私は会社にいる限り同じことを続けてくると思う」「そうかもしれません。でも逃げないで戦いましょう。逃げてしまってもいいんですか?」 岩本君の言葉にハッとさせられる。「自分の作品を守りましょう? ご友人と約束したんですよね?」 本当はこのままなかったことにしようかと思ったけれど、苦労して生み出したアイディアをあんな風に使われるのは絶対に許せない。 それに岩本君が言ってくれた通り、このチャンスを逃してしまえば親友との約束が守れない。 負けちゃ駄目だ。前を向いていかなきゃ。自分で自分を鼓舞していく。 岩本君のおかげで深く沈んでいた心が浮き上がってくる気がした。 恐怖心が強いけれど、明日出社したら課長に話をしてみよう。「ありがとう。頑張ってみる」「はい! 応援しています」 岩本君と一緒に過ごしていると、自分の中にある強い心が引き出されていくような感覚になった。 本来どんな人にも負けない心があると思うんだけど、なかなか出すことができないのだ。 岩本君には感謝してもしきれない。彼の存在が私の中でどんどんと大きくなっていく。 優しくしてくれたらその分、離れるのが寂しい。岩本君がどんな気持ちなのか知りたくなってしまった。そして私は核心に迫るために口を開いた。「どうして、そんなに私のことを想って……くれるの?」「同じように僕のことを大切にしてくれたからですよ」 新入社員に対して教えなけ

  • 隠れ御曹司の溺愛に身も心も包まれて   3ー1

     それから、二日後のことだった。コンペの締め切りが明日に迫っている。 いいアイディアがまとまったと思って、今回ばかりは私の作品が選んでもらえるのではないかと自信を持てていた。 岩本君が常にそばにいて私の心を元気に保ってくれていたのも大きい。コンペが終わったら彼とのことも真剣に考えよう。 午後からは、食品系パッケージのデザイン案を決めるため会議を行っていた。 修一郎が担当することになっていて、いくつか案を作ってきたようだ。彼の案を見て意見を出し合うことになっている。「今回はシンプルイがいいかなと思い、健康志向の方のことも考えて、こちらのデザインを提案したいと思います」 画面に映されたのは、私が考えて考え抜いたゲームパッケージのデザインを彷彿とさせるものだったのだ。 最近やたら私の画面を覗いてきていると思ったけれど、まさかこんなことをするなんて……。嘘だと信じたい。「これは、素晴らしいではないかっ」 課長は大きな拍手を送って大絶賛している。 他の皆さんも頷いて、修一郎に羨望の眼差しを向けていた。 岩本君だけが私の努力を隣で見ていたので、私と同じ気持ちなのかもしれない。今までに見たことのないような怖い顔をしていた。「完璧に近いデザインだと思うが、意見のある人は?」 課長の問いかけに誰も異論を唱える人はいなかった。結局、私は何も言い出すことができず、案が通ってしまったのだ。 修一郎と目が合った。勝ち誇ったような目だった。 あまりにもショックで、部署に戻ることができず屋上に逃げた。 赤く染まる夕日が、悲しみを増長させる。 応募期限が明日に迫っているコンペにはもう間に合わない。 一生懸命考えて降ってきたアイディアだった。 このまま一緒に働いていたら、これからもこんな嫌な目に遭うだろう。 世界的有名なゲーム会社と強いパイプを持つティーオーユーデザイン企画にいなければ、おそらく夢だったゲームのパッケージを担当することはできない。 友人との約束も果たしたいし、絶対ここで踏ん張って結果を出そうと思っていたのに、耐えられる自信がなくなってしまった。悔しくてたまらなくて、涙がボロボロとあふれてくる。「ごめんね、亜希子」 私はもうこの会社で頑張っていくのは無理だと思った。退職するしかない。「相野さん」 声が聞こえてきて、振り返ると岩本君だっ

  • 隠れ御曹司の溺愛に身も心も包まれて   2ー8

     コンペの締め切りまで三日に迫っていた。 もう少しでパッケージデザインの案ができそうだった。 少し無理がたたっていたけれど、もうひと踏ん張りだ。 パソコンに向かっていると、修一郎が近づいてきた。 何か言われるのかもしれないと身構えていたら、珍しく優しい笑顔を向けてくれたのだ。「いい案、浮かんだか?」「お互いに頑張ろうな」「……え? うん」「ゲームのパッケージデザイン、もし採用されたらきっと一人前のデザイナーとして認められるだろうな。独立も夢じゃないかもしれない」「私は独立したいわけじゃないけど……」 大切な友達との約束があるから。修一郎にも過去に話したことがあったけど、きっと忘れてしまっただろう。 そもそも私の話なんて真剣に聞いていなかったかもしれない。修一郎と話をしていると過去の嫌なことを思い出して、気持ちが暗くなってくる。自分の中でちゃんと消化しなければいけないと思った。そのタイミングで岩本君が戻ってきた。「まだお二人共、残っていたんですね」「どうしたの?」「忘れ物をしました」 机の引き出しを開けて「あった」と言う。「ちょっとお腹空いたから、何か買ってこようかな」 立ち上がると、岩本君が寄り添ってくる。「荷物持ち係として僕もお供します」「そんな、大丈夫だよ」「熱心な新人だな」 修一郎が感心した口調で言う。「田辺さんは何かいりますか?」「うーん、じゃあ、おにぎり、お願いしようかな。あ、ツナマヨで」「了解です」 なぜか私は岩本君と二人でコンビニに行くことになってしまった。 エレベーターに乗るとこちらをずっと見つめてくる。「な、なに?」「随分仲よさそうに話してましたね。もしかしてまだ気持ちがあるんですか?」「まさか」「嫉妬しちゃうんですが」「なにそれ」 私が呆れたように笑うと、岩本君も笑顔を作った。 エレベーターを降りたところで彼はハッとした表情をした。「あ、もう一個、忘れ物があったので、先にコンビニに行っててください」 再びエレベーターに舞い戻っていく。「慌ただしい」と呟いた私の胸の中には、温かいものが広がっていた。

  • 隠れ御曹司の溺愛に身も心も包まれて   2ー7

     一緒に住ませてもらって気がつけば八月になっていた。 土日も私は家に仕事を持ち込むことが多かったけど、休みと仕事のメリハリをつけたほうがいいからと言って、様々な場所に連れ出された。 映画館、水族館、ドライブ、カラオケ、美術館。岩本君といると楽しくて私はいつも笑顔で過ごせていた。 アイディアに煮詰まってしまった土曜日。 岩本君は朝から私にパンケーキを焼いてくれた。 生クリームとはちみつをたっぷりとかけてくれ、めちゃくちゃ甘いパンケーキだったけど美味しくて、エネルギーが湧いてきた。「ごちそうさまでした」「いえいえ」 食器も片付けてくれるので、私はその場でコンペのアイディアを練っていた。「はぁ……」「最近、ため息が多いですね」 キッチンから話しかけてくる。「うん。期限が迫ってきたから焦る気持ちもあって……。今度のゲームって、対象年齢が定まってないというか。小さな子供も遊べるし、大人も遊べる。だからどこを狙って考えたらいいかわからなくて」「難しい問題ですね」 岩本君も一緒になって考えてくれる。「出かけてきませんか? いいアイディアが思いつくかも」「そうだね。息抜きもしたいし」 動きやすいコットン生地のワンピースに着替えをする。軽くメイクをして髪の毛は一つにまとめた。 準備を終えると岩本君も着替えをしていた。シャツを羽織ってジーンズというシンプルな格好だが、雑誌から飛び出したモデルさんのようだった。 並んで歩くのが恥ずかしいと思ったけれど、せっかくの申し出だ。仕事を成功させるために協力してくれているのだから出かけることにした。 何箇所もゲームコーナーを回ったり、ゲームセンターを見に行ったりした。「試しにクレーンゲームやってみましょうか?」「学生時代以来、やったことないかも」 岩本君が小銭を入れて、ウサギのぬいぐるみを狙っていく。でも、簡単には取ることができない。「難しいね」「あともう一回だけやってみます」 クレーンがゆっくり動いていってボタンを押すと、ぬいぐるみが持ち上がった。そしてそのまま入り口に運んできたのだ。 ポトンと落ちて商品をゲットしたときには、思わずハイタッチをした。 仕事のことで、煮詰まって頭が重く、職場では私に対する悪い噂が広がって暗い気持ちでいたのに、全てを忘れて楽しい時間を過ごせていた。 岩本君が

  • 隠れ御曹司の溺愛に身も心も包まれて   2ー6

     次の日から一緒に住む生活が始まった。 岩本君がいつも朝食を用意してくれる。彼は料理が得意らしく和食も洋食も朝から出てくる。どれを食べても美味しくて幸せな気持ちになった。 朝食を終えると食べて一緒に通勤する。 同じ職場で働いてランチを共に過ごす。昼食代を浮かせるために家で簡単な弁当を二つ作るのが私の日課になっていた。 修一郎と交際するようになったのも、こうして一緒に長く時間を過ごし同棲することがきっかけだった。 私はまた同じことを繰り返すのではないかという恐怖に苛まれていた。また恋をして傷つきたくなかった。 初恋の相手だったと言われたけれど、どこで会ったかはいまだに教えてもらっていない。 仕事が終わって岩本君の家に戻り、夕食と次の日のお弁当を作っていた。 彼との生活は楽しくて居心地がすっかりよくなってしまっている。明日は給料日なので物件を探していかなければならない。 お金が使い果たし、お腹がペコペコな状態で転がり込んでしまったけど、今思えばクレジットカードで食べてしのいでいけばよかったのだ。だから給料が出たらまずは家を探して、光熱費やスマホ代金はクレジットカードを登録し食料品を買っていけばすぐに出て行くことができる。 どんなに古くてもいい。いつまでも甘えてるわけにはいかないので、目ぼしいところを見つけてオンラインで内覧させてもらうところを見つけるつもりでいた。 食事の準備を終えてリビングでスマホで物件を探していると、岩本君がバスルームから上がってきて、後ろから覗き込んできた。「そんなに焦って引っ越ししなくてもいいですよ。今はコンペに出す作品のアイディアを考えるのが先ではないですか?」「その通りなんだけど、いつまでも甘えてるわけにはいかないの」「甘えられたいです」 耳元で囁かれ溶けそうになる。逃げようとすると後ろから抱きしめられてしまった。「そういうのはちょっとやめて。し、しかもお風呂上がりってなんかっ」「僕のことを思い出してくれました?」「今は忙しくて考えている暇がない」「寂しいな」 本当に悲しそうな声を出されたので私も切なくなってしまった。「ごめんなさい。仕事に集中したくて」「そうですよね。だからこそ、引っ越しは焦らなくてもいいのではないですか?」「う……うん」 うまく言いくるめられた気がした。

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